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隠者の系譜《ハーミッツ・ライン》~~師匠を亡くした獣人医師は、それでも巡回医療の旅を続けます~~  作者: shin


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三章 隠者の系譜 ⑤

 日中の仕事では、なんだか身に覚えのない、いやな視線を向けられるようになっていた。

 特に、親方直属の徒弟たちから。彼らは、金持ちだが家督の継げない、次男坊や三男坊が多かった。

 なぜかが分からない。彼らは故意に自分にぶつかってこようとするし、まとめていた伝票・書類をまたばらばらにしたりする。動きがのろいので、ぶつかってくるのは簡単に避けられるけど、なんでそんなことしたいのか、意味が分からない。まとめていたものを、またばらばらにしてしまうのも、謎だ。

 もう一度それらをそろえて、親方にそのことを問うと、苦笑されながら答えた。

 ――ひがみや嫉妬さ。気にすることはない。

 どういう意味だろう。先生に今度、聞いてみようと思った。



 一度、帰り道に、親方の徒弟たちに取り囲まれた。

 みんな僕よりも体が大きかった。先生と組み手をするのが当たり前の僕だし、のろい人たちなので、全然怖くはなかったけれど…、明らかな敵意があったので、とっとと逃げることにした。

 ケンカになりそうなときは、まず逃げること、と先生に言われている。

 組み手では先生から五本に一本しか取れない僕だけど、逃げる訓練の鬼ごっこでは連戦連勝。先生ですら、魔法を使わなければ僕を捕まえることはできない。その力を存分に見せつけてみろ、と、言われている。

 ちょっとうきうきして逃げてみたら――、屋根に飛び乗り、家を一軒越えただけで、彼らは諦めたらしい。屋根から見ていて拍子抜けした。なんだ相手にもならない。帰ろう。



 一週間くらいで、クォンの語彙力と計算力は見違えるようになっていた。

 先生の教え方はとてもうまいし、その勉強法の能率はものすごい。先生とやると、何事もあっという間にできて、覚えられるような気がしてくる。どうしてだろう?聞いてみたら、脳の回路で一番最適なものができたら、こちらからそれを意図的に強めてやるんだ、と、言っていた。…よく分からなかった。

 夢の勉強では、必ず起きているときの復習が必要なので、その復習は僕が担当する。先生の代わりだ。クォンが楽しそうに答えをいい、問題を解く。僕も楽しい。良かった。

「――先生は、頭が悪いのも治せるんだなぁ。」

 僕らの様子を見たクィードさんが、そう言ってきた。

「僕は小さい頃、頭がすごく悪かったらしいです。それも先生が治してくれたんですよ。」

 クィードさんは感心したようにため息をついていた。



 ――この頃から、僕は妙な不安を覚えるようになっていた。

 何に不安を覚えているのかは、漠然として、わからない。

 でも何かが足りないことを感じていた。

 何かが足りない。大切な、何かが。



 親方の仕事を手伝う傍ら、現場の仕事も手伝っていたが、完全に親方の手伝いに回されることになった。

 その日、四人の徒弟たちに行われる授業にも出席することになる。

 簡単な読み書き、もうやったことのある計算…、僕は座っているだけでよかった。出された問題は一番に解いてしまう。外で働いている人たちの方が気になった。こんなただ座っているだけでいいの?みんな外では働いているのに?何かがおかしいような気がする。

 授業の後、親方に正式に自分の徒弟とならないか?と誘われた。

「もう君は、図面の書き方を学び始めていいのかもしれない。」

 しゃがみ込み、自分にわざわざ視線を合わせて言ってくる。どう答えていいかわからなかった。

 ――考えた。考えて、考えて、そして、考えたままを口にした。

「僕は…、僕は、先生の弟子になるかもしれないんです。」

「先生、というのは…、君の育ての親の、お医者さんかい?」

「はい。」

「――なら、どうしてここで働いているんだね?」

「これが――、これが、一つの試験なんです。ここでもきちんと働けるかっていう…。ここできちんと出来ないと、弟子としてはとらない。そう言われています。」

 親方は驚きの溜息をもらした。

「なるほど。それでクィードは、君の扱いが中途半端なのか…。」親方があごに手をやり、しばし黙考する。そののち、視線を上げて言ってきた。

「――なるほど。君の先生は、できる医師なのかもな。試験に使う、なんてこちらの仕事のことをどう思っているか分からないが…、こちらも一時預かりで、なんでもやらせる雑用・小間使いで使ってほしい、としか言われていない。なら私にはもうちょっと言っておいてほしかったな。特別扱いなんてしなかったのに。…でもそのやり方は納得できる。下積みのない人間は底が浅い。一つの世界しか知らなければ偏狭になる。――もしかして、そのお医者さんは、いつか死にかけたクィードを治したという…、噂の秘密の魔法使いかね?」

 どきりとした。どうしよう。先生が魔法使いであることは、まだ秘密になっている。ここで答えていいんだろうか。黙っていると、親方はそれで一人で納得したらしい。

「なるほど。と、なると、君は魔法使いの弟子候補か。」

 親方がなぜか満足げな微笑みを浮かべた。

「なるほどな。それで、かなりのことが納得できる。ははぁ、育ての親が魔法使いか。しかも――。」

 ――しかも?その続きが気になった。目で問うと、親方はそれに気づいて、笑いながら言ってきた。

「その魔法使いは、とてもいい魔法使いらしい。君を見ていたら分かる。一度会ってみたいな。」

 僕は、どう答えていいか分からなかった。――でも、でも、ずっと考えていたことがある。先生とも相談済みのことだ。もしかしたら、これが先生の言っていた時(・)なのかもしれない。僕は思い切って、その話をするために口を開いてみた。


 その日の夜に、クォンにその話をしたら、少し離れた隣の家まで届きそうな驚きの声が上がってしまった。

 クォンどころか、聞いていた両親の二人まで驚いて、両手を上げてのけぞっている。

 …その様子に、僕の方が不安になってきた。僕の申し出は、そんなにとんでもないことだったらしい。逆に悪かったのかな、と、恐る恐る沈黙の中、問うてみると、『イヤイヤイヤイヤ!!』と、すごい勢いで、その場の全員から否定された。びっくりした。クォンだけはまだ呆然としていた。

 それ、本当なのか、と静かに確認してくる。僕はうなずいた。しばらく前から、先生と相談していたことだ。クォンを親方に紹介したのである。


 クォンの勉強を見るときに、僕は先生から聞かれた。親方はどんな書類を読み、どんな計算をし、どんな仕事をしているか、と。それを元に、優先してクォンに教える単語・計算の種類を決めるから、と。

先生が言うには、学ぶなら、将来使いそうな知識が絶対にいい。興味があり、使う機会があれば、さらに知識は定着し、強固となる。

 僕は正直に答えた。覚えている限りの仕事も伝えた。先生は、それを元にクォンの学習計画を立てた。

その学習計画も、二週間以上たって、もう半ば以上が終わっている。

 僕のまとめる伝票や書類に出てくる単語、そのほとんどはもうクォンも覚えたし、資材の総数や使用数の計算確認も、もうできるだろう。――クォンは負けず嫌いで、僕に対抗してどんどん計算は早くなっていた。

 掃除は言われたことをきちんと守ってできるかどうかなので、問題はない。親方の触れてほしくない机のあたりはいじらない。何か書いてあるものの類は、捨てる前に親方に確認する、など。いくつかのルールを守ればだれでもできる。今いる徒弟は、そうしないから、頼まれなくなったのだ。

 つまり、僕がやっていることの半ば以上が、もうクォンでもできるのである。

 伝言をかく文章能力に少し不安があったが、そもそも僕だってそんなに文章は得意ではない。でも、それでも通じる、ということは、親方も自分のしている仕事だから、ある程度は説明せずとも分かってくれるということだ。最終的には相手の名前と連絡先、緊急性の有無さえ控えておけば何とかなる。僕と先生はそう分析していた。

 そして、クォンがいればもう一つの仕事ができる。親方は本当は、伝票や手紙の配達も僕に頼みたかったらしい。でも僕はこの町に不慣れだから、それができない。でも、クォンがいればできる…。

 僕と先生が今、読み書き計算を教えていること、クォンもこの仕事ができそうなこと、そしてもう一つ、伝票の配達などの仕事ができそうなこと。その三つを告げると、親方は興味を覚えたようだ。

 ふむ、じゃあ、連れてきてみなさい、という話になった。

「クィードの息子で見知っているから、話は早い。しばらく一緒に仕事を頼んでみようか。」

 給金は一人分しか出せないけど、と言われたけど、僕に文句はない。そこより、親方がまだあまり信じていないような雰囲気なのが気になった。クォンはほんとうに読み書き計算が上達してるんですよ、と強調したら、それなら、徒弟の授業にも出てみていいよ、という話になる。

「ついていけるようなら、徒弟に加えることも考えてみよう。この商談は、それでどうだい?」

 この言葉に、クォンの一家は騒然となった。それだけ大変な…、喜ばしいことらしい。

 下級職人の子が、親方や上級職人の徒弟になれることはめったにない。しかも、半獣人だ。とんでもないことだ。仕事に行くとき服はきれいなものがいいのか、と焦るお母さんがおかしかった。掃除などの仕事もあるから、僕みたいな普通の服でいいと思うと伝える。今度はお父さんが、こんなアホな俺の子なんだけど、そんな大役務まるのか、と心配する。僕の見立てでも、クォンはあの授業についていけるんじゃないのかな、と思っていた。そう答えると、お父さんは男泣きに泣いてしまった。

 なんだかその騒ぎように、僕は落ち着かなかった。そんなにむちゃくちゃなことをしたのかな。

 次の日、クォンを伴って仕事場に向かう際、両親が両こぶしを握って、勢い込んで送り出しに来た。ホルンさんはわざわざ仕事から抜け出してきた。妹のホーリィもそろって激励していた。その一つの家族の様相が…、…僕には無性にまぶしくて、たまらなく先生に会いたくなった。胸がずきりと痛んでいた。初めて感じた痛みだった。


 その後は、予想通りだった。

 やる気もあったし、クォンはすぐに仕事を覚えていった。

 街に慣れているから、買い付けなどの仕事も増えた。それでお金についての信頼を得ると、少しずつ、経費の記録・計算など、会計の仕事もまわってきた。お金のことだから、一度でもおかしなことが発覚したら、もう頼まないし、弁償してもらうよ?と、念を押される。僕とクォンは目の色変えて、必死で正確にできることをした。

 二人でやると、掃除なども早く終わる。早く終わると、授業での勉強をクォンとおさらいした。少し途惑ったみたいだけれど、クォンは内容にすぐついていけるようになった。――僕が内容を先生に渡し、先生がその内容をさらにきれいにして、クォンの頭の中に残す。――その作業がかなりうまくいっている。先生はだいたい何をやっているか分かったから、基礎をできるだけ叩き込んでいくつもりだ、と言っていた。後はクォンしだい、というところにまでしていくつもりらしい。



 一方で、僕はどんどん不安と恐怖が大きくなっていくのを感じていた。

 でも、それがなんなのかが、分からない。毎日の仕事をこなす傍ら、ふと、自分の足元の影に気づくように…。

 そのぽっかりと空いた穴。失われていく何かに、背筋が凍りついていくような気がしていた。

 


 先生にも聞いてみた。先生は、じっと聞いていてくれたけど――、もう少し考えてみよう、としか言わなかった。僕の話が曖昧で、はっきりと判断できない、という。

 僕としては、早くなんとかしたかったし、してほしかったけれど…、僕自身つかみどころがないのでどうしようもない。――でも、恐ろしすぎて、言えなかった。この夢の世界の先生の声が…、どんどん遠くになっていっているような気がすることを。夢の中ではこんなに近くにいるのに、…どうして。

 それを言ってしまったら、何かが壊れてしまうような気がしていた。



 僕は、たくさん食べるのをやめた。

 朝起きて、体操と、体術の型をなぞる習慣を元に戻した。お風呂もやめた方がいいのか、と思ったけど…、それは関係ない気がする。後は何が違うんだろう?

 かつての生活に比べ、今の生活では失われ始めているものがあることに、僕はいい加減、気が付き始めていた―――。


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