ささやかれた祈り④
かくして彼女は了承した。
だが、レーンさんには外に出ておいてほしい、という。
…我々の診察は触れるだけなので、別に服をはだける必要はないのだが…。
説明するのもどうしよう、と思っていたら、口をはさむ前にすたすたとレーンさんは外にでてしまった。
…まぁ、どちらでもいいか。いずれ依頼主には説明の義務があるし。
扉が閉まる音を確認し、では、と彼女に向き直る。
だが、彼女――チェリスさんは、向き直った俺を手で制し、声をかけてきた。
「ちょっと、その前に。」
「…はい?」
「…あの、外にあの人、立ってません?この話、彼に聞こえてませんか?」
ささやくような声で訊いてくる。…レーンさんに、聞かれたくない?振り返ると…、リョータと目があった。
「親方、すぐ外に立ってると思いますよ?見てきましょうか?」
さすがは我が弟子。リョータも分かるんだな。足音もすぐそこで止まったもんな。俺は首を横に振る。
しかしこれを聞いたチェリスさんが渋い顔をする。…ああ、内密にしておきたいのか。どうしてだろう…?
「しかし、依頼主は彼です。私はいずれ、説明する義務がありますよ。なにか聞かせたくない話でもあるんですか?」
「…いえ。それは別にいいんです。聞かせたくないのは、その話じゃありません。」
…???なんだろう??
まぁ、患者の個人情報に気を使うのも、我々の仕事のようなものだ。要望には応えないとならない。
俺はするりと己の首からお守りをはずし、意識をつないだ。そのままひょい、と天に放る。途端に弾かれたように下げ紐がほどけ、一重の輪となった。それは落下する途中で、ふうわりと重力に逆らって浮かびあがる。つながれた一つの水晶球が、その輪に沿ってくるくると回り始めた。頭上でそのまま固定する…ハイ、起動終了。
「結界をはりました。これでもう、中での会話は外にきこえません。」
「……はい?」
彼女は呆けた顔で頭上を見る。支えもなく浮かぶ輪。そこをくるくると回る水晶球。そして俺を見比べる。
…いきなりだったし、手品でも見ている気分なのかな…。一応、実証しておくか。
「チェリスさん、リョータ、ちょっと耳を塞いで。」
そう指示し、二人に手でしっかりと自分の耳を塞いでもらう。
それを確認すると、俺は己の手の平を上にかざした。そのまま部屋の中の大気を操作する…、…密度を操作…、思い切り、大きな疎密波を作り出した!
ドォン!!!
腹の底から体を震わす、大音響が響き渡った。びりびりとあちこちが揺れ、からからと並んだ薬入れが床に落ちる。二人が驚いて目をぱちくりとさせた。
…残響が消えるのをまって、俺は落ちた薬入れを拾いながら、声をかける。
「ほら、今みたいな爆音でも、レーンさん中に入ってこないでしょ?この中の会話は、もう外に聞こえてませんよ。」
しばらく間を取り、事態を理解してくれるのを待った。その間に落ちた小物をすべて元の所に戻す。
「…驚いた。こんな魔法を見るのは初めてです。」
そりゃそうでしょうとも。俺は心の中で請け合った。
「でも、何故聞かせたくないんですか?…そもそもの依頼人はレーンさんです。守秘すべきことは秘密にしますが…、それでも必要であれば、ある程度は報告することになりますよ?」
「いや、あの、それとは別で…。質問があるんです。さっき仰っていましたけど、これ、そんなに高価なものなんですか?私が子供のころは、…高くても…、それなりの値段で譲ってもらったことがあるんですけど…。」
そうやって例の薬入れを示し、聞いてきた。俺は素直に答える。
「ああ、これは本来、お金で売れるようなものではないんです。だから値段はあって無きがごとしです。…金額的には無料で譲る場合もあるんですが、全てそう言うわけにもいきません。店と我々にも生活というものがあります。それに施しのみでは健全とならず、道にも悖る。なので、手数料を込みにした代理販売の形になってます。実際の金額は鈴が決めます。…そうですね。たとえば…、あなたがこの薬を手に入れたのは、自分のためでしたか?それとも、他の誰かのためでしたか?」
この質問に、なぜか彼女は動揺したそぶりを示した。
「…え?…それ、何か関係があるんですか?」
「あります。どうでしたか?」
「いえ、ちょっと他の…、別の人のためです。」
「そうですか。では、その時あなたは、その人のためだったらこれだけ払える、という、薬の対価にふさわしい金額を支払ったはずです。」
「…?」
「高い、安いは、実は関係がありません。これ、正しい動機で買おうと思えば、子供でも買えてしまうものなんです。ですが子供の場合は…、自分のおこずかい何年分、とか、子供なりの損失を覚悟した金額に設定されるでしょう。もしくは、その子にとって価値のあるもの、宝物、など…。たとえば無料の場合はこんな例がありました。使い古された、でも、すごくよく手入れされた包丁を対価にもらったことがあるんです。でもこれではお金になりません。なので鈴鳴り堂の主人には、俺たちがそれを買い取って手数料とし、その包丁は持ち主に返しに行きました。大切にされたものだと、見て分かりましたから。…引き換えに、その定食屋の主人は今でも無料でご飯を食べさせてくれます。その包丁を使った料理でね。それがつまり、代金です。」
「…。」彼女は、まだ不分明な表情で見上げている。俺はもう一度、繰り返した。
「つまりはその時あなたは、その人のためだったら支払ってもいい、という、それなりの代償を支払ったはずです。何か自分の大切なものを支払ったはず。お金とは限りません。覚えはありませんか?」
「……!!」
彼女の顔があからさまに強張った。…??とりあえず、心当たりはあるらしい。では、そういうことだ。
「覚えがあるようですね。では、そういうことです。…ちなみに、委託販売なので、大体の金額は分かります。最近は、金貨6枚くらいで取引されていたようです。」
「…そんなに…。」
ちなみに金貨一枚あれば、クォン一家が全員、一か月、楽に暮らせるくらいの相場である。
確かにここ最近は実入りがよく、師を亡くしてリョータという扶養家族を得た俺には、ずいぶんと助けになった。そう先立つものが必要な生活ではないが、子供がいると、それなりに浪費する。
「対価の物差しは個人の価値観なので、守銭奴だったら天井知らずの高額になったんでしょうけど…。…そこそこの小金持ちで、お金の大切さを知っている人間が多いんだろうな、この町は…、と思っていました。全部レーンさんだったんですね。驚きましたよ。」
「…そんな、あの人、一言も…。」
「…言ってなかったですか?だとしたら、言わない理由があったのかもしれませんね。」
しばらくの沈黙が降りた。…これで話は終わりだろうか?そろそろ、本題の方に入りたいのだが…。
「実際、7回もこれを買えた、という事実もすごいんですが、7回もこれを飲んで、あなたが快方に向かわない、というのもおかしいんです。それなりに力のある秘薬ですから。――何かがあります。」
言いながら、俺は推測を押し隠す。
おそらく、変化が起きないのは明確な理由がある。――彼女の心の問題だ。
「では、診察に入りましょうか。少し失礼します。ちょっと手を触れるだけでわかりますので、気を楽にしておいてください。」
そういって、俺は何気なく手を伸ばす。彼女が驚いて身を固くした。
「ああ、えーと、普通の医者とは少し違います。触れるだけで、全部わかりますから。…手を貸していただけませんか?」
本当は体幹に近い方がやりやすいのだが、こういう場合は致し方ない。手先から診るか。
彼女がおずおずと手を差し出す。俺はそれに手を伸ばす。
……その普段通りの行為に、俺は何も考えていなかった。
この時、俺は完全に失念している。お守りすら、己の胸にないことに。
彼女の手に触れる。そのまま意識を走らせ、走査した。
すでに反射となってしまった反応に、触れた先から返ってくる情報を拾う。…手の関節部に炎症・やや神経の脱髄がある…、だが、目下の最優先事項はそれじゃない。探るべき順位が変わってしまった。俺はさらに意識をたどり、視点を変える。…骨格、筋肉、内臓、…違う。探るべきはそうじゃない、もっと深みへ…、視点を変え、見えない手を伸ばし、どこかにあっても触れられない生命の深奥へ。物質を扉に、その裏側へ……。
あるはずだ。どこかに必ず。あるはず。…どこだ?
いつもの習慣で、つい肉体の細部へと視点がずれる。筋肉、皮膚の紅斑部…。違う、そうじゃない。強引に視点をずらし、再び深奥へ…。…、…、…?…、…、…、…!あった…!
それは彼女の生命の奥深くで静かに脈打っていた。
我々の至高の秘薬、7回分の力の塊。やはり方向性を見つけきれず、漠然と滞っている。
静かで、力強く、今にも太陽のように爆発しそうにうねっているのに…、深い眠りについている。それはいっそ従順といえそうなくらい、辛抱強く何かを待っていた。
…まるで呪いになっていない。感覚で分かる。どうなっている?…もう少し知りたい。さらに手を伸ばし、集中し、目の裏にある、まばゆい光芒を探る。
……。…。………。…。…やがて、得心がいった。
「なるほど…。」
溜息と共に、つい口に出してしまった。
「…すれ違ってはいるけど、あなたがたは本当に、お互い愛しあっているんですね。」
「な…!」




