満月の夜に⑥
「さてと、この話はこれくらいでよかろう。せっかくのこの機会だ。わしも一つ、お前に用があったんだ。」
すっと雰囲気を変え、きちんと向き直ってお師匠様が切り出してきた。
「用というより…、お前に頼みたいこと、かな。もうリゲルから、わしが憑依する「よりまし」にならないか?という話は聞いていると思うが…、あれは、わしからもお願いしたいことなんだ。」
…???どういうことだろう?僕は首をかしげた。
「うん。わしが憑依して、お前の体で魔法を使う、ということは――、おそらくできる、と思う。だが、行使するのはあくまでわしであって、お前ではないんだ。――だから、お前は、わしに心と体を明け渡してくれるか?それが嫌じゃないか?という問題になる。リゲルも説明しとったな?体が勝手に使われ、心もある程度影響を受ける。あんまりいい気分はしないかもしれない。でも、了承してほしいんだ。わしを受け入れてほしいんだ。それはお前のためだけではなく、リゲルのためにもなるからなんだ。」
「……?先生の?どうしてですか?」
「なぜならお前の体をかり、わしが魔法を使えるようになれば――、リゲルをそれで、助けることが出来るようになるから。こやつが治療で無理をした時や、ケガなどをしたときなど…、お前を通して、わしが治療できるようになる。今の状態ではむりなのだが、こちら側に立つお前がそう願ってくれれば、それが出来るようになる。わしらは二人で、リゲルを守ることが出来るようになる。」
この言葉は、僕の体の中心にすとんとおちて、深いところへと響き渡った。
僕たちは二人で、先生を守れるようになる。
理解が追い付かずに、そのままぼーぜんとする僕をよそに、すっと、お師匠様が頭を下げた。
「だから、どうか了承してほしい。わしらの家族を守るために。」
…僕らの家族を守るために。
……。
……そっか、お師匠様も僕と同じ…。
むしろ、この旅はお師匠様が始めたんだ。だから、知って、分かっていて…。
僕らはお互い助け合っていかないと、あんな旅などできはしない。生きていけないんだ。
と、そこまで考えて、僕はハッと気が付いた。
「ダメです!アタマなんて下げないで!」
慌てて先生の体に組みつき、ふんぬー!と、ムリに体を起こさせようとする。全く動かなかった。先生の体は大きくて、ぼくよりもずっと力が強い。びくともしない。――そして触れていてわかった。ものすごく強い意志を感じた。ものすごく強い思いを感じた。――先生と、同じだった。
これは無理だ、と一息つき、ぜーはーと少し息を切らしながら、考える。
ちょっとムッとしてきた。考えても、十分に納得できる内容だった。断る理由などあるわけがない。なんで二人は僕が断るなんて思ってるんだ?
こんな風に先生とお師匠様が似ているのは当たり前だ。親子みたいに暮らしてきたんだって聞いている。でもそんなこと言ったら、ぼくだってそうなんだ!と、言いたかった。僕だって分かるんだ!と、思い切り言ってやりたかった。なんだか僕だけ除外されているようで、ひどく腹立たしい。その思いが僕に行動へと移らせた。
頭を下げる二人の前で姿勢を正す。そのまま勢いをつけて、僕も頭を振り下ろした。
「こちらこそ、よろしくお願いしますです!」
ズゴッ!
…頭と頭がごっつんこする、なかなか気持ちのいい音がした。痛かったけど。
『いたたたた…』二人して同じことを言いながら、頭を押さえて顔を見合わせる。目があった。お互いに笑いあうしかなかった。
「うん、よろしくな。」とお師匠様が言った。
「はい。よろしくお願いします。」僕が応えた。それで十分だった。
「さて、こんな所じゃろ。」
ひとしきり、笑いあった後、お師匠様が言った。
「後の話は――、やはり、三人でするべきだな。うん。じゃあ、やっぱりそうするか。」
そんなことをいい、ふと天頂の満月を見上げる。目を細めた。
「いい月夜だなぁ、お前の始まりを、祝福してくれているかのようだ。」
そして僕を見下ろし、ちょっと悩むように首をかしげる。告げた。
「このくらいなら、世界も許してくれるかな?」
その途端だった。一息で、先生の体が山吹色に変化する。
夜の月明かりの下で、いやに鮮やかにその色が際立った。毛並みがやわらかくそよぎ、青白くも見える波紋がすべらかに全身を渡っていく。
「おお、さすがはリゲル。他人の杖でも、ここまでの力が使えるか。」
言葉が終わらないうちだった。先生の体が黄金色に燃え上がる!
月明りを一瞬だけ圧倒し、まばゆいばかりの黄金色があたりを席巻した。
ほんのひと時の間、足元の影が踊り、頼りなく揺らめく。だがそれはすぐに消え失せる。輝きは瞬きする間に収束し、静かで落ち着いた明かりへと変化した。しかしすぐにその光も弱まる。ぐんぐん弱まり、月明りよりも弱くなった。色も変化する。ゆらゆら揺らいで、どんどん色が抜けて…、…白っぽく…、……えええええ…??
僕は我が目を疑った。
純白の獣が、そこにいた。
その毛並みは処女雪よりも白く、一点の穢れも見せていない。
風もないのにそよいでいる毛並みが、とても柔らかそうで、かぼそくて、触れたら溶けてしまいそうだった。
ほんとうに、雪みたいだ。
うすぼんやりと淡い燐光に守られて、全身をほのかに金色の波紋がめぐっている。その波紋にゆらゆらと、毛並がもて遊ばれている。
軽く伏せられていた瞼が開いた。どこまでも澄んだ蒼い瞳があらわになった。
深い所は紺色にも見えるのに…、とっても深い色なのに、すっごく透き通っていて…、全然暗く見えない。
………吸い込まれてしまいそうな蒼色だ。
先生はそのままの柔らかい表情で。そこだけはいつもの変わらない笑み。僕は息をのんで、我知らず感嘆の息をついていた。きれいだ…。
呆然と見上げる僕に、純白の手が伸びてきた。
額にそっと、触れられる。思わず首を、ひっこめた。…冷やっこいのかと思ったけど、追いかけてきた手はいつも通りに暖かかった。柔らかい感触を再び額に感じる。
『月の光を、お前への祝福とする。』
その言葉は、これまでに聞いたことのない響きを帯びていた。
不思議な余韻をもって、辺りに沁みとおっていく。見えない所で、何かがかちりと動いた気がした。
何が何だか分からないまま、唐突に違和感を感じる。。
とはいっても、悪い感じは全然しない。でも、今、ぼくの周りの、何かが変わった。確実に。
何かがどこか、決定的に組み変わってしまった。きょろきょろとあたりを見回す中、もう一度、額に先生の指が触れられる。不思議な感触が体の中を突き抜けた。
「鍵は開けた。扉はあとで、リゲルが開くだろう。」
唐突に、世界の色が元に戻った。先生の体色も元に戻る。
今、世界の中心にいた当人は、目をぱちくりとひらいて妙な声を上げた。
「…あれ?」
もうお師匠様の声ではなくなっていた。まぎれもなく先生の声だった。
僕は呆気にとられるばかりで、もう声もない。
何だ…?今の…。祝福って…、鍵は、開けた?…扉は先生が開くだろう?
ぐらぐらと混乱するアタマの中を、何とか整理しようと試みる。――唐突に気が付いた。なんか、やっぱり変だ。月の光が――、僕に、妙に絡みつくような…、暖かい何かをともなって、僕にまとわりついてくるような…、なんかそんな気がする。悪い気は全くしない。どこかくすぐったい。気持ちいい…何だこれ、どういうこと?…月の光…、祝福?
落ち着かなく、自分の体を見回す。くるくると回る。どこにも違いを見つけられない。でも、えっ??月の光が僕の動きについてくるような…。熱をもっているような…。なにこれ?
「師匠は出てったのか…。ええと、どうだった?うまく話せた?」
状況が飲み込めていない先生が話しかけてくる。僕は我に返り、あわてて今の話をした。
「“月の光をお前への祝福とする”!?師匠がほんとにそう言ったのか?!」
「は、はい…。」
なんだかすごく驚いている先生に気圧されて、自信のない返事しかできない。
「それで、その後、額に指をつけて、…“鍵は開けた。扉は後で、リゲルが開くだろう”って。」
触れられた額を指さしながら言う。まだ、先ほどの不思議な感触が残っていた。
「リョータ、ちょっといいか?」
先生が僕の頭に触れてくる。そのまましばらくの沈黙。僕の体を走査している気配が伝わってきた。でも思考はものすごく速く回っていて、いろいろなことを考えている。速すぎて、僕は何を考えているか読み取ることはできなかった。
「…そうか、そういうことか。」
納得したように言葉を漏らし、手を放す。どういうことだろう?僕には全然分からなかった。
「いいか、リョータ、説明する。まず、お前はいま、俺でも滅多に見れないものを見たんだ。師の魔法の最高峰の一つ、…既存の世界法則の書き換え、世界の再定義だよ。世界を作り変えたんだ。これからは本当に、月の光はお前にとって、祝福となり続ける。」
「へ?」
先生がとても興奮している。まくしたてるような感じだった。でもそれもすぐに一変する。
「よかったなあ…。それは俺でももらっていない、祝福だぞ?俺でもかけてもらっていない、特別な魔法だ。お前だからこそ、かけてくれたんだろうな。いいな、うれしいな。師匠は俺より、リョータを特別扱いしてくれた。お前を家族と認めてくれたってことかな。」
そして、唐突にちょっと顔をしかめた。
「…そう考えると正直、ちょっと悔しい気もするけど…、お前なら全然いいな。全然かまわない。俺はもう魔法使いなんだし。どちらかって言うと祝福する側で…、…って、あー。」
そこで先生の動きがぴたりととまる。
「…あー…俺はなんにも、お前にお祝いとか用意してない…。…そんな高度な祝福とかできないのに…。……あーもー!!ちっくしょ!俺も師ほどの腕があればなぁ!。師に負けないくらいの祝福を、お前に贈ってやったのに!あーーーもーー、くっそー!」
いきなり頭をがしがしとひっかき、天に向かって吠えたてた。僕はびくりと肩を震わせる。目をまんまるにしてしまった。
…どうしよう、先生が、子供みたいにはしゃいでる?これじゃさっきのお師匠様と、区別つかないよ?
そんな驚く僕をよそに、先生はがっくりと肩を落とし、溜息を一つつくと、気を取り直したように言ってきた。
「…でも、安心した。師はあんな人だから。実はちょっと不安だったんだ。お前とうまくいくかどうか。お前とうまく話せるかどうか、さー。その分だと大丈夫だったみたいだな。…びっくりしただろ?まだ全然よく分からないと思うけど、あれでいろいろ、ぶっ飛んだ人なんだ。」
僕は神妙にうなずいた。
確かにどこかがずれた、とんでもない人だった。それでもまさか、あれで序の口なの?…僕はちょっと不安になった。
「さてと、じゃあ、扉を開けるか。」
そういって、先生が僕の方に手を伸ばす。僕はつい反射的に、その手を避けてしまった。
避けてしまって、気がついた。先生が理由なく、僕を傷つけることなんてない。避ける必要なんてないよね?
変なことしたかな?と、上目づかいに見上げる。先生はきょとんと僕を見下ろしている。…でも、さっきからなんだか状況に置いてけぼりで、なんとなくそのまま、されるがままに出来ない。
何をされるんだろ。…扉を開ける、って?
目で問う僕に、先生は安心させるように言ってくる。
「ああ、大丈夫、怖いことはない。…待ちきれなかったのは、師も同じ、ってことさ。お前に見せたいものがあるんだよ。」
言っている意味が全然分からない。説明になってない気がするんだけど、それ以上の説明はない。
なんだそれ?…僕はあきらめて、観念した。おとなしく先生の手に、ぽすっ、と頭を収める。
まぁいいか、先生たちなら、悪いことはないだろう。
「では、扉を開けよう。肉体は俺が守るから大丈夫。安心していっておいで。」
…と、唐突に何か、迷うような気配がその手から伝わってきた。なんだろう?目をやると、何か先生がためらっていて…、…照れて…恥ずかしがってる?
「…ちょっと、師匠のマネをするぞ?…同じことなんか俺にはできやしないから、ほんとに真似だけ。ただの猿真似だ。笑うなよ?」
こほんと一つ、咳払いをする。ちょっと赤くなったような顔の、その口が開かれた。
『月の光を、お前への祝福とする。』
そうして、扉が開かれた。




