二章 隠者の休息 ⑤
結局、四日ほど逗留した。
四日目に食糧を買い込み、五日目の早朝に旅立つ。
当たり前だが、歩きの旅は、朝早くからの方がいい。もうすぐ夏の借り宿に向かう時期だったが、あと数か所、周るところがあった。しばらくこの町ともお別れだ。
――驚いたことに、まだ日が出たばかりの時刻だというのに――、リョータの友達が一人だけ、俺たちの出発を見送りに来た。あの浴場で出会った、クォンくんだ。眠そうな目をこすっている。
子供一人とはいえ、宿の人たち以外に見送られるのは初めての経験だった。
四日間、毎日子供たちと遊んでいたリョータは、さすがに名残惜しそうにしていた。親代わりとしてその様子を見るのは忍びなかったが――、他に手がなかった。いきなりリョータを里子に出すわけにもいかないし、何より、そのツテもない。浮世離れしたわが身が情けなかった。
「リョータ、またくるんでしょ?」
「うん。」
そんな会話を聞きながら街道を進む。この子たちは、本当に仲良くなったようだ。
そういえば、今、気づいたが…。リョータもクォンも、二人とも獣人との合いの子…、そんな連帯意識もあったのかもしれない。あからさまではないが、このあたりは獣人を蔑視する傾向がある。ただ何が発端であろうと、リョータにとっては歓迎すべき変化だった。
そのまま町のはずれ、草原が見渡せるところまで来た時だった。
「おじさん。」
「…。」
「おじさん!」
「…え?俺のこと?」
「おじさんっていったら、他におじさんしかいないでしょ!?」
憤然としてその子が言ってくる。なんだか偉そうだ。この人、本当に大丈夫なの?という疑惑が、あからさまににじみ出ていた。
「クーちゃん、おじさんじゃなくて、せんせえだよ。」
リョータが殊更に訂正する。クォンはそれも聞く耳持っていなかった。
……にしても……、おじさん、って。
そう呼ばれるのは初めてだった。
そういえば、お医者さん、という意味での「先生」とか、「兄ちゃん」、「ぼうず」といった意味でしか、呼ばれたことがない。師と並ぶとどうしても俺の方が若く見えるので、いつの間にかそうなっていた。
おじさん、おじさん、か…。
心の中で反芻する。
なんだろう、なんだか、すごく…。
…すごく…。
すごく、新鮮だ。
「…おじさん?」
俺の様子を不審に思ったクォンが聞いてくる。俺はあわててしゃがみ込み、目線を合わせた。
「ああ、ごめんごめん、どうしたの?」
…と、なると、ここに来ると俺は“おじさん”と呼ばれるようになるわけだ。
それも悪くないな。
「おじさん、悪い人じゃないよな?リョータはそういうけど…、父ちゃんはあの人、タダモノじゃないって。」
……………………………………あー、そんな風に見られていたのか。
我知らず、俺はがっくりとうなだれてしまった。
いやどこにでもいるフツーの医師で、魔法使いですよ?師は天才だったけど、俺はまだフツーです。
ちょっと半泣きになりたい気分で考える。しかし、どうしてこんなことを聞くのだろう?
……その子の様子を見るうちに…、ああ、この子は本気でリョータを心配しているのだ、と気が付いた。
なるほど、親分肌なのかな?どちらにしろ、友達思いのいい子なのだろう。リョータにはいい友達ができたようだ。そう考えると、親代わりとしては心からうれしかった。
「……そうだな。」
逡巡したのはほんのひと時だった。こういう場合は誠意で応えるべきだ。リョータとはいい友達でいてほしい。本来、隠さなきゃいけないことじゃない。
「じゃあ、教えよう。秘密にしておいてくれるかな?俺はお医者さんで、魔法使いなんだ。」
「…は?」
「証拠を見せよう。ホラ。」
俺はその場に手を差し出して、手のひらを上に向けた。
その先から、大気の粒子運動を制御する。空気は水より常に動いている。水が動かせるのなら、風を起こすことは簡単だ。手のひらの中央から小さな渦が巻きあがり、一息にそれが大きくなる。周囲の空気がかき回され、すぐに獰猛な唸り声をあげはじめた。外套が大きくはためきはじめる。クォンの服・前髪・体毛がいきなりの突風にもてあそばれる。リョータも驚いている。小さな外套がバタバタと大きくはためいているが、それも忘れて口を開けたまま、茫然と眺めている。俺はさらに渦を強めて…。
『…わ!…わ!…わ!』
クォンとリョータの体が、風に持ち上げられてほんの少し浮き上がった。
そこまでで制限して、二人のバランスを崩さないよう、柔らかく地面に下ろす。慣れればこれくらいは簡単だった。
「わかった?でも、秘密にしておいてね。この町では、黙っておくことにしてるんだ。」
クォンはしばらく呆然としていたが、我に返ると、目を輝かせて叫んだ。
「何いまの?!もう一回やって!」
………ガクッ、そう来たか。
…いや、そう来るよなー。子供だもんなー。
というか、俺の話聞いてた?クォンくん。
……話を続けようとしたが……後ろでリョータまで期待に目を輝かせていたし…、二人が飽きるまで何回かやってやった。その後できちんと話をする。この町では休息のため、黙っていること。リョータはその言いつけを守って、黙っていてくれたこと。できればクォンくんにも黙っていてほしいこと。
「うんわかった他には何ができるの?!」
…軽いなーこの子。ほんとに分かってんのかなー。
少し不安になりながら、ある程度こたえてやった。
結局、この話は、「なんか秘密にしとく方がかっこいいから黙っとく!!」という、いかにも子供っぽい元気なお答えで、打ち切りとなった。
…まぁいいか。どうせ、ばれてもそう困ることはないだろう。子供に厳命してまで、守ってもらうような秘密でもない。
さて、いよいよお別れ、という段になって、クォンは、リョータに何かを差し出した。
「リョータ、これ。」
「…?…なに?これ…キレーな石…」
「俺の宝物なんだ。預けておくから、ちゃんと俺に返しにこいよ?」
俺はリョータの手のひらを覗き込んだ。透明な薄緑色の石がそこにのっている。
「…へぇ…。カンラン石だな。どこで見つけたの?」
「へへへ…、ヒミツ。」
「…え?え?、これ、あずかるの?」
リョータが俺とクォンを見比べる。どうしたらいいか分からないらしい。
「うん、ほんとはお守り代わりに渡すつもりだったんだけど…、いらないみたい。だからちゃんと、こんど返しに来いよ?」
それを聞いたリョータは、一瞬、虚を突かれたように彼の顔をみた。
そして神妙にうなずいた。
「うん、ちゃんと返しに来る。」
そんなほほえましい子供二人のやり取りに、俺は一つ思いついた。荷をおろし、中身をあさる。
「じゃあ、そんなクォン君に俺から渡すものがある。」
俺は目的のものを見つけだし、取り出した。くくっていた下げ紐を解き、クォンの首にかけてやる。
「魔法使いのお守りだ。力あるものだから、大切にするんだよ?」
それは水晶をあつらえた、我々独自のお守りだった。
魔法による加工を施した真球の水晶は、中央に穴を開けている。それに麻ひもを通しただけの簡素なものだが、見た目よりも中身に、たくさんの秘密が詰まっていた。俺が今首にかけているものほどではないが、それなりに力を持っている。
「…うわぁ…、かっこいい!!」
興奮した声でクォンが叫ぶ。
……、かっこ、いい??……、そうかなぁ。…まぁ、気に入ったならそれでよかった。
と、横を見ると、リョータがうらやましそうにそれを見ている。そこで俺は妙案を思いついた。
「クォンくん、君の宝物で、これと同じお守りを作ってもいい?そうすれば、リョータも失くさないし…、次にここに来たら、それとこれを交換できる。どう?」
「…作れるの?!これでこれと同じの!」
「うん、まあね。一応これでも魔法使いだから。リョータもその方がいいだろ、どう?」
ぶんぶんと首を縦に振って、二人がうなずいてきた。
「じゃあ、次に来たときは、これの交換ね。二人ともそれでいい?」
『かっこいい!!』
子供二人が同時に叫んできた。
……かっこいい??……なにが???……よくわからなかったが、子供二人が納得しているようなので、良しとした。




