第32話 幼い少女のララバイ
~戦士ジェラルド~
『作戦の決行は、満月の夜の翌日が良かろう』
一週間前のことだ。
あいつらがまたコンタクトして来た。
珍しいことだった。
いつもなら、新月の夜だけに連絡を寄越すからだ。
しかもその日は、あいつらの手の者を直接霧の中に送ってきた。
でも、俺達はその理由を知っている。
そいつは、使い捨ての魔水晶を二つとたくさんの上質な回復薬の小瓶を持っていた。
二つの水晶の内の一つをすぐに使えと言う。
レオンは俺達幹部を集めて、すぐに魔水晶を起動した。
それを見届けると、そいつは話が終わるのも待たず、また霧の向こうへ帰って行った。
「なぜだ」
レオンが怪訝な顔をした。
『彼奴等は十六夜月の夜、とある儀式をする風習がある。次の十六夜にもその儀式が行われるのは間違いない。その日は朝から、戦力が分散するはずだ。一部の者が、国を離れて森の中の塔に籠るからな』
水晶に映った三人の白いローブのうちの一人が、そう答えた。
「どうしてそんなことが分かる」
俺は胡散臭そうな眼でそいつらを睨んだ。
『我らを舐めてもらっては困る。場所さえわかれば、調査など造作もない』
『そちらの優秀な『学者』殿のお陰で、彼奴らの国へ至る『路』が分かったからな』
「……」
『学者』は固い表情をするだけで、何も言わなかった。
やつの代わりにザックが口を開いた。
「“儀式”って言ったな。なんの儀式だ?」
だが、やつらは鼻で嗤った。
『知る必要はなかろう。古来より魔族と儀式はつきものだ。悪魔の末裔の儀式と言えば、邪悪な物に決まっておる』
「……まあ、そうかもな」
ザックも俺も、そう言われると別におかしいとは思わなかった。
「しかし相手が分散したところで、私たちも戦力を二手に分けるなら、一概に有利とは言えませんよ。あの……恐ろしい兵器も一度きりでしょう」
『学者』が言った。
最後の一言を口にするとき、いつも冷静なあいつが、確かに眉を顰めて嫌悪を露わにしていたのを覚えている。
『案ずるな。特別に我らの戦闘員を貸してやる。普段は邪悪な女どもを狩っている、闇退治の専門家どもだ。……もっとも、我々でも少々手を焼くほどの過激派ばかりだがな』
白ローブのひとりが言った。
その妙に勿体ぶった物言いが少しだけ癇に障った俺は、嫌味たっぷりに言った。
「ふん、普段は高見の見物を決め込んでいるあんたらが、今回は随分と大盤振る舞いだな」
『我らもできる限り協力したいのだ』
やつらは、しゃあしゃあと言った。
『彼奴等は不浄なる存在。忌むべき人類の仇敵だ。人と人との争いを超越した危険な者ども』
『それに、貴殿らが新時代を築く上で、いずれ必ず排除せねばならぬ障害になるだろう。何せ彼奴等は神の祝福無き、悪魔の末裔。我らとは根本的に違う。決して相容れぬ者だからな』
「『大地の民』相手には人手は出せねえけど、魔人相手ならてめえの身体を張れるってことかよ」
ザックが鼻を鳴らすが、
『いかにも』
平然と返してきやがった。
『不浄なる者どもを滅するためなら、我らは命も惜しまぬ。寧ろ未だ覚悟が足りぬのは――』
「もういい、わかった」
尚も言葉を続けようとした白ローブを遮ったのは、レオンだった。
「もういい。『黄金の魔剣』は、おれが必ず手に入れてやる。何に変えても――何をしてもな」
『ふむ、良い答えだ。ようやく神の御力を使う覚悟ができたようだな』
やつらの一人が、満足そうに頷いた。
そして別のやつらが続けて言う。
『こちらも塔の制圧が完了したら貴殿らに連絡をさせよう。決行の日は、くれぐれもその魔水晶を忘れるなよ』
『それでは、我らはこれで失礼しよう。次にまみえるときは、吉報を期待しているぞ、我らが勇者よ。――貴殿らに女神のご寵愛があらんことを』
口々にそう言うと、やつらは俺達の返事も待たずに魔水晶の魔力を解除した。
Ψ
あれから一週間が経った。
今夜は満月。
つまり決行は――明日だ。
明日は早朝から二千の兵を率いてあの広大な森を進み、『学者』が暴いた『路』を抜けて、いよいよ魔の国へ侵攻する。
悪魔の末裔が巣食う、魔界へ。
「さすがに、死ぬかもな……」
俺は眠る気にもならず、ひとり長屋の隅に腰かけ、窓の外のばかばかしい程明るい満月を眺めていた。
「あれぇ、おじさん、どうしたの?ねむれないの?」
ふと、背後から声がした。
振り返ると、リコだった。
「……お前こそ、ガキのクセにまだ寝てなかったのかよ」
「ううん、リコはおトイレに起きただけだよ。おじさんはあした大事なおしごとで、あさ早いんじゃないの?」
リコは大きな目をしばしばさせながら、俺を見て首を傾げた。
「ああ、そうなんだけどな。さすがにまだ眠くなんねえんだ」
「ええーちゃんとねなきゃだめだよー」
「大人はガキと違って、そんなに寝なくても良いんだよ」
「ダメだよそんなこと言って。大人だってちゃんとねないとからだをこわしちゃうからって、お母さんがお父さんに言ってたもん」
意外とリコは引かなかった。
「……分かった分かった。ちゃんと寝るよ」
俺は降参して、自室に引き上げようとした。
だが、その俺の手を、突然リコが握る。
「あ?」
「わかった。おじさん、こわいゆめみたのね?」
その時、やっと気づいた。
リコに握られた俺の手が、震えていたことを。
「……あ、ああ。ちょっとな」
――違う。本当の悪夢を見るのはこれからだ。
「だいじょうぶだよ、おじさん。だいじょうぶ」
突然、リコは俺の頭にその小さな手を置いた。
俺はまだ座ったままで、リコは立っていたけれど、それでもリコはちょっと背伸びしていた。
背伸びしながら、どうやら俺の頭を撫でているつもりらしい。
「……やめろよ、ガキじゃねえんだから」
俺はそう言いつつも、されるがままになっていた。
「リコがこもりうたをうたってあげようか」
「へえ。お前、子守歌なんて歌えるのかよ」
「うーん、うたえなーい」
「あのな……」
「じゃあ、かわりにおじさんがねむれるまで、リコがおはなししてあげる」
「お話?どんなだよ」
「えーとね。やさしくてとってもきれいな、ようせいさんのおはなし!」
「……それは……勘弁してくれ」
俺は思わず苦笑した。
いや、たぶん、ちゃんと笑えてすらいなかっただろう。
「えー、すてきなおはなしだよ?」
俺は逃げるように立ち上がって、
「もういいから、ガキはさっさと寝な」
頬を膨らますリコを置いてその場を去ろうとしたが――ふと思いなおしてもう一度リコの前でしゃがんだ。
その小さな頭を撫でてやりながら、リコに視線を合わせる。
「ありがとうな、リコ。……おじさん、眠くなってきたから今日はもう寝るよ。妖精さんのお話は、明日の仕事が終わって帰ってきてから、聞かせてくれるか?」
俺がそう言うと、
「うん、いいよ!じゃあ、またあしたね」
リコはいつもの人懐っこい笑顔で「おやすみ!」と言ってから、背を向けて、ととと、と両親のもとへ駆けていく。
「ああ……お休み」
俺はその小さな背中を見送った。
また明日、か。
いい言葉だ。
――俺たちはお前のその“明日”を守るために、“明日”死にに行く。
そう考えたら、何故か少しだけ晴れやかな気分になったから不思議だ。
リコとの約束は果たせそうにないが、今日は久しぶりに眠れそうな気がした。




