一章 隠者の旅路 ⑤
やや、凄惨な描写があります、ご注意ください。
ひととおり、希望者の治療を終え、夕暮れから各家を回り、話を聞いた。
簡単な治療なら、許可をもらい、その場で済ませる。必要な場合は後日に予定を立ててもらった。
最後に、その例の女性のところへおもむいた。
…件の女性は、すでに亡くなっていた。
噂が立ち、誰の助けも得られなくなれば…、病もちの身では耐えられなかったのだろう。亜人ではなく人種の女性。化粧で病変を隠し続けていたのか、おしろいの匂いがいやに濃く部屋の中に残っていた。
そして、死臭、糞尿・腐敗の臭いが鼻をつく…。俺は鼻からの呼吸を意識的に止めた。
屍体を診た。病変の深達度はかなり深かった。栄養失調が重なり、体の抵抗力が落ちれば、ひとたまりもなかったろう。たった一人で脳神経を冒し始めた病魔と闘うとは…、想像もしたくなかった。…だがこの有様を見れば…、何があったか多少の推測は出来た。
おそらく、苦しんだのだろう。病変が広がり始めていることは別として、その口唇・鼻孔周辺に、吐瀉物の跡がある。嘔気・嘔吐でかなりむせたと考えられる。それをぬぐうこともできなかったか。…けいれん・硬直により自由にならなくなる四肢…、中枢神経が犯された事により随意運動が困難になったか。必然的に、身の回りへと糞尿は垂れ流される。世話してくれる人がいなければどうなるか。それがそのまま、ありのままになったこの状態。屍体は乾いた糞尿や血と膿、体液や吐瀉物で寝具に固着されていた。病変部やいたるところに蛆がわき、羽虫がおおくたかっている。
…もう何日か早く来ていれば、助かったか?……だが俺はその疑問に、自ら首を横に振った。
無理だ。うそ寒い思いがした。このぼろ小屋に残る怨嗟と妄執が、それを物語っている。
感覚の鈍い俺ですらわかる、とは…、いかほどだったというのか。彼女はこの世のすべてを恨みながら、苦しんで死んだ。
破壊的な思いは、同じように自分の肉体をも破壊するのに…。それが彼女の死期を早めたのは、我々魔法使いには明らかだった。自分では助けきれなかった。師でもおそらく無理だ。
…花街では、売れっ子だったのだろう。美しい容姿をしていた。――病変部をあらわにした死に顔を前に、何を血迷ったことを、と常人なら思うのかもしれない――が、骨格と肉のつき方でわかる。
処置を始めた。汚物をぬぐい、肢体を戻し、身なりを整え、落ち着いた姿で寝かせる。体へと張り付いた寝具はべりべりと引きはがした。脇によける。出来る限り、遺体の周りを清掃した。最後に金髪をかき分け、表情筋を戻してから、残っていたおしろいで可能な限り顔を戻してやった。
腐敗臭に死臭。そしておしろいの香り…。
動かすたびに、いわく形容しがたい臭気がおのれの鼻をつく。冷たい肌。うごめく蛆。だが、あまり気にならない。患者の施術に集中している時に似て、心と体のどこかが凍り付いていた。
途中で彼女の子供が寄ってきて、”あー”あーと言葉にならない声を上げながら、物言わぬむくろをポンポンと叩いた。起こそうとしているのだろう。死んだことをわかっていない。「やめなさい。」と言うと、唐突にぴたりと動きを止め、何も言わないのにおとなしく自分の隣についた。「?」茫洋とした瞳で、俺の方を見上げてくる。
……………これには、まいった。この悲劇に俺は心から泣きそうになった。凍りついた心が溶けそうになる。
母は凄惨な死を迎え、子は智慧の光を失っている。
子供の受容力のある脳は、もう一つの回路をその中に作り上げてしまった。ここに来るまでに何度か同じことを繰り返したせいだ。そうやって連れてきた。いま、この子は、俺が何か言うと、わけもわからずに同じように行動するだろう。ただついてくる。俺が動かなければ、そこにいる。ただの条件反射だ。この子は自分が何をやっているかも判断できず、わかっていない。
…一体、誰が悪いのか、何が悪かったのか。応えるものも、憤りをぶつけるものもいなかった。
つい動作が止まってしまう。ふるえる己の手を己自身で押さえつけた。目をつむり、しばらくそうした後、首を振って雑念を追い払い、再び作業に戻っていった。
…作者、どのくらいで凄惨と判断されるのかよくわからない…。
不快になられた方、ごめんなさい。でもここらあたりで、ウツ展開は終わりです。




