一章 隠者の旅路 ④
次の日から、診察を始めた。
すでに目にした病変から、あたりはついていた。村人から話を聞き、その推測もほぼ確定となる。
とどのつまりは性病の蔓延だ。花街から追われた若い娘が、勝手にこの村のはずれに住み着いた。他にすべを知らない彼女は、体を売って生計を立てた。彼女は病を隠していた。開拓者の村は若い者が多い。彼女と寝た男たちに病が伝播し、彼女が性病にかかって放逐されたことが発覚した。…その女性の隠していた病変部が明るみに出たとき、いろいろな物事が一目瞭然になったろう。彼女は子供を一人連れていた。おそらく昨日見た子供…。これらの事実が、いろいろなところで一つの病に符合していく。
村の家屋の一つを借りて、まず、希望者を順番に診ていく。
みな、日常の仕事もあるし…、罹患していることに気づかない人もいる。後で、全ての家を回るつもりだった。
「あてて…」
「汚れと一緒にまず、病毒を落としますので、少し我慢してくださいね。」
「お師匠さんがいなくても、大丈夫かい?」
「はい、大丈夫です。同じことは一通りできるよう、仕込まれていますので。」
ひどくなると神経まで冒す病だが、この村の人々は運がいい。俺に治せない病ではなかった。
いまだ、師には追い付いていない自分だが、師にできることは一通り、自分にもできる。ただできる、といっても、その間には途方もない差があったが。たとえば――。
たとえば、師ならば今、この場で、またたきをする間に一握りの砂金を作り出すことができる。
俺は同じことをするのに七日七晩かかる。
同じことはできても、それが埋めようのない、俺と師との差になっていた。
ただし、自己の肉体、他人の身体――生体を扱う操体術と医術ならば、別である。
この分野では俺は師に並び立つ自信がある。これは師にも太鼓判を押されている。だからこそ診察もできる。ただどうしても時間的な差が出る。
「先生?」ほんのしばらく、手の止まっていた俺の様子を、患者がうかがってきた。
「…はいはい大丈夫です。師匠もよく、こうしてたでしょ?」
言いながら、俺は触れている腕から意識を走らせていた。手早く全身を駆け抜けるように走査する。――骨格・神経・筋肉・内臓…自分の脳裏には、読み取ったその像と状況が浮かんでは消えていく。――骨盤が少し歪み、胸椎と腰椎がいくつかずれている。この程度ならわざわざ手で矯正をかける必要もなし…作用点を操作する。――戻れ、――戻った。内臓・筋肉など全般異常なし。排泄も良好。病変部は前腕~肘窩あたりまでの皮膚のみ。深度はやや深いが広がりはない。気血の流れも、後は自然治癒力で治るだろう。服薬治療はこちらの薬の備蓄量・必要量を確認してから後で準備して…。
本人も気づかないうちに治療を終え、声をかけた。
「はい、ではこれからこの肌のところに軟膏を塗りますので。あとでひっかかないようにしてくださいね。」
今後の処置と、後から薬を用意することを伝え、送り出す。
「次の人~」
次の患者は若い女性だった。歩き方・立ち姿から、こちらはちゃんとした骨盤・脊椎の調整が必要だな?と判断する。――外見から見るに、口周辺の粘膜と、もしかしたら性器周辺の硬結か潰瘍???――股をかばって、変な歩き方をしつづけたのかな?――骨格がそんな風にやや歪んで、強張って見えるけど。まず、そこから片付けるか。性器周辺は自分で洗ってもらい処置は教えるとして…。
「すいません、まず、ここに横になってもらえますか?最初に背骨の調整からはじめますので。」
「…は?背骨?」
「はい。骨の並びを整えて、全身の神経・気血の流れをよくした方が治りは早いんです。すぐに終わらせますが、あんまりベタベタ触られるのがキライなら、背中に触れるだけで終わらせますよ?」
何人目かを診た時だった。
外から騒ぎ声が聞こえてきた。何事かと表に顔を出す。
屋外のすぐそこで、小さな人だかりができていた。
「いってぇ!!放しやがれ、このガキ!!」
人だかりの中心で、一人の屈強な青年が片腕に何かを取り付け、ぶんぶんと振り回している。……あの大きさのものを振り回すとは、なかなかの膂力…。…いや、大切なのはそこじゃない。よく見ろ。とりついているものは子供の姿に見え…。実際に、本物の子供だった。あぶない?!
一人の獣人の子供が、その腕に噛みつき、組みついている!子供は子供で振り回されても放さない。なかなかの根性だった。
「ふてぇ野郎だ、このコソドロが…。いっつもいっつも、人のもん盗み食いしやがって…!」
ぐるるるる…、と、青年をにらみ返し、その子供がのどから威嚇音をだしている。
昨晩見たあの子供だ。それを認めて、俺はその集団に近づいて行った。
「今日はしっかりけじめつけてやる…、おつむがバカなら、体でわからせてやらねぇとな!」
そういって、青年がもう片方の手を振り上げる。俺はあわてて駆け出した。
『やめなさい!!』
―――唐突に、あたりが静まり返った。そこにいた全ての者が、一瞬で動きを止める。
……しまった。俺は内心で舌打ちした。今は治療中だった。うっかりしていた。苦虫をかみつぶす。
本物の魔法使いには、その言葉にすら力が宿る。言葉で魂まで届くのだ。俺もあえてそうすることができる。今は治療中――、この技法は治療にも応用できる。事実そうしていた。そして今、その加減を忘れてしまっていた。
今までそう経験したこともないであろう響きに、モロにここにいる全員が影響を受けている。
「すいません、通してください。」
己がしでかしたことは棚に上げ、放置した。どちらにしろ、意気を乗せた言葉は先ほどの一声だけ、すぐにみな回復する。今はそれよりも気がかりなことがあった。騒ぎの中心に分け入る。恫喝されてなお、その子供は青年に組みつき、噛みついたままだった。
陽光の下で見ると、さらにめっぽう…、…掛け値なしに、小汚い。砂や泥にまみれて、もとの毛色がほとんどわからない。病変部をひっかいたのか、傷跡に血と泥・毛が絡まってあちこちにこべりつき、べったりと塊になっている。ほぼ白目になった右目のまなじりには、緑色の膿がたまっている。来ている服は丈があっていないし、よごれてあちこちが擦り切れ、破けている。股間に未成熟な陰茎と陰嚢がもろに見えていた。みすぼらしい恰好だ。病変もひどい。…ひどい?…いや、これは…
何事が起ったのかわからないのか、少年は間の抜けた瞳でこちらを見返している。
「はなしなさい。」
少年がまばたきをしながら、こちらの瞳を覗き込む。意が返ってこない。白濁した片目は動かない。
やはり、これは…。
俺は少年の額に人差し指を置き、もう一度言った。今度は、心と魂に届かせる。
『はなしなさい。』
…少年があごの力をゆるめた。腕の力まで抜く。地面に落ちそうになる軽い体躯を、俺は両手で受け止めた。
その触れた手から一気に意識を伸ばし、体を走査する。――中枢、骨格、筋肉、内臓……。
「……やっぱり。」
返ってきた結果・当たっていた推測に、俺は溜息をついた。少年をおろす。年は三歳から四歳くらいだろうか。こちらの膝の上くらいまでしか、背丈がなかった。
……病魔の汚染が、かなり深い…。中枢神経――脳まで達している。そのせいで、一度でき始めた言語中枢までうまく働いていない。片目は失明している。難聴も始まっている。内臓の汚染もひどい。このままいくと、この子は完全な白痴だ。その上、長くは生きられない。…おそらくは先天感染。不吉な響きが心の中にこだまする。
「…すげぇ、若先生の言うこと、聞いたぞ。」
その誰かの声で、我に返った。思い出す。今は治療中だ。やるべきことをやらなければ。
噛みつかれていた青年に、声をかけた。
「来てください。その腕を消毒しないと。」
「…え?」
「この子から、病気がうつる危険があります。早めに消毒した方がいい。」
『うつるのか?!!』
ざわざわと喧騒が波紋のように拡がった。恐怖の色を乗せたささやきが、そこかしこで漏れはじめる。…しまった、また失敗だ。
「このガキからコレ、うつるのか?!」
「…この子供からも、うつります。」
「…ホラ、やっぱりあの女が原因なのよ!給金代わりにもらった使用人の子、って言ってたけど、絶対ウソ!この子絶対、あの女が産んだ子よ!」
「分かった!俺はこのガキからうつされたんだ!見ろよ、この噛み跡…、これで俺が潔白だってわかっただろ?」
「どーだかね?あんたの浮気性は、骨身に沁みて知ってるよ。」
そんな騒ぎをしり目に、俺は青年を促した。
「行きましょう。」
「…あ…、ああ。」
足元で、ぺたん、としりもちをつき、ぽけーっとこちらを見上げる少年に、声をかけた。
『おいで。』
なまじ獣に近いから、扱いが簡単だ。敵意がないことを伝え、行動するイメージを言葉に乗せてアタマに叩き込む。少年はすぐに立ち上がり、ついてきた。……操り人形のようなものだ。一個の人間にすることではないが……、今は、仕方ない。
「こいつもつれていくのか?!」
「感染源をそのままにしておくわけにも行かないでしょう。」
そして後ろに向かい、全員にも聞こえるように声をかけた。
「みなさんも、もうそろそろお気づきなんでしょうけど、その女性のところには後で私がうかがいます。どうか大騒ぎしないでいただきたい。」
集団リンチなど、ごめんだった。




