~知られざる苦悩~②
「よっ!センセ!飲んでっかぁ?!」
「うわわっ!!」
俺はいきなり肩を叩かれ、驚いて声を上げてしまった。完全に一人の時の思考状態だった。振り向くと、そこにはよく見知った顔がある。
「クィードさん、驚かさないでくださいよ…。」
「クィード“さん”はいらねっての!なかなか直んねぇな~それ。センセ。町に来るたびに戻ってんぞ?」
「あ~~~、すいません、つい習慣で。」
「謝らなくてもいーって!酒が足りてねぇんじゃねぇの?どーだ、飲んでる~??」
俺の肩から首に手をかけて、遠慮なく絡んできた。俺の方がちょっと身長が高いので、頭をぐいぐいと引き下ろされる格好になる。酒臭い息が鼻についた。この友人は大分出来上がっているようだ。
「大分飲んでますね…、酒はほどほどにしましょうね、ってこの間、言ったばかりですよ?」
「おおっと、固いことは言いっこなしだぜ?先生にゃあかなわねぇ。」
手を挙げ、おどけたしぐさをして見せる。まったく懲りていないようだ。――もっとも、そこまで肝臓に障害は出ていないので、いちいち苦言を呈する必要はないのだが。言っておく理由は別にある。
「あ!先生全然飲んでねーな?!なんだよ~、せっかくの打ち上げなんだから、飲めよ~、のめのめ~!!」
陽気に言って、自分の杯から飲みかけの酒をだばだばと俺の杯に注いでくる。俺の杯はすでにあふれてるんだけど…いや、完全に出来上がっているだろ、コレ!
「だからそんなに勧めないでくださいよ!」
辟易して自分の杯を引っ込める。こうやって、やたら俺に酒を勧めてくるからこそ、苦言の一つも言っておく必要があるのだった。
「え~~、いただけね~なぁ、けちけちすんなよなぁ~。」
赤ら顔で管を巻いてくる。困った話だが、悪い気はしなかった。右も左もほとんど知らない顔ばかりで、知った顔を見るのは、ひどく安心する。
クィードは一度事故で死にかけたことのある俺の元患者で、今は完治してこんな状態だ。最初は命の恩人として、かなり礼儀に気を使っていたようだが…、打ち解けるとそんなよそよそしさもどこかへ消え去ってしまった。もともとが気さくな人物であるようだし、俺としては有難い。それに気さくとは言ってもずぼらと言うわけではなく、要所ではとても気を使ってくれていると、思っている。例えば今、この時みたいに。
話していると、芯のある男なのではないかな、と思う。細い目が人懐っこい笑いを作る、俺にとっては信頼できる相手だ。この気さくさは息子にも受け継がれていて、それがリョータとのつながりとなった。息子のクォンは、リョータの同年代の親友である。
…ま、どうほめたり言いつくろっても、今はただの酔っぱらいだ。
そんな酔っぱらいの相手をしていたら、突然横合いから声をかけられた。
「そうかぁ、あんたがリョータの父ちゃんか。毛色は似なかったんだな。」
いきなりだったのでむちゃくちゃ驚いた俺だが、一応答えることはできた。
「…へっ!?…あっ、えと、リョータは養い子になるので、俺と血のつながりがないんです!」
「…へー、同じ犬の頭してるのに?」
…俺の方は狼なのだが…、まぁ、別に犬とみられても文句はなかった。特にこだわらなくてもいいことだ。
「はい。」と、短く返事をしておいた。リョータの体は枯れ草色の体毛で、頭の真ん中に金髪の頭髪がある。同じ獣人と言ってもそう似ていないのだが…。見慣れていないと、こんなもんか。苦笑する。
「でも、中身はそっくりなんだぜ~、この二人。」再びクィードが絡んでくる。
「それは私も思った。なんか空気がにてるよね。」
別の知らない女の人も、いきなり会話に加わってきた。俺は背中に汗をかきはじめ、緊張する。だんだん自分の対人能力の限界に近づき始めた。
「ね、ね、どう育てたら、あんな子になるの?」
「あ、あんな子?」
「あ、悪い意味じゃないよ?くるくるくるくる、よく働いてさ~、気がきく子だってこと。」
「おー、確かによく働いたなぁ。」
「覚えも早いし、嫌な顔一つせずに汚い仕事もするしな~。それが医者の息子って聞いて、驚いたぜ。」
また、色んなところから会話の参加者が現れた。新参者の俺をみんな気にしていたのか?…分からないが、情けないことに、これで俺はもう限界を迎えていた。いきなりのことでもあったし、何をどう反応していいか分からず、なかばパニックになる。
ええ?えええ?ええ?「はじめまして」とか、言わなくていいの??慣用句とかなかった??いきなり会話って??えええええとえと、挨拶は??
…医者としてなら、どう対応していけばいいか、経験は積んでいる。
たとえば、ぱっと見、一人の男は骨格が歪んでいて腰を痛めた経験がある。もう一人は肝臓が悪くなり始めている。女性は筋力がなくて、将来背中が曲がりそうだ。そういうことはわかる。外見から判断できるこまごまとした症状。だが。彼らがその診断を求めているとはとても思えない。じゃあどうすればいいんだ???
とりあえず、俺を置き去りにして会話は進む。内心は押し隠し、「はい」や「はぁ…」など、適当な相槌を打って受け流した。内容はリョータのことで…、そのどれもが好意的で、良い印象を受けたというものだった。俺は誇らしく、うれしくなる。ここでもリョータは受け入れられ、認められたようだ。良かった。
「で、どんな育て方したら、あんな子になるの?」
話の流れから要約するに、この女性は三児の母親で、おのれの育児に参考にしたいのだろう。これは答えたほうがよさそうだ。そう考えると少し落ち着いてくる。しかし、どう答えるか。どう育てたと、説明しようにも…、…こちらとしても、困るところが多かった。
「俺たちの系譜――家系は、どうしてもああゆう子になってしまうところがあるんです。」
それだけを口にした。他に一言では説明しづらかった。
我々の旅は、お互い助け合わねば生きていけない。自然と相手の必要性を考え、自分ができること・すべきことを考えるようになる。――そして、触れてもらうだけで、安楽と報酬が得られる。本当に、それだけのために俺たちは働ける。お互いを手伝うこと、いつも働くことが、本当に、ただの当たり前になっていくのだ。
「俺たちの家系って…、やっぱり、実の息子さんなの?」
「俺はリョータが先生の隠し子って言っても驚かないぜ?」
「ク、クィードさん…」ここで茶化さないでくれ、頼むから。
「なんでぇ、愛人の子だったりするのか?」
「ははぁ、だから隠してる?人の子だって言っておかなきゃならない理由があるんだね。」
おい待て。話が妙な流れになってきたゾ。
「先生だったら、いいオンナの一人や二人、いてもおかしくないだろ~。それだけの腕があるんだしよぉ?」
クィードの、その含みのある言い方に、本気でまいる。もう勘弁してくれ。
「先生とはけっこう長い付き合いだけどよー。そっちの話はぜんぜん聞かせてくれねぇんだよな~。ええ?この際吐けよ、吐いちまえ!いいオンナの二人や三人、いるだろっ?!じっさいどーなんだっ?!その手で何人堕としたっ??!!」
こ、こ、この酔っ払いめ……!
周りを見ると、多くの人が興味津々、という目でこちらを見ていた。
――あー、これはダメだ。ダメな流れだ。俺は一瞬で判断し、決断した。
鍛錬の末に磨かれた己の杖は、すべからく反応して力をふるう。
体の中心に位置する生命の杖。一瞬で体の芯に力が満ち、言葉に力が宿る。
『少し、話題を変えましょう。』
実際の肉声に、心の奥底にまで届く、特別な響きが重なった。
通常ではありえない響きの言葉に、その場だけではない、この宴席自体、全ての喧騒が一瞬で静まり返る。
それを見越して、俺は出来るだけさりげなく声をかけた。
「ちょっと、俺は用を足してきますね。」今度は普通の肉声だった。
「…お、おう。便所なら、そっちの建物の陰にあるからよ。」
礼を言い、その場を後にする。後ろではすぐにまた何事もなかったように会話が再開された。それも、先ほどとは全く別の内容で。多少不分明な顔をしつつ、誰もが何かあったと自分では意識していない。おそらくここにいるほとんど全員が、何が起こったか分かっていないだろう。
やれやれ。俺はほっと息をついた。
心や魂に響く言葉。我々の用いる技術の一つ。これは暗示にも使え、ある程度の知識と覚悟、気力が伴わねば普通の人は抵抗できない。
少し、ズルをさせてもらった。しかしこれはクィードが悪い。そう言い訳をする。まったく、人が話したくないことを何度も聞いてくるからだ。こうゆう話は誰でも好きなんだろうけど、とは理解できるのだが。
一つ溜息をつきながら、便所と言われた方に歩いていく。俺は苦い経験を思い出していた。クィードと知り合って間もない頃の話だった…。




