~知られざる苦悩~⑤
翌朝、目を覚まし身を起こすと、寝相悪く俺に引っかかっていたリョータがごろりと落ちた。
――ベッドからは落ちなかったが…、よっぽどいい眠りなのだろう。まったく起きる気配を示さなかった。
ぼんやりとしたアタマで、俺は考える。
…あれ?何で俺、リョータと一緒に寝てるんだ?
確か昨日は、別々にベッドを取ったはず…。一人で眠る、ということも覚えていかないといけない。…あれ?
………なんだか妙に頭が重い……。
回らない思考に目を伏せて、こめかみを押さえる。
なんでこんなに頭がイタい?…昨日、なんかしたっけ……?
しばらくそうしていて……。
思い出していく昨晩の記憶に……。
顔が真っ青になった。
オイ待て青くなっているどころではない急がねば!
俺は弾かれたようにがばっと顔を上げ、ベッドから跳ね跳んだ。窓の扉を開けるのももどかしく、体当たりでそれをはね飛ばして外の通りへ踊り出る。
背後で窓枠の揺れる乾いた木の音と、リョータの寝ぼけた「ほげ?」という間抜けな声が聞こえた。
着地して一瞬で状況と、地理を確認する。すぐにひと足で隣家の屋根へ飛びあがる。俺の跳躍力と、森の木々を踏破する技術は並ではない。教え子のリョータなど猿やムササビよりも芸達者だ。跳び上がった勢いを殺さず、階段の一段飛ばしならぬ家の一軒飛ばしで、全速力でクィードの家へと跳躍疾走する。
夜明けを歌う鳥たちの声が、逃げ惑うけたたましい羽音に変化した。
窓を開けて大あくびをする壮年の男性が、つぶてのように疾駆する俺の影をとらえ、口をあけたまま呆然と振り返った。
ほんの数呼吸でクィードの家までたどり着き、ずざざざと、土煙を上げながら急停止する。その閉ざされた戸をやかましく叩いた。
ドンドンドン!
「すいませんすいません!二人とも、大丈夫ですか!!?」
数度、呼びかけるが、全く応答がない。扉は固く、閉ざされている。
心がすっと冷たくなるのを感じた。おい、ちょっと、まさか……
―――――夫婦二人で腹上死?
韻を踏んだ愉快な文言が、ふと脳裏に浮かんだ。
笑えるが笑うどころではなかった。顔がこわばり、冷や汗をかく。
「ちょっとちょっとちょっと!二人とも返事をしてください!!」
ドンドンドン!とさらに扉を叩く。しかし全く応答がない。自分の顔から血の気が引いていく。
いやいやいやいや、待て待て自分。腹上死なんて、労作性狭心症もちの「金持ち色ボケ爺ちゃん」くらいしかないんじゃないか?!あの二人はまだぜんぜん若い!精力あり余ってるから、そんなことはないだろう……。
一人でそう考え、一人でそう納得する。ほっと胸をなでおろした。なんだ、大丈夫か。
……いやでも、待て。二人とも止まらなくなって、行くとこまでいっちゃったりなんかしちゃったら?
再び、俺の顔がぴしりとひきつって硬直した。
疲労による免疫力低下、こすれた粘膜のキズに伴って、生じうる感染症の名前が、ずらずらと音もなく頭の中に並んでは消えていく。
変な方向に走って、外傷・裂傷多数による失血ショックとか、直腸粘膜からの敗血症とかなっちゃったらもうサイアクだ!うわーもうどうしてくれる?!
俺はアタマの中までひきつった。
「ちょっと!二人とも!生きてますか?!!」
さらにけたたましく扉を叩く。もう蝶番が壊れんばかりの勢いだった。
……………しかし、
…………返事が…………
ない。
俺の冷静さは霧散した。――いや、すでに冷静さとかなかったと思うけど。
……………ふ、ふたりとも……イッてしまったのか……??
合理的な思考とかよくわからないものは完全にどこかへ蹴っ飛ばして、俺はしばらく沈黙した。目を伏せる。
――そして決断した。顔を上げる。
「よし、とりあえず蹴破ろう。」
何がとりあえずなのか分明ではないが、ツッコむものはどこにもいない。俺は扉に向かい、腰を落とし、身構える。気息を整えた
一撃で蹴破る。容赦はしない。扉など後で直せば済むことだ。
訓練され、鍛え抜かれた四肢が踊るように滑らかに動く。全体重・全筋力を一点に集約・爆発させる。俺は裂帛の呼気とともに、渾身の一撃を蹴りだした!
「……先生、どうした?」
「っ!?だ―――――っ!!!!」
突然クィードが応答をよこし、扉をわずかに開く。俺は蹴りが当たる寸前、よくわからない叫びとともに、あわてて脚の軌道を修正した。扉ごとクィードを蹴飛ばしてしまわないよう、ぎりぎりのぎりぎりで力を逸らして…。結局、勢いをうまく殺せず、俺はその場で独楽のようにぐるぐると回ってしまった。
扉の隙間から、呆れたようにクィードが俺の様子を眺めている。
「何してんの?大道芸?」
「ちがいます!!」
全力で否定しながら、転んだ地面から起き上がる。すぐに扉に駆け寄った。
「クィードさん!良かった!まだ生きてましたか!」
「……あ??」
「俺、昨日とんだことをしてしまって…!下手したら、二人とも命があぶないんですよ!」
「なんで?」
「なんでって。あー、もう!分かりませんか??!!」
俺はもう頭を抱えた。そのままかきむしりたい気分だった。実際かきむしったけど。
扉の隙間からでも分かる。半裸のままのクィード。腰に布を巻きつけているだけの格好だ。行為後の独特な匂いが鼻につく。そんな男は、すこしぼんやりとした表情のまま、こんなことを言ってきた。
「…なぁ先生、話は後でいいか?まだちょっと、カミさんと取り込み中なんだ。」
「だ――――――っ!!も―――っ、ダメです!!一晩中でしょ?!ここで打ち止めです!」
俺は有無を言わさず、扉の隙間から手を入れてクィードの指先に触れた。そこから体機能を操作する。
「うぇ?」
へんてこな声を上げながらクィードの膝がかくんと折れた。そのまま意識を昏倒させる。
さらに、ここから扉をあけ放ち、素早く中に入って一瞬で閉める。中の光景は大体想像がついている…。ほんの数瞬で決める!一呼吸もかからせない!!
一瞬で自らの肉体・全筋力の制限機能を解除する。
最大筋力で最大速度!さらに大気の粒子運動を清流化!空気抵抗を最小化して、前から引っ張りうしろから押し出す!それで移動方向へと最大加速!
一陣の風よりも速く居間を横切り寝室へ!
暗殺者も真っ青な動きでホルンさんの背後を取った!
羞恥を思考として形にもさせない。即座に首筋に触れて昏倒させた。
…俺は目の焦点を合わせないまま、上を向いて彼女の体を支え、手さぐりで寝具を探り当て、その体にかけてやった。
………一瞬だが、何もかもをあらわにして、あけっぴろげに、とろけた顔をする彼女の痴態が目に入った。
あたりに妙に生臭く、それでいてひそやかに、脳を焼く柔らかい香りが漂っている。…彼女からだ。腕の中に生々しい火照った体があった。
「………っだ~~~~……!」
俺はがっくりと頭を垂れ、脱力した。とんでもないことをしてしまった。もうへたり込んで泣きたい気分だった。すでに半泣きではあったけど。
……この後の処置も、大変だった。
取り急ぎ、二人の体機能を正常化し、眠らせておく。そのまま汚れて匂いを放つ二人の体を清拭した。患者で慣れてはいるが、知り合いにこうしたことをするのは、かなりとまどった。
汚れたシーツを取り換え、汚れた衣服と手拭いを水桶に漬ける。二人をベッドに戻し、並んで寝かせた。今は二人で引っ付いていれば、それはそれは幸せな夢が見られるだろうから。とりあえず裸のまま、寝具をかけておく。昼ごろまでには体機能も正常化し、活力も戻っているだろう。
汚れ物を浸けた桶を外にだし、子供たちを起こした。子らに朝食を食べさせないとならない。不審がる二人の子供を何とかごまかし、外に連れだす。迎えに行ったリョータはまだ寝こけていた。今日はお寝坊さんで助かった。
四人で定食屋に行く。この面子で食事というのもめったにないことなので、子供たちは興奮していた。そのままお小遣いをやって三人で遊びに行かせる。俺は家に戻った。
戻って汚れ物を洗い、干した。窓を開け放ち、まだ残っている独特な、生臭いような匂いを換気する…。
昨晩の食事の後片付けをするうちに、起きた二人へと、もう平謝りに謝った。
半泣きで謝るような失敗を、久方ぶりにしでかした。
この時思った……酒は、ひかえよう…。




