~夢の終わりに~⑦
師に追いついて、並んだ。
断続的な爆発音と、跳躍を繰り返す俺。…飛び方は違えども、師と並んで飛ぶのは、悪い気分ではなかった。
…ようやくにして、自分のやり方で追いついた境地だった。
つと、眼下の緑が切れた。岩壁の合間に渓流が現れる。
――やはり雨が降った後なのだろう。増水して濁った流れが、白波を立てている。
師がその流れの一点を指さした。その先を目で追いかける……、激流の中に、小さく何かが見える…。
…手?…子供の手!?流されているのか?!
「師匠!これを!」
俺は肩にかけていた救急バックを、師に向かって放り投げる。そのまま身を躍らせた。
全身を逆さに転じて落ちるに任せ、頭から突っ込んで行く!…自由落下…。その途中で、ボッ…ボッ…と二度ほど足場を作り、さらに加速。岩壁に近い所でまた足場を作り、弧を描いて方向転換、切り立った岩壁を蹴りつけた。そのまま足をかけて勢いを殺さず、全力疾走する!
「フゥッ…!」
呼気を一つ鋭く鳴らす。筋力制限解除・大気清流化!体がほぼ水平の全力疾走。足が着くならこちらの方が速い!俺は素晴らしい速さで追いすがった。
…いいぞ、追いつける…!
「だぁっ!!」
十分近づいたところで跳躍!激流に呑まれる子供に手を伸ばした!
バシャッ…むなしく水を切る音がした。
「ちっ!」
だん!と対岸の岩壁へと足を着く。忌々しく舌打ちした。外した…!
後悔しているヒマはない。子供からは目を離さず、一瞬で判断する。
お互いに高速で移動していては、捕まえるのが難しい。ならば…!
岩壁を蹴り、さらに空も蹴って跳躍疾走。すぐに子供を追い越した。途中で外套を脱ぎ、丸めて岩壁の上へと放り投げる。同時に思い切り跳躍、子供が流される先の、激流の中へ身を躍らせた!
ドッ…衝撃とともに、一息で全身が冷たい水にさらされる。
全ての音がまたたく間に耳の中でくぐもった。
その冷たさに、皮膚の感覚器官が悲鳴を上げる。だが思考は止めない、止められない。わが身は逆さになりながらも、俺は全力を絞り出す!両手を大きく広げた!
最大効果範囲へ最速指令。周りの流体全てを掌握する!
“上へ!”
ドッ!!
腹の底から響く重低音とともに、天を突くような水柱が立ち上がった。
激流となっていた水の流れ、その力の方向、全てが上へと転換されたのだ。
水がわが身をすり抜けて、天へと昇っていく。それとは入れ替わりに空気の流れが落ちてくる。そしてまた、その空気は俺の意志によって吹き上がっていった。
身を打ちすえるそれらの衝撃に耐えながら、水と風がぶつかり、細かいしぶきとなって視界を白く染めていく。だがそのしぶきすら、俺の体を撫でつけて上へと運ばれていった。
加速した思考の中で、いやにぼんやりと俺はその光景を見やっている。
音が上手く聞こえない。ゆっくりと毛並みを撫で、滴となって流体たちが上へとすり抜けていく。しずくがひとつひとつ、空へとゆるやかに舞い踊るようだ。…その一つ一つに、歪んだ己の顔が映っている…。その目が茜色に変色していた。――全力行使の影響――いや、弊害か?全身に変化が現れていない。不完全な「飛翔」と言っていい。中枢神経とその周辺のみの限局励起。長くやると、神経を痛める…。
引き延ばされた時間の中で、俺はわが身をくるりとひねる。柔らかい川底でなく、硬い岩底を選んで着地した。
おのれの四肢をいっぱいに伸ばして、さらにその四肢をもう一つ分伸ばしたくらいの立体範囲。その範囲の水、すべてが引きずられるように上へと昇っていく。だが水以外はそうではない。木片、石、砂などが身体に当たってくる。顔に衝突しそうになるそれらを片手で払いのけ、一つ大きめの木片が落ちてきたので、蹴り飛ばしてたたき折った。その瞬間に、視界の端へ、目的のものが映りこむ。すぐに跳躍した。
放り出された子供の体を受け止める。そのまま川底を駆け、岩壁を駈け上った。十分な高さまで跳躍して、横合いに生える細い木立を見つけ、それを引っつかんで体を支える。
…途端に、音が戻ってきた。
轟音と共に水が落ち、しぶきで辺り一面が真っ白になる。
跳ね跳んだ水が強く身をうった。だがすでにここは十分な高さ。片手の頼りない木立は、衝撃が収まるまで耐えてくれた。
水の流れが逆巻きつつ、また新しい激流へと呑まれていく。細かいしぶきが霧のように立ち込めた。
「貸せ。」
「へっ…??!!」
横合いから唐突に声がかかり、にゅっと手が伸びてきた。
抵抗するまもなく、抱えていた子供が引き抜かれる。
師だった!いつの間に?!
驚愕する俺をよそに、師はほとんど霧のようになった水しぶきを眺めやりながら、顔をしかめた。
「水が邪魔だな。お前が飛べない。」
これは…、これは俺の飛翔法を理解している言葉だ。水や砂のような成分が空気中に多すぎると、俺はうまく飛べなくなる。風が重くなるのだ。
師がものも言わず、その手を横凪に振るった。
途端に霧が晴れる。そこだけ局所的な雨が降るように、すべらかに、ささーっ…と水が落ちていった。水面や岩壁を叩く細やかな水音が心地よく耳朶を打つ。俺は瞠目した。
「先に行く。」
短くいい捨て、師がその身をひるがえす。
つばめが風をきって、くるりと方向転換するようだった。普段はどちらかと言うと鈍重な体が、ひゅん、と瞬く間に上方へのぼり、とんぼを切って華麗に転身する。岩壁の上へと姿を消した。着地の音もしなかった。普段の動きからは想像もできない、俊敏な動きだった。
――俺は唖然とする。――何が、何やら――。
おそらく、俺がここに取り付くと予見していて、その時にちょうど降り立ったのだろうが…。
その後の、あれはなんだ?重力制御か、引力制御か、…水分子同士の、親和力を利用したのか?
――いや、俺は疑念を振り払う。習慣となっているこれを是正せねば。
師の魔法には、実は、分析は必要ないのだ。師は思うことがそのまま実現するというところまでたどり着いている。もう物理法則が後からついてくるような状態だ。理由を考えて、後付けしても始まらない。
俺は首を振り、溜息をついて、岩壁を登り始めた。魔法など使わなかった。




