ささやかれた祈り⑨
後日、あらかた準備をすませた後、俺たちは再び、患者宅へと向かっていた。
レーンさんも同時刻に落ち合うことになっている。もう来ているかもしれなかった。少し急ごう。準備に手間取った。少し遅れている。――足を速めると、横のリョータも何も言わず、追いついてきた。
不思議とリョータは口数が少ない。…まぁ、昨日あんなことがあった後だから、考えることもあるのだろう。俺は詮索しなかった。
昨日の夜から調子を戻し、今朝からできることは、すべてやっている。
――断食、清め、防護術、…次の診察の準備だ。またもう一度、同じ失敗を繰り返すわけには行かない。リョータにかまけている時間が無かった。治療前にいつもしていることだから、リョータも疑問に思わなかったはずだが…。何を考えているんだろうな。
そんな疑問を胸に押しとどめて、先を急ぐ。目的地はもう見えてきていた。
レーンさんが家の前に立ち、待っている。驚いたことに、チェリスさんもその横に居た。立ち居はつらくないのだろうか?
本当は昨日の時点で、脊椎調整などの整体処理くらいは施しておきたかった。
だがとてもあの状態でできる自信は無かった。最初に信頼を勝ち取っておくのも、本来は重要なところ。その最初の一歩で、俺は昨日ミスをしている。取り返せるか?と自問して、取り返すしかない、と自答した。最善を尽くすしか道は無い。患者を前に、圧迫感が募り、緊張感が増す。毛が少し逆立とうとしている気がする。努めて平静を保ち、息を整える…。少し足を速めようとした。
――と、いきなりリョータが俺を駆け足で追い越し、前に出て両手を広げた。通せんぼをする。
………っ???
あまりに唐突なことで、俺はぶつかりそうになる。あわてて歩みを止めた。
「どうした?リョータ。」
「……。」リョータは答えない。
「何をしている?通してくれ。」
首を振り、彼は頑として動かなかった。
いったい何が?…多少、焦れながら首をかしげ、目でも問う。でも何も答えてこなかった。
分からない。どうしたんだ?リョータの肩に触れてみた。リョータはそれを避けようとしない。意でも問うてみる。
“どうしたんだ?なんで通せんぼしてるの?”
この状態では隠し事もできない。また、答えない、と言うこともできない。はたしてすぐに、答えは返ってきた。
“…僕はむずかしいこと、よく分かんないです。でも、やっぱり先生はあの女の人に、近づいちゃダメです。”
多少驚きつつ、俺は問う。“どうして?”
“…、だって!怖いんでしょう!?”
“…っ!!”
顔がこわばり、一瞬で毛が逆立って、体が硬直する。思わず手を離した。
ぎょっとリョータを見下ろした。彼は唇を引き結び、強い意志で俺のほうを見返している。
……その目をみて、理解した。
見透かされている。
もう苦笑するしかなかった。俺の仮面も、たいしたこと無いな…。思わずため息をついた。
…そして、リョータは、これで俺を守っているつもりなのか…。
…なるほどな。
理解する。だが、魔法使いの先達として、リョータは間違ってはいないが、理解していないことを伝えねばならない。うまくできるだろうか?俺はもう一度彼に触れ、意を伝えた。
“その通りだ。俺は今、ビクついてるよ?子供みたいなもんさ。ほんとうはお布団かぶって、ぶるぶる震えておきたい気分だ。…誰が、自分を陵辱した相手に二度会いたい、なんて思うもんか。いくら本人がそう気づいてなくてもね。だいたい魔法使いであるなしに、ああいう思考はよく人を傷つける。…ああ、お前の言うとおりだ、俺は彼女が怖いよ。本当に、とてもね。”
俺は自分でも驚いたことに、これを笑いながら伝えていた。…われながら、静かな笑いだと思った。
リョータが心なしか、ほっとしたような表情を作る。“だったら…”と聞こえたところで、俺は自分の言葉を上にかぶせた。
“でも、俺は行くよ。俺はもう、許したよ。怖いことはあっても、それ以上のものが、この先に待っている。だから俺は先に進む。”
リョータが驚いた顔をする。俺はさらに続けた。
“俺はこれから仮面を被る。…それをリョータは気に食わないようだ。…では、一つ言っておく。この仮面を被れないようなら、リョータに医術は教えない。そのときは魔法使いとしてのすべのみを教えるから、魔法使いとして生きていけ。”
“……えっ?”さらに驚愕を募らせるリョータを無視し、俺は続けた。
“仮面とて、真実になることがあるのさ。…これはまだ、教えていないことだから、いずれ教える。でもその上でお前がムリだというのなら、お前は癒し手にならない方がいい。”
驚愕、と言う表現をそのまま顔に貼り付けた魔法使いの弟子が、呆然と俺を見上げてくる。
“言ったろ?俺たちにも教えられないことがある、と。リョータ、これは自分で考えることなんだ。自分で考えるんだ。お前はもう、ただの子供じゃない。魔法使いの弟子だ。…これは俺たちでも教えられないことに属するんだ。…ヒントを与える。お前の行動自体は間違ってない。お前はそれでいいんだ。でも俺は、そんなやり方で師を守ろうとはしなかった。だから俺とお前では道が違うのかもしれない。俺や師に関しては、それじゃあダメだ。そのやり方じゃあお前は、俺を守れないよ、リョータ。”
自分で言いながら最後の部分は、自分でもさみしさが滲んでいるな、と思った。だが、仕方ない。
“お前は癒し手として、向いていないかもしれない。”
さみしいが、静かで澄んだ笑みが、自分からこぼれている気がした。
だが、そんな気分とは別に、忘れずに伝えねばならないことがある。これだけは何があっても伝えておかなければならなかった。そうしないと必ず後悔する。一生涯、後悔する。だが患者が待っている、時間がない。こういうとき、時のかからない意志伝達手段があるのは、心の底からありがたかった。
“でも、ありがとう。お前は優しい子だ。お前はそれでいいんだ。俺は幸せ者だ。…リョータ、心から感謝する。本当に心から。どう伝えていいかわからないほど、うれしかった。感謝してる。ありがとう。でも俺は行く。”
そこで言葉を切り、俺は手を離した。固まって動かないリョータを無視し、迂回して先に進む。
それに気づき、はっとしたリョータが追いすがるように手を伸ばした。腕を掴まれる
「ヴ!?」(先生?!)
“無駄だよ、リョータ。今のお前じゃあ、俺を止めることもできない。”
一瞬でそれだけの言葉を送る。ほとんど無造作に、掴まれた手をはらった。体術ではこちらが上。引き止めることなどできようはずもない。その後は振り返りもしなかった。
背後で呆然と、混乱した気配がうかがえる。だが無視した。
もう一度、心の中でつぶやく。
お前はもう、ただの子供じゃないんだ。もうお前は、魔法使いの弟子。
以前ならそこにとどまり、しゃがみこんで諭してやったろう。だがもう…、その時期じゃない。
自分で考えることも覚えないといけないんだ。リョータ。
俺は一瞬だけ空を見上げる。夏の終わりの、うららかな日差しがまぶしかった。
俺はその瞬間だけ、リョータの幸先を祈ることを自らに許した。行く道は分かれるのかもしれない。でも、それはそれでもいい。それが俺達だ。そしてすぐに頭を切り替える。
俺たちの様子に、困惑した表情を二人が見せている。無理もない。会話が聞こえていないんだから。
俺は一瞬だけ目を閉じ、仮面を被る。すべからく仮面がしゃべり始めた。
「申し訳ありません。少しお待たせしましたか?…ちょっと、治療の準備に手間取ってしまって……。」
そして振り返り、動かないリョータに声をかける。
「…おい!リョータ!お前も見学するんだろ?……今は、見学していけ、よ。」
たとえいつか、道が分かれることになったとしても。
最後の言葉は飲み込んだ。
なんだか泣き顔のリョータが、泡食ってこちらにかけてくる。それを視界の端に捕らえた。
患者に向き直る。足の震えはうまく止めている。防護策も立ててある。清めは完全ではないがー、今できる、最善の状態にはしてある。昨日とは違う。対応できるところはほとんど対応した。問題はほとんど無いといっていいが、悔いに関してはまったく無い。
そして、仮面が口にした。穏やかな声だった。
「では、お二人とも、中に入りませんか?そこで、治療の話に入りましょうか。」




