満月の夜に⑧
しかし、いくらたっても予想した衝撃は全く感じなかった。
恐る恐ると、薄目を開ける。
もう、まぶしさを感じない。
目の前をさえぎっている、自分の二の腕が見える。
その腕の隙間から、鮮やかな緑色が目に飛び込んできた。
……!?
草!?
目を見開いて、予想外のものを見やる。でも間違いなく、目の前には草があった。
牧草のような、細くとんがった葉をもつ、生き生きとした野草。僕の吐く息だけで、ゆらりと揺れた。
ええ?!
一本どころではありえない。そんなたくさんの生い茂る緑が、目の前にいきなり現れている。いや、僕の方が取り囲まれてる?!
僕はいきなり、うっそうと茂る草むらの中に、ぽつん、と、身を固くしてうずくまっていた!
わけもわからず、呆然とする。何が起こった?!
その僕をからかうように、一匹のバッタが僕のハナ先にとまり、また跳ねて消えてしまった。
所狭しと林立する野草の合間、すだれのように細い緑の隙間から、晴れた空の青い色が見えた。
……!?…空?!
ものすごく自己主張してくる周りの緑が、頭上にだけ、ぽっかりとそこにない。素晴らしく澄んだ青い空が見える。
…地面もある?!
どうして?!
全く思考が追い付かない。でも、足元の感触は本物。
僕は深く考えず、思い切り勢いよく立ち上がった。
…………!!!!
息を呑んだ。眼下には先ほどとはまるで違う光景が広がっていた。
陽の輝きをそのまま落とし込んで、封じ込めたような鮮やかな緑色の絨毯が、辺り一面に広がっていた。
広い広い草原。僕はそこに一人だけで、たたずんでいる。
草丈は、僕の腰くらいまでしかない。風と戯れて、草原が緑色の海原のように波打っている。
草原の果てには地平線と、起伏のある稜線が見えた。陽がさしているけれど、太陽がどこにあるか見えない。だが明らかに昼時の風景だった。
…どこか、タナンの町の周辺にある草原と似ている。でも、僕はこの場所に覚えがあった。
…夢の草原…?
僕は今、よく自分が夢で訪れるような緑色の草原に、ひとりたたずんでいる。
夢の中で、よく先生やお師匠様と会う場所だ。でもともに訪れ、一緒に過ごす先生とお師匠様が今はいない。それだけが大きな違いだ。
辺りを見渡すーー、やはり、ここはいつもの見慣れた――青々とした緑あふれる草原に見える。
不思議なほど暖かく、いつも穏やかな風が吹いていて、とても落ち着く場所だ。虫たちも不思議と、自分たちの邪魔をしない。いることは知っているのに。
でも変だ。いつの間にか僕の背後、少し離れたところに、深い森が口を開けていた。
…?いつもはこんな森、なかったのに…。
…いや、ちょっと待って?。さっきまでこんな森、あった?
……無かったと思う。いきなり現れた?
不審に思い、意識せずに身を低くする。ざわざわと毛並みが逆立つ。それにあわせて目の前の森までもざわついた感じがする。…変だ。何だこの森…。辺りの気配を探った。途端に気が付いた。
「えっ?」
周りをもう一度見渡した。
「ええっ?」
気が付いてしまえば、一気に目が開かれた。
「えっ?え?!ええっ?!」
全く信じられず、見慣れた山あいの稜線や、草のそよぐさまを見やる。
良く晴れた空も。影を潜ませる森にも。全てに目をやった。でも、信じられなかった。
「えええええええええ!」
驚愕の声を止められない。もう一度、足元の野草に目を下ろした。細部までよく見ようと、その草一本一本にまで焦点を合わせる。…驚愕が止まらない。もう声も出なかった。
信じられない!なんだこれ?!
いつもとまったく同じなのに、見た目は全く同じなのに…!中身が全然違う!?
…みんな生きている?!どうして?!しかもなんで、僕はこんなことが分かるの?!
驚きばかりで混乱する。でも、いま、この世界は…
全てがぜんぶ生きている!全てに名前がある??!!
草の一本一本、不思議と僕らを邪魔しない虫たち、そよぐ風の一つ一つ、大きな構成から、それを構成する小さな粒子まで…、全てが全て、ぜんぶ生きている!信じられない!道ですれ違う人が生きている、と見て分かるくらいの…、それくらいのしっかりとした何かを感じる!全てに名前がある?!僕らが話し、お互い笑いあえる…、そんな、それだけの名を呼ばれるべき何かを、ここの全てが持っている!みんなそれだけの何かを、持っている!?
何だここ!本当に同じ場所なの?!
だが僕は直感している。ここは全く同じ場所だと。
わけもわからず、僕はそれを確信している。裏切れないくらいの確かさで、僕の中の何かが、ここはいつもの夢の場所だと主張していた。
信じられない…、全く、信じられなかった。
こんなにもここは、さわがしい所だったの?!
気が付いた途端、同じはずなのに、目に見える世界が全てがらりと変わってしまった。うす布で作ったベールをはいだようだ。そして僕がそれに気が付いたことで、中身が、隠されていたものが…、一気に!なだれ込むように!みんなが何かを訴えかけてきた!
頭の中が真っ白になった!
脳裏でたくさんの光がはじける!たくさんの想い、言葉にならない感情、そして熱のようなものが、一息に僕の体の中を突き抜けていく!気付いてくれた、という歓喜、感謝、そして歓迎。友愛を込めた挨拶、親愛を込めた抱擁。とにかくあらん限りの想いが、それが届くという喜びを絡ませて、我先に、我先に、と訴えてくる!力の限り!みんな、「僕はここにいるよ!」と訴えてくる!
……こんな会話っていうものが、あるんだ…?
なんでだろう、そんな激流に身を任せながら、なぜか、こころが暖かった。忘れていた何かを思い出すようだ。
昔は…、もっと小さい頃は、こんな風に世界が全部、輝いて見えていたような気がする。
どうして???
忘れていた懐かしい輝き。それを思い出すようだ。なぜか胸が締め付けられる。いつの間にか涙がこぼれそうになっていた。
ごしごしと、少し涙のにじんだ目を拭っていると、ふと、目の端に何かが映った。
そちらに目を向ける。
草原の向こうに、人影が一つ、浮かんでいる。それが近づいてきていた。




