二章 隠者の休息 ⑦
夕暮れ時になって、俺は何かの異変に気づき始めていた。
何かがおかしい。
何かが、気になっている。
でも、それが何かが、分からない。
もう今日のねぐらとする場所を決めておかねばならないのに、決断がまったくつかない。考えがまとまらない。何か、別のことが気にかかっている。なんだ?
――タナンの町に、何か忘れ物でもしたのか?
気が付くと、何度も振り返って町の姿を確認している自分がいた。なんで、自分はこんなことをしている?
そして、さらにここで気が付いた。
どうして、まだタナンの町が見えている?
いつもの足取りなら、もう町の姿は見えなくなっていておかしくない。…それだけ足取りが遅くなっていた、ということか…?改めてそれに考えが至った。
今、俺たちはタナンの町、その周りにある農地・草原が一望に見渡せる高台に立っている。町の姿はもうかなり小さい。普段の俺たちの足取りなら、もうとっくにこの峰を超え、町の姿が見えなくなっているはずだった。
……なんだ……?
目を細めて、町を凝視する。
…何がこんなに、気になっている?
「せんせえ、どうしたの?」
下からリョータが見上げて聞いてくる。それに生返事をしながら、俺はさらに考えを走らせた。
分からない。直観・霊視の類は、あいにくと俺の素養はお粗末なものだ。自分でもそれは心得ている。占いや世相を読む技術は習ったが、師ほど得意ではない。俺がやると当てにならないものに早変わりだ。師に聞いた方が随分と早く済み、確実だ。
…ちゃんとした手順・儀式を踏み、師に聞いてみようか…。
厳しい顔をしながら、そう考えた時だった。
“………け…、…”
…空耳か?自分の耳を左右にそよがせた。何か、声が聞こえるような気がする。風の音よりも小さいそれは、足元の草ずれの音にすらかき消されてしまうようだ。俺はさらに感覚を研ぎ澄ませた。
“……助け…、……タスケて……”
…助けて?いったいどうした、だれだ?
「あ、せんせえ…。」
足元でリョータが俺にしがみつき、注意を喚起した。視線を落とし、リョータの目線を追って振り返る。振り返って目にしたものに、俺は口から心臓が飛び出るかと思った。
「師匠!!?」
生前の姿そのままに、師がそこに立っていた。
その柔和な顔、少し小太りでがっしりとしたたたずまいに…、肺腑が絞り切られるような心地がした。驚愕と恐怖・懐旧と、さまざまな情念がまじりあって涙と嗚咽が漏れそうになる。あまりに突然のことに、思考が停止する……かに思えた。だが頭の片隅に残った一かけらの理性が、それを押しとどめた。かろうじて思考を回転させる。――これは――、これは…、ただ事ではない!師の方から姿を現した?!!
そこまで考えが至った時だった。すべて見透かしたように、師が笑った。そして片手をあげ、タナンの町を指さしてくる。
その指先を追い、もう一度街並みを見る。――町に、いったい何が?
もう一度振り返ると、師の姿はすでに消えていた。
――戻れ、ということか?
これはよっぽどのことだ。
「ぼく…、ぼく、あの人、知ってる。」
「…うん、そうだな。」
リョータのつぶやきにうなずく。俺と旅をしていて、師を知らないはずがない。夢でも何度も会っている。無意識にリョータに手をやりながら、俺は全身の毛並みを逆立たせた。考えを走らせる。何か火急の要件がある。今すぐだ。でもそれは、なんだ?




