~始祖の天啓~④
ここからが、師の本当の苦難の旅の始まりとなった。
師は無感動に淡々と述べたが、長らく師と暮らした俺には、それがどういうことか、わかりすぎるほどに分かっていた。
師は、まず己の生命の書を閉じた。
人に戻らねばならなかった。
愚かなことを信じ切っていたとはいえ、バケモノにもならず、人でいられたことは僥倖だ。無邪気とはこういうことを言うのかもしれないと、苦々しく思ったそうだ。淡々とした静けさで話が続いていく。
言うなれば、師はその百年を超える年月、誰も読む者のいない本になってしまった。人ではなく本だ。本の知識は理解され、応用されなければ…、生きているとはいえない。それが人のわざなのだ。贖罪の機会が残されたのはまさしく世界の慈悲だった。師は深く、世界とそれを構成する一つの法則に感謝した。
おのれにはまだ未来が残されている。人に戻らなければならない。そうでないと、慈悲深い世界に合わせる顔がない。己にはまだ、人として死ぬ余地が残されている…。
残された年月、師の贖罪の旅がはじまった。己という本を読み、応用する旅だ。己を人に留めてくれた世界に感謝するため、何か世界に貢献することがしたかった。結局は一番、身近な道で、人の世界に貢献することにした。己の始まりであった医者として。
そうして、師はこの辺境の巡回医師となった。
師は医師としての職務を全うするため、まず、おのれの感覚をいくつか封じた。視力を制限するため、人前では必ず封印のこもった眼鏡をかけた。知識と技術に関しては申し分ない。著作を記す中で、もうそれなりの体系がすでに出来上がっている。診断に置いては、手に入れた感覚器官が十二分に使えることが分かっていた。すなわちその手で触れることだ。
…だが、すぐに師は壁にぶち当たる。
触れるだけで、体の状態だけでなく、思い、善意に悪意、現在、過去、未来、押し隠した罪、すべての因、そしてこれから来る果…、患者の全てが、ありとあらゆることが分かってしまう。一人触れるたびに、一人の人間の全てが、『文字通りの全て』が、師の中を通り抜けた。
持ち前の集中力で、医師としての仮面だけは保ちながら、師は初め、三人を診ただけでその場から逃げ出した。
逃げ出して、誰もいない所で涙混じりに嘔吐し、胃液に血が混じるまで吐いた。腹を下し、体の中から食べ物という食べ物をすべて押し出した。それでも止まらず、水分だけを三日三晩戻し続けた。自分でもどうしようもできなかった。
そんなことを何度も繰り返しながらも、師は診察をやめなかった。
嘔吐と下痢を繰り返しながら、少しずつ要領をつかみ、診察できる人数を増やしていった。
こと、知識と技量に関しては、師の右に出るものを、俺は知らない。
師に至っては診察で一瞬、どんな治療も一瞬。それだけで済ませる技量があった。師は患者の体を、文字通り、最善の状態にすぐに作り変えてしまえるのだ。それも一瞬で。だが師は、初期に行っていたこの治療を、心の底から恥じていた。癒し手としては落第以下。罪に問われかねない、患者が堕落しかねない醜悪な邪道だと。患者に接する時間を短くするため仕方なかったが…、苦しかった、と。
…もし、師がいつでもできたこの治療を、最善のものだとする人がいるのなら…、医術に置いて師とは思想が合わないだろう。
そういった意味では、師の医術は巡回を重ねるにつれどんどん劣化していった。見ていれば幻滅したことしきりだったはずだ。…たぶん、一番劇的な変化――劣化は、俺と出会った時から始まっている。そこから師の手記も復帰していたから、今の俺には、それが分かる。
それはさておき、師の医学理念は、人の目だけではわかりにくいところが確かにあった。魂と精神、病の真因まで、覗くものであったから。
魔法使いとして、耳も眼も半人前以下の俺はあくまで物質的な面からの医術を叩き込まれている。俺はそれでいいのだそうだ。誰しも己の手にあるもので、おのれの最善を尽くすのが本来のあり方。俺は道を示され、今でもその理念を学んでいる。
そんな師だったから…、もう分かるだろう。医師の仮面を脱いだ時、師はいつも不安定で――、完全な対人恐怖症だった。医師としてふるまわないでいい時は、まともに人と眼も合わせられず、会話もかろうじてしかできなかった。
実は、目と目を合わせて会話できていたのは、俺だけだ。だから、宿屋の主人や店の番頭と、師の間に立って話をするのが、物心ついたときから俺の役目になっていた。本当にいつからだったのかすら覚えていない。
師の人に対する恐怖はそれほど根強く、大樹の根のように深く絡みついていた。それは血糊と言っても良かったのかもしれない。ぬぐってもぬぐってもなかなか落ちない、人の生きている証。衣服についたそれですら、ぬぐうのが大変なのだ。師はそれを洗い清める法を覚えるまで、いかほどの努力を要したのだろうか…。人の心も己の心も、制御するには難しい時がある…。
考えてもみよう。百年以上誰とも話さず、一人ぼっちでいた人間が、外に出てきて人に接するだけで、そんな仕打ちを受けることになる。恐れない方がどうかしている。師のその性質は、無理のない帰結だったのだ。
それでも師は、おのれが“贖罪”という旅をやめなかった。
師には持ち前の集中力があったから、一つのことに――診察と治療に集中してさえいれば、他の全てのことを忘れていられた。医師の仮面をかぶることが出来た。師は生涯、診察の時、その仮面を脱ぐことはなかった。
俺と出会ってから、師の負担は随分と減ることになるが、それは別の話。
俺は、師のあの後姿を知っている。
誰もいない深い森の暗がりで、身もだえし、痙攣しながら血の混じった胃液を吐き戻し、柔らかい腐葉土に倒れこんで顔を半ばうずめ、息も絶え絶えに身を震わせ、掠れる声で嗚咽していた――その様を。
――他人に心を刺されると、こうなる。今の俺は、もう、その原因と理屈も知っている。
俺と出会う前のその姿を、俺が知るはずはないのだが、触れてしまえば我々の手は人の記憶まで垣間見てしまう。実際に見た覚えはなくても、俺はその強烈な印象をどこかで垣間見てしまったのだろう。忘れらない姿だった。
そんな友の後姿を知っている俺が、おのずからこの医療巡回をやめるわけにはいかない。別の道もあっただろうに、師はほんとうに、不器用な人だったのだ。それでも師は最後まで歩きとおした。俺もそれに倣う義務があると思っていた。友として。隣に立つために。同じ境地を見るために。




