一章 隠者の旅路⑩
その夜が、俺にとっては最後の山場だったようだ。一番苦しい時を乗り越えると、後はだいたい、楽になる。
冬から春になると、緑が芽吹くような自然さで、物事が好転していった。
リョータの容体が落ち着き始めたころには、他の重症者はだいたい安定し、日常生活に復帰し始めた。
その結果、人の体に触れ、調整をする回数が減った。本来、活力のある人をいじくる必要はない。誰にも組み込まれた世界の仕組みの歯車は、自然と回るようになっている。
これに伴い、自分で食の準備をする必要がなくなってきた。食事を制限するのは、自己を清めるため、本式の治療のためだ。そこまで気合を入れた治療が必要なくなった以上、普通の人と同じものを食べることを自分にも許した。――長期になって、手持ちの食料も心もとなくなっていたし、村の人々に、食をご相伴させてもらえないか頼んでみる。――結果、家々が順にまかなってくれることになった。ありがたい。ついでに洗濯まで引き受けてくれるという。かたじけないが、お世話になることにした。
することが減り、薬の生成に時間をとれるようになった。連日の回転作業でそれなりの量を作り続けている。自分の調整で、誰もが結構な抵抗力をつけ始めていたが、念を押すに越したことはない。…こういった病は、人の心の秘しておきたい所まで、土足で踏み荒らすことがある…。全員に配布して、ダメ押しとする。
リョータは快方に向かっていた。うまく菌を排除できたようだ。
中枢の炎症に伴い、さらなる機能消失も覚悟していたが…、そんなことにはならなかった。おそらく、師が守ってくれたのだろうと思う。経過を見ていた俺としては、そうとしか思えなかった。
いつの間にか、みのむしとなる大きな袋が彼の定位置となっていたが、覚醒時間が長くなると、それをブランコにして遊び始めた。
危ないので下ろす。みのむし卒業だ。そのころには、包帯も取れるようになっていた。
皮膚の病変もかなり良くなっている。柔らかな産毛が規則正しく、禿げたところを覆い始めている。子供の成長は早いから、実はその方向性を少し、皮膚の新生に向くように調整をかけていた。その結果だ。その調整ももうやめるつもりだが。冬毛が抜けきってしまう頃には、きれいな毛並みになっているだろう。
前と同じように体を洗ってやると、驚いたことに、まったく怖がらず、きゃっきゃっと笑って喜んでいた。
何が彼を変えたのだろう。不思議だった。
村の者が善意でくれた、子供用の服を着せてみる。ちょっとは見れた子供になった。短いがふさふさした毛のせいか、痩せているのに普通のふっくらした子供に見える。褒めてやると、意味も分かっていないくせに、なんだか得意げに喜んでいた。
動けるようになると、俺にくっついて回るようになった。薬の生成の時もそばにいるので、水を汲んできてくれないか頼んでみる。言葉が通じないので、イメージで伝えてみた。
……わかったのかどうか……。容器をもってしばらく呆然とし、それを逆さにしてみたりする彼を見て、かなり不安になった。…が、結局、何とか仕事を達成してきたときは、大いに褒めて礼を言い、頭を撫でてやった。
…それからは、水汲みが彼の仕事となった。そばに座り、いまかいまかとご下命されるのを待っている。こちらがプレッシャーになったほどだ。仕事を果たしてきたら、かつて師が俺にそうしてくれたように、必ず頭を撫でてやり、ありがとうと意を伝えた。――それにいつも、満面の笑みで応える彼だった。
……子供はどこで、笑顔というものを覚えてくるのだろう?
見た目はともかく、愛嬌があった。どんな子供でもそうなのだろうか。この様子をみた村人が、溜息をついて漏らしたほどだ。
「…見た目はボロ雑巾でも、笑うとかわいいのねぇ…」
いや、ちょっと待って。と、突っ込みたい所はあったが、そこは受け流しておいた。




