~夢の終わりに~⑥
手早く四肢に包帯を巻いてしまい、俺は乾いたら保護膜となる軟膏を取り出した。師の技術はすさまじく、細かい各所の傷まで、回復が早まっている…、血色まで戻り始めた。何をやったか、あらかた推測はつくものの、もう考えることではない。細かい傷に軟膏を塗っていきながら、それでも俺は一つ引っかかりを感じていた。
なんでこんな処置を急いでる…?
普段の師はもっと、患者の調子へと治療を合わせようとする意図がある。
今はそれを全く感じない。どうして…?
「お母さん、この子はもう大丈夫だよ。…だれか、何か、この子にかけるものをくれないか?風邪はひかせたくない。薬は後で届けるが…。」
師がそう切り出している。周囲の一人から上着が渡された。俺は軟膏の水分を粒子運動制御にて飛ばし、すぐに乾燥させ、上着をかける。
「この服はぼろぼろだったし、切り裂かせてもらったよ。血もついとる。獣の噛み跡から病魔が広がることもある。後で全部焼いてくれ。」
そう言われた一人が神妙にうなずいていた。
「この子は…、この子は…?!」
「うん、もう大丈夫。」
そう言って師は母親にその場所を譲る。母親が我が子にしがみつき、感極まったように泣き出した。目で見て血色が戻っているから、大丈夫というのはもう、素人目でも分かるだろう。
父親だろうか…、先ほど上着を渡した男が、真摯にお礼を言ってきた。
「ありがとうございます!ありがとうございます!」
「うん。お父さんだね?目が覚めたら、この子に伝えてほしいことがある…。この子はとても勇敢だったようだ。野犬の群れに囲まれたとき、自分が囮になって、女の子二人を逃がしたらしい…。そのあと力の限り、石や木の枝をもって戦った。石で鼻っ面を殴り、枝を突き刺し…、野犬たちがあきらめるまで。――この子は勝ったのだよ。四肢の傷跡はたぶん残ってしまうが…、この傷跡は勲章だよ。誇りに思うといい。君が最後まで負けなかった証だと。立派なものだ。…わしがそう言っていた、と目が覚めたら伝えて下さらんか?」
父親らしき男が深くうなずく。…俺も別の意味で深くうなずく。なるほど。おそらく、心理外傷への対応…、立ち直るための踏み石。良い方向への意味づけ?
「さて、次だ。」
師はぽつりとそう漏らすと、立ち上がる。いきなり空へと浮かび上がった。
…は?
なんの予備動作もない、いきなりの垂直移動だった。
筋力を全く使わず、立った姿がそのまま見えない手に持ち上げられたかのよう。
またたき二つの間に森の樹冠を超え、辺りを見渡せる高みで静止した。風も音もせず、呪文も印章も何の動作もなかった。その場の誰もが瞠目し、呆気にとられる。本気で冗談じみていた。
もうここからは足元しか見えない…。あたりを見渡し、何かを探しているようだ。思いのほかのことで、俺まで呆然と上を見上げていた。
我に返ると、途端に情けない気分になる。
……ちょっとぉ、師匠、何やってんの?俺を置いてかないで…。
情けない愚痴を心中で押し隠す。横目で周りを見渡した。――よかった、俺の情けない本音はばれていない。師匠の思考についていけないと、こうなることがよくある。困った話だ。心の中で溜息をつく。俺はどうしたらいいんだろう…。
もう一度師を見上げる。追いかけたほうがいいのかな?でも、一体何を探しているんだろう?
「何を探してるんだ…?」
口に出した俺の疑問に、周りの人が反応した。
「まさか…、あと二人の居場所もわかるのか?」
「…はい?」そういった男に目で問いかける。
「実は…、昨日から、あの子以外にもう二人の子供が山菜取りに行ったまま、帰って来ない。迷子になったままなんだ。全員で山探ししてて、ようやくあの子を見つけて…。見つけた時は血まみれでふらふら、こっちを見かけるなり気を失っちまった。それで先生を呼んだんだ。」
……え…?…それって……、つまり…。
「まだ二人、いるんですか?!見つかってないの?!」
男がうなずく。
「それを早く言って下さい!」
弾かれるように上を見た。師の姿がもう消えている。
見つけたかッ?!
俺は即座に決断した。荷物をまとめたバックを引っつかみ、駆け出しながらたすきにかける。同時にあたりの大気・粒子運動を操作した。
風が一息で獰猛な唸り声をあげ、俺の周りで逆巻きはじめる……それをそのままわが身にまとう。流れを制御し空気を圧縮、それを足場に踏みつけ、地面とはさみこんで爆散させた。
ボッ!
助走は十分、爆散と同時に思い切り跳躍した。一息でかなりの高みに跳び上がる。跳躍の頂点で樹木に足をかけ、そのまま軽やかにてっぺんまで登りきる。木登りなんて子供のころからやってる!野生の猿にも負けない!そのてっぺんに近い枝で体を支え、そこで素早く見渡し、師の姿を探す。
…居た!!
すべるように宙を舞い、わき目も振らず、鳥のごとく飛翔している。
後を追わなければ!!
俺はあたりの木々を足場とし、跳躍し、追走する。
森の木々をつたい、樹上を踏破する技術。こんなこと、子供のころから遊びでやってる。これはとにかく勢いを殺さないのが重要で、投げた石が川面を跳ねる要領だ。
木々があわただしく首を傾け、しなり、がさがさとざわめく。それに重なって風が唸りを上げてついてくる。頃合いのころに、俺は圧縮空気を作りだし、それに足かけて宙を駆った。葉擦れの音に、ボッ…ボッ…ボッっと断続する爆裂音が混じり始める。
まだ勢いが十分じゃない……跳躍で距離を稼げない。時折、頭一つ突き出た木の幹を蹴り、細かく連続した空気の足場を作りだす。それでさらに己を風に乗せていく。空気の爆散は、跳躍と推進方向、二方向のみに調節。爆圧を最大限に有効活用。跳躍のために全筋力を引き絞る。ほとんど頭から突っ込んで、全身全力で勢いに乗る。この時の俺ではまだ、空気圧のみで、いきなり空中を走れない…!
だが、何呼吸か後には、俺は素晴らしい速さで虚空を駆け抜け、師の後を追っていた。
空を駆ける法……粒子運動制御の応用法。
俺独自の、空の飛び方。
俺はこの広い広い空で、思う存分に、己が身を跳ねさせた。
ごうごうと、風の音が聞こえる。
唸りを上げて耳元を通り抜け、乱暴に己の毛並みを撫でつけていく。それがまた心地いい。
雨が降った後なのだろうか。通り過ぎる風に濃い湿気を感じた。風が重たい。
気にせず、乱暴に足を蹴りだし、荒々しく空を切り裂いていく。
濃い緑が素晴らしい速さで、足元を流れるように通り過ぎていく。その上を疾駆する影が、矢のように後からついてきた。
葉の動きによる光の乱反射が、あたかもさざ波のようだった。
俺の巻き起こす風が、その輝きをもてあそぶ。
風と、緑と、光の乱舞…その中で己の影が、あたかも燕のように木々の上を滑る。全ての中心で、俺は気分が高揚していた。
雄たけびを上げそうになる。…俺は今、この緑の世界全てを思う様、踏みしだいて制覇している。しかしまだ、師には追いつかない。
一瞬、足元を見やる。濃い樹冠…林床の色があまり見えず、濃密に、生き生きとした緑が隙間なく配置されている。 …樹の種類も多い…。…豊かな森。そんな感想を抱きながら、その上を駆け抜ける。
ここは、辺境でも豊かな森林地帯。横手を見やれば、うねりを持った緑の起伏が、稜線の果てへと続いていた。
左手に急峻な起伏がある。切り立った岩壁が露出し、ところどころ苔むすように小さな緑をほころばせている。そこには深い渓流があるようだ。薄靄がやわらかく尖嶺にまとわりついて、ひそやかな衣のようになっていた。
思い切り脚のバネを縮め、足元の爆発とともにはじけさせる。我が身をさらに大きく躍らせる。ようやく師に追いついてきた。
――間近で眺めて思う。いつものことながら師の飛び方は静かで優雅だ。ほとんど力任せの俺とまるで違う。
師は重力制御・粒子運動制御…、慣性まで操ることが出来るから、それらの魔術の複合だろうが…、舌を巻く。これで全力ではないのだ。
全力をだし、体色が変わるまで“杖”の力をふるう事を我々は「飛翔」と呼んでいるが、そこまでいかずとも、これだけの技術を、なんの苦も無く操っている。
――師に言わせれば考えてやることではないらしい。俺とは次元の違う世界だった。




