第15話 黒髪の男
~王女~
二つに分かれた魔物の残骸はもちろんもうピクリとも動かない。
(冥猟犬を一刀両断……)
この人間は、強い。
少なくとも私たちが思っていた“ニンゲン”と言うものより遥かに。
「怪我はないか?」
「……え、ええ。ありがとう」
黒髪の男は長剣にこびりついた緑色の血糊を振り払い、腰の鞘におさめてからこちらを振り返り――
私を見て、それからすぐに目をそらして言った。
「君は……どうして裸なんだ」
「――!」
私は自分の身体を見下ろして、今更はっとした。
言葉も出ず、慌てて前を隠すと男に背を向ける。
「……し、下は穿いてるわよ」
「ふつうの娘は上も着ている」
「……」
……私だっていつも脱いでいる訳じゃないんですけど。
着ていた服が血塗れになってしまったのだから仕方がない。
でも、“魔物の返り血を洗っていたから……”、と素直に言うのはたぶん、今は得策じゃない。
「……とりあえず、これを着てくれ」
私が答えに迷っていると、男は躊躇いがちにそう言って、私の肩に何かをかぶせた。
彼が来ていた革製のジャケットだった。
温もりがほんのりと伝わってくる。
春とは言え、真水で洗って冷え切ってしまった体には、心地良い。
「君一人か?こんなところで何をしていたんだ」
どうやら、男は私を人間だと思っているようだ。
……当たり前か。
今の私は、サーシャの魔法で人間の姿になっているのだから。
「え、えーと、泉で水浴びを……」
「水浴び?聖石の外だぞ?いくら今まで魔物が出なかったからといって」
男は目を見開いてから、
「……まあ、村では水は貴重だしな。気持ちは分からないでもないが」
今度はひとり、勝手に納得したように頷いた。
「……そ、そうなの。たまにはちゃんと身体を洗いたくて」
私はちょっと大きなジャケットに腕を通してから振り返り、咄嗟に男の話に合わせた。
「けど、これでわかっただろ?やっぱり外は危険だ。現に一匹とは言え、魔物も出たんだ。もうこういうことは止めてくれ」
「え、ええ。……わかったわ」
私は先に始末した六体の冥猟犬が泉の底に沈んでいて良かったと心底思った。
男は私に背を向けると、泉の脇に手際よく木の枝を並べ、そして火を起した。
「……その服濡れているな。水浴びのついでに服も洗濯していたのか。火のそばで乾かすといい。……煙が移らないように、位置は気を付けてな」
「あ、うん。ありがとう……」
少し迷ったが、結局私は彼の言葉に素直に従うことにした。
風の精霊の力を借りればあっという間に乾くのだけれど、どうやら、人間の中で魔法を使える者は少ないらしい。
今ここで、変に不信感を持たせるのは得策じゃない。
焚火を囲んで向かい側で、男は私を見て言った。
「……君は見たことのない顔だな」
「……」
思わず表情が固くなる。
「ポルックス村の娘か?」
しかし男は別の何かに思い至ったようだった。
「え?そ、そうね…えーと…」
私が返答に迷っていると、男はどうやら肯定と受け取ったらしい。
「ポルックスは霧の中に入る直前に保護した村だからな。おれもまだ知らない顔も多いようだ」
「そ、そうなの。私、ポルックス村の出身なの」
渡りに船、とばかりに私はコクコクと頷いた。
「そうか……それは、災難だったな」
ポルックス村というのは、どうやら最近この男たちと合流していて、そしてどうやら最近散々な目に遭ったらしい。
「おれのことは、知っているな?」
「……え、ええ。直接話すのは初めてだけど、遠くから見たことはあるわ」
さっき遠巻きに見ただけだが、嘘ではない。
名前は知らないけど。
いずれにせよ、こんな聞き方をするということは、やはりこの青年は人間達の中ではリーダー格なのは間違いなさそうだ。
「君の名前は?」
「私?私は、えーと……」
さすがに本名を名乗る訳にはいかない。
「……あ……アマリリスよ」
私は咄嗟に好きな花の名前を答えた。
「そうか。良い名だ」
男は少しだけ表情を和らげて頷いた。
男はそれから、荷物袋から金属製の小さなひしゃげたカップを二つ取り出して、そこに水筒から水を入れ、続いて何か粉のようなものをそれぞれに入れた。
そして二つのカップを火にかける。
しばらく、沈黙が流れた。
どうやらこの男は、どちらかと言うと無口な方らしい。
そのとき私はふと、男の左の二の腕から、紅い液体が滲んでいることに気づいた。
「それ……」
「ん?ああ、さっきの魔物を斬ったときに、やつの爪が掠ったみたいだ」
男は自分の腕を一瞥して、気にした様子もなく答えた。
「ごめんなさい。私のせいね……」
今の私はどう見てもただの人間、戦闘員でもない、一介の村娘だ。
実は私が魔物と渡り合えるなどとは知る由もないこの男は、きっとあの状況を目の当たりにして、私の命が風前の灯だと思ったのだろう。
「別に君のせいじゃない。それにこんなものはかすり傷だ。放っておけばそのうち勝手に治る」
「人間は小さな傷も放っておくと重症化することがあるって、聞いたことがあるわ」
「なんだか変わった言い回しをするな」
それまで表情の乏しかった男が、微かに笑った。
「それ脱いで。手当てするわ」
私は自分のちょっとした罪悪感の解消のために、半ば強引に男のシャツを脱がせた。
男は「別に大丈夫なんだが……」と言いつつも、素直に従った。
シャツを脱いだ男の身体は、思ったより逞しかった。
線は細いのに、鍛え上げられた筋肉質な身体はしなやかで均整がとれている。
けれど私が驚いたのは整った身体の造形にではない。
男の褐色の肌は、びっしりと古傷だらけだった。
大小、実に様々だ。
人間は、私たちに比べて傷痕も残りやすいのかもしれない。
「ああ……ずっと戦ってばかりだったからな」
私の気配に気づいたのか、男は苦笑するように言った。
「それは……とても哀しいことね」
「そう……なのかな?」
男の左腕の傷は、思ったより深かった。
まだ血も完全に止まっておらず、紅い液体が薄っすらと滲んでいる。
自分のポーチの中には上等な回復薬もあるが、私は念のため男の持ち合わせを使って手当てをすることにした。
とは言え、男は回復薬すら持っていなかったので、消毒して包帯を巻くだけだ。
非力な人間が魔物退治に森に入ったのなら回復薬くらい持参するべきだろうと思ったが、男の話によると、どうやら今人間達の集落では回復薬が圧倒的に不足しているらしい。
私は念のため男に気づかれないように、男の手持ちの、血止めと消毒くらいしか効果のない薬草にそっと魔法を込めた。
これで少しは治りも早くなるだろう。
「ありがとう。助かるよ」
治療が終わると、男はシャツを羽織った。
それからしばらくしてお湯が沸くと、彼はふたつの内、まだ形がまともな方のカップを私に差し出した。
「コーヒーだ」
男はそれだけ言った。
「……ありがとう」
私は受け取ってその真っ黒な液体を見つめた。
その色に少しだけ躊躇したが、なんだかいい香りがする。
私は思い切って口を付けた。
「……!」
“こーひー”と言うものを始めて飲んだが、それは苦くて香ばしくて、
「おいしい」
私が思わず素直な感想を述べると、男は「そうか」と言って、また微かに微笑んだ。
艶やかな漆黒の髪が、火の明かりを受けて煌めく。
それを見て、私はふと疑問を口にした。
「ねえ、あなたはどうして黒髪なの?」
「ああ、そうか。ポルックスの君は、まだ知らないのか」
男は少しだけ、驚いた顔をした。
「おれは……『大地の民』だからな」
そして何かを覚悟したかのように硬い表情をして私を見た。
「ふうん」
「ふうん……て、それだけか?」
男は拍子抜けしたように言った。
「えと……じ、実はそんな気がしてたの」
「まあ、それもそうだな。見れば察しは付くか。『星の民』に黒髪はいないからな」
男は肩を竦めて苦笑してから、
「……けど、おれが『大地の民』と知って、憎くはないのか?」
橙の瞳で私を見つめた。
澄んだキレイな眼。
けれど、その奥に微かな怯えの色が見える。
「どうして?」
「どうしてって……『大地の民』はおれたちの敵だろう」
「あなたが私たちに何か酷いことをしたの?」
「いや、おれはしていないが……」
「あなたと同じ髪の色の人が私に何か酷いことをしたとしても、それはあなたではないわ」
「……!」
私は人間ではない。
もちろん『星の民』じゃないし、ポルックス村の娘でもない。
ポルックス村の人たちが、黒い髪の人たちに何をされたのか、本当は私は何も知らない。
けれど、もし私が何かをされていたとしても、やっぱり答えは変わらない筈だ。
「……そうか。そうだな」
男は、何故か嬉しそうに笑った。
その笑顔は、まるで幼い少年のように見えた。
この男は真顔のときは大人びて見えるけど、笑うと本来の年齢かそれ以上に幼く見えるみたいだ。
私は少しだけ彼に興味を抱いていた。
「でも、どうしてあなたは……『大地の民』のあなたが――?」
「レオン、と呼んでくれ」
「レオン。そう。良い名前ね」
「名前くらいは知っていただろう」
「……改めて思ったのよ。良い名前だなぁ、って」
「そうか。ありがとう。まあ、ニックネームだけどな」
それから、しばらく、ふたりで焚火を眺めながらコーヒーを啜り、いろいろな話をした。
最初は、私が何も知らないことに気づかれたらまずいと思ったのだけれど、どうやらその心配はなさそうだった。
何故なら、彼のそれは、独白に近かったから。
誰かに聞いてもらって、自分の考えを整理したかった――いや、というより、自分の覚悟を再確認したかったのかもしれない。
彼の話によれば、霧の外ではもうずっと前から戦争が続いているらしい。
なんでも、『大地の民』『海の民』『星の民』という三つの民族が争っていたのだとか。
永らく三つ巴の戦いが続いていたのだけれど、今からちょうど一年ほど前に、ついに『海の民』が最初に脱落したらしい。敗れた彼等は大陸での勢力圏を完全に失い、海を越えて小さな島へと渡ったそうだ。
均衡が崩れてからは、『大地の民』と『星の民』の全面戦争が始まった。
それからは早かった。
数で劣る『星の民』は、次第に勢力圏を奪われ、すでに三分の一以上が命を落とし、大陸の端へ端へと追い詰められているのだという。
このレオンと名乗った黒髪の青年は『大地の民』だけれど、彼がまだ幼かった頃、『海の民』との小競り合いに巻き込まれて死にかけていたところを、敵側であった『星の民』に助けられたのだそうだ。
そのときに家族を失い身寄りのなかった彼は、そのまま『星の民』と暮らすことになった。
今から十年前の当時はまだ『海の民』も力を持っていたころで、三つの勢力が拮抗し、互いににらみ合っている時期で、小競り合いは絶えないものの今よりは比較的落ち着いていたらしい。
その後戦争が激化していく中で、彼は『星の民』とともに生きることを選んだのだそうだ。
最後に彼はこう言った。
彼にとっては『星の民』は命の恩人であると同時に“家族”なのだと。
血など繋がっていなくても。
彼はただ、“家族”を守りたいのだと。
「いつか……こんなところに来なくても、ちゃんと安全な村の中で水浴びができるようにしてやる」
話が終わると、黒髪の男は揺れる炎を見つめて独り言のようにそう言った。
それから、ひしゃげたカップでコーヒーを啜りながら、
「コーヒーだって、ちゃんと豆から挽いたもっと美味いやつをいくらでも飲めるようにしてやる。……約束するよ、アマリリス」
私を見て少しだけ微笑んだ。
微笑んでから、またその視線を炎に戻す。
橙の瞳にゆらゆらと燃える炎が見えるのは、焚火のせいだろうか。
そしてまた、長い沈黙が訪れた。
「……ねえ、聞いてもいいかしら」
私は沈黙に耐えかねて――と言うより、好奇心に駆られて男に尋ねた。




