ささやかれた祈り③
患者はここからそう遠くない所に住んでいるらしい。そのまますぐに案内してもらう。三人で連れ立って歩いていく。ほどなくしてその家にたどり着いた。
街中の住宅街の並びに、忍ぶようにひっそりと建っている、物置小屋のような小さな家屋。
壁の漆喰も、戸板も窓枠も屋根も、まだ新しく、品のいい木の香りがわずかに鼻についた。漆喰もはげていない。人ひとりが寝泊まりする一部屋しかなさそうだが、その小ささに対しては、よく手入れがなされていた。
それだけを見るなら、感じのいい家宅。だが、一つのことに気が付いて、俺は気が萎えそうになった。
この天気のいい日に…、全ての戸窓を完全に締め切っている…?
…外界との拒絶の暗示…、患者は今、内向的もしくは排他的なのかもしれない。病に気が負けているのか?
日光が紅斑の原因になることに気づいているだけなら、まだいいが…。
「チェリス、俺だ。入るよ?」
戸をほとほとと叩き、レーンさんが問いただす。
ほどなくして返事があった。目で促され、俺たちも続く。
締め切られた部屋の中、少しだけ湿った漆喰の匂いが鼻についた。戸窓の隙間から漏れる細い光が、薄暗い室内を照らしている。
狭い、質素な一人部屋。本当に物置か何かを改装したのだろうか?標準より狭い気がする。
だが、圧迫感がない。室内は整然と片付けられ、ベッドなど必要最低限の家具が邪魔にならないよう配置されていた。ひどくすっきりしとした印象、狭いのに息苦しさをあまり感じない。どこか品のいい空気が醸し出されている。――レーンさんの仕事かな?と思った。この人は、腕のいい大工のような気がするから。
しかし、四人も入るとさすがに手狭だ。…すぐ前にいるレーンさんの肩越しに、扉を開けた一人の女性の後姿が見えた。その人はゆっくりと歩を進め、振り向いて、隣のベッドに腰掛けた。それだけの動作なのに、普通のひとよりもずっと時間がかかっていた。
…そして気が付いた。この間取りは…。
今、彼女がいる位置から手を伸ばせば、すぐに水差しなどの生活必需品まで手が届くようなっている。ベッドの下に棚…?鏡もすぐそこにある。患者がそう動き回らないで済む構成になっている。…家屋の狭さを逆に利用している?これが患者のための配慮だとしたら…、すごいな、と思った。
当の彼女は、柔らかく波打つ茶色い髪を、首の所で後ろに軽く束ねている。振り返ると、髪の色と同じ茶色い瞳、すっきりと通った目鼻立ちをしていた。だが残念ながら、けだるげな表情が見て取れる。やせぎすで、肌の色が白い。健康的な白さではなかった。…血流の循環が悪いのが分かる。貧血気味かもしれない。筋肉のつきも悪い。あまり運動をしていないな。循環が悪そうな割には、肌の状態は悪くない。まぁ、これは温泉郷であるし、この町の住人は大体が清潔なのだ。入浴のたびに体を洗えるし。町特有の贅沢な習慣みたいなものである。
己の常で、つい健康状態にばかり目が行ってしまうが、容姿は控えめに言っても、美人と言っていいのではないかと思った。でもこれはよく分からない。(己の美的感覚はあてにならない。俺にとっちゃリョータだって美人だ。)しかし溌剌とした気力を感じない。元気がない。症状のせいなのか。なんだかそれが気にかかる女性だった。薄幸の美人と言うやつだろうか。
「何の用?その人たちはどなた?」
明らかに不審な様子――、俺は気が重くなる。
「この方は、魔法使いで、医師だよ。とても腕がいい。そちらの子は、そのお弟子さん。」
そう言うや否や、彼女が爆発するような剣幕でいってきた。
「また連れてきたの?!私は頼んでないって、いつも言ってるでしょ!」
「しかし…」
「しかし、じゃない!帰ってもらって!」
押し問答が始まった。
蚊帳の外の俺たちは、逆に押し黙って、それを眺めるしかない。
――患者本人に話を通していなかったのか――、そしてこの反応――。
更なるさい先の悪さに、俺は目を覆いたい気分だった。
――ほぼ確定。もし診ることになったとしたら、このひとの治療は長くなる。
そんな中、激した彼女が、ベッド近くにあったなにかを引っつかむ。
「もう、帰って!!」
それをそのままレーンさんめがけ、放り投げた!
…あぶないな。深く考えることなく、体が動いていた。
背後から片手だけを滑り込ませる。レーンさんの顔面に直撃する寸前、それを受け止めた。
ぱしん!、と、乾いた音が響き渡る。
……そんな大きな音ではなかったと思うが…、手のひらから響いたその音で、場の空気が止まってしまった。
レーンさんにとってはいきなり俺の手が鼻先に現れたわけだから、ムリもないが、チェリス、と呼ばれたその女性まで、ぽかん、とこちらを見上げていた。
「…え?……あ…、えと…、なんかすいません。怪我すると危ないな、と思ったもので…。」
別に二人の会話を途切れさせるつもりはなかったのだが、こうなってしまうと悪い気がする。俺はそそくさと身を引いて、後ろのリョータの方へ縮こまった。
…どうしよう…。別に悪いことはしてないと思うんだけど、会話が復帰しない。
なんだか背中にむず痒いような、そんな視線を感じる…。俺、邪魔しちゃったのかな?
居心地が悪く、俺は片手に受け止めたものをもてあそんだ。なんとなくそれに目を落とす。そしてその手の中のものがなにかに気が付いて、目を剥いた。
「これ、どこで手に入れたんですか?」
見知ったものだった。いや、見知ったものどころか。
「これ、俺が作ったものです。どうしたんですかコレ?」
二人に尋ねる。正確には俺と師が作ったものだ。小さなひょうたんを乾燥させ、小瓶代わりに使っている薬入れ。匂いを嗅ぐ…、肝が冷えた。しかもこれは…。中に入っていた液体は、ただの薬品ではない。
「これはどうしたんですか?中の液体は飲んだんですか?」
いきなり会話に割り込んできた俺に、二人は戸惑いを隠せない。俺はまた失敗したかな、とも思ったが、これはおろそかにできることではない。
「中に入っていたものは、ただの薬ではなかったはずです。俺達が作ったものだからわかります。どうしたんですか?」
「…いや、彼女が飲んで、もうないが。」
「…!この人が飲んだ?!…って、そもそもどうやって手に入れたんですか?!」
「え?…私が、この町の薬屋で購入して、彼女にあげたんだが…。」
「これを買えた?!鈴鳴り堂で?!」
俺は心底驚きつつ、レーンさんに問いかける。
鈴鳴り堂、というのは、俺たちが作った薬を一手に卸している医薬品の専門店だ。その店の名の由来は、そのままずばりである。この薬入れには、小さな鈴がつけられていたはずだ。今はそれがない。ということは…。
「これを買うには、鈴を鳴らさないといけなかったはずです。あなた、これについてた、鈴を鳴らせたんですか?!」
「あ、ああ…、鳴らせたっていうか、勝手に鳴って…。」
その言葉が示す意味に、俺は呆然とする。
これが、その『鈴鳴り堂』の店名の由来である。
古くから師と付き合いのあるところだから…、この店のいくつかの商品には小さな鈴がくくりつけられており、それには師の魔法が施されている。
『だれでもふさわしいものに、ふさわしい薬が行きわたるよう』、そんな縁が結ばれているのだ。薬と言っても危険なしろものもあるから、使いようによっては余計な混乱を生じさせかねない。そのための配慮だ。特に特殊なものには、それぞれのお客さんが、個々の鈴を鳴らせたものしか、手に入れることが出来ないような仕組みになっている。その鈴は使いまわしできるもので、不思議な魔法の工芸品。いつの間にかそれが評判になり、店名にまで昇格した。ちなみに万引きされると鈴が大きな音でなり続け、犯人は直ぐに捕まるのだそうだ。
そんな薬のなかでも、今手元にあるものは、危険性で言ったらその最たるものだった。
「…それで…、って、ウソ?!なにこれこんなに?これ全部レーンさん、買えたんですか?!」
俺はベッドわきに並べられたそれらを認め呆然とする。…全部、空の薬入れ…、うそぉ!?…ひぃ、ふぅ、みぃ…、…、七個ある…!冗談じゃない!
頭が真っ白になってしまった。これは俺一人で作ると一年に一個くらい、出来れば大したものなんだぞ?!
「あの、なにか、悪いことが…?」
口をあんぐりと開けて白目をむきそうな俺に、おすおずとレーンさんが聞いてきた。
機械じかけのようにぐるりと頭を回し、口を開きかける。
が、そこで、はて、どう説明したものか、と考えた。
いや、説明する、って、まず確認だろう。問い合わせないと。
「あの…、これ、全部、飲んだんですよね…?」
彼女はためらいがちに頷いた。予想していたこととはいえ…、俺はその答えに毛を逆立てて硬直する。その様子にさすがに彼女も不安になったのか、弁明してきた。
「…あの、でもこれ飲むとしばらくすごく楽で…、治っちゃったんじゃないかとまで思えるんです。でも、なにか悪いことだったんですか?」
「…いや、悪いことにはなっていないみたいだから、大丈夫です。」
唾を一つの見込み、俺は戦慄を押し隠す。どうなっている…?とにかく説明を試みた。
「説明しておきます。これの中には、我々の作り得る、最高の薬が入っていました。“生命の水”を誰にでも適合できるよう、飲料として物質化したもので…、…えーと、いや、簡単に言うとですね。」
俺は額に親指を押し付けて、ぐりぐりとねじ込むようにする。しばし苦悩した。
「…“エリクサー”とか、“万能薬”、“不老の妙薬”…、…そういった、すごい力を持った魔法の秘薬のことを聞いたことがありませんか?…若返った、とか、怪我が一瞬で治った。不死の身体になった、とか。つまりは、我々にとってのその最高の秘薬が、この中には入っていました。」
『はい?』二人の顔が驚愕にこわばる。
「もちろん、それも使いようです。これは確かに使いようによっては、不老や不死にもつながります。悪く使えば簡単に人を呪い殺し、動く死体にすることも可能でしょう。だからこそ、本当に必要な人で、正しく使える人にしか手に入れることが出来ないような魔法がかけられてありました。…つまりはレーンさん、あなたはその魔法の検問を七回もくぐりぬけた、と言うことで…。すごいですね。結構な値段もしたはずですよ?もう俺も、驚くしかないです…。」
そこまで説明して、俺はさらに思考が進んだ。そうか。納得する。一つ声をだした。
「でも、そうか。それで納得しました。」
それでか。符合する。
師の良い力の渦がある、といった話。そして治っては再発を繰り返す症状。
思考が飛躍していく。
良い力の渦、とはすなわち、第一原則の表れ。我々の始まりはすべてそこに帰一する。魔法となれば特に。この秘薬の根源もつまりはそれである。
“鈴の試し”を取りぬけられるかも、結局はそこに帰一する。原則にそった意図・目的を持った者にしか、これは手にできない。逆に言えば、原則にそった意図であればだれでも手に入れることが出来ることになる。意図が不純で、負の連鎖が始まれば力は弱まる。そのようなものの手には渡らない。
レーンさんはこれを買えた。彼女のために。つまりはそういうことか。なるほど…。
そして治っては再発を繰り返す症状…。
正しい使い方を知らず、心を病んだまま服用した結果か…?
供与者と服用者の意図がずれている可能性がある。それでは服用して一時的に治っても、もとの状態に戻ってしまっておかしくない。心が体を作るのだ。この秘薬はつまり、その原則をそのまま体現するようなものだから。
そこで反駁する。
推論だけでは危険だ。彼女を実際に診てみないことには分からない。結論を急ぐな。
「なるほど、分かりました。」
俺は彼女に向き直る。
「あなたがこれを7回も飲んだのなら、診察が必要です。正しく秘薬が働いていない可能性があります。もし、まだその秘薬の力がまだ身の内にあって、何かのきっかけで悪い方に働いたら――、それこそもっと、今より悲惨な状態になります。…今は不思議と、安定しているように見える。でも、一瞬で人の体を治してしまったり、呪いに使えば生きたまま人を地獄に叩き落とせる恐ろしい秘薬でもあるんです。飲んだことがおありならば、分かりませんか?」
言葉の意味が彼女の頭に浸透するのをまって、俺は続けた。
「診察しても、よろしいですか?」




