ささやかれた祈り②
後は、引き受けるかどうか、か。…たぶん、今ならまだ、かろうじて引き返せる。
いくら俺でも、そこまで無責任にはなれない。この患者は自分の手に負えないかもしれないのだ。
おそらく治療は厄介だ。多くの医師や治療師が治せなかった、というのもうなずける。実際診てみないとわからないが、予想通りだと…、しんどい治療になる。
予想が外れていることを願うが…、…この種の病は…、実は、人の心の部分や、さらに深く、魂の所まで原因としてかかわることがある。
この部分になると、俺ではお手上げ。そのための目と耳が無い。…それらを持つ師ですら、手を付けるのが難しいとしていた。師の医学の最秘奥の部分。永遠の大命題。それに触れる可能性がある。
すなわち、魂の病だ。
より正確には、魂からくる病、というべきか。またの名を業という。
……だが、それでも我々に出来ることは……、ある。
師の医術の基本理念は、人の内にある正しい原初の力を、正しく現れるように手助けすること。
実はそもそもが、根治を目的としているわけではない。
病にかかっていても、幸せな人は大勢いる。実は病には、医師よりも本人が対峙し、治さねばならないものが数多く存在する。人の中にある世界のしくみの歯車とは、本来、それくらい完璧にできている。
では、そんな完全性を隠し持つ人体に対し、俺たちのすることとはなんなのか?
それは寄り添うこと。共に生きること。知恵をもたらすこと。
知恵に関しては単純、予防と言っていい。病にはかからなければいいのである。
あとは、治療のきざはしの、最初の一歩に足を乗せやすくすること。そして登りきるまで付き添うこと。一人で歩きはじめることが出来れば、後は時々の手助けと付き合いでよい。必要な所まで、導き手となることだ。
単純な感染症や外傷の方がよっぽど簡単で、実はそれらですら、衛生的な習慣や、有事の備えという本人の出来る対処ですむ。しかしこの患者はそうではない可能性がある。これはこちらも覚悟がいる症例の匂いがする…。
どうする…?
しかし、己が出す答えなど、最初から決まっている。
心の中で師を呼んだ。
うまく応えを得られなかった。
でも、分かっているような気がする。師も俺も、分かっていたと思う。
俺たちなら、出す答えなんて決まっているよな?
考えるまでもない。口元に少しだけ笑みが漏れていた。
それを悟らせないよう、不安そうな二人に対し、いつの間にか口にしている。
「患者の下に、案内していただけますか?診てみないと、分からないことが多くあります。」
ひとまず、本人に合わせてもらい、一度診てみることになった。だいたい本人なしで、どうこう考えても何も始まらない。推測だけでものを語ってはいけない。思い込みは誤診を生む。
片割れがいない今、俺は極端に恐れているんだ、と思った。
目・耳・手に置いて、お互いを補完し合ってきた相棒が、今はいない。
一度診る、となると、己の性分上、もう引き返せないことになると分かっていたが、覚悟は先ほどした。最大限、最善を尽くすだけだ。これまでもしてきたように。これからもするように。




