満月の夜に④
「じゃあ、まず、師匠とある程度、親しくなってくれ。話してみたらどんな人か分かるよ。夢や無意識ではもう顔見知りだろうから、そんなに抵抗はないと思う。――今から会わせる。やってみるな。」
そう言って先生は、ゆっくりと深く、目を閉じた。
その途端だった。
「おい!リゲル!そんな簡単にゆだねるな!!」
がばぁっと勢いよく先生の顔がはね上がる。びくっと肩を震わせて、僕はちょっと飛びすさってしまった。
…?
…あれ?いま、なんか妙な違和感が…。
「…やれやれ、このアホウ…、簡単に全部ゆだねおった。いくら師弟でもなぁ、少しは躊躇しろよ。」
そう言って、先生の姿をした人ががりがりと頭を掻く。そしてふと気づいたように、その頭を掻いた手をおろした。しげしげと、めずらしいものでも目にしたように、己の手を見やる。
ふっ…と、こぼれるように笑みが漏れた。…そのしぐさにも、僕は妙な違和感を感じている。
「懐かしい手だなぁ。」
…そうか、分かった。声だ。声が違う。
先生の声はもっと低くて、よくとおる声だ。今の声は、少し高くて…、今までに聞いたことのない人の声だ。
「あ、あ~、すまん。驚かせたかの?」
そう言って僕の方を向き、先生にしては大げさすぎる笑顔で言ってくる。
「あんまりこいつが簡単に、肉体の支配権をゆだねるもんでの~。完全に入ってしもうた。声さえ借りれば話は出来たから、一部だけ借りるつもりだったんだがのぅ。――わしらはお互いに、お互いの肉体の管理者のようなものだったから、やっぱりこういうことが簡単に出来るんだな。ある意味、本人よりも体の動かし方、知っとるもんなぁ。」
そういって、手を動かし、体をねじらせ、動きを確認する。その動作はなめらかだった。
僕がぼーぜんとそれを見上げる中、また大げさな笑顔でその人が言ってきた。
「じゃあ、あらためまして。…こちらの世界では初めまして、というべきかな?――わしの名はベガ。このリゲルの師匠をさせてもらっていたものだ。――え~っと、お前の師にもなってくれ、との話だったのじゃが…。そ…、その、リョータ。お前もそれでいいのかの?」
笑っていた、と思ったら、途端に申し訳なさそうな、自信のなさそうな、とても情けない顔になった。
いつもは穏やかな先生の顔なのにーー、その落差に唖然とする。
「なんじゃ?わしにかかれば表情すら自由自在だぞ?この子の肉体は小さい頃から診とるんだからの。」
そういって、笑い顔、怒った顔、泣き顔、…次々に表情を変えてみせる。普段の先生からすると、あまりに豊かな感情表現、あまりに落差のあるその百面相に、僕は文字通り、目を真ん丸に見開いて、口をぽっかりと開けてしまった。言葉もでない。
「そこまで驚かんでも…。」
そういってあきれる表情すら、普段の先生からすると大げさすぎる。
「そんなにこの子は表情乏しいかの~。確かに、年の割には落ち着いてると思うが…。」
僕はここで、妙な違和感を感じた。…あれ?今、ぼく…。
「ああ、うん、声になど出しておらんよ?」
僕はまた目を見開いた。
「うん。わしはこれくらい近くにおれば、心の声が聞こえるんだ。」
今度は思考が言葉になる前に、答えが返ってきてしまった。
僕はもう目も口もぽっかりと開け、驚きばかりで、頭が真っ白になってしまう
「――あーー、リゲルのやつ、説明しとらんかったのね?」
いつもとは違う大げさすぎる困った顔を創り、先生がぽつりとつぶやいた。だがその口調は、先生のものではありえなかった。
僕が落ち着くのを待って、お師匠様が、やたらおどおどして訊いてきた。
「あ、あの~、その~、リ、リョータはこれ、気にするかの?リゲルなんぞはもうわしに慣れきってしまって、気にもしておらんかったんだがの…?」
これっていうのは、心の声が聞こえるってこと?
そう考えて、すぐに頷かれる。…ははー、すごい人だ。本当に分かるんだ。
しかし…、なんというかこう…、落ち着かない人だなぁ、笑ったり情けなくなったり。お師匠さまって、こんな人だったの?…って…、もしかしてこういう考えも、全部聞こえているのかな?
「聞こえてはいても、聞かなかった方がよさそうなことは、聞こえなかったフリをするようにしとる。」
また声に出していないのに、すぐに答えが返ってきた。すごーい!――驚きながら――僕は考える。ええと、やっぱり全部聞こえているけど、聞かなかった方がよさそうなことは、――聞こえなかったフリをしてる。――聞かなかったつもりで会話してるってこと?
「うん。そう。分かってはいても、口には出さないことはあるし…、そういうことはやはり、口に出さない方がうまくいく。これはリゲルとの付き合いで学んだことだ。リョータ、お前も声に出してくれ。わしだって気を付けてはいるが、やっぱりお前の助けもいる。」
「あ、はい。」
僕はあわてて声を出し、返事をする。そういえば、僕は黙ったままの会話になっていた。
「それで……、その…、リ、リリリョータは、こういうの、気にするかの?」
むちゃくちゃ不安そうに聞いてきた。ほとんど半泣き、小さな子供なんじゃないかと思った。それを見て僕はあわててこたえる。意味不明にぶんぶんと両手を振った。ただでさえ、先生でそんな顔をされるのは戸惑うし、なんかもうこっちが落ち着かない。全身全霊全力で応えた。
「うわわわ!なんかよくわかんないけど、全然!だいじょうぶ!全然大丈夫ですっ!!すごくびっくりしただけ!!」
それを聞いたお師匠様が、先生の顔できょとん、とする。
……え?ぼくなんか変なこと言った?
「…ううん。いや、お前はやっぱり、リゲルの子だな、と思って。」
「えっ?」そうなの?
「うん、こういうところは、よく似とる。」
僕はそれを聞いて、ちょっと顔がにやけてしまった。
…えへへ、ちょっと、うれしい?
いやいや、お父さんに似てるって、うれしいことじゃないのかな?でも、やっぱり、うれしい…、かな?僕たちは本当の親子じゃないけど、親子だと認めてくれる人がいる。
血のつながりはないけれど、ちゃんとした別のつながりがあるみたいで。なんだかくすぐったいような感じだ。お母さんのことを思い出してから、特に、僕は…。
こういうことがとてもすごくうれしくて、でもそれが悲しくて…、でも、正直に、うれしかった。
複雑な感情が心の中から湧き上がってくる。
「お前は、いろいろあったからなぁ」
すこし気が沈んでしまい、下がってしまった僕の頭に、今はお師匠様である先生の手が伸びてきた。それが触れた途端だった。僕はびくん、と身を震わせる。
いきなり燦然と輝く、星空が見えた。
僕は突然、真っ暗闇の中に投げ出され、とんでもない数の星々に四方八方包まれている。
大小さまざまな星。近くにあるものは蛍のようにはかなく、遠くにあるものは砂粒よりも小さい。大きいものは強い光を放って、遠くからでも僕の目の中に飛び込んでくる。さまざまな色、さまざまなかたち、さまざまな距離、でもどれも、鮮烈な光を発している。星と星の間に信じられないくらいの数の細かい星がまたたいている。そしてその光、全てが…。…え??…って、うそ…!!全てが――。
すべてが僕に対し、何か…柔らかい眼差しを…、何らかの意思を、興味を、親しみを?向けてきているような気がする。悪いものは全く感じない――微笑みかけてくれている、ような――。
でもそれは一瞬のことだった。気が付くと、周りは先ほどと同じ光景に戻っている。
…え?
…何…?いまの…?
お師匠様の手は離れていた。
きょろきょろとまわりを見渡す僕をよそに、何事もなかったかのようにその人が言ってくる。
「で、だ、リョータ。」
その顔は神妙で静かだったけれど、少しだけ何かを恐れているようだった。
「わしを師だと、認めてくれるかね?」
…?
その言葉の意味が僕の頭の中に染み込むまで、ほんの少しの時間がかかった。
――理解して、疑問に思う。どうしてこんなことを聞くんだろう?
僕にとっては、先生もお師匠様も、二人ともが僕の先生で、導き手のようなものだ。そんなことたぶん、お師匠様も分かっているはず。初めて会った気がしないし。なのにどうして、わざわざこんなこと聞くんだろう?
しばらく、つい指をくわえてしまい、考える。
そして、――ああ、これは口に出さなければならないことなんだ、と、気が付いた。
どんな親しい中でも、きっちりしておかなきゃならないことはあるんだ。そう先生が言ってた。
そうだ。大体、お師匠様にはまだ言ってないじゃないか!僕はぴしりと姿勢をただす。今はお師匠さまである先生にきちんと向き直る。もう当たり前だけど、ちゃんと言っておかねばならないことはあるんだ!
「僕を弟子にしてください!よろしくお願いします!」
そう言って、頭を下げた。
かくてお師匠様は応えてくれた。
「うん。わかった。認める。リゲルともどもお前を弟子とする。――わしを師と仰いでくれてありがとう。不肖の身なれど、力の限りお前たちを守り、導くことをここに誓う。」
そして一瞬の間。
“我が名は――――。この名において、誓約する。”
背筋が震えた。お師匠様の真名…!!と、思った矢先に、僕の全てが勝手に反応している。
“僕は――――です!”
「…うん。うけとった。…迷いもなく、問いもしていないのに応えるか。本能的に分かっているんだな…。リゲルに負けないくらい、実はわしらの仲も長いでな。やっぱり、簡単にうまくいったな。」
そういって柔らかく笑う。その表情は先生そのもの。こういう時の顔は、親子で同じなんだ、と場違いに僕は思った。――、と、いきなりその両腕が伸びてきて、思い切り僕は抱きしめられる。
「うわわわっ!」
「ありがとう。」
頭の中が真っ白になる。耳に届いた一言では伝えきれなかった、たくさんの想いがそのまま僕になだれ込んで来た!先生と同じ…、…心がそのまま伝わる手…!
喜びと、感謝と、愛情と、信頼と…、おおよそ、いいと思われる全てのものが、自分の中に注ぎ込まれてくる。本日二度目のこの感覚…、…くらくらする…、でも心地よかった。
「信じてもらえるかどうかはわからん。だが、わしは未来を垣間見た時から…」
どこか遠くで、そんな声がする。
「お前がリゲルと出会う前、遠くお前が生まれる前からだ。その時から、ずっと…」
何か万感の思いを込めるように、お師匠様が言葉をつづけた。
「ずっと、お前を待っていた。よくぞここまで来てくれた。ありがとう。」
お前がここに来ない未来もあったんだ、と、その手が語っている。でも、お前は来てくれた。
その伝わってくる思いに、僕はなんだか、泣けてきた。
……僕は……。僕はお母さんから、いらないと足で踏み蹴られた子供だった。
なのに、この人たちは。
僕は本当に、二人に大切にされて生きてきたのだ。…その想いは心地よかった。…幸せだった。




