第33話 月下美人のワルツ
~侍女ラーナ~
今宵は満月。
姫さまとマルティナさま、それにサーシャとあたしは四人で『月桂樹の塔』の裏手にある泉で身を清めていた。
“泉”と言っても温泉だ。
それに“身を清める”と言っても、要は女子四人、温泉に浸かってガールズトークに花を咲かせながら、楽しく懇親を深めているだけだけど。
それでも一応これは婚儀の前の、神聖な儀式の一つ。
『ニヴルヘイム』の街を夕方に発ち、竜車に揺られて『月桂樹の塔』に着く頃には、すでに満月が美しく輝いていた。
姫さまは到着してすぐ、塔の最上階の窓に丁寧に『月光華』を括りつけた。
姫さまに大事に育てられたその赤いアマリリスは、今は月明かりをその花弁全体に浴びているはず。
『月光華』に月光浴をさせる準備をしてから、あたしたちは食事を済ませ、四人で連れだってこの泉に来ていた。
ちなみにキロンは塔でお留守番だ。
仲間外れみたいでちょっと気の毒だけど、まさか一緒に泉に入るわけには行かないし。
彼は男の人なのだから。
今、彼は何をしているのだろう。
「――ねえ、ラーナはさ、キロンが好きなの?」
唐突に――本当に唐突に、姫さまはそう聞いてきた。
「え、ななな、なにを!?」
完全に油断していたあたしは、ものの見事に動揺してしまった。
「好きなんでしょ?」
あたしは思わずサーシャに非難の視線を向ける。
けれどあの子は、悪びれた様子もなく笑って返してきた。
「なにを今更言ってるの。いつまでも隠せるワケないでしょ。あなたすぐ顔に出るんだから」
サーシャめ……!
少なくとも姫さまだけはまだ、気づいていなかったのに。
ちなみに彼女の隣のマルティナさまは、あからさまにあたしから目を逸らしている。
「どうなの!?」
姫さまは追及を緩めない。
湯船の中で、姫さまの裸体が密着するんじゃないかというくらい、近づいてくる。
「……す、好き……というか……」
あたしは観念して、消え入りそうな声で答えた。
「……い、イイなとは、カッコイイなとは……その……思います……」
「まぁ!素敵!」
姫さまは幼い少女のように瞳を輝かせた。
「い、いえ、ただの片思いですから……」
「叶うと良いね!ううん、叶うよ!いつかきっと!」
「……」
――あなたがそれを言うのね。
あたしは複雑な思いで姫さまの向こう側のふたりを見た。
さすがにサーシャも苦笑し、マルティナさまは気まずそうにまた目を逸らす。
でも姫さまはあたしの視線なんて全く気にしない。
構わず続ける。
「恋って素敵よ!私も、ルイーズのことを考えるだけで、幸せになるもの」
人間達の世界で言う、”恋する乙女”とは、きっとこういうのを言うのだろう。
満月のような黄金色の瞳が、キラキラと煌めいている。
「ふふふ。妬けますね、姫さま。あまりにもストレート過ぎて、こっちが恥ずかしくなっちゃいますわ」
サーシャが笑って言った。
「どうして?何も恥ずかしくなんてないわ。素敵なことだもの!」
姫さまはおもむろに立ち上がると、両手を広げて全身で月の光を浴びる。
「姉さまは少し恥じらいを覚えてください。その恰好……なんというか……堂々としすぎです」
マルティナさまが窘めるような目で姫さまを見上げた。
「なんで?ここには女の子しかいないんだから、別にいいじゃない」
でも姫さまは、笑うだけで相手にしない。隠そうともしない。
「私的にはそのままでいいですわ、姫さま。むしろ眼福です。ごちそうさまですわ」
サーシャは真顔でアホなことを言っていたけれど。
「うふふ。ありがとう、サーシャ」
姫さまは、それすら当たり前のように受け入れた。
マルティナさまは呆れた顔をしていた。
けれど、本当はその場にいた誰もの目が姫さまに釘付けになっていた。
満月の下で、一糸まとわぬ姿の姫さまは、この世の者とは思えないほどに美しかった。
その完璧な美貌、完璧なプロポーション。
それは女でも見惚れて目を逸らせないほど。
その天真爛漫で自信に満ちた性格も、頷ける。
その美しさは常に正義で、その美しさの前には全てがひれ伏すだろうから。
「ねえ、ラーナ」
姫さまは、あたしにその瞳を向けた。
そして微笑んだ。
「私、幸せよ、ラーナ。だから、あなたもそうなったら、嬉しいな」
姫さまは、完璧だ。見た目だけでなく、性格も。
――だからこそ、ときどき辛くなる。
「私もそう思ってるわ、ラーナ」
でも、今度はサーシャがそう言った。
姫さまに比べれば、ちょっとだけ控えめに。
「……私はまだ、“恋”を知らないから」
人間はみな、誰でも当たり前に恋をするらしい。
でも、あたしたちは違う。
人間より遥かに長い寿命をもっているけれど、人生のほとんどの時間を老いとは無縁の肉体で過ごすけれど――その生涯で“恋”をする者は、決して多くはない。
だから、産まれてくる子どもも少ない。
「私もよ、ラーナ。私はきっと、生涯〈戦士〉でいると思うけれど。でも、だからこそあなたを応援したいわ」
そう言ったのは、マルティナさまだ。
第二王女のマルティナさまは、もし姫さまが結婚しなければ、王家を維持するために恋とは無縁の伴侶をもらったかもしれない。
けれど、姫さまが恋をした。
だから、妹のマルティナさまは安心して〈戦士〉の道を選んだ。
別に〈戦士〉が恋をしてはいけないなんて法律もないし、子を産んではいけない掟もないけれど、マルティナさまの場合は、自分が生涯恋をしない予感があったのかもしれない。
でも、あたしだって、好きで恋をしたわけではない。
むしろ、こんなに辛いなら、胸が苦しいなら、恋なんてしないほうが良かったとつくづく思う。
「あたしなんか……可愛くないし、スタイルも良くないし……」
思わず、みっともない本音が漏れた。
あたし以外、みんなキレイだ。
姫さまは規格外にしても、マルティナさまも姫さまに似た美しい顔だし、サーシャも清楚な超美人。
それに二人とも姫さまほどでないにしろ、スタイルもすごく良い。
……でも姫さまには、あたしの劣等感など分からない。分かるはずもないのだ。
常に一番の、姫さまには。
「何言ってるの!?ラーナはこんなに可愛いのに!?」
姫さまはあたしのところにパシャパシャと駆けてきて、その両手で私の両手をとって立ち上がらせる。
月明りにあたしの裸体が晒される。
「ほら、こんなにも綺麗!」
でも、あたしは姫さまと並んだ自分を勝手に比較して、ひどく恥ずかしかった。
そのあたしの表情に気づいたのか、サーシャが言った。
「私たちはさ。姫さまやマルティナさまやレノラさまみたいに、あんまりにも美女に囲まれ過ぎて目が肥えちゃってるのよ。もしも人間たちが私たちを見たら、きっと誰でも一瞬で惚れちゃうわよ――ほら、この間の男たちみたいにね」
そう言って笑った。
「そうね」
マルティナさまも頷いた。
でもその後で、形の綺麗なその眉を少しだけ顰めた。
「……でも、“惚れる”と言えば聞こえはいいけれど、人間たちから見ると私たちは“危険な美しさ”なんだそうよ。”男を惑わす”だとか、”劣情を掻き立てる”だとか……人間たちの文献を調べていたら私たちの同族に関する記述も結構あったのだけど、そういうことばかり書いてあったわ」
「ふふ。“美しすぎて危険”なんて……私たちは罪な女ですわね」
「笑いごとじゃないのよ、サーシャ。気を付けなきゃって話」
「分かっていますわ、マルティナさま。でも、少なくともこの間の金髪の男は、もっと純粋にラーナに見惚れてたと思いますけどね」
「……人間なんかにいくらキレイだと言われても、惚れられても、あたしは少しも嬉しくない」
あたしが思わず呟くと、サーシャは苦笑を浮かべた。
「あなたに人間と“恋”をしろなんて言わないわ、ラーナ。あなたにはもう、心に決めた人がいるからね」
それからマルティナさまに向き直って、
「それに私だって、人間と“恋”をしたいなんて思っている訳ではありませんよ。寿命も全然違いますし」
「分かってるわ。……でもね、サーシャ。これは必ずしも私たちが人間と“恋”をするかどうかに限った話ではないのよ」
マルティナさまはゆっくりと首を振った。
「この先、いつか私たちが人間との共存を考える時が来るなら……念のため気を付けておかないとね。人間達の中には、邪なことを考える者もいるかもしれないから」
それを聞いて、マルティナさまは人間との共存を考えているんだと、あたしは思った。
“文献を調べている”というのも、その可能性を本気で考え始めたからなのだろう。
――あたしはぼんやりと、やだな、と思った。
「もう、マルティナったら。またあなたは、そうやって悪い方にばかり考えて。まだ何もされていないのに、人間をまるで悪者みたいに言わないで」
姫さまはそう言って、月夜に青く瑞々しい裸体を晒したまま、両手を腰に当てて頬を膨らませた。
「……これは念のための用心ですよ、姉さま。何かされてからでは遅いのですから」
マルティナさまはそう言って、湯船の中で肩を竦める仕草をした。
――ちょっとだけ、胸がざわざわした。
それが何故だか分からない。
サーシャもやっぱり、どちらかと言えば人間に興味を持っている側だ。
元々好奇心旺盛だし、そうでなくても、あの子はなんだかんだ言って、誰にでも優しい。
もしかしたらあたしだけ、ひどく心が狭いのかもしれない。
「ラーナ」
いつの間にか暗い思考をしていたあたしに、姫さまはまた無垢な瞳を向けた。
「はい?」
「あなたは、キロンに告白しないの?」
姫さまの今の興味は、どうやらまだ、ニンゲンよりあたしにあったらしい。
「……しないですよ……」
あたしは俯いて答えた。
「どうして?」
どうして?
――それは、あなたが。
彼はあなたが好きだから。
あたしではなく。
「どうして?あなたはとてもかわいくて綺麗で、恋はこんなにも素敵な……」
「――姫さまとあたしは違うからですよっ!」
思わず、姫さまを遮って声を荒げてしまった。
姫さまは、驚いて、それから少し傷ついた顔をした。
あたしのそれは、ほとんど八つ当たりみたいなものだった。
でも謝ることもできず、あたしはただ姫さまの綺麗すぎる瞳から目を逸らした。
「……ごめんね。ラーナ……」
少ししてから、姫さまの方が謝った。
あたしはそのとき、答えられなかった。
「いえ、あたしのほうこそ」とすぐに言えば良かった。
「勝手なことを言ってごめん、ラーナ。……でも……それでもね」
姫さまは少し哀し気に、それでいて背景の満月すら霞むくらい、可憐に微笑んだ。
黄金色の月明かりを、その青く瑞々しい全身に浴びて。
「やっぱりね、恋は素敵だと思うの。だから……だから明日の私を見てて。ラーナに恋をしてよかったって思ってもらえるくらい、私はちゃんと幸せになるから」
その幻想的な光景に、あたしはまた言葉を失った。
「……姉さま。せめて前隠してください、前」
それから、マルティナさまの呆れ顔に、サーシャと一緒になって笑ってしまった。
姫さまも笑っていたし、マルティナさまもなんだかんだで笑ってた。
――そしてあたしは結局、「ごめんなさい」を言う機会を逃してしまった。




