終章 隠者の系譜 ~真の魔法~
“おまえの名は?”
問われて、リョータは途惑った風だった。
突然の物事の連続に、思考がついて行っていないか?――残念。ここでは思考は必要ない。だからこそいきなりで、俺の時もいきなりだった。
「あ、あ、あの、リョータといいます。」
答えてきた。俺は苦笑した。こんなところまで、不出来な俺に似なくてもよかったのに。
俺はかつて師がしてくれたように、リョータの肩に手を置いた。
そして今一度問う。魂に。
“―――おまえの名は?―――”
「…あ……」
不意に、リョータが何かに打たれたように立ちすくんだ。一瞬、呆然とし、眼の焦点を失う。
……やがて、口を開いたときには…
“ぼくの名は――――”
よし。応えた。ちゃんと俺も受け取った。合格だ。
すぐに俺の体表から色と輝きが抜け始め、もとの状態に戻った。
やさしい風が吹き抜けていったような名残惜しい感覚。ほんわかと、胸の内に暖かいぬくもりが残っている。おそらくリョータもそうだろう。
短いが、祝祭は終わったようだ。リョータがまだそれを知らない、気付いていない、というのがもどかしくてならなかった。
世界の祝福は、気づくものにしか気づかれない。
…いや、これから俺が、この子には教え、伝えねばならない。この子に届けられていった、祝福を。
「…え?…え?今の…」
「うん、合格だ。これでたった今から、お前ははれて俺の弟子だ。おめでとう。そしてよろしく。」
「……まさか、今のが?!」
「うん。そうだよ。魔法使いの最後の試験。」
目をぱちくりとさせて、リョータが聞いてきた。
「なんだったんですか?今の。」
「う~ん、一言では説明しづらいな。教えなきゃいけないことがいっぱいある。…でも、俺の名は受け取っただろ?」
「……はい。名前ってわかるんだけど、思い出せなくて…。何かとても大切なもの、貴いものを、教えてもらったって気はするんですけど…」
「それが真名だよ。真の名。師の知識系統・組み上げた魔法の中では――真名は真に信頼できる者たちの間でしかやり取りができない。そして真名は、教えてもらうものではなく、自ら名乗るものだ。これは偽りの中では名乗れない。お前は名乗れた。俺も名乗れた。俺がリョータを信頼し、リョータが俺を信頼している。それも本気で。という証だよ。今は、そんなものだと思っておいてくれたらいい。」
「はぁ…。」
ぼんやりとした答えをリョータが上げる。無理もないよな。
でも…、と、俺は想いを馳せた。真名を名乗り、分け合うということは――、もっと、いろいろな意味がある。それを伝えきれていないのがもどかしい。これは、俺にも意味があることなのだ。
「はは…。」
俺は乾いた笑い声をあげながら…、高ぶる感情を抑えることができなかった。
「…先生?」
我慢できずに、下を向く。ぽたぽたと目から熱いものが零れ落ちてきた。
点々と地面に沁みを作り、すぐに消えるのが見えたが、それ以上は視界がゆがみ、何もはっきりとは見えなくなった。
「ははは…。」
思った。
俺はもう、一人ではなかった。
俺の前にようやく、――もう一人――、道行きの友が現れた。
師の言葉が蘇る。
――進め、助けはある――。
心が震えた。そうか、もうあの時、すでに、現れていたのか……。
『我々』は、不幸から始まった出会いかもしれない。
でも、俺は己の不幸を、ただの一かけらも恨んではいない。
この世には、不幸というものがあるのかもしれない。しかし、それも第一原則の前には、全てが輝き、喜びとともにそこにある。それこそ真の錬金術だ。同じ道を歩むことを選んだお前には、まだ伝えていないことが、山ほどある…。
…待ちきれないほどだ。
感情と思考が交錯し、心の中で言葉を紡いでいく。
はじめて、分かった。
師と同じ立場になって、初めて分かった。
師の二〇〇年におよぶ研鑽は、俺に出会うことで初めて結実したと聞いていた。
勘定すると、師は一〇〇年を超える孤独の末、俺に出会ったことになる。
俺は一〇〇年も孤独を経験していない。でも欠片だけでこれなら…。
師はどれほどの思いを、自分に対し抱いていたのか、うかがい知れた。
(先生、どうして泣くの?)
かつて師に問うた自分と、全く同じ言葉で、今度はこの子が聞いてくる。…かつての自分の姿が重なった。
はじめて、分かった。
どれほど、うれしかったのか。
どれほど、ありがたかったのか。
どれほど、腕の中のこの子が、大切だったのか。
俺はただ、その時師がしてくれたように、思い切りその子を抱きしめた。
「ありがとう。」
他に言葉などいらない。触れるだけで伝わる手段がある。それは我々の特権だ。
(…う、わぁ…。)
覚えている。あの日あの時、俺はたとえようもない、大きなやさしい腕に包まれた。
心の奥底に、じかに触れてくるような不思議な手。
自分の疑いや不信、不安など、作り上げていた殻をあっという間にバターのようにとろかして、静かに力強く包んでくれた。
(~~なんか、あったか~~~い~~…)
あの幸せを、覚えている。
他に、何がいるだろう?
鼻をすすりながら考えた。
かつて受け取ったもの、俺はこの子にそれを、全て伝えることができるのだろうか?
そんな不安が、ふと胸をよぎる。
――いつまでも、ともに。
心の中で、師が答えてくれた。
そうだ。大丈夫だ。俺は、師とともにいる。
全ての起因、第一原則――俺たちの間には、それがある。
だからこそ、我々の系譜は黄金だ。人の生を輝かせるもの。真の魔法だ。人と人との間に現れると、人はそれを何と呼ぶのか、そんな簡単なことから教えねばならない。親と子、兄弟姉妹、夫婦、友、師と弟子、伝え伝わり、連綿と紡がれていくそれを、俺は師から十二分すぎるほどに与えられた。
はじまりが同じであるならば、ともにまた、世界の始まりをたどろう。
もしお前が、俺からそれを受け取っていてくれたのなら、それはいずれ、世界をはばたく大きな翼となるだろう。俺と師が、そう導く。
隠者の系譜は、こうして継がれていくのかもしれない。俺はふと、そう考えていた。
了
これにて、ハーミッツ・ライン(隠者の系譜)という一つの物語は、いったん、幕を閉じることになります。
この物語は作者が今から十年以上前に書き上げて、ずっと世に晒さず、しまい込んでいたものです。
ほんとうは、ここで終わっていい物語なんじゃないのか、と、ずっと悩んでいたのですが、
第一部、となるこの部分で書ききれなかったことが、書き終えた五年後に、第二部として物語となりました。本当は、この一部に乗せようか、と思っていた内容、切り捨ててしまった内容です。
もし、ご興味あるのならば、お読みください。
ここまで縁があり、読んでくれた方、感謝しかありません。
どうもありがとうございました。




