第17話 月の瞳
~人間の勇者 レオン~
「ちょっと待ってくれ、アマリリス!」
森の中へ駆け出していく彼女の背に、おれは焦って声を掛けた。
しかし、アマリリスはもう振り返らない。
あまりに突然のことで、思わず反応が遅れたが、いくら迎えが来ていると言ってもこの森の中で彼女を一人にするのは心配だ。
慌てて後を追う。
しかしあっという間に彼女は姿を消してしまった。
彼女の向かった方向にしばらく走ってみたが、もはや影も形もない。
(速い……)
少しだけ木々が開けた場所に出て、辺りを見渡すと、おれのちょうど目の高さのあたり、木の枝に、革製の衣服がひっかけられていた。
おれのジャケットだ。
あっという間に走り去った割に、随分と丁寧に折りたたまれている。
おれがここまで来ることを分かっていて、目立つ場所に置いて行ったらしい。
「レオン!」
そのとき、おれの背後から若い男の声がした。
「……『学者』か」
振り返ると、金髪の中性的な顔立ちの男が長杖を片手に立っていた。
春とは言え森の中はまだやや涼しいが、額には汗を浮かべている。
「無事でしたか?魔物を退治に行ったきり中々戻らないので、少しだけ心配しましたよ」
「ああ、それで探しに来てくれたのか。すまない」
「いえ、まあ。貴方なら問題ないとは思いましたが……しかし、それは」
『学者』はおれの左腕に巻かれた包帯に気づいて言った。
「ああ、かすり傷だ。大したことはない。もう血も止まっているしな」
「やはり、こっちは魔物でしたか」
「ああ、あれは冥猟犬だな。一匹だけだったが」
「冥猟犬?黒妖犬ならいざ知らず、魔界の猟犬が召喚されるでもなく、自然発生するとは珍しい」
「そんなことより『学者』。村の近くにあった他の気配ってのは大丈夫だったのか?」
「ああ。あっちはポルックス村の若い娘たちだったようです。先ほどジェラルドから連絡がありました。なので、私はこっちに来たわけですよ」
「ポルックス村の……?」
「ええ、そうです。なんでも、結界の境界あたりで花摘みをしていたとか。ずっと結界の中に閉じこもっていると、気も滅入るのでしょう……とはいえ、可哀想ですが、今は我慢してもらうしかないですね。現に魔物も出た訳ですし」
「……まあ、そうだろうな」
おれは頷いた。
誰だってそうだ。
表面的に平和で穏やかな暮らしに見えても、大人たちはみな、残された時間が少ないことを知っている。
近い将来、必ず訪れる一族の滅亡。
分かっていながら、ただ村に閉じこもって、死を待つだけの日々。
それはそれは、息も詰まることだろう。
つい今しがた、あまりに澄んだ瞳を見たせいで、おれはそんなことも忘れかけていた。
「……なあ、『学者』」
おれは、念のため尋ねる。
「もう、この辺りに魔物の気配はないか?」
「ええ。ありません」
『学者』はすぐに頷いた。
「村の結界の中からでは精度がイマイチでしたが、私自身が森に入ってしまえば、探知は容易です。この森の中にはもう、魔物は一匹もいないと断言できますよ」
「そうか、なら良かった」
おれはひとまず安心して胸を撫でおろした。
それならば、彼女も無事に村に帰れるだろう。
改めて彼女のことを思い出す。
ポルックス村のアマリリス。
目を奪われるほどに美しい少女だった。
だが、その美しさとはまた別に、強く心惹かれるものがあった。
聡明で、芯の通った強い女。それでいて、純真でどこか幼いところもある。
――そして何より、あのどこまでも澄んだ、気高い満月のような黄金色の瞳。
(……不思議な娘だったな)
何か隠していることもあるようだった。きっと言いたくないこともあるのだろう。
気にはなるが、あまり追及するべきではないかもしれない。
村に戻って探そうと思えば難しくないだろうが、それも止めておこう。
そもそも、人目を忍んで水浴びに来たところを魔物に襲われおれに助けられたなど、周りの者に知られたい話ではない筈だ。
『学者』たちにも、敢えて話すほどのことでもない。
それに、同じ村にいるのだから。
きっといつか、また会えるだろう。
おれは彼女が去っていた方に向かって呟いた。
「……約束は、必ず守るよ。見ていてくれ、アマリリス」




