一章 隠者の旅路 ⑥
彼女のむくろとともに、小屋の一帯を焼くことにした。魔法を使えばそう長くはかからない。
この小屋の持ち主と、この子には悪かったが…。人に見せるような現場ではなかったし、この子はまず、何が起こっているかもわかっていない。さよならをしなさい、と言っても――、”あー”あーとむくろを叩くだけだった。
しばらく後には、骨も炭も残らず、積もった灰だけが小屋の名残を告げていた。
ねぐらに帰る前に、遅い時間であったが、村長格の男の家によった。
件の女性が亡くなっていたこと、小屋ともどもに屍体を焼いたことを伝え、感染源を浄化するには仕方がなかった、と理由を付け加えた。他の理由は付け加えなかった。
後日、小屋の持ち主に説明を頼んでみる。村長格の男は、疲れた顔でうなずいてくれた。悲しんでいいのか、ほっとしていいのか、よく分からないようだった。
ねぐらにたどり着くと、荷を下ろし、石組みかまどに火を入れた。
小さな黒炭をとりだして、手ごろな平たい石を見つけ出し、ここに戻るまでに考えたことを箇条書きした。確認する。すべきことはたくさんあった。
…何をおいてもまず、取り掛かるべきは身の回りの衛生か。己が感染していては意味がない。となると、連れてきたこの子が一番の感染源である以上、この子の処置が先になる。
結論が出た。一つ息をついて、俺は荷から石鹸を取り出し、ズボンの裾をまくりあげた。
リョータ……この子の名前だ。本人の意識を読み、記憶の中から拾い上げた。
…リョータ、か、リョーター、か、わからなかったが…、呼びやすい、語尾の無い方を選択させてもらった。そのリョータの首根っこを引っつかむ。ぼろぼろの衣服をひん剥いた。まだ、何をされるのかわかっていない様子だ。
首根っこをつかまえたまま川の中ほどまで来ると、俺はリョータを水の中に付け込んだ。
「!!!!!!」
川の水の冷たさに、リョータが声にならない悲鳴を上げる。
予想通り、反射的に暴れ始めた。こちらも暴れる予想はしていたが、その暴れっぷりは予想以上だった。
「うわっ!ちょっ…ちょっと!コラ!」
大量に水しぶきを浴び、ずぶぬれになる。手が滑って、リョータが落ちた。落ちるなり、すぐに噛みつこうと飛びついてきた。俺はひょいと腕を引く。リョータはそれで届かぬとわかると、すぐさま足を狙って食いついてきた。
――迅い、獣の動きだ…。でも運動障害・マヒが出ていないのは大いに結構!――するりと足をかわし、余裕で再び首根っこを引っつかんだ。さらに暴れようとするので、つかんだ手から、意を伝えた。
“だから、大丈夫だって言ってるだろ?”
「…?」
きょとん、とリョータが動きを止めた。
当たり前だが、このような意思伝達手段に慣れていない。…いや、難聴も始まっているこの子からすれば、言葉そのものに慣れていない。そう言った方が正しいのかもしれない。
面倒なので、つかんだ頸部から、痛覚と運動神経をマヒさせた。途端に脱力する四肢に、明らかに焦りを見せるリョータだったが、無視。さっさと作業を済ませることにした。
確かに水は冷たい。川面をみて、仕方ないか、と溜息をついた。片方の手を水面におく。
水は、常に動いている。
水面に触れた手から、その粒子運動を制御する。もともと動いているものの、動く方向をコントロールするだけだ。大きな力は必要ない。途端に一筋の流れが盛り上がり、蛇のようにかまくびをもたげた。目の前の中空で渦を巻かせる。続けて粒子個々の運動を高め、温水にした。
俺が唯一、師に追いついた魔法の技法。粒子運動・流体制御法。
触れただけで他人の体をコントロールする技術も、結局はこれの応用だ。粒子の対象を変えれば、電気を流すこともできる。
そうして目の前に出来たお湯の繭に、リョータを放り込んだ。
「…ゔ?!…ゔ!…”あ?!」
めまぐるしく変わる状況に、リョータが文字通り目を回している。
“大丈夫。”
こちらが触れてさえいれば想いは伝わる。言葉らしい言葉にする必要もない。意を添えて触れるだけでおとなしくなる。混乱はあるが、恐怖は薄れたようだ。ならそれでよい。そうやってあやしながら、体を洗う作業に取り掛かった。
痛覚までマヒさせておいてよかった。作業を終えて、俺はつくづくそう思った。
月明かりでも見える、垢と膿と血の塊、泥ともつれ合った古い毛をこそぎ落とすのは、かなり難儀した。大人でも悲鳴を上げていたかもしれなかった。
炉端に座らせて、湯気の上がる体を布でふき取る。
小汚さは取れたが、みすぼらしさがあらわになった。
体毛のあちこちが大小に禿げ、毛色もよくない。禿げたところには、産毛と赤みの差した皮膚が見えている。赤い発疹も顔を出している。引っ掻いたのだろう、細かく傷ついているところも多かった。
――痛みが戻ってくる前に、油を多く含んだ軟膏を病変部に塗る。一枚の清潔な布を犠牲にして、長い包帯をつくった。病変部に巻く――巻いてみると全身に包帯が巻かれ、ほとんど服のようになってしまった。
ちょうどいい。子供用の服なんて持っていない。しばらくこれを服代わりにしていてもらおう。
顔の斜め半分も包帯でおおわれることになった。手も荒れていたし、軟膏を塗って、両手を指先まで包帯ですっぽりと巻く。少しきつめに巻いた。爪を立てて、皮膚を引っ掻かれると困るからだ。新しい皮膚ができ始めると、どうしてもかゆくなる。
そういうこともわからないこの不遇の子は、物珍しげに両手を鼻に寄せ、ふんふんと匂いを嗅いでいた。それを見て苦笑する。――そう悪い匂いはしないはずだが――運動機能が戻っているな――俺はつと表情を変えた。観察する。四肢の動きがもう戻っている。
次に取り掛かることを考え――、仕方ない、と言い訳をした。
リョータの額に手を添える。中枢を操作し、眠りを誘導した。ほどなく、まぶたがゆるりと落ちた。
しばらく寝ていてもらおう。予期しないことをされても困るから。
次は、自分のことだった。川に入り込み、冷たい水で十分に身を清め、衣服を洗う。洗った服は干して、新しいものに変えた。手指を丹念に消毒する。
鍋を火にかけ、食事を作る。自分の分は、治療を行っているとき用のものだった。もっとも、スープ状で栄養食でもあるので、リョータに必要な栄養分も入っている。多めに作り、己の分を食べた後、残りに穀物と、いくつかのものを加えて、柔らかくなるまで煮込んだ。――ころあいの時に、リョータを起こした。
――食べさせることも、大変だとは分かっていた。おそらく、椀と匙の使い方も知らないだろう。なので、もう最初からこちらが体を操作する。首筋に手を触れた。椀から粥をすくって、ふーふーと息をかけてさまし、口に入れて、もむもむと噛み、飲み下す。リョータは自分の体が勝手に動くさまを仰天して眺めていたが、安全であることは今も意で伝えている。すぐに慣れた。十~二十回くらいだろうか。同じことを繰り返して、中枢に回路ができたようなので、後は本人に任せることにした。触れた手で肯定の意を送ってやる。自分に後押しされると、回路が自然に回り始めた。――ペースが速くなったり、失敗したり、おかしなことをしそうになると、正してやる。
――それもしばらくすると、不満と抵抗を感じるようになってきた。しかし少なくとももう、椀と匙の使い方は覚えたわけだ。ならば後は好きにさせた。念のため、手は触れたままにしておく。リョータはもう、特にそれを気にしていなかった。
手を触れたまま、リョータの隣に座った。片方の手をリョータの首筋に置き、もう片方の手で、立てた自分の膝に頬杖をつく。こうして、もくもくとものを食べる子供をみるのは、なんとも不思議な気分だった。
―――ふと、物心つかない頃の自分も、師にこうして食べさせられたのではないか、と、いぶかしんでいた。
食べ終わると、水で口をゆすがせた。これは操作せず、自分のマネをさせた。
さて、次の作業だ。隣に結跏趺坐を作って座ると、少し呼吸を整えた。――よし、大丈夫だろう。
「ホラ、おいで。」
自分の組んだ足の上をぽんぽんと叩いて、リョータにそこへ座るよう促した。
「…?」首を傾げられてしまった。やはりまだわからないか。仕方なく、先と同じ手段をとる。
『おいで。』
音に乗せて、行動のイメージをアタマに叩き込む。
リョータは一瞬、細かく身を震わせ、耳をそよがせたが…、素直にそれに従った。抵抗する意志は、まだこの子に備わっていない。
組んだ足に座らせて、小さな肩に手を置く。呼吸を整えた。不思議そうにリョータが上を向いてくる。それを無視して、静かにゆるやかに、しかし有無を言わせず力尽くで強引に、自分に同調させていった。霊眼で見れば、自分の光輝がすっぽりとこの子を包んでしまったのが見えただろう…。
…ほどなくして、頭がことり、と自分のみぞおちに落ちてきた。眠ったらしい。俺はその頭を両手で挟み込み、意識を走らせた…。
体の状態はやはり悪い。それはわかっている。無視して、中枢の調節機能・血流循環に意識の指を走らせる。最優先で行うのは、今食べたものの栄養の吸収。消化器系が働きやすいように調整をかけていく。逆に、免疫機能はやや抑制しておく。こちらを活性化させるのは明日の朝から。発熱したら、自分が寝ている間は熱のコントロールが難しいし、そして何より、免疫機能が働くためのエネルギーそのものが今この体には足りていない。まず飢餓の対処。燃料と水分を補給してもらう算段だ。…消化機能が弱っている。病魔にあらゆるところが冒されているので、それを刺激しないよう、適度に血流を整え、消化器を……。
…。……。………。
……終わった。
目をあけると、すぐ下に、ポカン、と口をあけて幸せそうに眠る子供の姿があった。よだれまで垂らして熟睡している。苦笑してそれをぬぐってやる。…が、ぬぐってしまった後で、自分は素手で、しかも、これは感染性のあるものだったと気が付いた。
…俺は、アホなのか。…汚物に慣れてしまうとこれだから。
己にあきれつつ、とにかくリョータを横たえて、寝具を整えてやった。すぐに、手を洗い、消毒する。
消毒をしながら――考えた。
この子は、誰にも等しく与えられる、中枢の自己調節機能すら失われ始めている。
木々が時節めぐれば花を咲かせ、実をみのらせる。――そんな世界の仕組みの歯車だ。
不憫でならなかった。
体に巣食った病魔――細菌を、体に異物と判断させることができるだろうか?そこが、次の治療の山場となりそうだった。産まれた時から感染しているこの子は、体が菌をうまく外敵だとみなしていない。もはや共存に近いレベルだ。だが、行き過ぎると、菌と人間の歯車はかみ合わない。このままいけば、近いうちに共倒れ、すなわち死だ。
そこまで考えて、俺は感傷を振り払った。
一番ひどい患者の、今日の治療は終わった。次にすることが待っている。




