三章 隠者の系譜 ⑥
あんまり食べ物を残すのも気が引けるので、とうとう、ホルンさんに僕の分を減らして下さい、と頼んだ。そしたら、半分怒ったように言われた。
「何バカなこと言ってるの!!育ちざかりなんだから、食べないのは毒よ!」
僕はうなだれて何も言えなかった。さすがに僕の様子がおかしいことに気が付いたのだろう。幾分と口調を弱めて聞いてきた。
「リョータくん、いったいどうしたの?最近おかしいよ?」
僕は…、僕は、やっぱり、何も言えなった。なんと言えばいいのかわからなかった。何か言わないと。でも、何を言えばいい?とにかく、分かっていることが一つある。
「…このままじゃ、ダメなんです。」
「…ダメって、何が?」
「昔に戻らないと…、昔の生活に戻した方が、もとに戻るか、と思って…。」
「戻るって、何が?」
「それが、分からないんです!」
もう、泣き出しそうな気分だった。声音が震えているのが、自分でも分かった。自分でも止められない。とにかく思いつくままに、言葉を吐き出した。
「…先生は…、先生は、ものすごく自由なところにいるんです!でも、僕はそうじゃない。僕はそこにいなくて…。僕は先生に連れて行ってもらわないと、そこにはいけないのかも…。」
謎めいたことを、自分でも言っていると分かっていた。その場の一同がしばらく沈黙する。
クォンが、おずおずと聞いてきた。
「それって、あの夢の草原のことか?」
「似てるけど、違うよ!そうじゃないんだ!でも、先生はつながってる。僕はつながってない。だから、僕は…」
何もかもから、切り離されていくような気がするのだ。
言葉がはっきりしてくると、どんどん恐ろしさが倍増してきた。
「僕はもう、昔いたあの場所に、戻れないんじゃ…。」
恐怖が自分を食い尽くす。もうすべてを投げ捨てて、とにかくどこかへ駆け出したい衝動にかられた。
駆けて駆けて駆けて、全速力で駆ければ、あの場所へたどり着く事ができるのだろうか。
先生のいる、あの場所へ。
「まぁ、落ち着けよ。リョータ。それで顔ぬぐえ。」
半泣きになった僕の頭の上に、ばさりと布が落ちてきた。その上から、クィードさんが僕のアタマに手を置いてくる。
今、誰かの手が、自分の頭の上にある。
それ以外、何も感じられない。自分の中で、何もかもが恐怖に結びついていく。
「期限の三か月まで、あと三週間くらいだろ?もうちょっとじゃねぇか。」
「……あ…。」
その言葉には、幾分かの希望があった。
「この中で、魔法使いと暮らした経験があるのは、お前だけだ。そのお前にしか分からないことが、あるんだろうよ。今日はもう寝ろ。夢で先生に会えるんだろ?夢の中で聞いてみろ。」
「……はい。」
果たして、会えるのだろうか。最近は、夢で会うのも毎日ではなくなっていた。
僕は夢の中の草原を、いつの間にかひたすら走り続けていた。
全速力で走る。空はなぜか暗い。星明りも見えず、真っ暗な空間が頭上にぽっかりと広がっている。それなのに足元の草原は、草の葉の一本一本まで鮮明に見える。夢ならではの不思議さだった。走るのに何の苦にもならない。
僕はひたすらに走る。息が荒れようが、足がもつれようが、関係ない。とにかく走って、走って、走り抜けた。
「先生!」
やっと、見慣れた後姿が見えてきた。
「リョータ?!」
先生が振り向いて驚きの声を上げる。僕は先生に飛びつくと、必死にしがみついた。
「先生…。」
そのまま、何をどういえばいいのか分からなかった。もう放すまい、としがみつく。
「リョータ、どうした?何があった?」
先生がしゃがみ込んで目線を合わせ、聞いてくる。僕は何も言うことができなかった。
…先生の手が触れても、何も感じない…。
もう、どうしたらいいか、分からなかった。
「リョータ、落ち着け。」
いきなり、先生に抱きしめられた。――小さい頃に、よくされたみたいに。力強いけど壊れ物を扱うみたいに、先生が包んでくれる。記憶になるかならないか、の昔でも――、僕はこの感覚を覚えていた。
しばらくそうしていると、ぼんやりと熱が自分のうちに戻ってきた。
ああ、先生がここにいる。
ころあいとみて、先生が僕を放し、聞いてきた。
「リョータ、どうしたんだ?」
僕は口を開いた。だが驚いたことに、口は開いても、音が全く漏れてこなかった。声を出そうとしてもどうにもうまくいかない。かすれ声すら漏れてこない。しばらく試してみてもうまくいかず、僕はそのまま力なくうなだれた。
「いいよ、気にするな。無理に話す必要はない。でも、恐怖にとらわれてはだめだ。……何か、あったんだな。」
先生は、僕を後ろ向きにさせると、胡坐をかいて座った足の上に座らせた。
その上から、外套をすっぽりと羽織る。お互いの顔だけが、外套から出ている格好になった。目を上げれば、先生の顔がそこにある。ちょっと笑った先生の顔が、不意に少し厳しくなった。
「リョータ、もうお前を、迎えにいこうか。」
僕はびっくりした。まだ三か月たっていない。目だけで問うと、先生が少し悲しそうな笑みを浮かべ、言ってきた。
「お前の今の状態もだけど…、リョータ、自分が何をしたか、お前わかっていないだろう?」
僕は目をしばたたかせた。何のことだろう。
「お前は今、自分で夢を渡ってここに来たんだ。俺が渡ったわけじゃない。――これができる、ということは――、お前はもう、引き返せないところまで来てしまった。魔法使いになるしかない。」
そういう先生の表情から、内の感情を読み取るのはもう難しかった。静かに言葉をつづけて言ってくる。
「俺の夢に来てくれてよかった。これがほかの人で、迷子になったら…、お前はもう、戻れなかっただろう。」
朝、起きると、そのことをクィードさんたちに報告した。
「それがいいかもしれない。」クィードさんもそう言っていた。
僕は、それでもまだ、不安だった。たとえ、魔法使いになったとしても、この失われたものを取り戻せるのか、まったく自信がなかった。先生の声すら信じられなかった。もう完全に道を失い、迷子になった気分だ。
でも、昔の記憶が――。
先生と過ごした、昔の記憶が――、それだけが、道しるべの淡い光となって、残っている。それだけは信じることができた。確かにそこにある。
…たぶん、そこにあるからこそ、今の生活と比べてしまうのだ。そして僕は、その二つの何かの違いに気がつき始めた。おそらく決定的な違いがある。先生のいるいないは大きい。でももっと根っこの…大きな違いだ。一体何が、違うんだろう…。
ただ、その道しるべを信じるなら、僕は先生のところに戻れば、その失った何かを取り戻せる。それが唯一の希望になっていた。




