第19話 恋に恋する侍女
~霧の谷の侍女 サーシャ~
「――本当、悪かったな」
茶髪の男が去り際にそう言った。
「いいえ」
私は首を振った。
別にこの男が悪い訳じゃない。金髪の男もだ。
でもラーナも悪くない。
あの子はそもそも、人間との交流に懐疑的だった。
もちろん、マルティナさまだって何も悪くない。
人間の男たちから誘われたとき、マルティナさまがすぐに断らなかったのは、きっと私の胸の高鳴りを察してくれたからだ。
悪いのは、私。
ラーナの気持ちは最初から分かっていた筈なのに、自分の好奇心に勝てなかった。
あの茶髪の男――
肌の色も青くなくて、木の幹みたいな色をしているけど。
何より、ニンゲンだけど。
顔は結構、タイプだった。
別に”一目惚れ”とか、そんなのでは全くないけど、少しだけ興味を持ったのは確か。
ちょっとだけ、本当にちょっとだけ、胸がキュンとした気がしたのだ。
――もしかしたら。
もっと親しくなったら、恋心に発展するのかもと、ラーナみたいに恋ができるのかもと、少しだけ期待してしまった。
「良かったら、また今度、な」
「……ええ、また今度」
「あんたたちも、すぐに聖石の中に戻るんだぞ」
茶髪の男は、少しだけ名残惜しそうに私を見て、それから背を向けて村へ戻って言った。
名残惜しそうに私を見たというのは、私の都合の良い解釈かもしれないけれど。
でも、なんとなく、次はないことは分かっていた。
この先もし、私たちと人間が手を取り合う未来があったとしても、だ。
それはなぜだか、確信めいたものだった。
人間の書物によれば、“恋はタイミング”らしい。
結局あの男は、私の運命の人じゃなかったってだけなのだろう。
「……恋って、見つけるのは簡単じゃないのね」
私は誰にともなく呟いた。
Ψ
私たちはほんの少しだけ村に入ったけれど、すぐにまた結界の外の森に戻った。
いくら人間に変装(というか、変身)しているとは言っても、やはり衆目に晒されるのはリスクがある。
私の魔法はある程度魔力そのものも隠せるのだけど、別に得意分野と言うわけではない。
人間達の中にその道の専門の魔法使いがいれば、絶対に見破られないという保証はない。
それに何より、ラーナはもう、帰りたそうだった。
彼女にこれからさらに人間達の集落の中で潜入捜査に付き合わせるのは、あまりに酷な話だ。
一瞬だけ村に入ったのも、さっき出会った男たちに怪しまれないための一時的な措置に過ぎない。
私たちが“森から村に帰った”ところを何人かの人間達に目撃させたので、もう十分だ。
どうやら姫さまも、村の中にはいなさそうだったし。
「さっきはごめんなさい……」
森の茂みからまた集落を観察しながら、ラーナがポツリと言った。
「でもやっぱりあたしは、人間はちょっと……」
「謝らなくていいのよ」
マルティナさまが優しく言った。
「姉さまが戻ったら、『ニヴルヘイム』へ帰りましょう」
「……それより姫さま、一体どこに行っちゃったんでしょうね」
後ろめたそうなラーナを見かねて、私も話題を変えた。
「そろそろ一時間なんですけど、ちゃんと私の魔法の制限時間を覚えているかしら」
「姫さまのことだから、忘れてそうだね……」
「とりあえず、集落の中にはいなさそうなのが、不幸中の幸いね。サーシャの魔法が解けても、人間たちに見られなければ問題はないわ」
「森の中で、何か別の面白いものを見つけたんですかね?」
私が言うと、
「ありえるわね。姉さまのことだから」
マルティナさまも笑った。
「……人間への興味をなくしてくれたんなら、あたしはそっちのほうがいいですけどね」
ラーナがまたぽつりと言った。
「ん?」
ふと、私の視界の端に気になるものが映った。
人間の集落を、見るとはなしに見ていたときだ。
私は茂みからそっと出て、近くの木の上に昇る。
「どうしたの、サーシャ」
下でラーナが呼ぶ声が聞こえる。
私はそれには答えず、木の上から人間の集落に視線を向ける。
それは聖石の境界線ギリギリにある、森に面した木造の建物の中だ。
突貫で建てた割に、ちゃんと二階があって、窓もある。
さすがに窓ガラスのようなものはなかったが。
私の視線の先には、人間が二人いた。
若い男と、若い女だ。
森の中からでもなければ誰にも見られることはない二階の部屋の中で、ふたりは口づけをしていた。
何度も、何度も。
男と女はしきりに何かを囁いている。
私は耳を澄ませた。
辛うじて聞き取れた。
ふたりが盛んに繰り返していることば。
“ア・イ・シ・テ・ル”
そして何度目かのキスのあと、男がそっと女の服に手を掛けた。
お世辞にも上等とは言えない、質素な麻の服。
その服をゆっくりと脱がす。
女もそれを受け入れている。
女の白い肌が露になった。
ごつごつとした男の大きな手が、その形の良い胸を包み込む。
「……サーシャ、何を見つけたの?」
しびれを切らしたのか、ラーナが私の隣まで上ってきた。
「しっ」
私は口に人差し指を当てた。
もっとも、人間ではこの距離からは何も聞こえはしないだろうが。
男は女の身体を愛でそしてその腕に抱きながら、また「あいしてる」と言った。
女もそれに応えて、やはり同じように「あいしてる」と返した。
そしてもう一度唇を重ね、ふたりは折り重なるようにゆっくりとベッドに伏す。
「な、なっ!何やってるの、アレ!汚らわしい!破廉恥!」
ラーナが悲鳴を上げた。
「だから、しっ!」
私は、今度は人差し指をラーナの唇に当てて、強引に黙らせた。
「ちょっと、二人とも……さすがに趣味が悪いわよ。……たぶん」
終いにはマルティナさままで隣の木に上ってきた。
「ラーナ、マルティナさま。あれが、“恋”……ですか?」
私がその光景を凝視したまま思わず呟くと、
「し、知らないわよ!」
ラーナは顔を赤くして目を逸らし、
「うーん、どうかしら……ちょっと違うような……って言うか、必ずしもイコールではないような気もするのだけど……」
マルティナさまは少しだけ困ったように苦笑した。
それから、
「ごめんね。私にはわからないわ」
と言って、マルティナさまは隣の木の枝から軽やかに飛び降りた。
「……それより、ふたりとも。そろそろ帰るわよ」
ちょうど彼女の視線の先の木陰から、一人の女性が姿を現す。
こっちに向かって、真っすぐに走ってくる。
「よかった、やーっと見つけたわ!」
青い肌に銀色の長い髪。そして満月のような金色の瞳。
姫さまだ。私たちの、姫さま。
一時間前に掛けなおした私の魔法は完全に切れていて、元の姿に戻っていた。
姫さまはご自分で《色素移動》の魔法を掛けられるはずだけど、それすら解いている。
「どこ行ってたの、みんな!」
「……こっちの台詞ですよ、姉さま。姉さまこそ、一体どこに行っていたんですか……」
下のほうで、マルティナさまの呆れた声が聞こえる。
「ほら!姫さまも戻ってきたし!サーシャ、行くよ!」
ラーナが私の腕を引っ張って、強引に木からおろそうとする。
「はいはい、ちゃんと行くから」
私は渋々、その場を後にした。




