満月の夜に②
「よ。リョータ、きたな。」
片手をあげて、気さくに声をかけてくる。顔には柔らかい笑みが浮かんでいた。
僕は息を呑んだ。驚いて。
先生の体が、ぼんやり、銀色に光っているように見える…。
それは、一つの絵画のような光景だった。
まるい月の照明を受け、森の切れ目の真ん中で、先生が片脚を横に組んで座っている。
簡素な上下の麻服に、胸にはお守り一つ。いつもの格好だ。今は外套すら着ていない。肩口をまくり上げた上着から、しっかりした二の腕がはみ出ていた。首には柔和すぎる狼の頭が乗っている。黒灰色の毛皮が月の光に洗われて、柔らかく吸い込まれそうな銀色へと変わっている。…片手が上げられて…、その何気ないしぐさだけで、毛皮の上を流麗な光が踊った。腕の動きを追って白魚が身を跳ねたようだ。それとも、月の光が滴となって、はねとんだんだろうか…。
足元には虫よけの香が盛ってあり、かぼそく、淡い煙を立てている。それがまとわりつくように先生の体を包んで、まるでもう一枚、別のゆるやかな衣をまとっているかのようだった。
なにコレ…、目の錯覚?
目をしばたたかせる。うすぼんやりと光を纏う体。いつもと同じはずなのに、いつもとは違うその姿。
変だ。そこだけはさみで切り取って、どこか別の世界を見ているよう。どこか違和感がある。少なくとも、普段の先生の毛皮は、こんな色じゃない。
…虫よけの香の匂い、湿った土の匂い、夜の匂い…、先生の匂い。なんだ?何かが違う…。先生を中心に、その場の空気が変わっていて…。
…まるで…。
…まるで、その場の空気自体が、柔らかく月の光を溜め込んでいるような…?
変だ。なんだろう?
目が素通りできない。惹きつけられる。不思議な違和感。もし、精霊とかの姿が僕に見えたのなら…、この人を中心に、従い、かしづき控える姿が、見えたんじゃないか?
…こわいの?僕…。
知らずに背筋がぞくぞくとしている。
うまく言えない。まるで、今は先生が、違う世界に住んでいる人みたいで…。
…これが…。
…これが、魔法使い?
「…?なんだ、リョータ。どした?」
先生が首をかしげる。その時だった。
「えっ?」
天から落とし込まれる照明の中に、ふと、だれか別の人影が写りこんだ。
真っ暗な中から突然、小柄でがっしりとした人物が視界に割り込んでくる。でも先生は全くそれに気付いていない。その白い熊の獣人は、すたすたと先生のわきを通り抜け、くるりとこちらに向き直った。控えるように先生の斜め後ろに立つ。そこでふと、僕の視線に気が付いた。目が合った。…にこり、とこちらに笑いかけてきた。
「うっ、うえぇぇえぇぇぇええっ??!!」
「ええっ?!…なんだなんだっ?!どーしたリョータっ!」
びくっと驚いた先生が、慌ててこちらに駆けよってくる、僕はごしごしと目をこする。
…それだけで、今の不思議な光景は消え去ってしまった。
先生の体の色も元通り。青白い月明かりで、幾分かつやっぽく見える程度だ。簡素な衣服。外套を着ていたお師匠様の姿もない…。
“…なんだ、今の…!”
こちらも泡を食って今見たものを説明する。…果たして先生も、その話に驚いた。
「師匠が見えたって…?…まぁ、お前のことだから、あり得そうな話だけど…」
そして、首をかしげ、辺りを見回し、うなずきながら言う。
「うーん…、お前、真名を使って呼び出されるなんて、初めての経験だろう?…真名はその人のいろいろなものを励起するから…、感覚が一時、開かれたんじゃないかな?」
そういって、僕が見たという肩口を振り返り、口にする。
「それにしても、お前を迎えに行ってくれたって?…そんな使い魔みたいなこと、しなくてもよかったのに…。でも、ありがとうございます。」
軽く頭を下げる先生。“なんの、どういたしまして。”と、そんな応えが聞こえた気がした。
僕は首をめぐらせる。僕らのほかは、やっぱり誰もいなかった。
「そっか、じゃあこれで三人そろっているわけだ。申し分ないな。話を始めようか。」
僕は見上げる…、月光を背負った先生は、青白い光と一緒に、こぼれるように笑みを漏らしている。僕も切り株に座るように誘いかけた。僕はそれに従った。




