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隠者の系譜《ハーミッツ・ライン》~~師匠を亡くした獣人医師は、それでも巡回医療の旅を続けます~~  作者: shin


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~夢の終わりに~③

 ――ぷっくりと膨れた血管のこぶが、文字通り手で触れるような感触で知覚できる。――師はこちらの邪魔をしないよう、おそらく同様の方法で患者の状態を把握している。


 施術に入った。


 俺は血流を把握し、誘導する。…流体・粒子運動制御法。

 俺が唯一、師に追いついた魔法の技法。

 流体…、風や水の構成粒子は、常にいつも動いている。これは、たとえ静止しているように見えても、コップに入れた水ですらそうなのだ。目に見えない細かな粒子が、ずっと動き続けている。俺はその粒子の動きの方向を、変えてやり、操ることが出来る。大きな力は必要ない。あくまで流れを変えるだけ、あくまで方向を変えるだけ。あとは勝手に風や水が動いてくれる。

 血流であれば言うに及ばず、運動エネルギーは高い。それをそのまま利用する。すなわち、血管でこぶとなった部分の血流そのものを操作する。


 すぐにこぶとなった袋がしぼんだ。血管の本流をそのままに、袋の中の血液を合流させる。しぼんでいく袋の中の血液は、わざと少しだけ残す。少しだけ残して、そのわずかな流体を使い、つぶれた袋をこちらの意のままに動かした。――流体を動かすことに修練を積めば、これくらいの芸当はできる。――つまり流体を使って血管壁を整形したわけだ。そのまま、ぺったりとつぶれた袋を、血管壁の外側へと、くるりと巻きつけた。

 よし、これで整形は済んだ。次の段階だ。


 あとは、この血管壁の外側に巻きつけた袋…、動脈瘤の部分を、この状態のまま固定してやればよい。血管壁の厚さに偏りがでていないか、そのあたりを十分に走査する。――もっとも、袋がつぶれて巻きつけた部分は重なりあって、逆にぶ厚くなるわけだから問題ない。もっとも気にすべきは袋の口の部分。そこを念入りに走査する。…よし、大丈夫だろう。

 この動脈瘤である袋の口の部分がひょうたんのようにくびれていれば、そこでねじる、という方法もつかえそうだが…、あいにくとこの症例の場合は袋の口が大きく、広い。そのため、血管の外側に巻きつける対処をとる。

 ただこの血管の外側に巻き付けるやり方の方が、余った皮をつぶして外に巻きつける、というだけなので、うまく整形しさえすれば、どんな口の広い症例でも対応できるのではないか、と、俺は踏んでいる。


 …ちなみに、この発想を出したのは俺だ。こういう症例に対しどうするか、師とあーだこーだと話していた時に思いついた。


 だが、この後がいけなかった。俺はこの後、最初、血流を停滞させ、血塊とし、それを固定材として癒着、袋の部分を血管壁の一部として同質化させていけばいいのではないかと考えていた。

 だが、師はその発想の上を行った。一言、「そんなもの焼いてしまえ」、と。

 血の塊を生じさせるとそれが流された場合、血栓症の危険がある。下手すりゃ脳梗塞だ。そんなことより焼きつぶし、血管壁同士を癒着させてしまう方が短時間で処置もすむぞ。どうだ?と。

 ――なるほど。納得はした。さすがは師だ。しかし焼くとなると――。


 多少、いくつかの疑問点も残ったが、話すうちに解決した。大まかな道筋は出来た。

 ここまで来ると、後はそれをなすための技術の鍛錬である。そうして鍛錬が始まった。


 最初の大前提として、診断技術…体の構造を透視して、その構造を正確に描写する技術がいる。これはすでに及第点…、というところまで来ていた。師ほどにはなっていないが。

 次に、血流の制御技術。これもまた及第点。――大体、この唯一の技術一つで、どこまでできるかというのが命題だ。これが及第点でなければ論旨が成り立たない。そもそもの大前提。もっとこれより細かい作業をこの技術一つでやることもあるわけで、このくらいの整形なら簡単。やっぱりすぐにできる程度の事だった。

 最後に、接する血管壁同士を焼きつぶし癒着させる技術。――ここに、幾分かの課題があり、鍛錬が必要だった。

 元となる技術はすでにあった。やはりこれもまた、粒子運動制御法の応用である。

 熱エネルギーとは、熱運動。つまりそれを構成する分子や粒子の運動である。

 運動の方向性を操れるのだから、応用すれば…、その振動・運動……つまりは熱の制御も可能だった。――すなわち、粒子同士をわざとぶつける方向に制御してやればいい。さらに、俺は魔法使いとしてある程度、意志の力をその方向性に上乗せすることが出来る。つまり、運動速度をある程度加速させることもできるのだ。

 …これを簡単に要約すると、俺は『熱も操れる』、ということだ。熱したり冷やしたり、というのがもともと、あるていど自在なのである。

 

 ちなみにこれは、人の高次機能の調整や、内分泌系の調整にも応用されている。

 すなわち、特定の作用点を温めれば――その部分の働きは活発になるし、冷やせば――その働きは緩慢になる。作用点とはすなわち、内分泌系や脳の回路などである。

 もっと単純に、意志――想い・想念をある作用点に正確にぶつけることでも、人の体は反応するのだが、それに反応しない場合、完全に物質的な調整が必要な時は、この手法がとれる。つまり、極小の部分部分を温めたり、冷やしたり、で対応する。電子的に動かしたりもする。――ここではごく簡単に今のように述べているが、この作業は実際にやると、むちゃくちゃ大変で、とんでもないことである。こちらのアタマの血管が切れそうになるくらいの細かい作業。これに比べれば血管壁の整形など造作もない。そうとしか感じなかった。


 つまりだ。俺はこの施術を確立するに、その熱制御を修練するだけでよかったのだ。

 すなわち限定される局所において、火傷を起こさせるくらいの高温にまで熱を高める。できれば血栓を生じさせない、血管壁に限局される局所での焼灼。この練習がしばらく必要だった。

 見えない内部構造の一点、内側の一部分だけを局所的に焼く。範囲が大きすぎても、小さすぎてもいけない。血管壁を破るような熱量でもダメ。最初は豆などの植物で、種子の皮だけ、もしくは皮越しに実を焼く練習から始まった。次に、時折購入する、食糧用の肉が練習台となっていく…。

 

 さて、血管壁の整形までは済んだわけだから、後は焼くだけ。その技術も、師に言わせれば合格点、ということなのだろう。


 俺は一つ深呼吸をした。緊張する。生体を焼く、というのは初めてだ。生体でも練習をしてみたかったが…、師はそういうことをひどく嫌う。かくいう俺もそんなことはいやだった。何の必要もないのに、練習のためだけに、生き物の体の中を焼くなんて…。


 だから実際これをやる時は、本当に必要な時で、ぶっつけ本番になるだろうな、とは思っていた。そのためにかなり鍛錬した。そして覚悟はしていた。が――、まさか初めて当たる症例が、脳底動脈瘤とは。


 ――だが、これは必要だ。もうこの動脈瘤はいつ破れてもおかしくないし――、破れれば、おそらくこの人は助からない。破れた時は、解剖学と医学に造詣の深い、回復術の使い手しか癒せないだろう。もしくは意味や事象まで操り、事実をもとから『なかったこと』に出来てしまうレベルの大魔法使いだ。ただのぺーぺー魔法使いでは歯が立たない。

 しかも、大魔法使いだったとしても、脳障害が出始める前まででないと難しいだろう。起こった事象の影響が大きいほど、事象の書き換えは難しい。脳細胞が死んでしまうと…、細胞レベルで蘇生が必要になる。たとえその蘇生かなったとしても、精緻な組み合わせでできている人格や記憶、生体機能は損なわれる。

 …つまりはこれは、破裂したら、この世界の誰にも癒しがたい。寿命と言われる類の症例だ。

 この人には家族がいるのに、もうすぐ、結婚して子供を持った、息子の家庭を見届けることができるのに。


 今から扱う熱とは反対方向に、心が冷えていく。おのれが今、やろうとしていることを、自覚する。

 その冷たさを心の中で感じながらも、作業は淡々と進んでいる。


 患部に意識を集中、脳裏に病巣を精緻に描く。手順を確認する。必要な部位の流体を完全掌握するまで、もう少し…。


 …いつのまにか周りから音が消えていた。


 目の端の光景から、色が薄れ、光が薄れ、いつしか、その影も、消え失せる。目に見えないベールで周りが閉ざされたかのように、…ふっ…、と、真っ白な世界が…、…静かに、訪れる…。


 …時折、こういうことがある。


 だが、これらのほとんどは、後から思い出して気づくことだ。この時はそれに気づいてもいない。自覚できない。

 音も光も、確かにあったはずなのに、でも覚えていない。この時は気付かず、忘れ切っている。後から思い出しても、何も覚えていないこと――真っ白な世界にいたことを、思い出す。



 これは、人によっては、『極限の集中力の世界』、と呼んでいる人がいるらしい。



 病巣が脳裏に明確になり、すべき手順・来るべき結果が鮮やかになっていく。もう来るべき結果へ、じかに手が届きそうなくらいだ。いつの間にか俺は、己と、患者と、師と、それしかいない真っ白な世界にたたずんでいて、幾分か冷たい不安を胸に抱きながら、ひそやかに息をしていた。


 …他に何もない。真っ白い世界。


 自分と二人の息遣いを感じる。手の先に生体のぬくもり。そして己のぬくもり。だがそれと違い、心はとても、冷えている。手にある熱とは反対に、内側には凍り付くような寒気がある。冷たい闇みたいだ。俺は知らずに息を呑む。


 師を見た。師が、静かにこちらを見つめている。そしてかすかに頷く。

 

 “大丈夫だ。わしがいる。”


 触れてもいないのに声が聞こえた。……???…呆然とする。


 …そう、この世界では…、時折、こういうことがある。

 不思議だ。

 なぜか声を聴いたという確信がある。思い込みだとはとても思えない。不思議なものだ。


 呆気にとられた。そしてその一瞬で、全て何もかも忘れてしまった。

 口を開けたほんのわずかな時、今までの過程が一瞬、すべて消えてしまう。…その後、自然と笑みが漏れてきた。


 納得する。


 そうなのだ。


 極限の集中力の世界の中で。

 お互いと、患者しかいない。真っ白な世界の中で。

 涼やかさと静謐に満たされた、この世界の中で。

 一つの同じ目的へと向かい、俺たちはともに、同じ空を飛んでいる。


 いまはもう、疑うことは何一つなかった。恐れや不安など、微塵もなかった。

 静かな満足と、かすかな喜びが胸にじんわりと湧き上がっている。胸の中の冷風すら、温かみを帯びた涼風へと変わり、誘うように俺たちをけしかけている。…先へ進め…!…行け!駆けていけ!と。目的地はもうすぐそこだ。


 …笑うことで力が抜けた。いい感じだった。そのまま施行する。

 

 瞬間。息をするように自然だった。魔法がすべからく発動する。


 指定した限局領域、血管の袋がぺったりと張り付いた部分に、あらゆる力・あらゆる粒子が収束するよう動きを絞る…、意志を連ねて…叩きつける!

 太陽の爆発があたかも逆戻りになるように、一瞬で力が収束し、見えない所で燃え上がった!

 

 …………。


 …さて、どうだ?

 施術部を精査する。


 …うまく焼き付けられて、癒着しているようだ。発生した熱量により、他の組織は傷つけられていない。血管壁の接地面だけにうまく限定できている。もともと下には血流がある。多少の熱量はそれで奪われていくはず…。

 極限にまで精神集中したことで、癒着した血管壁の極小組織までよく見える。手に取るようだ。

 勢いに任せ、その部分の結合組織をゆるく撹拌する。わずかにぐちゃぐちゃで、流体となった今だからこそできる操作だ。これで癒着部分の一体化をさらに強める…。

 “そこまでするなら膠原繊維と弾性繊維の架橋をそろえろ、口の所で内膜をつなげ、できるだろ?”

 師の声が聞こえた。うん、確かに。…やってみたらできた。これでかなり結合は強くなったはずだ。

 

「……ふむ?いいようだの。」


 師の肉声が耳に入った。急速に音が戻ってきた。色も光も。

 見上げると、師が笑っている。

 何かがこぼれるような、暖かいような…、…いたずら好きの、悪ガキのようにもみえる、生き生きとした笑みだった。


 「ほら、出来たじゃんか。」

 「…はい!」


 俺は短く答え、いつのまにか師と全く同じように笑い返していた。


 この先この技術が、どれだけ己の対応症例を広げるか、この時まだ、俺は気付いてもいなかった。



注釈

ここで出てくる「極限の集中力の世界」は

「ダンドー」ってマンガや、「三月のライオン」というマンガにも、出てくると思います。

作者も、こういう世界、たぶんあると思うんですよね。作者の経験も加味して書きました。

でも僕がそれを垣間見た気がする経験は、本職ではなく、小説を書いているときでもなく、もっと別の経験でした。僕の場合は記憶の中にしかない、静かな世界でした。

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