ささやかれた祈り⑫
その後、二人が落ち着くのを待って、治療に取り掛かった。
俺が行う治療の基本技術…、骨盤調整、脊椎調整から始める。骨格筋の不均等な収縮を解消し、弛緩へと導く。特に骨格筋に置いては、運動によく使われる筋肉から姿勢維持の筋肉まで、できる限り筋膜を伸ばしておき、柔はんにより内部構造をややゲル化、体液循環を促進する。
随意筋に置いては、部位により、補助した運動をあえてさせることで、循環と弛緩を促す。不随意筋に置いては、ときおり静止法。
用いられる手技は、按摩、じゅうはん、叩打、軽擦…魔法は使わない。全て、ただの整体手技だ。
一つ一つ、手間と時間を惜しまず、筋膜を伸ばして、循環を促していく…。
一通り手順をこなせば、全身の緊張が取れ、患者が眠気を覚えるまでになっている。
慣れた患者や、疲労の大きい患者は施術途中でほとんど寝てしまう。整体手技は、ここまで出来ないと合格ではない。俺は個人的にそう思っている。
俺にこの技術を伝えた師は、ここまでにはなれなかった。そもそも長く人に触れられないからだ。
だから実際にこの手法による対応は、俺がおもに担当し、実現させていった。はっきり言って、師より対応症例が多く、師よりもこの分野では腕がいい。師の理解と理念を元に、俺が実践し洗練させていった技術。もとより師も、俺に適性のある技術を伝えていたのだ。魔法の技術・才能はあってもいいが必須ではない。汎用性のある技術。
治療を終えたレーンさんは、ぼーっとしている。あくびが漏れ、眠そうだ。この状態で一休みしてもらった方が回復は早いのだが、彼の気性がそれを許すまい。次の患者に取り掛かる。彼女も、ここまでになってもらう…。
彼女は先ほどの動揺の方が大きかったようで、施術中、俺が刺されるようなことはなかった。幸いだった。
果たして、彼女の中の眠っていた生命の力は、待っていたものが訪れたことで…、もう、動き出していた。
俺はその方向性を正し、少し導いてやればよかった。逆に力の総量が大きすぎるので、制限をかける。
かつて、リョータが使っていたお守りが余っていたので、それを利用して封印をくみ上げた。これは、リョータが町に来るたび、クォンと交換していたものだ。
彼らは町で会うたび、コレを交換するのが不思議な儀式のようになっていたのだが…、リョータが正式に弟子になったことで、今後それが不可能になった。リョータがいま、持つお守りは、かつて師の胸元にあったものだ。…これは、クォンには荷が重い。もう交換の儀式は出来ない。…かんらん石で作ったもう一つは、本来の持ち主であるクォンの元にずっとおさまることになる。友達の儀式の終わりの埋め合わせとして、機能をいくつか付け加える予定である。二人ともこれから修行の時だ。俺からの門出の祝とするつもり。
施術を終えると、二人ともが完全にリラックスした体で、ぼんやりとしている。今日は、ここまでだ。
「二人とも、この状態でしばらく眠ってみて下さい。起きたら、体が軽くなっていると思いますから」
そう言い残し、患者宅を出る。レーンさんも同時に退出、すこしうつろな瞳で自宅へと帰っていった。その足取りも、見るものが見れば軽くなっているのが分かる。大分、仕事で疲れているようだったから、このままゆっくり休んでくれるといいのだが…。
彼を見送り、治療は終わった。何日か後に、彼女の考えを聞きに来る必要があるが…。それまではひと段落。
彼女の心は、一筋縄ではいくまい。これまでについてしまった思考の習慣がある。――でも、一番大きな問題は解消している。何とかなりそうだった。
うん、そうだ、何とか、なりそうだ。
今日の治療は、終わった。
そう思うと、いきなりがくん、と膝が折れた。その場にへたり込んだ。患者宅の壁にもたれかかり、うなだれる。…どっ…と、疲れが肩にのしかかってきた。
「先生?!」
…終わった……。
途中のあれで、集中が切れなくてよかった……。
心の底からそう思う。
いくら一晩経ったとはいえ、完全に復調はしていない。かろうじて、つぎはぎで、取り繕っていた仮面がはがれた。
気がつけば、忘れていた疲労が自分をどこかへ引きずり込もうとしている。足元の影の輪郭だけがいやに脳裏に焼き付いた。陽射しはまぶしいけれど、眠たい…。もう眠ってしまおうか…。
…思考が鈍る。次にすることは…なんだっけ?
……ええと…。
…きつい。疲れた…。
「…あ、あの、先生?」
呼ばれて気怠く顔を上げる。…我ながら、完全に仮面の剥がれた顔だろうな、と、思った。
「…!!」
「……?……どうかした?」
リョータがおかしな顔をしている。驚いた顔をしたかと思うと、なんだか急に気がしぼんで、その顔がしわくちゃになってきた。泣きそうな感じだ。どうして??…お前にはそんな顔はしてほしくないな。そう思ったそばから泣き出した。…なんで?どうした?リョータ。
「どうした?リョータ、何で泣くの?…あ、あー、なんか、あったの?」
考えてもうまく言葉にならない。思考が摩耗している。何をどういえばいいのか、言葉を探すのに随分と時間がかかる。もたもたしていると、リョータの方から声がかかってきた。
「先生…、先生。いつもこうだったんですね。僕…、僕、知らなかった。」
「…何を?」
「こんな風になった後で、僕を調節に使ってたんだ。この後、眠れなくなるんだ。そうでしょう?」
…俺は言葉に詰まった。
あながち外れた言葉ではなかったのだ。今は疲れだけだが…、これが重なると、自律神経が完全に失調していく。不眠や不穏が出てくると、リョータを自身の調律の指標とするのはよくやっていたことだった。正常のリョータへと生体機能の調律を合わせるのだ。自分で自分を調節するのが難しい状態だから。
そう言えば、そうなるまでの過程はあまり見せたことが無かった。だが、そんな姿はもう何度も見せていた。それがつながったのか…、とおぼろげに理解した。
もう自嘲するしかない。我ながら情けなかった。
「…まぁ、こういうことが、重なるとね。」
控えめに答えておいた。
「どうして…、どうして、こういうことするんですか?こんなでも、続けてたんですか?」
俺は笑った。笑うしかなかった。
「それを聞くのはお前がまだ、答えを出していない証拠だな。」
「………先生は答えを出したんですか?」
「出したと思ってる。」
「これが、答えなんですか?」
「これが、って…、…はは…、これだけが結果じゃないだろう?レーンさん達二人の結果に、お前は何か不満でもあるのか?」
「全然ないです。」
「じゃあ、いいじゃないか。」
会話が止まる。リョータが何かを言いあぐねている。
「けど…、そうじゃなくて…。」
泣き声交じりのリョータの声が、耳の中でうつろに響く。しばらくの沈黙が降りた。リョータが涙を流しながら嗚咽をこらえようとしている。鼻水をすする音が耳に届く。
「ぼく…、ぼく、何もできなくて。」
ああそういうことか。
そう思って、俺は無理に勢い込んで手を伸ばし、リョータの肩をつかんだ。
“そんなことはない!”触れた先から意思を伝える。
“お前がしてくれたことはある。お前が俺を守ろうとしてくれたこと。俺はこの先ずっと、生涯忘れないと思う。…それぐらい、うれしかった。ほんとうにうれしかったんだ。――サイコーだ。お前が弟子になってくれてよかった。”
「ゔ…」(でも…)
“でもじゃない。うれしかったんだ。ほんとうなんだ。守ろうとしてくれたこと、ほんとうにうれしかったんだ。それをわかってくれ。ほんとうにありがとう。”
「……ゔ…。」(……はい…。)
…だめだ。リョータの説得の仕方が分からない。道は違ってもいいんだ。たぶん、リョータはわかってない。だめだ。そうじゃないんだ。俺はすぐに行動に移ることに決めた。
“少しだけ、ここでじっとさせておいてくれ。短い瞑想で体と精神を復調させる。待ってて。”
アタマがまわらない。これはまず、自己の体内循環を正常化させ、気力・体力を充溢させた方がいい。そう結論付けた。すべてはそれからだ。
そう伝えて俺は手を放し、その場で座禅を組む。目を閉じた。…早めに復調しないと、リョータが心配する…。俺はとり急ぎ、己を集中状態へと導いていった。
師を亡くしてから、いつも一人でやっていたこと。
おそらくこれからも一人でやっていくだろうこと。
今日はそこまで悪くない。そう時間はかからないはずだった。
耳にはリョータが、涙をこらえる声が届いていた。




