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隠者の系譜《ハーミッツ・ライン》~~師匠を亡くした獣人医師は、それでも巡回医療の旅を続けます~~  作者: shin


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ささやかれた祈り⑧

 その場を何とかごまかして、部屋を出た。外で待っていたレーンさんと話をつける。

 大体わかったが、ちょっと準備したいことがある。だから、また明日伺う。その時に二人とも、全部話します、今日はこれまでに、と。話を通した。


 魔法使いの準備、というと何かいろいろなものを想像するのだろう。それで二人とも、怪訝な顔をしながらも何とか納得してくれた。

 そしてそこで、二人と別れた。レーンさんはこの後仕事があったため、途中まで街道を一緒にすすみ、分かれた。その背中を見送る。


 分かれて、しばらく歩いて、レーンさんが十分離れただろう、と思ったころ、限界が来た。

 どっと疲れを感じ、通りの民家の壁に手をついて寄りかかる。膝が笑っていた。


 リョータがあわてて駆け寄ってきた。俺は手を上げるだけでそれを制する。リョータもそれだけで分かったようだ。俺に触れてこようとしなかった。己の口元に力ない笑みが浮かんでくる。


 …やはり、この子は本能的に分かっている…。


「…一度、宿に戻ろう…。」

自分でも驚くほど、疲れ切った声だった。


 時折行きかう通行人を避けながら、俺もリョータも、全く話をしなかった。

 俺は特に、うっかり通行人と触れないように気を付ける。こういう時は体術を身につけたのが役に立つ。俺は触れなければ平気なのだ。師と違って。そこに気を付けてさえいればよい。師ではこうはいかない。こうなるともう、人里を離れねばならなかった。自分を調律するのに最適な場所へ。人のいない静かなところへ。

 歩きながらリョータが俺の様子を伺っている。

 気がついてはいたが、俺は何も口を利かなかった。話したい気分ではなかった。気を抜けば肩が震え、膝が笑い出そうとする。歩く、という行動だけを淡々とこなしているほうが楽だった。自分の意志とは関係の無いところから来た反応を、それで上書きすることができる。考えないでいい。…気休め程度だったが。


 とうとう、リョータがおずおずと俺の手をとり、そこに自分の頭をぶつけてきた。


 “先生、大丈夫?”


 慣れた反応。すぐに思考が俺の心へと飛んでくる。

 自分以外のものに引っ掻き回されたばかりの俺の心が、身もだえするように揺れ動いた。だがリョータの思いは不快なものではなかった。


 “うん、もう大丈夫。”


 俺は半分本当で、半分ウソの答えを返した。リョータは何も言わなかった。

 すんなりと俺の手を頭から離し、隣に並んで、黙って歩き出す。

 もしかしたらこれだけで、俺の状態を完全に見抜いてしまったのかもしれない。ありうることだった。お互い慣れているし、この子の才能は計り知れない。


 どうなのだろう…?…と考えて、すぐに考えるのをやめた。どちらにしろ説明する、と言っていたし、いずれは全部、説明しないとならないことだった。いずれ知らねばならないことだ。師に頼りたかったが…、もう先ほど、十分助けてもらった。これは己のすべきことだと考え直した。


 ではどうしようか?…そこは一考し、俺は足を止めて、リョータに声をかけた。


「リョータ、肩に乗れ。肩車する。」

 俺は腰を落とし、膝に手をつく。膝から足をかけ、肩に上りやすいようにした。それを差し示し、誘う。


「乗れ。」

「…はぃ?」

「今からさっき起こったことを説明する。…でも、口で話すより、触れ合って伝えたほうが早い。手をつないで歩いてもいいが…、お前と俺とじゃあ、手をつないで歩くって言うのも変だろ。親子にしては、もう手をつなぐような年に見えない。…肩車ならまだ変じゃない。触れ合ってさえいればいいから。ごまかすためだ。乗れ。」

「肩車って言うのも変じゃないですか…?」

「そうか???…じゃあ、どうする?」

「……いえ、乗ります。」


 乗ってきた。何のことは無い。リョータは肩車されるのが好きなのだ。最近は年相応たらんとして、遠慮していただけだ。身の丈の低いリョータは、俺の目線よりも上から、町や人々を見下ろせるのが爽快であり、快感なのだ。触れ合っていればわかる。俺に隠しても無駄だった。


 身の軽いリョータだから、とん、と膝に軽く足をかけられた、と思った矢先にもう肩に収まっている。

心が伝わってくる。覚悟はしていた。そして先ほどで慣れている。多少己の内実が揺れ動くが、さほど気にしないでいれた。そのまま背を伸ばし、歩き出す。そのことに集中すれば膝の笑いはおこらない。…リョータの心の歓声が聞こえてきた。こういうところは、かわいいもんだ。自然と笑みが漏れていた。それでまた状況が好転する。よし、説明できそうだ。


 そのまま歩きながら、俺は説明した。触れてさえいれば直接、考えることを伝えることができる。時間はほとんどかからなかった。


「…うー?」(あれが、先生の不思議な手の、副作用?)

 ”そう考えてもらって構わない。”

「ヴー、ヴーゔヴゔ、ヴヴヴーヴ?」

(じゃあ先生は、医者として働いているとき、いつも仮面をつけているんですか?それであれを抑えてたの?)

 “そうだな…、そんな感じだ”

 “仮面”といって、通じるのかどうなのか。リョータはまだ心の学問を納めていない。

 仮面…、仮人格、“パーソナリティ”、特定の状況において培われた特定の反応系が組み合わさった人格回路。

 と、そんな思考がもれ出ても、リョータにはまださっぱりわからない。苦笑する。無理もない。まだまだ先の学問だものな。

 しかし…、考える。これは、教えておくことだと思った。隠しておいたものの方を、教えておくべきだ。


 そう思うと、もう我慢していられなかった。


 あっという間に仮面がほころびだす。押さえ込んでいたものがこぼれ出した。


 この人格回路も、己の意志で選択することができる。訓練するとそんなこともできるようになる。

 簡単に説明すると、例えば誰でも、「友達に対するときの自分」、「親に対するときの自分」、「先生に対するときの自分」を、その場に応じて使い分けている。だからこそ無自覚に敬語になったりする。それらの脳の回路はそれらの人に接しているときに学んで、作っていったものだ。ほとんど自動的なもので、自動的であるからこそ、応対する人が変わったとき、人は無自覚に敬語になったり、タメ口になったりと口調が変わる。誰でも気づかずに複数の人格回路を使い分けているのだ。実はこれは自覚すれば意識的に選択できる。だからこそ、意識して敬語を使うことも出来る。

 この仮面の選択は、単に集中力の問題な気もするが、それでも、隙を作れば、抑えていた己はこぼれだす。


「…ぐっ…、ぐすっ…」


 もう自然な感情がとまらない。仮面など今は必要ないのだ。そう思って、そんなものかなぐり捨ててしまうと、もう歯を食いしばり、嗚咽をもらして、俺は泣き始めていた。自分でも止められなかった。


「…ヴー?!」(…先生?!)


 それに気づいてあせるリョータに、俺は静かに声をかける。包み隠さず感情も伝えた。こうすると、たぶん、そのまま俺の感情に引きずられてしまうだろうが…、その方が本質を理解するのに都合がいい。そのまま心をぶちまけた。これは、伝えておくべきことだった。


 “リョータ、覚えておけ。俺のこの状態を。…お前がこの先、俺たちの医術を身につけることができたのなら、こんな風になることが、一度ならず、必ずある…。”


 俺は静かに心を伝える。


 “無様だと、馬鹿にしてくれていい。みっともないと、あざけってくれてもいい。でも、必ず覚えておけ。”


 そう伝えながらも、俺は泣くのをとめることができなかった。

 もともと涙腺のゆるい俺だ。涙がとめどなく相貌から流れ、頬をぬらしていく。そのうち、しゃっくりまであげながら、子供のように泣きはじめた。

 通りすがりの人からどう見られているかもわからない。でも泣きたい気分がとまらない。肩車しているから、顔が隠れて大丈夫かな…?リョータには見えてしまうが、今は隠しておくべきではないことだった。


 …みじめで、悲惨で、どうしようもないほど、いたたまれない気分だった。


 正直に言う、こんな風に無造作に、心を傷つけられるたびに、俺は生きていくのもいやになる。

 これを、どうあらわしたらいいのだろう?

 たとえば、今こうして歩いているときに、見知らぬ通行人からいきなり、耳の後ろへと細長い針をずぶり、と無造作に突きいれられる。そんな感じか?

 そんなような異常性と、恐怖と、おぞましさと、痛みを兼ね備えた物事のような気がする。「刺される」、とは無理やり異質なものを自分の中へ突っ込まれ、ぐちゃぐちゃに掻き回されたような感じなのだ。そんな風に乱暴にかき回されて、ささくれ立った奥の痛みだけが残っている。…例えは卑猥だが、心を陵辱されたようなものなのである。


 ……ほんとうに、みじめで悲惨で、何の救いも無い経験だった。


 俺の重たい気分に引きずられ、リョータの思考が戸惑いを深くする。

 それでいい。この子はそんな繊細な感情すら、やりとりするすべに長けている。昔のリョータの恩恵だ。俺が伝えたいことはちゃんと伝わっている。俺はもう一度、静かに声をかけた。涙は今でも止まらなかった。


 “俺も師の、この姿を覚えている。だからお前も、俺のこの姿を覚えておけ。この手をもつ、というのは、こういうことだ。”


 “―――お師匠様も、泣いてたんですか?”


 “ああ正確には泣いてない。師匠が人前で涙を流したのは、数えるほどしかないよ?本当に、数えて片手で足りるくらいだ…。…師は泣けない人だった。泣いたり悲しんだり、してはならない人だったんだ。それだけでたくさんの、悪いものを引き寄せてしまうから。だから俺は、師の笑った顔や、喜んだ顔ばかりを覚えているよ?そしてそうするだけで、いいものがたくさん、師の周りには集まってきた…”


 リョータの理解を待ち、俺は話を続ける。


 “そんな師でも、泣いていた。涙なんて見えなくても、ずっと一緒にいた俺には分かる。師も泣いてた。師は泣いているとき、悲しいとき、完全に心を殺し、凍りつかせる…。そうしないと多くのものに、迷惑をかけてしまうから。そういう時は、俺が師を守らなきゃならなかったんだ。必死にやったつもりだけど、守りきれたかどうかは自信が無い。本当に必死で、全力だったよ。俺しかいなかったんだ。俺だけが分かることだから、本当に守れるのは俺しかいなかったんだ。必死だったよ。”


 俺は鼻を大きくすすり、ひとつ息を落ち着かせる。泣き笑いの表情になった。


 “俺は、そんな師の姿を覚えてる。だからお前も、覚えておけ。”


 師のことを考えると、少し心が軽くなっていた。

 泣き笑いの顔をして、思考を続ける。でもいつしか頭は垂れていた。泣きそぼっている顔を通行人や弟子に、じろじろと見られたくない。そのかわりに思考を筒抜けにして、リョータの中へと響かせる。


 医師だって、人間だ。

 魔法使いだって、人間だ。完璧な人間など、この世にはいない。

 もし完璧な人間がこの世にいるとしたら、それはそう思い込んでいる悲しい人間が、一人そこに居るだけだ。

 一人で生きていける人間など、この世には居ないのだから。


 覚えておけ、リョータ。

 人はもろく、はかない生き物でもあるんだ。

 でも、だからこそ、我々は助け合って生きていくんだ。みんな助け合って、生きていくんだ。

 だからどうか、お前も覚えておいてくれ…


 ささやくように、祈るように、俺は語り続ける。

 大切なことを、忘れないように。


 一人で生きていける人間なんてどこにもいない。だから俺たちは、助け合って生きていくんだ…。


 お前を道に迷わせたりなんか、させやしない。闇になど堕とすもんか。必ず、光に導いてやる。さっき言ったことだって本当だ。必要なら命だってくれてやる。お前がこの先俺たちと同じ結論にたどり着かなくたっていい。同じ道を歩まなくてもいい。でも、どうか…。


 でも、どうか。


 どうか、我々がそう考えていた、と言うことだけは、忘れないでくれ。


 どうか、忘れないでくれ。




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