~夢の終わりに~⑤
……薬師の極法……、薬師の水!
俺がひそかにそう呼んでいる師の技法…、あこがれてやまない技法の一つ。
解説すれば、錬金術による水と溶質の物質創生だ。
大気中水分を凝集するだけでは、こんなに早く大量の水を作れるわけがない。本当に何もないところから、いきなり水を作りだしている。さらにそれだけではない。師はこの場で溶質の組成すら、状況に応じて調整することができる。たとえばこの水の中に、抗菌薬、消毒薬、酸、塩基、糖、塩分、たんぱく質、…果ては麻酔から毒薬まで、望むものは何でも。望みどおりに濃度調整まで可能。
これぞ『薬師の極法』。目的に合った溶媒でも溶質でもなんでも思うがまま。その場で作りだし、その濃度も量も自由自在。今もその手は何もない虚空から、見えない水源でも掴み取ったかのように脈々と水を溢れさせている。その水が患部へと届き、血と泥を洗い流し始めた…。
俺は我に返る。外套の懐から鋏を取り出し、その安全鞘を払う。
「服を裂きます。もうこんなにぼろぼろだと、使い物にならないでしょうし。」
「うん。」師は短く答えた。
己自身を叱咤しながら手を動かす。…まったく、俺が見惚れていてどうする!弟子が師に遅れるわけにはいかないだろうが!
べっとりと四肢にこべりつく、衣服をはがしにかかった。処置の邪魔だからだ。もっと早く気を回すべきだった。
…寄ってくる羽虫も邪魔だ。しかしここは森の中…。
俺は粒子運動制御にて気流を操作し、虫たちを払いのける。そのあと、柔らかな風であたりを取り巻いて、彼らが寄ってこられないようにした。
手早く患部を露出させた後、鋏をおいて両手を差し出した。
「手を洗っても?」
「うん。」師が手を動かし、俺の手へと水を導いた。速やかに手を洗う。…もしかしたらこの時点で、水の組成は微妙に変えられているかもしれなかった。俺の手の消毒を目的とする組成。師はそのくらい、この技法に関して自由自在だ。
「俺がこのまま傷口を洗います。師は水を。」「うん。」短い会話。お互いすることは分かっている。
「手袋はいいか?」「欲しいですが…、今あれは二組しかありません。使ってしまうと手術用が…。」
「うん、しまったな…。仕方ない、せめて何か清潔な布を使え。手に傷はないな?後でちゃんと消毒しろよ。」「はい。」
俺はすぐに布を取り出し、傷口についた汚れを落とし始めた…。
ひとしきり、すべての傷口を洗い流す。こちらの心まで痛くなるような裂傷・咬傷があらわになった。
師も触れるだけで血流を操作できるから、患者にいま失血はない。俺が手をぬぐい、消毒している間に、次の処置が始まっている。それを認めて、俺は瞠目し、息を呑んだ。
“生命の水の譲渡……生命の糸!”
患者の前腕、肉のえぐれて裂かれた部分がみるみるうちに新しい肉にうまり、傷がふさがっていく…!
患者を片手で抱きかかえ、支えたまま、師はうつむき加減に目を伏せている。空いた片手の指先を、軽く己の額に触れていた…。おそらく霊眼で見れば、そこから細い細い糸が伸びていき、患部に繋がっているのが分かっただろう。めったやたらに使わない、師、独自の組織再生の技法である。
これができる人は師しか知らない。師、独自の回復術。
これは、生命のありようを阻害しない、それでいてどちらかというと、物質の裏側からの治療だ。完全に奥義と言ってよい技術。俺が、あこがれてあこがれて、いまだ手の届かない。そんな技法が、また一つ…。
…。
ちくしょう、こんなのばっかりだ!俺にもこれができたら…。
口をぐっと引き結んだまま、羨望のまなざしが止められない。耳が垂れる。己の才能のなさに切なくなり、泣きたくなってきた。…くそ、俺はどうして……そこで気付いて思考を留めた。転換させる。いつもの落とし穴に入ってはいけない。叱咤する。お前、今、患者の治療中だぞ!?
師の教えが耳に響く。
まだ俺にできることはあるはず、どんな時でもできることはあるはず。アホなことで思考を埋めるな!
俺は目を伏せ、眼前の光景を締め出した。先を読む。
…これで外傷は何とかなるとして…、後の感染症対策は?
おそらくだが、それはもう、傷口を洗うところから始まっている。
病原体には、特定の成分・環境下であれば生息できない、もしくは病原性が失われてしまう、という性質がある。これはあまり知られていないことだが、細菌よりも小さな病原体に当てはまることがある。
あの薬師の極法によって生みだされる水はだてではない。ただの水にしてはぬめり、匂いが違った。おそらく確実にその各種成分が盛り込まれている。その手で読み取り、感染が予測される個別の病原体に対して、それぞれの抗毒成分を導きだし…、師なら最適な溶質を盛り込めたはずだ。俺だってできるならそうしている。あれは薬師の極致、夢の魔法なのだ。どんな物質も瞬時に、無尽蔵に、経済的損失無しで、自由に使い捨てにできるほど生みだせる…。
…きっと、薬を作ったことのあるものにしか、この渇望は分からない……。
……思考を戻す。しかしそれだけでは不十分だ、体外の対策のみでは足りない。体内にもう入ってしまった分はどうする?……ひとまず、飲用の抗菌薬は準備するとして…。あと、免疫機能を高めるだけで十分か?
…………。
…個別の感染病原体が分かるなら、無毒化したそれを体内にいれ、抵抗力の発生を助長することが師にはできるはず…。…師に至ってはここまで薬師の極法を応用できる。無毒化状態の病原物質すら、その手に作ることが出来るのだ。果ては抗毒素まで作れるのだからとんでもない。だがこの辺りは難しい。いろいろな問題が出てくる。ので、師でもあまりやらない。抗毒素は抵抗力として、自分の体内で作ったものが一番だ。もともと抵抗力を持っているなら免疫機能を高めるだけでよい。…しかし、病原体の感染力によっては…。
…………。
……どちらにしろ、俺にはできない部分が多いな。そこは手出しすることではない。技を修め、知を修めた師のような人しか、踏み込めない領域だ。では次は?
そこまで考えて、俺は包帯を取り出した。先ほど使った鋏を別の布でぬぐい、消毒を始める。
「リゲル、包帯を巻いてくれ。保護目的だけでいい。」
やはり。そう来た。このくらいしか手を出せない、とは情けない限りだが、師の行動の先を読めたことは素直にうれしい。俺は口元に浮かんだ得心の笑みを、こっそりと押し隠す。
「はい。」もうその作業の準備は整っていた。
己のことは情けなさすぎる弟子としか思えないが、全ての過程を読み切ることは出来た。その点には満足する。
実はこの流れを見るのは初めてではない。傷口にはもう薄皮が張り始めている。だがその強度は弱く、保護がいるのだ。指示される前に予測できた自身をほめておく。考え方は間違ってないぞ?…俺は自分を叱咤激励し、四肢に包帯を巻き始めた…。




