第五章 ささやかれた祈り ①
俺は歩きながら、腕を組んで考え込んでいた。
すぐ前にはリョータがいる。
下を向いた視界の上に、ほとほとと歩く、彼の小さな足取りを捕えている。
親方こと、レーンさん宅へと向かう道のりだった。
先導してくれている小さな足を、見失わないようについていく。
そのこと以外は、考えに没頭していた。
事前に与えられた患者の情報を整理している。…難しい患者のような気がしていた。
レーンさんに頼まれた患者は、女性…。四肢のしびれが現れては消える…、ひどい時は歩行困難まで陥り、治っては同じ状態に戻る、ということを繰り返す…。ひどい時にはしびれが痛みにまで発展する。…関節痛も…?…同じような散発的な症状で、視力の低下・視覚障害の発生。…感覚障害か…視覚だけだろうか。
これだけでも十分、難しいのだが。神経系か?
しかし、これだけしか情報がない。これだけでは、個々の症状が個別の要因なのかも分からないし、感染症の罹患歴、外傷・打撲の有無も分からない。そもそも、それぞれの発症はいつだ?…無自覚か?自覚があれば、その発症時期に打撲や感染症・何らかの疾患などの心当たりはないのか?…情報が足りない。一度、診察で触れさせてもらえれば簡単なのだが…。
話があった時に、もう少し詳しく聞いておけばよかった。が、いかんせん、あの宴席では、途中からそれどころではなくなってしまった。
宴席にてレーンさんの話を伺っていたその時、誰かが興に乗り、弦楽器を弾きはじめ、その調べに乗せて、何人かが歌を歌い始めてしまったのだ。
俺はもう、それで気が気でなくなり、途中から話をほとんど聞けなくなってしまった。
歌はいい。音楽は俺の憧れである。
特に、あんな風に大勢の中で、多くの人が参加するような音楽はずっと、俺にとって、羨望以外の何物でもなかった。
実は俺たちの生活には、“歌”や“楽器”といった、“音楽”というものがない。
師はこういった分野はてんでダメで、口笛もまともに吹けなかった。それっぽいものと言えば、調子っぱずれの鼻歌くらいがせいぜいだ。呪歌や魔術的な音律もあるのに、師は興味が無い分野にはとことん食指が動かない。魔術としての発音・音律は嫌というほど叩き込まれたが、楽しむための音の扱いは、てんで教えてもらえることはなかった。
そもそも、俺たちにとって音楽とは、自然の奏でる音であり、虫や鳥の鳴き声だった。
それも嫌いじゃないのだが。
さらに、師の耳は、普通の人には聞くことのできない、その全ての生命が奏でる歌を、いつでも聞くことができた。俺も何度か聞かせてもらったことがある、その歌。俺の憧れ。生きる喜びの歌。それをいつでも聞けた師ならば、特に音楽にこだわらなくても生きていけたんだろう。
俺は常態では、その妙なる調べが聞こえない。
師と違って、俺には才能が無いからだ。
人がその手で奏でる音楽は、俺の耳でもとらえることの出来る旋律。人が己の生を響かせる、憧れの音楽なのだった。
…考えて、昨日のその時を、思い出す…。
歌い手たちの姿が、闇の中で浮き彫りにされたようにくっきりと、印象に残っている。火を囲み、たき火で照らされた朱い光と影の踊る中、手拍子も混じりながら陽気に笑い、歌う彼ら。
そのまま俺も加わってみたかったけれど、どう加わっていいかも、分からなかった。
ずっとこれまで加わることもできなかった、遠くから見ることしかできなかった、あこがれの光景。
巡回する村で、礼と称した宴席に加わったことはあるけれど…、その時は、座ってみているだけだった。師のそばにいないとならなかったし…、そういう席に出ること自体がまれだった。師には苦痛だったから。遠くから見ているだけのことが多くて…。師はそれでも、見る以上を見て、聞ける以上を聞いていたから、よかったんだろうけど…。
脳裏に浮かぶ情景と情念を、首を振って拭い去る。溜息が出た。
余計なことを考えている。
思考が脇道に逸れた。元に戻そう。
その分、レーンさんが報酬、と言ってくれたことには心が躍るが、それはまた、別の話である。
そういうわけで、さらに詳しく話を聞くべく、今レーンさん宅に向かっている。
そもそもが、酒の入った宴席で片手間に聞く話ではなかった。どちらにしろリョータのことで師と話す必要があったし、その場は退席を願い、後日落ち合うことになっていたのである。
考えを続ける。…単純な器質的な変化――、骨のズレによる神経の圧迫などが原因なら、ことは簡単。その矯正ですみそうだ。だが。そうでなければ難しい…。視覚障害が出てる時点で、簡単な可能性は低い…?
症状に対応する症例名を、頭の中で並べていく。…やはり、情報が足りない。
俺の手に負える案件だろうか?こうなると、師に頼りたい俺だが…、肝心の師からは珍しく、曖昧な答えしか得られなかった。
『実際に診てみるしかないが、良い兆候の力の渦を感じる。おそらく大丈夫だろう。』との助言である。
師が医に関して、ここまで頼りない答えを出すのは珍しい。俺が怪訝な顔をすると、言いにくそうに、納得する答えが返ってきた。人ごみの中では師の力は半減してしまうのだという。生前から人ごみが苦手なこの人だ。俺には納得のいく答えだった。当の患者はおそらくこの町の住人…、師の手が届きにくい所にいるのだ。こうなると引き受けた場合、俺が実際に会いに行くしかない。
そうこうしているうちに彼の居宅へとたどり着いた。リョータが来訪を告げている。
大きな家宅で、横に資材置き場がある。おそらく中に作業場もあるのだろう。そんな造り。……?…ちらりと目を移すと、色とりどりの花々が見えた。敷地内にはそれほど多くないが、道なり、そばの地面がむき出しのところ、生垣、とにかく、目に付くところにたくさん、花がある。敷地内や資材置き場の方は仕事がしやすいよう、むしろすっきりとしていたが、でもどこかで必ず、花が目に付く。花に囲まれてるみたいなとこだな、とぼんやり思った。レーンさんの趣味だろうか。
ほどなくして戸口が開けられ、彼に中へと招き入れられた。そこでもう一度、詳しい話を聞くことになる。
話を聞きながら…、俺は再び、考え込んでしまった。
…患者はレーンさんと同年輩。本人に訊いてみないとわからないが、特に目立った打撲や外傷はこれまでなかったと思う。少なくともレーンさんは聞いていない。風邪などはよく引いていた。小さい頃から疲れやすい、などの症状があって、だんだんそれがひどくなり、今のような症状が少しずつ出始めた。
時々、皮膚がやけどをしたように、紅く斑になっていたのを見たことがある…。
…なんだか、自己免疫っぽいな…、しかも複合的か?
…さらに話を聞くと、魔法など物質の裏側からの治療でも、一時的な回復のみで、治ったりひどくなったりと、再発を繰り返しているらしい。単純な組織障害の復元では治らない…?これでは、薬剤による機能調整でも効果が出ていないのではないか?魔術と医学を複合できる治療師も少ないと聞いている。試したものはいないのだろうか。…こういった治療は…、…時間がかかるのだが…。そもそもこの町の治療の主流は、なんだったか?
「難しいのは分かっているんです。今までどの医師や治療師に見せても、だめだったから。」
そう声をかけられてふと顔を上げる。
憂慮に満ちた二つの顔が目に飛び込んできた。
そこで自分が、いつの間にか腕を組んで下を向き、考え込んでいたことに気が付く。
時知れず出されていたお茶からは、湯気が消えかけている。対面に座るレーンさんの横から、お盆を持ったリョータが心配そうに覗き込んでいた。レーンさんに家族はなく、勝手知ったるリョータがお茶を入れてくれたのである。慌ててそれに口をつけた。
お茶はぬるかったが、おいしかった。
薬草を扱う我々からすれば、茶の種類は大体分かる。いい葉を使ってくれたようだ。レーンさんの指示だろうが、俺なんかのためにもったいないな、と思った。思いながら己を叱咤する。
今から関係者を心配させてどうするんだ。しっかりしろよ!俺!
茶をテーブルに置く。とりあえず、簡単な問題から解決していくことにした。
町では診療などしたことが無い。分からないことばかりだ。
他の開業医との兼ね合いがある。少なくとも、医師の世界にすら競争と縄張りがあることは、師からも教えられていた。同業者と争いたくなかった。
俺たちが医師として異端であることは、師からも諭されているし、自分でも気が付いている。
俺たちは、報酬らしい報酬をもらわずに医師として活動することもある。それがすでに、異端なのだ。
本来、医師とて報酬をもらわねば、口を糊して生きていけない。
そんなところに俺らみたいなのが現れたら、同業者はやりにくいことこの上ない。いい迷惑だ。
霞を食べて生きて行ける人間は師匠しか知らない。だが、短い間なら、俺にも同じことが出来てしまう。
大体、自給自足である程度、生活できるようになっているこの体だ。薬や護符の売買だけで、俺は生きようと思えばやっていける。やろうと思えばこの手一つで薬も使わず、患者の治療もできる…。元手の資金も器具もなにも要らない。普通の医術とは、はなから勝負にならないのだ。つまりは、身につけた技術が違いすぎる。世の中の混乱を避けるため、気を使うべきは我々なのだ。
その点を問題ないか、問い合わせる。レーンさんはこの町で親方として顔が広いから、この辺りの事情にも明るいと思う。確か、医師・治療師のギルドもあったはず…。少なくとも俺よりは詳しいはずだ。どうだろうか。
…レーンさんはしばらく首をひねっていたが、おそらく大丈夫だろう、という答えが返ってきた。
この町の全ての医師たちが匙を投げている患者だ。ギルドとしては畑違いだが、そういう患者の治療に文句をつけてくる医師もいないと思う。…向こうのギルドの面々は、私が治療師を探していて、何度も失敗しているのを知っているから、あとで私自身が話を通しておけば問題ないだろう。度々やっていることであるから。と。
そういうことだった。逆に、もしかしてギルドには所属していないのか?と聞かれてしまった。
そもそも、医療行為をするには、ギルドに医師として登録し、認証を得ねばならない。同業者ギルドなら場所を問わず、通用する認定証を発行しているはずだ、と。
…もちろん、そんなもの持っていない。やっぱり、そういう決まりもあったのか。
初めてそう言う決まりがあると知りましたよ、と答えておいた。顔には苦笑が浮かんでいる。我らは隠者の弟子。町の理を知りようもない。師匠も長生きしすぎて、忘れていたな?教わってもいなかった。
とりあえず、認証がないことは黙っておくか。ということでまとまる。魔法使いであるし、そっちのギルドとの兼ね合いも考えるともう、面倒なことしかお互いに思い浮かばなかった。言わなければ、ばれないだろう、とお互いの同意。なおるかどうかもまだわからないし。この人、世渡り上手なんじゃないかなぁ?と思った。
「じゃあ、そのあたりは何とかなりそうなわけか…。」
独りごちる。また考え込んだ。




