第22話 男たちの微妙な関係
~霧の谷の軍事総長 ルイーズ~
「サーシャと言い、ラーナと言い……女と言うのはつくづく良く分からん」
『ニヴルヘイム』最大の大浴場の湯船に漬かりながら、キロンは不満そうに言った。
彼の右腕には、四本の蒼い線がくっきりと残っている。
「かすり傷とは言え、君の鋼の肉体を素手で傷つけるなんて、あの子すごいね……」
私は苦笑で答えた。
「その通りだ。あいつ、侍女より〈戦士〉になった方が良かったんじゃないか?」
「ははは、確かにね」
「いや、今からでも遅くないな。侍女なんかやめて、〈戦士〉に転換すれば良いのだ。明日にでも言ってやろう。侍女なんかやめてしまえと」
「キロン、頼むからそれを言うのは止めてあげて……」
「何故だ」
キロンはたぶん本気だ。
それにラーナは、もしかしたら本当に〈戦士〉の素質があるかもしれない。
それでも、もしラーナが本当に〈戦士〉になったとしたら、もう姫さまの傍使いではいられなくなる。
それはつまり……好きな人の傍にいられなくなるということだ。
「ええと……ラーナは、きっと姫さまの侍女であることを誇りに思ってると思うよ」
「むう。まあ、それもそうか」
キロンは一応、納得したようだった。
「俺も姫様付の護衛の座を誰かに譲る気はないしな」
そう。いつも姫さまのそばにいるのは私ではない。
彼だ。
羨ましい、と正直思ってしまう。
けれど、さすがに彼にそんなことは言えない。
「……それにしても、一緒に風呂に入るのなんて、随分久しぶりだね、キロン」
私は話題を変えた。
「お互いに忙しい身だからな。それに俺は、別にお前と語らいたいとは思わん」
「手厳しいね。僕たちも、昔はよく一緒に風呂に入っていたじゃないか」
「ふん、そんな昔の話、忘れたな。俺達はもともと性格が合わん。昔っからな」
「覚えてるじゃないか……」
私は苦笑した。
確かに、昔から私たちの性格は正反対だった。
キロンはいかにも〈戦士〉だった。
どちらかと言えば、私のほうが、〈戦士〉らしくなかったんだ。
それは今でも変わらない。
そもそも、〈戦士〉を志した動機が、不純なものだったから。
それでも、昔は仲が良かった。
少なくとも私はそう思っていた。
いつからだろう。
関係が変わり始めたのは。
いや、そんなこと、考えるまでもない。分かっている。
あのときからだ。
一つしかない幸せを、同じ幸せを求めた、あのときから。
ザバッ――
キロンが湯船から立ち上がった。
小山のような巨躯。鍛え上げられた、鋼鉄の身体。
「……俺はもう出る。じゃあな」
そう言って、キロンは湯船から上がっていく。
「もう少し、ゆっくりしていっても良いんじゃないかい?今日はマルティナさまが護衛を代わってくれているんだろう?」
私はその大きな背中に声を掛けた。
「久しぶりなんだしさ。たまには男同士、裸の付き合いも悪くないだろ?」
彼の答えは分かっていたけれども。
「……断る。俺はお前が嫌いだ」
キロンは立ち止まった。けれど、振り返らない。
「そう……だよね」
「……お前はお前のやり方で勝手にやればいい。俺は俺のやり方で、姫様を守るだけだ。なに、心配するな。お前が死んでも、俺が必ず姫様を守ってやる」
「ああ。そうだね。僕も……君にもしものことがあっても、僕が必ず姫さまを守るよ」
キロンは私の言葉には答えず、フン、と鼻を鳴らしただけで、更衣室へ向かって歩き出した。
「……一応言っておくが」
けれど、扉に手を掛けたところで、こちらを振り返った。
そして眉間に皺を寄せて、私を睨む。
「お前、自分のことを“僕”と呼ぶのは、せいぜい俺の前だけにしておけ。軍のトップがそんなでは、周りの者に舐められるぞ」
私は思わず噴き出した。
それから肩を竦めて見せる。
「ご忠告どうも。気を付けるよ。……というか、君の前以外では、僕も自分のことを“私”って呼んでいるよ」
「ふん。ならいい。俺も外ではお前を『軍事総長殿』と呼んでやる。部下どもへの示しは必要だからな。……それに万が一にも、親しい仲とでも誤解されたらかなわん」
最後にそう言い残し、キロンは扉の向こうへ消えて行った。
「やれやれ……」
一人残された私は、曇る眼鏡を指で拭ってから、星空を見上げた。
「本当に……不器用なお人好しめ」
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ここまでで、第三章は終わりです。
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