~夢の終わりに~⑫
ひととおり話が済んだところで、膝に手をついて立ち上がり、ベガは言った。
「さて、こんな所で切り上げるか。――あんまり長いと、睨まれるしの。」
「にらまれるって、誰にですか?」
「お前の居るところでは――、管理者たち、守護霊や守護者――、と呼ばれることもあるかもな。だが実際は、管理者などではありえないよ。わしにとってはアタマの上がらない友人たちだ。いろいろ見逃してもらっとる。」
そのよくわからない内容よりも、俺は一つの単語の方が気になった。
「そちらの世界では、友達ができたんですね。」
「…おい、お前、わしが友達いないみたいに言うなよ。――いや実際少ないけどよ。」
半眼かつ渋面になっていう。だがすぐに機嫌は直った。
「ま、わしのようなのは、こちらの世界の方が居心地がいいからの。お前の言う“友達”とは違うかもしれんが…、それなりにの。」
「そうですか…。」
と、うなずきつつ、ベガの言っていることはさっぱり的を射ていなかった。
少し考えてみる。…やっぱりよく意味が分からない。
ベガにつき従っていると、こういうことはよくある。慣れていると言えば慣れているのだが…、気になったので聞いてみた。
「あの、さっぱり意味が分かりませんが?」
「そうか?」
うわ、素で応えられたよオイ。まいった。
「まいどまいど思うのですが、俺は魔法使いとして、そちらのことを全然知らなくて、いいんですかね。――普通、もうちょっと知識もってても、いい気もするんですけどね。」
「お前はそれでいいし、最低限は教えとるつもりだが?」
「いやまぁ、それはそう聞いてますけどね?」
釈然としない気分で頭を掻いた。俺は師から、死者の行く末の話や、目に見えぬものたちの世界のことは、ほとんど教えてもらっていない。師の言う“最低限”だ。知らないことの方がまだ多い。生者にはいい意味で秘密にされているところもあるらしいから、知らなくてもいいのかもしれないが…。
世界をまたにかけ、理を用いる魔法使いとしては、それはどうなのか。
実際、師の医術体系の中には、その部分が確実に織り込まれている。
――だが、俺はあくまで物質的なことに重点を置いて、考えるように仕込まれている。精神や心の領域ならまだ十分範囲内だが、それよりも深いもっと根源的な領域…、魂からくる部分は、曖昧なままだ。
目も耳も悪く、才の無い俺が、そちらの世界を見ようとすればそれだけで過分な手間がかかるので、当然と言えば当然の帰結なのだが…。しかしなぁ。
腕を組んで少し考え込んでいると、師が何だか居心地悪そうにそわそわとしている。とうとう、言ってきた。
「だからお前な、わしの楽しみを奪うなって言ってるだろ!お前よりわしが先に逝くのが当然の流れだったんだ…。なら、先に逝ったわしが、後から来るお前にまた、一から教えてやる。――お前にものを教えるのは楽しいんだ。今、教えてしまったら、それもなくなってしまうじゃないか!」
……それ、むかし冗談で言ってるんじゃないかと思っていたが…、今、本気で言っているような気がしてきた。いや、まさか、本気だったの?
いやいや、一応本気だったときのために、“書架”で見つけたその類の書籍は、まだ目を通してないけどね…?
黙って目で問うてみた。そしたら。むちゃくちゃ動揺して答えてきた。
「お、おおお前、お前のおむつを替えてやったのはこのわしだぞ?!こ、このくらいのわがままは、許してくれたっていいじゃろう?!」
あた。言われてしまった。首をかくんと傾けて苦笑する。
こう言われては手も足も出なかった。誰にでもアタマが上がらない人というものはいるものだ。
それにもう、これが俺に駄々をこねる時の師の常套文句だと知っていた。素直に主人に従い、「そうですね。」と、答えておく。
まぁ、確かに、それも悪くないな。文句などあるはずもなかった。
発見・発展・応用――、創造こそ我らの旅路。そうして関わるもの全てと第一原則の歌を謳う。
きっと、また、楽しい旅路になるだろう。待ち遠しいというものではないが、楽しみとなるのは間違いがなかった。
「そうですね、楽しみですね。」
素直にもう一度そう言った。心からの言葉だった。師はなんだかほっと、胸をなでおろしていた。
ここで、俺はもう一つの要件を思い出した。そろそろ、言っておかねばならないことだった。
「師匠――いえ、ベガ。」
「うん?」
「あなたの手記を読みました。全て。」
「おお、そうか…。」
そのまま何事もなく、聞き逃すようにうなずいたベガだったが…、いきなり血相を変えた。
「…ってええ?!読んだの?!あれ!全部?!!」
「はい。」
「ほんきで言っとるの?!とんでもない量あったろアレ、全部?!!」
「はい。」
「マジか?!」
ベガが珍しく驚愕の様相を呈している。だがそれもすぐに和らいだ。視線をそらし、ぼりぼりと頭を掻きながら言ってくる。
「……よーそんな時間あったのぅ、ヒマだったのか?」
「侮らないでください。俺はあなたの弟子ですよ?――ベガ、あなたはあの“書架”に、時の細工をしましたね?俺を育てるための避難所として、再びあの空間を利用するようになってから。」
「…ぐぬ。」
ベガが口をつぐんで、低く唸る。そのまま黙り込んだ。図星だよな。当然か。
否定の要素はありえない。俺はその仕組みを実際に利用したのだから。
気づけば、あの“書架”にはその細工がしてあった。まったく別の空間にあることを利用した、二つの世界の、時間軸の再接続を自由に調整・設定できる、という仕組みだ。ただし、時間遡行の機能はない。
ざっくり言うと、あの“書架”で、二週間過ごしたとしても、入った一呼吸後、一瞬後にでも、もとの世界に戻ることが出来る。そういう仕組みだ。
二つの世界の時間軸はそれぞれ独立しているから、二つの時間を再接続する時に、その時間軸の接続をいじり、入った一呼吸の後につないでしまえばいい。何もしなければ、別の世界で等量の時間を過ごした時に、降り立つことになる。
俺にはほぼ確信に近い推理がある。これはベガが、再び同じ過ちを起こしてしまわないよう施した予防策に違いない。持ち前の集中力で、ベガはよく他のことをすべて忘れる。それを誘導し管理するのも、ほかならぬ俺の役割だった。だからこそ、この必要性が十分に分かる。
ベガは“知の探究者”という側面をもつ。
そんな人物にとってこの“書架”は、砂糖によりつくアリ、蛾にとっての夜の篝火に等しい。うっかり俺がいない時にまた同じことを繰り返したら、と心の底から恐れたに違いない。
この対抗策として、“書架”には、さらに厳重な安全装置がある。
“鍵”を持つものが必ず“二人”そろわないと、絶対に入れない。そんな強固な封印がかけてあるのだ。
入る時も出る時も、必ず“二人”でないと扉は開かない。
これは魔法使いである必要はなく、たとえばリョータでも、“鍵”を持たせれば、俺と出入りは可能である。この決まりに抗い、一人で無理に入ろうとすると、“書架”は壊れて虚無に呑まれる。人造空間のモロさを逆に利用している。師はここに入る時、常にもう一人の管理人を用意したのだ。
ちなみにその“鍵”だが…、今の所三つしか存在しない。一つは俺の胸元に。一つは、かつてはベガの胸元に。これは今、リョータの手元におさまっている。
形だけでも作っておいたベガの墓。ベガの死に場所から何度も何度も掘り返していたが…、結局は、リョータのもとにおさまった。首回りがリョータの背丈には大きくて、よくすっぽ抜けてしまうから、今は肩からたすき掛けにすればいいんじゃないか、と話している…。
俺はこの機能を利用し、こちらでは短時間で手記を読み切ってきた。どうやら師の眼も逃れていたようだ。
「それを読んだうえで、あなたに言わねばならないことがあります。」
ベガの顔が強張った。途端に及び腰になって、後ずさる。
…刑の宣告を待つ囚人の顔、とは、こんなものなのかもしれないな、と俺はふと思った。
そんな想いのまま、その囚われた人に宣告する。
罪から解き放つために。
「あれを罪だと思っているのは、あなただけです。あなたは罪なんて犯していない。その成果を受け継いだ俺が言うんです。信頼できませんか?」
ベガが己の旅を、「贖罪」と呼んでいたのは知っていた。
彼が何を背負っていたのか、ようやくわかった。聞いていた話と、あの手記。全てがつながった。はじめてその重さを推し量ることができた。
……その上でこそ、これは弟子であり、友である、俺の役割だ。
「……知識に罪など、あろうはずがない。罪とは人の領域だ。わしは、わしの類縁に背を向けた。父も母も友も、先生も、同僚も、全て…、忘れ切っておった。そうと知らずに切り捨てたのだ。心配をかけたであろう母、父、友…、謝ろうにも、償おうにも…、もうどうにもできん、罪とがだ。」
「でもあなたの両親は、あなたを迎えに来てくれたではないですか。」
「…それは」
「あなたが悪いと思っているのなら、その人たちに謝りに行けばいいじゃないですか。きっと許してくれますよ。そちらはそういう制限のない、自由な世界だと聞いてます。そういうこと、できるんでしょう?」
ベガは動揺したようだが、答えない。
「あなたの両親が、来たように。」
返事がない。…これはほとんど、肯定のようなものだ。
「やはりできるんですね?でも、あなたは会いに行ってない。」
ベガの顔が驚愕にひきつった。どうやら痛いところをついたらしい。今言いながら気が付いたことだが、それに俺は苦笑するしかない。
「やっぱり。…どういう顔で会えばいいか分からない、とか言ってそうですもんね。師匠。」
…あ、ベガだったか、とさらに苦笑する。こんな風に習慣はなかなか抜けない。人格の癖・考え方の癖も、そういうものだ。長年の付き合いだから、分かってしまう。それを踏まえて、俺はさらに言う。そうか。たぶん、これこそ…。
これこそ、俺にしかできない、俺がやらなきゃいけないことだった。
「では、あなたの分まで、俺が頭を下げます、だから一緒に行きましょう…、その場所へ。あなたのお父さんとお母さんの所へ。一緒に頭を下げて回りましょう。あなたの友達みんなに。」
「俺があなたを連れて帰ります」、と、小さく続けたその言葉は、届いたかどうか。
「…あなたのことです。どうせ今でも、両親どころか、関係者全員、背を向けたままなんでしょう?」
師がどうしようもないほど追い詰められた顔をする。その体は震えていた。
「やっぱり。」俺は苦笑する。
「ではもう一度、みんなに会いに行きましょう。…帰りましょう、その場所へ。俺が供をします。今でなくとも、いつか…。」
そう。これこそ俺が。
俺にしかできない、俺にしか手が届かない。俺だけにしかできない、役割だった。
「俺が、あなたを連れて帰ります。」
師も、俺に縛られるのではなく、罪に縛られるのではなく。
「…本当はあなたも、もう、解放されたいんでしょう?」
己自身から。
そう、結局この人は、自分自身がいつまでも、自分を許せないだけなのだ。
厳しい言い方だが、ここにとどまる理由を俺にして、俺に自分を縛り付けている。
ならば、そのくびきを解き放つのは、縛り付けている俺の役目だ。
俺は師匠に頼っているが、自由を縛ろうとは一切思っていない。
これはけじめだ。師に教えられた知識であり、生き方。そして迷うものには道を。
目の前にいる壮年の獣人は、追い詰められたような、今にも泣きそうな、なんともいえず、情けない顔をしている。その口が何事かを言おうとして、音にならない息を吐き出した。
…やがてうつむいて顔が見えなくなった。
しばらくの沈黙が降り立つ。俺は辛抱強く答えを待った。
「………どうして…。」
やがて聞こえてきた小さな言葉に、俺は耳をそばだてた。
「どうして、お前にそれが…、…分かるんだ…。お前は目も耳も…。」
この言葉には、かなりむっとする。才能が無くて悪かったな!腹が立ったので大声で言ってやった。
「俺を育て、教えたのは誰だったか、とうとうボケて忘れてしまったわけですね!?」
分かるよ!!馬鹿にすんな!!何年一緒にいたと思ってんだ?!
と、もう一度怒鳴ってやりたい衝動にかられたが、ベガの表情を見てそれもやめた。
呆けていた。本当に驚いている。
やがて…、掠れた笑い声が漏れてきた。
感情が追い付いていなかったそれは、すぐにのどで押し殺したような、肩を揺らす泣き笑いになった。
「…いや、そうか…、愚問だったか。」
「…はい。」
「お前のことだ。わしがなんのかんの、イヤだと言うても、最後はわしを力尽くでも引っぱって、連れまわすのだろうな。」
「…ああ、そうですね。よく分かっておいでです。」
そう言われて、その通りだと思った。
本当によくわかっているな。たぶんそうなる。この人のことだし。付き合いの長さは伊達じゃない。
でもこの点で妥協するつもりは毛頭なかった。いくら師であったとしても、譲れないものがある。人として。
…必ず、連れ出してみせる。そのための力なら、俺はもう持っているはずだ。
その意気が顔に出たのか。
「…怖いなぁ、その顔。…怖いが…。…楽しみが増えたな。」
「はい。」それは何よりだ。
……あれ?
でも、これはどうしたらいいんだろう。俺も早急に死ななきゃならないのかな?それとも夢でできるのか?と頭をひねり始めた時、見かねたのか、その答えがすぐに返ってきた。
「馬鹿者。お前がこっちに来てからでいいさ。……はは、本当に、楽しみが増えたな。」
泣き笑いの顔が両手でおおわれた。その隙間から言葉が漏れる。
「必ずわしを、連れまわしてみろよ?」
「もちろんです。」短く答えた。当然だった。
ははは、と笑いながらベガが、ごしごしと己の涙を拭う。落ち着くまでしばらくかかった。そして顔を上げると、力強く言ってきた。
「わしと同じ過ちを、お前には犯させない。何があろうと。わしはわしの魂にかけて、それを誓っている。」
「はい。」静かにその言葉を受け止める。
「生命の書は、読むものではなかった。わしはそれに気づくのが遅すぎた。」
「……はい?」
「生命の書は、使うものだった。その点わしは、お前を高く評価している。わし自身より信頼していると言っていい。お前はあれを開かなくていい。触れず、執着するな。必要なときはわしを呼べ。わしがお前の本となる。」
「……それは、今まで通り、すごく期待しています…。」
俺の評価には異論があるが、とにかく、生命の書を開くことは俺の手に余っている。師の手助けを経て垣間見たことはあるが…、おのれひとりでたどり着くには、あまりに道が遠すぎた。険しすぎた。
「わかっとるともさ、盟友よ。誰しも役割と言うものがあるのだ。死してなお有る役割というものを、お前はわしに与えてくれた。何にもまして、感謝しておるよ。」
「それはこちらのセリフです。ベガ、いつもありがとう。すごく助かってます。それであの……、ほんとに、…ほんとに頼りにしてるんですよ?これはかなうならば…、というべきなんですが…、それでも、俺には力が足りないことが分かってる。これから、またお願いしますからね?」
一人で俺が、リョータを抱えて巡回できるわけがない。これまでも、これからも。俺の能力の限界は、自分自身でよく分かっている。いつも思い知らされている。
「うん、わかった、心にとどめておく。」
そこで、別れとなった。突然、自分の体が地面の中に、とぷん、と沈み込む。
草原だった地表が、今はまるで水面のようだ。地面の境界を一気に突き抜けて、深く、暗いところへ体が沈んでいく。
明るかった風景、師の存在が唐突に離れていく。水の中のように鈍重で、四肢に絡みつくような重たい空気だ。上に見える灯りが名残惜しい。だが体はゆっくりと沈んでいく。俺はそれに逆らわず、力を抜いて身を任せた。目を閉じる。
「忘れるなよお前も。今日の言葉を。いつかわしを、引きずってでも連れまわしてみろよ?」
遠くから言葉が聞こえた。俺はくすりと笑う。念押しなどしなくても、忘れはしないさ。あなたの教えなのだもの。あなたは自分が自分で救いを用意したのだ。気が付いているのか?
ほら、どこが罪なんだよ?
俺は誰に聞かせるでもなく、一人ごちた。
かくて、転輪の和はもどる。
かくて、良いものからは、必ず良いものが現れる。
因と果の果てしなき輪。転輪は常に正しく起これども、人の手では歪みやすく、無明の中で人はさ迷う。
人の手では歪みやすい輪転を、正しく繕うは真の知恵。
それこそ、我らが道を、しろしめす光。
これを用いるのが、師に教えられた真の魔法使いの役割だ。
世界にあらわれる悲しみを、一つでもいいから減らすこと。
――それが、真の知恵を得た魔法使いが、おのずから選ぶ道である。




