~夢の終わりに~⑪
ここでようやく、ほんとうに「夢の終わりに」たどり着きました
打撲傷によるこぶとは、すなわち血液やリンパ液の漏出に他ならない。
障害により漏れ出たそれらは、行き場が少ない頭部ではこぶとなりやすいのだ。その体液の不均一を粒子運動制御にて緩やかに均一化していく。
体液の流れをごくごく柔らかく、本人に気付かれない程度に操りながら、さらなる膨張を押しとどめる。
壊れた組織の再生まで行えればいいのだが、その再生過程までこちらが細かく干渉しようとすると、治療が複雑になりすぎる。とんでもない手間だ。そもそもそんな必要はなく、そこは、生命に任せていいところだ。極小の世界は極小の世界で、自分たちのやることを知っている。再生は極小の世界に任せればよい。俺はその流れを知っているだけでよく、知っているだけで作用点が分かる。どことどこをどうしっかりやってくれ、と唱え願うのだ。意志を乗せ、その動きを助長する…。
血液やリンパ液の凝固作用は早まり、漏出の止まりが早まる。破綻した組織の再生は、目に見えて早まるわけではないが…、それでも助長されて治りは早くなる…。
ざっくばらんに言うと、思いをそこに届ける。物質と物質の裏側。波動と粒子。それだけで傷は早く治る。意志の力で流体を動かすのと同じ感覚。生命活動の賦活化・促進。物質のみではなく、その反対側から。すなわち想いを、祈りを、力を、極小の世界に響かせ、届けていく…
…どうしても、俺の治療はかなりの時間がかかる。師のように一瞬で、とはいかない。すぐに完全に消してしまえる、というものでもなかった。
治療を続けるうちに、俺は師の表情に気が付いた。
「…どうして、ニヤニヤしてるんですか。」
「うん?だって、うれしいから。」
「何が嬉しいんですか。時々思うんですけど、師は殴られて喜ぶたちなんですか?」
「違うよ。」
にこにこと、本当に機嫌よさそうに言葉が続く。
「だってお前、わしを止めて見せたじゃないか。」
「…はい?」何のことやら、意味が分からない。
「わしはこうなってしまってから、わしを止めることが出来るのは、もう誰もいなくなってしまったんじゃないかと恐れとった。わしの中には、いまだ生命の書とのつながりがある…。わしはなろうと思えば、本当にこの世の魔王にでもなんにでも、なることができたろう。」
…世界の既存法則すら、好き勝手に書き換えることまでできるんだからな。
言葉にすることなどしなかったが、師の力を一番わかっているのは、この俺だ。魔王という言葉は誇張でもなんでもない。師は本当にそれだけの力を持っている。
…かつて見た、俺には手の届かない、届く必要もないと断じられた領域。師の魔術の最高峰。
俺がまだ目にしたこともなく飛んだこともない空。…本当に俺は、医術の分野でかろうじて、師に肩を並べているにすぎないのだ。
「今日お前は、ものの見事にわしを止めてみせた。…こんなうれしいことがあるか。――お前がいれば、わしは怒ってもいいし、泣いてもいいんだ。我を忘れても――、我を忘れて狂っても、きっと、お前がわしを止めてくれる。」
「………………………。」
……しばらく、何も言えなかった。
師の半生とその力を知る俺にとって、それはあまりに重い言葉だった。
「…………買いかぶらないでくださいよ?……今日は…、たまたまです。」
やっと、それだけを言った。
「買いかぶってなどいないし、偶然でもないよ。お前は見事に、その力を見せた。証明したと言っていい。」
いくばくかの熱意をもって言ってきた。
「わしが嘆き、怒り、狂っても、お前が必ず、わしを止めてくれる。」
それに応えることが出来ずに、俺は顔を伏せた。
この時…、この時、聞けなかったことがあった。とても口に出来なかった。今でも怖くて訊けなくて…。気が沈んで、口元を引き結んだ。
しばらくして――、さらにしばらくの時がたって――、とうとう、この時に訊けなかったことを、俺は訊いてしまった。
「俺は、あなたの隣を、本当に歩けていたんでしょうか…?」
友として、肩を並べて。
寄生するのではなく、お互いの支えとなって、生きていけていたのか?
お荷物では、なかったのか…、――自信はなかった。
「何を言っとる。お前はその二の足で歩き始めた時から、ずっと自分の足で、わしの隣を歩いとったろうが?」
予想外の答えが返ってきた。
驚いて顔を上げる。傷が全くない師の顔がそこにある。にこにこと笑っていた。
…え…?
記憶にない己の問いに、記憶にない師の答え。…え?待って、いま、記憶って??
「…あ…。」
「ようやく気付いたか。」
これ…。
「夢か…。」
途端に周りの風景が全て、ほどけるように溶けて消えてしまった。
俺と師はいつの間にか、枯草色の草原にたたずんでいる。夕暮れ時のような日差しで、下草が黄昏色にたなびいていた。…師と夢で会う、いつもの場所だった。
「これまた随分と懐かしい夢を見とったのぉ?」
師が笑いながら声をかけてきた。俺は決まりが悪く、顔をそむけた。思わず愚痴を言った。
「気付いていたなら、どうして起こしてくれなかったんですか。」
「夢はそういじるものでないと、教えたはずだが?」
「だからと言って、師まで俺の夢に付き合うことはないでしょう。」
「夢で話す方が負担は少ないからの。お前に呼ばれてお前を眠りに誘ったら…、自然とお前の夢に取り込まれた。わし自身としてな。その流れに逆らわなかっただけだよ。気に障ったのなら、謝ろう。」
「いえ、そこまでは。」
俺は丁重に辞退する。しかし、きまりが悪かった。自分の普段見せない裏側を見られたようで、なんだか面映ゆい。もっとも、師の眼力において裏表などあろうはずがない。すでに、すべて知られていたことだろう。それでも落ち着かない気分だった。
居心地悪く、頭などを掻いていると、師が何故か、満足気にこちらを眺めている。
「…なんですか?」
「…いや、お前こそ、お前だから、と思ってな。」
そんなことを言いながら、唐突に師が、俺の足元にひざまずいた。そしてやおら口にする。
“我が名は――――”
俺は硬直する。この響き、この感覚…。
……これは、師の真名…!
“この名を捧げ、我は汝を主と定め、守り支え仕える、しもべとなることをここに誓う。”
そしてこうべを垂れ、自らの額を俺の足の甲につけた。
“――――、承認を。”
そして次は俺の真名への呼びかけ!…何たることを…!
真名とは簡単に言えば、魂の名前だ。その人の本質を表す。
この概念において用いられる誓約や魔術は、魂をも縛りうる強力なものとなる。みだりに使用できるものではない。それをいま師は、いとも簡単に持ち出した!
…だが衝撃に息を呑んだのは一瞬だった。
またか、とあきれて首を振り、すぐにとるべき行動をとる。
「認めます。」
この瞬間、今の言葉で、我々の主従関係が成立したことになる。ほとんど主人と使い魔のような関係だ。だが俺はこれで終わるつもりなどさらさら無かった。そんなことあってたまるか。だが師の想いは無下に出来ない。師がこう申し出るには原則に沿った意味があるのだ。学んだ俺にはもう分かっている。ではどうするか?取り急ぎ事態を打開すべく、俺は告げた。
「立って下さい。」
その言葉に師は素直に従った。主従が成立しているのだから、命令に近い。当然か。
師をそのままに、今度は己が膝をつく。さらに告げた。
“私の名は――――”
何の準備もいらず、まったく気負いも努力もなく、するりと己の真名が口から滑りでた。――こういうとき、俺ももう、魔法使いの一員なのだな、と自覚する。
“この名を捧げ、私はあなたを主と定め、あなたのしもべとなることを、ここに誓う。”
言葉には気をつけなければならない。心意も大切だ。真名を使えば、その思い一つだけ、簡単な文言それだけが魔法として成立してしまう。真名そのものが本質を扱うものだからだ。俺は深く頭を垂れ、己の額を師の足の甲につけた。――額の奥に秘められたるは、人に組み込まれた世界の仕組みの歯車、その最上位の器官。それをあるじの足元へ…。
“――――、承認を。”
「認める。」
即座に頭上から声が降りてきた。
「立てよ、リゲル。」
俺も素直に立ち上がった。
目の前で師が、いつものように柔らかく笑っていた。
自分より圧倒的に優れた存在で、尊敬すべき人が、己に隷属すると額づいたとき、相手の想いを無視せず、対等の関係に戻るにはどうするか――?
それで、俺の出した答えがこれだった。
結局のところ、俺たちはお互いがお互いの主人であり、お互いがお互いのしもべなのだ。それに気付いた人は、とても少ない。
はからずしも俺の出したこの答えは、古い盟約の形であったらしい。
古い古い盟約で、ここではないどこか、別の世界に伝わっている。
そしてその伝わる異世界ですら、わずかしか記載されず、直接的な表現もなく、口伝もされない――、気付かない人が圧倒的に多い、盟約の一つの型なのだそうだ。
俺は個人的に、この答えをどう出すか、が、我々の系譜の魔法使いにおける、最後の卒業試験になるのではないか、と思っている。
師はどう考えているのかは分からない。だが俺は、そう思っている。
お互いの手が、お互いの心臓の前までゆるりと上がり、手のひらが触れるか触れないか、のところで止められる。そしてお互いの声が唱和した。
『我が主よ。』
「わしはお前のもとを常に離れず、お前の旅を守り続けることを、ここに誓う。」
「俺はあなたが健やかに、自由であることを願う。でも、あなたがそう望むなら――」
俺は一度、言葉を切った。真名を使った問答だから、内容には気をつけねばならない。そう考えるが――、結局は思ったままを口にした。
「――あなたがいてくれると、俺はうれしいです。」
「うん、わかっとるよ。」
そんな答えが返ってきた。なら、よかった。
…しかし、まったく…。
師はいつでも唐突、なんでもかんでもいきなりなんだから、と仰々しく溜息をついた。文句を言う。
「まったく…、いっつも突拍子がないですよね?真名を使ったものはとても危険だ、と、教えてくれたのはあなたでしょう?どうしていつもいきなり、こういうことするんですか。」
「おおともさ。危険なことは百も承知よ。だからこそ今日は肝が冷えたぞ。まさか今日、お前がリョータに同じことをするとはな。」
これを言われて、俺はぐっと詰まった。思わずはぐらかすように視線をそらす。
――実は今日、リョータの弟子入りが成立してからすぐ、俺は真名を使い、リョータにこれを申し入れたのである。――理由はある。これが俺の知る限り、もっとも強い関係性の一つだからだ。見方によっては主人と使い魔。これを元に術を組めば、俺はおそらくどんな時でも――、どんな危機がリョータの身に起こった時でも――、すぐに駆けつけることが出来ると踏んだのである。
リョータは最近、てんかん障害を再発した。
てんかん発作を持つ患者が、馬車の運転や船の移動を避けるよう言われるのは理由がある。運転中に発作が起きれば大事故の元だし、水上で発作が起きれば溺れかねない。自ら自覚できずに、命の危険が生じるのだ。
真名のやり取りは信頼の上に成り立っている。悪用すれば、真名を知る相手をいつでも支配できるわけで、すでにリョータとは、そうしたとしても全く危険性は変わらなかった。だからこそお互いの真名を得ている。踏み込むのにそうためらいはなかった。
もごもごと、言い訳をする。
「だって、それはああするのがいちばん」
「ほれ。わしの気持ちがわかっただろ?」
口に封をされるように言葉で黙らされた。きょとん、と見やる。
師がニヤニヤ笑っていた。
じわり、じわり、と師の言い分が脳裏に沁みこんできて、理解する。もう苦笑するしかなかった。
「そうですね。俺の負けです。よ~く分かりましたよ。」
両手を上げて首を振り、降参の意を示す。
「うん。――だがリョータの場合は、まだ時が早すぎる。一方すら成立せずに終わったのは僥倖だったぞ。」
ちなみにリョータは、“先生がしもべになるってなんなんですか!!”と怒り出してしまい、何も成立せずに終わってしまった。俺はアタマを掻くしかなかった。それならそれで、別の方策を考えるしかない。今は俺と同じお守りを首に下げているから、あれに仕込みをしようとは考えている。
「あ、そうですよ師匠、それで相談があるんです。」
「なんだよ、こういう時は名前で呼べよ。対等なんだから。」
俺は再び、きょとん、と見やる。
腕を組んで、ふくれっ面になった師が目の前にいた。
それを見て、苦笑する。まったくほんとに、わがままなお人だ。用もないのに一日中、師匠と呼ばせ続けたのはどこの誰だ?
心ではそう思っても、俺は素直にあるじの命に従った。
「では、ベガ、相談があるんです。」
「うん、わかっとるよ、リョータのことだろ?」
「――よくお分かりで。」
「分からいでか。やっとあの子がわしらの元に来た記念すべき日だ。分からん方がどうかしとるわ。」
そう言いながら、二人して黄昏色の草原に座り込み、俺たちは長々と話を始めた。
いつもの風景、いつもの調子――、それはこれまで何度もあった、そしてこれから何度でもある、――いつもの俺たちの光景だった。
「十二国記」 に、かわぐちかいじの「イーグル」…
いや、どちらも面白い作品で、作者は好きなんですけど
後から読み返して、無意識ってすごいな、と。印象的だった場面をこうも無自覚につなげてしまうとは。
反省、かつ自己嫌悪、かつ恐れ多く恐縮。すいません。
主人が隷属のお話はそれとは別です。その二作品とは関係ありません。




