三章 隠者の系譜 ④
そうして何日目か過ぎて、仕事にも、だんだん慣れてきたころだった。
「おーい、リョータ、それ取って~!」
「は~い?」建設中の家屋の骨組み、梁の上から、一人の職人が僕に声をかけてきた。
彼が指し示す先を見ると、どうも、金づちを落としてしまったらしい。とてとてと歩いて行って、落ちているそれを拾い上げる。上を見上げると、その職人が苦笑いしながら言ってきた。
「すまーん。それそれ。手が滑ってさ。投げてくれれば、届かないかな?」
そう言ってくるけど、重いものだし、投げるのは危なそうだった。
僕はじっと上の梁をみて、横の柱を見た。…この高さなら、跳べるけど…。地面を見た。硬い地面だった。
「リョータ?」
上から問いかける声が聞こえてくる。
硬い地面では跳ぶな、って言われてるけど…、大した高さでもないから、いいか。僕はそう決めつけた。数歩後ろに下がると、思い切り助走をつけて柱へと跳んだ。柱の中ほどに足を付けて、さらに思い切り蹴り上げる。三角とびの要領だ。梁の中ほどに手を付けると、勢いを利用してひょいと足まで乗り上げた。すたすたと後は歩いていく。
「はい、どうぞ。」金づちを手渡した。
「…お、おう…。」
作業の途中だったので、それ以上会話せず、僕はそのまま逆の手順で飛び降りた。柱にいったん足を付けて減速し、地面に降り立つ。そのまま元のところに戻って作業を続けた。木材を切ってできた木くずが散乱しすぎていたので、それを集めている。これは火起こしなどにも使える。きちんと取っておく必要がある…。
…ふと、回りの視線を感じて、手をとめた。
「…?どうかした?」
「…どうかした?…じゃねーよ!今何やったお前!!?」
クォンが勢い込んでこちらに駆けてきた。問い詰められる。
「へ?」まったく何のことかわからない。
「…へ?…じゃねーだろ!お前、あそこまで、お前の背丈の倍以上の高さだぞ!どうやって跳んだ、魔法か?!今の!」
「えええ?全然違うよ?あのくらいだったら、クォンも跳べると思うけど?」
「と・べ・ねー・よ!!!!」
一音一音、全力でクォンが否定してくる。
「そ、そう?体の使い方があるんだよ。先生に習ったんだ。コツがあって…後でクォンにも教えようか?クォンは猫科だから、僕よりうまくできると思うけど?」
そのあと休憩時、練習してみたら、あっという間にクォンはできるようになった。…やってみなかっただけなんじゃないのかな。僕も町の遊びでは禁止されていたし。
この練習をするときは、一人が必ず地面で待機して、落ちた時受け止めないといけない。クォンのおかげで、僕は受け止めるのも上手になった。でも三日もすれば、クォンにそんな助けもいらなくなった。
硬い地面のところで、そんなに飛んじゃいけないんだよ、と念押ししたら、「そんなヘマしねーよ!」と、返された。多少不安は残ったけれど、猫科はやっぱり、こういうのが得意なのかもしれない。一度、落ちた!と思ったら、くるりときれいに反転し、地面に着地していた。さすが。
そんな僕らの様子を、周りの人たちが呆然と眺めていた。
さらに数日が過ぎた。
自分の仕事がひと段落して、休憩していたら、親方が来ているのが目に入った。
手元に図面を広げ、実物と見比べている。巻き尺を取り出し、柱と柱の距離を測って、何かを図面に書き込んだ。何をしているんだろう。興味がわいたので、近くによって、覗き込んでみた。
「…あれ?相似比の計算?」
と、言ったら、たいそう驚かれた。
「ええっ!?分かるのかい?」
驚かれたことに驚きながらうなずいた。だって昔、先生が出してきた問題にそっくりだ。
図面の細かいところは分からないが、親方が今やっている計算がそっくりだ。手元の走り書きの中に、大きさの違う二つの相似の図形がある。簡単なものだ。比を使っているとすぐわかる。その部分だけを追えば…。
僕はその場で座り込んで、指で地面に式をかき、親方がやろうとしていた計算の続きをやってみた。
親方が手元を覗き込んでくる。答えを出すと、「正解だ…。」と、言ってくれた。やっぱり。単純な相似比だけの問題だった。空白だった辺の長さを求めるだけでいい。でも、どうしてこんなことしてるんだろう?
「…土台が埋まっていて、見えてなかった部分があったんだ。それが分かった時点で図面は修正したんだけど…、忙しくてね。もとの図面も汚くなってしまったし、いま清書して、実物と確認してたんだ。均一の縮尺じゃない図もあってね。」
「…実物の長さと、書き直した図面の長さの比が、ちゃんとあってるか、確認してたってことですか?」
親方がゆっくりとうなずいた。人種の男性で長身、すっきりとした体つきをしている親方だ。そんな様子だと、どこかの宿屋で帳面でも持っている方が似合っているような気がしてくる。黒髪に黒瞳。親方というにはやや威厳が足りないような、物静かな風貌である。
だが、クィードさんから聞いている。この親方は相当な努力家でやり手、年齢五十台にもならないのに、親方の地位まで上り詰めた傑物だ。それでいて職人たちの誰からも信頼が厚く、仕事の発注も引く手数多。最近は忙しいので現場には顔を出すだけだが、時間があると、親方自ら職人に混じって働き、監督するのだと聞いていた。痩せて見えるがしっかりとした体で、体力があり、よく働くらしい。クィードさんなどは、自ら望んでこの人の下に付いたのだという。
その親方がしげしげと地面を見て、「君、字も書けるの?」と、不思議なことを聞いてきた。
これくらい、当たり前じゃないのかな?と思いながらうなずくと、親方がいくつか試験をしてきた。
親方が書いたものを読み、書いて、と言われた単語や文章を書きつづる。どれも簡単なものばかりだ。何の意味があるのだろう?
休憩時間が終わったので、呼ばれて持ち場に戻ると、その親方がずっとこちらを見ていた。なんだろう?
その日の仕事が終わった帰り、ほとほと弱った、とクィードさんが言ってきた。
親方が僕を直属の徒弟に欲しい、と言い出してきたのだという。ただの下働きで働かせるべきじゃない、と。
「どうしてですか?」と聞いたら、逆に質問を返された。
「リョータ、お前、字の読み書きができるんだってな。計算も。先生に習ったのか?」
「はい。」
「ええええっ!!!!」
――クォンにものすごく驚かれた。だから、なんで驚かれるのかが、分からない。
聞いてみると、むしろこちらが驚いた。
クィードさんも、クォンも、簡単な単語の読み書きしかできないのだという。計算に至っては、足し算と引き算だけ。しかも、この町のほとんどの住人が、それぐらいのことしかできないのだそうだ。
しっかりした教育を受けられるのは、金持ちの子供か、上級職人の身内とその直属の徒弟だけ。後の人たちは独力で学ぶか、生きるために最低限の知識を自分で蓄えるしかない。
「まさか、魔法使いの弟子候補です、とは言えないから、医者の養い子を事情あって預かってます、と言っといた。だったらどうして、その医者が徒弟として育てないんだ、と突っ込まれたよ。笑ってごまかすしかなかったけどよ。」
「…え?……ええ?…ああいう計算、みんな出来ないんですか?」
「どういう計算かは分からねーが…、俺らは、自分たちが使う金勘定の計算くらいしか、できないよ。」
全然、知らなかった。驚いた。
「リョータがいくつに見えたか分からねぇが…、そのなりの年の子のアタマじゃあ、なかったらしい。この界隈じゃあ特にな。天才だと思ったらしいぞ。」
クィードさんが溜息をつきながら続けた。
「――先生から、リョータには、町で生きていくようになったとき、必要になるかもしれないことは大体叩き込んである。とは聞いてたが…。…どんだけ、何を、叩き込んだんだ。あのお人は。」
この日から、なんだかクォンとの距離が遠くなった。近くにいても、あまり話さないし、なんだか拒絶感を感じる。
仕事の上でも親方の仕事を手伝うようになって、さらに接する時間が減ってしまった。
親方の直属の徒弟はわがままな子が多く、あまり仕事をするのに使えないのだという。親方はそう溜息をつき、僕にこっそりと漏らしてきた。読み書きができるだけでもありがたいから、すこし手伝ってほしい。そう言われると、断る理由もなかった。
働いてみて、ものすごく感謝された。
やったのは簡単な仕事だった。たまっていた伝票・書類の分類と整理、散らかった本の整頓、あと部屋の掃除。そして、誰かお客さんが来たら、伝言を書いて残しておくこと。伝言は、お客さんの名前と要件、緊急性の有無など、ちゃんと親方に言われた通りの情報を書いておくだけだった。
三日ほど働いたら、簡単な計算の確認・記入までお願いされるようになった。伝票の中にある材木や漆喰の納品数と、実際に使った数の計算など、こまごまとしたものだ。この時には、少しだが礼に給金まで出す、と言われた。
先生と、クィードさんに相談した結果、この給金はもらっておくことになり、クィードさんが受け取っておくことになった。僕はそれでかまわなかったが…、それよりも、クォンとの距離が離れたことがとても気がかりだった。
先生にそれを相談すると、――わかった、と言ってくれた。
じゃあ、クォンにも読み書きと計算を教えてみよう。習いたいか、聞いてみてくれ。
クォンに聞いてみると、――ちょっと不機嫌そうに、そんなことできるわけないだろ、と言われた。
「違うよ、出来るんだよ。先生は夢を渡れるから。」
説明する。自分もそうやって習ってきたことを教えると、多少興味を持ったようだ。でもまだ不機嫌そうで、できるものならやってみろよ、というような答えが返ってきた。
その日の夜から夢の中にクォンまで出てきて、一緒に勉強をするようになった。




