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隠者の系譜《ハーミッツ・ライン》~~師匠を亡くした獣人医師は、それでも巡回医療の旅を続けます~~  作者: shin


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~始祖の天啓~⑤

 精神医学においても、因と果の法則を用いることが出来る。

 おのれの精神構造の分析のため、師は己の過去を、余すことなく俺にさらけ出して見せた。

 師が何を後ろめたく思っているのか、何が原因となっているのか、必ずしも希望と喜びだけが起因ではない旅について、己の罪へと言及し始めた時だった。


 もうやめて下さいと、俺は師の言葉を遮った


 師は聞いていなかった。師の集中力は尋常ではない。常軌を逸していると言っていい。これが百年以上の年月で培われたものなのか、もともとあったものなのか、俺には分からない。だが――これこそ俺が、師を天才だと思う一因だ。


 この時も、一つのことに集中している顔をしていた。――だが、涙はないが、泣いている顔だった。俺には分かる。


 感情を殺し、無表情で、回想をどううまく言葉にして伝えるか、そのことだけに集中している。おそらく師の頭の中には、もう結論くらいまでの文章がきっちりと出来上がっている。頭の中のそれを、一言一句違えずに読み上げることだけに集中している。師がよくやる手だった。


 俺は師の顔を両手で挟み込んだ。触れてしまえば師にも危険が及ぶ。分かっていて、手を触れた。強く言う、もうほとんど怒っていた。もう、止めてくれ。

 はたして師が一瞬、呆けた顔をして俺を見た。言葉を止める。我に返ったようだ。目をしばたたかせる。ほんの一呼吸で事態を洞察、把握した。師の頭の回転は速かった。自分の感情がよくわかっていない俺よりも。


「すまん、わしはお前が怒りを覚え出すほど、己を卑下して話しておったか?」


 よくわかりません、と俺が言う。


「ああ、すまん、泣かないでくれ。わしは今、お前が思うほど、つらくはないんだ。」


 誰のせいだと思っているんだ。


「うん。いつもお前が代わりに泣いてくれるから、わしはとても助かっている…。でも、わしのせいで、お前はすっかり泣き虫になってしまったな。」

 

 これは文字通りの本当の話で、冗談抜きで困った話なのだった。

 俺は小さい頃からよく泣いたので――、脳の回路がそういう風にできてしまい、器質的にそうなってしまっているのだ。これには理由がある。俺の涙腺はゆるゆるで、今ではリョータまで認める、泣き虫の王様である。

 その時の俺は、あわてて涙を拭う。――でも、そう、本当にこれでいいのだ、と思っていた。

 俺が泣けば、師が落ち着く。俺の世話をしなければならなくなるから。悲しみよりもそちらの方にすさまじい集中力が使われるのだ。すなわち、これで師は本当に他の全てを忘れてしまう。そして立ち直る。

 小さなころから何度も何度も、際限なくこれを繰り返して…、俺の頭の中には泣き虫回路が出来たのだと思う。でも師のためだ。不服なんて持てない。もうその時の俺はそれなりに成長していたから、涙を拭いてやったりするよりは、何もしない方がいいと考え付いてくれたんだろう。師はじっと待っていてくれていた。いつもの穏やかな顔だった。ありがとう、と、小さな声だけがぼそりと聞こえていた。



 師は、優しい人だった。

 師は、無邪気で、子供のような人だった。

 どこかネジのはずれた天才で、気の小ささは折り紙つきで、不器用で、人の世の暮らしにはまったくそぐわない、小柄な白熊の獣人だった。

 その性質の果てに、人を恐れざるを得なくなり、孤独になって、どうしようもないくらい、俺に依存した。

 師の俺に対する依存ぶり、過保護っぷりは、抑えようとしても抑えられない、どうしようもない帰結だったのだろう。俺も心の学問を学ぶにつれ、その流れを理解した。だが、俺はそれを無視した。依存症?それが何だというのだ。身寄りのない俺を打ち捨てて、師は一人で生きていくこともできた。師に拾ってもらったこの命。たかだか理屈だけで捻じ曲げられてたまるもんか、と俺は怒っていた。理屈なんぞどうでもいい!


 成長し、俺の体が大きくなるにつれて、よく師は俺に甘えてきたが、俺はそれを聞くのが義務だと思っていた。しかし、義務というよりは――。俺は、師のわがままを聞くのが楽しかった。俺にとっては、本当に大切な家族の一人だったから。たった一人しかいない、本当の俺の家族だったから。師が俺によく荷が重い、とか、肩凝ったとか言ってくることは――、俺にとって、家族の証明だったのだ。――口では不平を言うことがあっても――、掛け値なしに、うれしかったのだ。


 それを知ってか、師のわがままやいたずらは、時に激化することがよくあった。調子に乗りすぎ・ふざけ過ぎ、いろいろあったが、それはまた別の話だ。だが、師は俺が本当に困るわがままを言ったことがない。いつも俺のことを思ってくれていた。自分が依存気味だということも、とうに気づいていて、俺の意志選択を、いつも尊重するよう心がけてくれていた。

 

 それに、もう、今ならよくわかる。

 俺も師も似た者同士で、俺も師に依存していた。もう今なら認めることが出来る。

 もう師にわがままを言ってもらえないのは、さみしかった。思いおこすとぽっかりと今でも心に穴が開いたような気分になる。心のどこかで、それが満足になっていた。結局は、共依存だったのだろうか…。



 …共依存。その場合、あまりよくない、歪んだ満足や欲求になってしまい、あまり健全だとは言えなくなる。俺は、そんな世話のかかる師がいなければ、生きていけない人間となるからだ。


 

 …………。


 …思って、反駁する。ありえない。では俺が自分の人生を犠牲にし、苦しみや悲嘆の中で、あえて暗い自己満足に浸っていたというのか?

 心の底から、強い強い光が湧き上がってきて、それを完全否定し、闇をどこかへ押しやった。

 そんなわけがあるか。師と歩くことは、むちゃくちゃ楽しかったのだ。

 毎日がすることでいっぱいで、毎日が話すことでいっぱいで、他に何もいらないんじゃないか、というくらい、満ち足りていた。――だって、会話そのものが、ほとんどいつも、最善を希求するものだったから。

 会話の主題は、旅の道程計画、患者の治療方針や計画について、我々の医学、技術、科学、魔術について。果ては下世話な下ネタまで、際限がなかった。

 特に、対応する患者に対し、何が最善か、どうすれば患者にとっても我々にとっても、最良の結果をつかめるか…。それを二人で議論していくのは、もう何もかも忘れるほどだった。

 一個人一個人の治療は、師ですら最善の答えを瞬時に出せないほど、本来は難しいものなのだ。

 勝手に体だけをこちらの手でいじくって完全にしてしまう、という師の初期の治療は、考えるべきそれらを一切無視していた、ということである。それも師個人の勝手な都合で。

 患者はいずれ、己自身の足で立ち、己自身の力で、己の人生を見出さねばならない。本質を見誤れば、いずれお互いに痛い目を見る…。それこそ因と果の法則。師のかつて犯した過ちを、繰り返すわけにはいかなかった。


 そしてさらに、魔法について――。師の魔法は師の魔法。俺の魔法は俺の魔法だった。師を追う俺の魔法技術は、才が足りない以上、どうしても師の魔法が劣化したものになる。

 だが俺は教わった。すべては応用だと。一つを万象に応用する。

 ――俺が唯一、師に追いついたのは、流体・粒子運動制御法のみ。

 ならば俺はそれを最大限利用することを考えた。人は結局、今、己の手にあるものを利用していくしかないのだ。

 他の技術の習得も望んで行うが、それを待っているヒマがない。患者は時を待たずに現れる。師が疲弊する。師を守るものがどこにもいない。今その手が必要なのに。俺は何をやっている?

 切迫感に背中を押されるように、俺は考えに考え抜いた。その果てに、俺は“己の一つ”で独自の技術を確立するようになっていく。

 驚いたことに、それに師が、ムチャクチャ面白がってついてきた。

 俺のたった一つを、どのように医術に応用するか、で、議論するのだ。あーでもない、こーでもない、と。

 ……何も師は、俺の制限された世界に付き合う必要はなかったのに……。

 ただ、俺の技術は師の劣化版だから、俺ができることは、師には当然のことのようにできた。編み出していった最良と思われるものは、師すら採用して使う、特殊な技法となっていく。

 二人で議論し、検討し、体系化することによって――俺独自の医術と魔法・医療技術が出来上がっていった。――あとで気が付いた。これもまさしく創造だった。しかも、師の源流をまったくはみ出さない、本当の魔法の一つだった…。


 楽しかった記憶―――、俺の中の光と、目の前の宴の光が、いつの間にか対等に並んでいた。


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