三章 隠者の系譜 ②
クォンから借りた手拭いで、涙と鼻水をぬぐっていると、クィードさんがやってきた。
「よぉ、じゃあ、行こうか。ここでこうしてても仕方ねえだろ。」
振り返ると遠くに、だんだん小さくなる先生の後姿が見えた。こちらが凝視していると、――気づいたのだろうか。ふとこちらに振り返って、手を振ってきた。僕はあわてて視線を逸らした。
…ちゃんとさよならって言えばよかったのかな…、でもさよならなんて、言いたくない。
ポン、と先生でない誰かの手が僕の頭の上に置かれた。
「心配すんな。先生はお前のこと、ちゃんとわかってるよ。」
先生とは違うその手の方が、今日はまだ心地いい。でも、その言葉には納得できない。
「そうでしょうか。」
「…ま、子供にはわかんねぇかもな。――俺もたいがいガキだと思ってたが…、分かっちまう、ってことは、俺も年食ったってことかねぇ…。」
また、大人の言葉だ。もう飽き飽きした。
――でも、これからどうしたらいいのだろう。先生は僕のこといらなくなったんだろうか。それだったら、戻っても意味がない…。…町で暮らさないといけないのかな。でも、町で暮らすなんて、どうすればいいのかさっぱり分からない…。
「リョータ。」下を向いてとぼとぼと歩いていると、上から声がかかった。振り仰ぐと、やや真剣な表情のクィードさんの顔があった。
「リョータ、今、思ったんだが…、お前、そんなんじゃたぶん…その最後の試験っての、答えきれないんじゃないか?」
「…え?」
「俺も聞いたが、リョータの覚悟とか、本気を聞くものなんだろう?お前、今そんなんで、答えきれるのか?」
「……あ…。」
僕よりも、クィードさんの方が、魔法使いの試験のことをわかっている気がした。その試験、というのは、大人にはわかることなのだろうか。
そして、僕の町での生活が始まった。
先生を朝に見送った後、そのままクィードさんの作業現場に向かった。
クィードさんは、大工さんだ。この町には徒弟制、というものがあって、親方、職人、徒弟という階級がある。クィードさんはその職人にあたる。中でも下級の職人らしい。息子であるクォンは徒弟として、もう現場を手伝っている。
三人で一緒に向かい、着いた矢先に挨拶回りをする。教えられたとおりに挨拶をした。
リョータと言います。このたびはしばらくの間、こちらでお世話になることになりました。一生懸命がんばりますので、よろしくお願いします。
そのあと、クォンが作業現場を案内してくれた。
場所は大きな宿屋の離れ屋で、古くなったので新築するらしい。木造建築だった。地盤は岩場だけど、家の土台はしっかりしたものが残っているので、それをそのまま使うのだという。土台の上に、木の枠組みを組み、屋根を作る。木造の家は贅沢だと聞いたことがあるから、ここは偉い人やお金持ちの人が泊まるところなのかもしれなかった。
最初はどこに何があって、何をしているか覚えるので手一杯だった。
知らないことに知らないもの、知らない言葉に知らなかった決まり事。分かることもあるんだけれど、知らないことがいっぱいありすぎて、わけが分からなくなる。覚え書きできるものを何か持ってくれば良かった。とにかく集中し、できるだけ聞き逃すまい、と耳をそばだてる。
ここは全然知らない世界だ。森や山や川と全く違う。人が多すぎて驚く。その人たちが働いている。かつて遠くから見るだけだった光景の中に、今は自分が紛れ込んでいる。不思議な感覚だった。
その日一日は、とにかく何が何かと教えられて、言われたことをやっていただけだった。
あっという間に時間が過ぎた。疲れ果てた気分で、クォンらと連れ立って帰途に就く。
「……なんか、すっごい疲れた…。」
「おうよ、俺らの仕事の大変さがわかったか?!」
「まぁ、何事も初めは大変だからなぁ。」クィードさんが慰めてくれた。
途中で公共浴場によって汗を流した。帰宅すると、豪華な夕食が待っていた。
『うわぁ~~!』
「はーい、お疲れ様!今日はリョータ君の歓迎会も兼ねてるから、ちょっとフンパツしちゃった!まだまだあるから、どんどん食べてね!」
『いただきま~す!』
子供三人が合唱のように言って、並べられた食事にかぶりつく。――ほんのひと時、会話が途絶えた。せわしない食事音が響く。まるでさっき見た、家畜に餌をやっているときみたいだった。
「…これおいひい!」
「これも!」
肉やらスープやら、目の色変えてかぶりつく子供らを、ホルンさんが満足げに眺めている。
「…オイ、ちょっと、ゴーカすぎじゃねぇか?」
「先生が食事代にって、多すぎるくらいくれたでしょ?ちょっとはここで返しとかないと、申し訳がたちません。」
「あれ、もらってよかったのかな…。俺は返そうっつったぞ?命の恩人にそんなもらうわけにもいかんだろ。」
「もらえるものはもらっておきます。ウチの家計事情知らないわけじゃないわよね?」
「……。」
「大丈夫よ。先生もちょっと魔法でズルしたって言ってたし。リョータのためだったら許してもらえるだろうって言ってたから、やっぱりこうゆうところで返しておかないと。」
「それにしたって、なぁ…。」
「大丈夫!全っ然まだ食費は残ってるから。明日からは普通に戻すし。」
「いや問題はそうじゃなく」
『おかわりー!』
「はいはーい♪まだまだあるから、どんどん食べてね~♪」
大人二人が何かごにょごにょと言っていたけれど、食べるのに忙しくて、半分聞いていなかった。僕もクォンたちにちょっと遅れて、お代わりをした。クィードさんもためらいつつ、席について食べ始めた。最後には僕ら子供よりも食べていた。大人はやっぱり、体が大きいもんね。
眠る時間になると、自分用のベッドが用意してあった。思わず歓声をあげてしまう。
「うわぁ~~!!」
「リョータは体が小さいからなぁ、クォンらが小さい頃使ってたやつを改造してみた。どうだ?」
「すごい!これ、クィードさんがつくったの?!」
「――まー、そうだな。」
「すごい、かっこいい!」
「…こんなちっちゃなベッドで、えらい喜んでるなー。」
「すごいことだよ!だって僕ら、ひどい時には岩の上とか、ごつごつした砂利の上で眠るんだよ?!」
「…あー…、そう、なんだ?」
「うん。先生もいたらよかったけど、でもさすがに先生は一緒に寝れないなぁ。」
「ぷっ。お前、その年でまだ先生と一緒に寝てんの?」
「うん!だって先生の体あったかいもん!夏は離れて眠るけど、冬はくっついて眠るのが当たり前なんだ。そうしないと凍死しちゃうから!猫の家族が丸まって、一つの毛玉みたいになって眠るのと同じだよ?すごくあったかいんだよ!テントが雪に埋もれても、先生の体の方が大きいから、僕は大丈夫だし!」
「……そ、そう…」
興奮した僕の様子をみたクィードさんが言ってきた。
「はしゃいでるなぁ。こんな粗末なとこで、そこまで喜ばれるのはありがたいけど」
「全然粗末じゃないですよ!地虫もムカデもナメクジもわいてこないじゃないですか!すごい贅沢です!」
ひどい時は薬草から作った虫よけをまくのだが、その必要もない。胡乱な顔つきをしてくるクォンに力説する。
「雨の日なんか、虫よけをまいても水に流されて、ナメクジが寄ってくるから大変なんだよー?一回ひどい雨で、テントがうまく張れなかったとき、雨宿りできる狭いところでそのまま寝たことがあるんだ。でも、なんか体のいろんなところがむにょむにょするなぁ、と思って、起きたら、それが全部ナメクジで、あれはびっくりしたなぁ~…。寝ぼけて手で掻いたら、爪の間にナメクジが食い込んでるの…。すごくびっくりした。腕とか足とかほっぺたとか、いろんなとこにナメクジ。僕の声で飛び起きた先生も、さすがにげんなりしてたー…。」
懐かしいな。それに比べたら、ここは天国だ。すごい。そのすごさをもっと力説しようと僕は口を開きかけた。そして口を開く前に、一旦それを閉じた。おずおずと聞いてみる。
「みんな、どうかした?」
「――リョータ、好きなだけここにいていいからな。」
嫌に神妙な顔つきでクォンが言ってきた。
「へ?」
「リョータ兄ちゃん、もうナメクジついてないよね?体ちゃんとあらったよね?」
「…なんか、先生の言い分が身に染みてわかってきたぁ…。」
「それどういう意味よ?」
「後で説明する。」
よくわからないけど、あまり僕が説明する空気でもなさそうだ。なんだか肩透かしをされた気分だけれど、うきうきした心地は消えていない。僕はそのまま自分のベッドの中に入った。ふかふかだ。うれしいな。
あと、二・三言、クォンたちと何か話したけれど、何を話したかはよく覚えていない。今日はいろいろなことがあったから、疲れていて、いつの間にか眠ってしまった。




