第12話 同じモノ
~マルティナ(霧の谷の第二王女)~
「おい!返せよ、バカやろうっ!!」
少年の怒声が響いた。
闇の精霊の力を借りて、森の入り口付近の茂みから集落を観察していた私たち四人は、一斉に声のした方に目を向ける。
見れば、村の外れ、聖石の守りの結界のすぐそばで、痩せた二人の男の子が何かを取り合っていた。
目を凝らすと、どうやら一人の少年が手にしているのは、パンだ。
この距離からでも分かる。固そうな、栄養価も低そうな、ただの小麦のパン。
お世辞にも、美味しそうには見えない。
「ケンカ、だよね?」
「間違いなく、ケンカね」
ラーナが眉を顰め、サーシャが頷く。
「いいだろ!おれは今日は朝から何も食ってないんだ!」
「ふざけんな!それはおれのだ!おれだって、母ちゃんから分けてもらったんだ!」
年の頃は二十歳くらい……いや、人間は子どものうちは私たちの二倍くらいの速度で成長すると書いてあったから、それを踏まえるとたぶん、十歳くらいと言うところか。
「あっ」
ラーナの小さな悲鳴。
「――このやろう、返せ!」
ついに、パンを持っていなかった方の少年が、もう一人の少年に殴り掛かった。
あっという間に取っ組み合いが始まる。
近くに人間の大人の姿はない。
「姉さま、止めに行ってはダメですからね」
私は闇を纏って隣にしゃがんでいる姉に釘を刺した。
てっきり、また飛び出して行ってしまうと思ったからだ。
サーシャとラーナもふたりして慌てて姉さまの服の裾を掴む。
「行かないわよ」
でも、私たちの予想に反して、姉さまは動こうとはしなかった。
ふたりの侍女の拘束は関係なく。
代わりに、真剣な眼差しでもみ合う痩せた男の子たちを見つめている。
「たぶん、大きな怪我にはならないでしょ」
姉さまの言う通りだった。
蒼い血の子どもたちと違って、人間の子どもたちは驚くほど非力だった。
あの細い腕に爪もなければ魔力もない。
よほど当たり所が悪くない限り、かすり傷が精々だろう。
「……それに、きっと人間達の中で解決できるわ」
近くに大人の姿はない。
だが、二人の騒ぐ声に気づいたのか、ひとり走ってくる小さな姿があった。
「ケンカはだめーっ!」
男の子たちよりさらに幼い、ひとりの女の子だった。
何の躊躇もなく地面に転がって殴り合う少年たちに突っ込み、何とかふたりを引きはがそうとしている。
「な、なんだよ、リコ!邪魔だよ、どけよ!」
男の子の一人が幼女を追い払おうとするが、
「だめなのーっ!」
女の子はしがみついて話さない。
「どけって……!」
ガッ
もう一人の男の子が幼女を振り払おうと彼女のほうに伸ばした腕が、女の子の顔面にあたった。
「!」
私の右隣りでサーシャが息を飲むのが分かった。
男の子の肘がもろに入った女の子の小さな鼻から、ツーっと赤い血が流れる。
場違いだけど私はその時、やっぱり人間の血は紅いんだなと、改めて思った。
「お、お前が悪いんだぞ……」
肘をぶつけてしまった男の子がばつの悪そうな顔で言う。
でも、女の子は泣かなかった。
目に涙を溜めながら、それでも毅然と男の子たちを睨み、
「ケンカはだめでしょー!?」
女の子は両手を腰に当てて言い放った。
ドクドクと鼻血を流しながら。
――鼻血はともかく、最近見た光景だと、その時私は思った。
「……わ、悪かったよ」
「と、とにかく拭けよ、鼻血」
毒気を抜かれた少年たちは、起き上がると、ふたりして幼女の出血を止めに掛かる。
しかし幼女はそれを振り払って、地面に落ちた固そうなパンを拾い上げ、ぱんぱんと半ば乱暴に砂を振り払った。
そして「はい」と少年の一人に手渡した。
満面の笑顔で。――相変わらず鼻血を垂れ流しながら。
「お、おう」
受け取った男の子はしかし、本来のパンの持ち主ではなかった用だ。
「ごめん。おれが悪かったよ」
それをもう一人の男の子に渡す。
「あ、ああ」
受け取った男の子は、少し迷ってから、それを器用に三つに分けた。
「いや、みんな腹減ってるんだもんな……これ、三人で食べようよ」
そしてもう一人の少年と、女の子に欠片を手渡す。
「え、リコもいいの!」
女の子の表情がぱっと明るくなる。まだ鼻血は出ているけれど。
「ああ、でもリコは先に鼻血止めてから食えよ。……てかごめんな。ケガさせちゃって」
「ううん、わざとじゃないんでしょ?じゃあ、許してあげるー!パンもらっちゃったし!」
少年たちは女の子に謝って、それから三人で笑い合って小さなパンの欠片に齧り付いた。
「ほら、ちゃんと自分たちでなんとかできたでしょ」
姉さまは私のほうをみて、ふふん、と笑って見せた。
「……ほとんど、あの小さい女の子のお手柄ですけどね」
私の代わりに、右隣りのサーシャが肩を竦めて答えた。
「……おい、ケンカしてるっていうのは……なんだ、もう仲直りしてたのか」
そこでようやく、人間の大人が子どもたちのところへやってきた。
長身の若い男だった。
人間にしては整った顔立ちだ。
「黒髪……?」
サーシャが微かに驚いた声を漏らした。
意志の強そうな、橙の瞳。
そしてこの村では珍しい、漆黒の髪。
だがそれだけではない。
「あの人、強いわね」
今度は私の左隣の姉さまが、ぽつりと言った。
線は細いが、鍛え上げられた筋肉質な身体。
間違いなく戦闘員だ。だけど、ただの戦闘員じゃない。
姉さまの言う通り、かなりの手練れだ。
少なくとも、人間たちの中では英雄クラスじゃないだろうか。
「オジサン、遅いよ~!もうリコが解決しちゃったよー!」
「そうか、遅れてすまなかったな……ってリコ、お前その顔どうした」
「ああ、レオンさん、それはおれがさ……」
鼻血を出しながら満面の笑みで胸を張る幼女を見て、黒髪の男は驚いた顔をする。
その男に、少年たちはばつが悪そうに頭を掻きながら、事の成り行きを説明し始めた。
いつの間にか、他にもふたり、大人たちが集まってきていた。
短い金髪の男と、長い茶髪の男。
この二人もまた、人間にしては相当腕の立つ者のようだった。
この三人が人間達の指導者だろうか。
「……くそぅ、『大地の民』さえいなければ、こんな思いをしなくて良かったのに……!」
「そうだよ!パンを取り合ってケンカなんかしなきゃいけないのは全部あいつらのせいだ……あいつ等なんか、みんな死んじゃえばいいのに」
話しながら、感情が高まったのか。
少年たちも目に涙を溜めながら、口々に恨み言を吐き出した。
「……あとちょっとの辛抱なんでしょ?あとちょっと我慢すれば、レオンさんたちが、あいつらを……『大地の民』を皆殺しにしてくれるんだよね……?」
「……!」
少年たちの言葉に、黒髪の男は、いや他の大人ふたりも、一瞬言葉を失ったようだった。
わずかな沈黙が訪れる。
「そんなこと言っちゃだめーっ!!」
その沈黙を破ったのは、またもあの幼女だった。
「な、なんでだよ!?それはいいだろ!?あいつらのせいでこんな思いをしてるんだから……!」
「そ、そうだよ!あいつらがみんな死ねば、おれたちも腹いっぱいメシが食えるんだぜ……!?」
面食らったように、男の子たちがたじろぐ。
「だからそんなこと言っちゃだめなのっ!!」
女の子はイヤイヤをするように首を左右に激しく振る。
大人たちも驚いたように女の子の顔をただ見つめていた。
「……リコ、どうしてダメだと思うんだ?」
やがて、黒髪の男が静かな声で訊いた。
「死んじゃえばいいとか、そんなことだれにも言っちゃだめなの!だって、だれだって死ぬのはイヤなんだよ。リコだって死にたくないもん。自分がイヤなことを、人にしちゃだめなんだもん!」
「――!」
男たちは、また言葉を失ったようだった。
そしてそれは、私も同じだった。
「さ、先にやってきたのはあっちだ……!」
言葉が出ない大人たちの代わりに、少年がかすれた声で抵抗する。
「あっちの人たちも、そう思っているかもしれないじゃん!」
「な……!」
「それに、お兄ちゃんたちだって、なかなおりできたじゃん!」
「ば、ばか。おれたちのケンカとは違うんだよ。戦争なんだぜ……」
「そんなの、やってみなきゃわかんないじゃん!!」
「――!」
「……わ、わかるんだよ。『大地の民』はみんな悪い奴だ」
「レオンおじさんは『だいちのたみ』だけどいい人だよ」
「ほ、他の『大地の民』はみんな悪い奴なんだよ……」
「わたし、レオンおじさんいがいの『だいちのたみ』の人とおはなししたことないよ」
「お、おれたちだってないよ……あるわけないだろ。おれたちが生まれる前からずっと戦争してるんだからさ……」
「じゃあ、わかんないじゃん!おはなしもしたことないのに、どうしてわるものだって決めつけるの!」
女の子は、もはや半泣きで叫んでいた。
その涙に濡れた瞳はしかし、一点の曇りもない。
「……もういいよ、リコ。ありがとうな。お前は正しい」
ようやく、黒髪の男が口を開いた。
そして少年たちと幼女の頭を順に撫でた。
その橙の瞳はまるで父親のように優しく細められていた。
「お前たちの気持ちも、決して間違ってるわけじゃない」
黒髪の男は少年たちに向かって言った。
「でも、おれはリコが正しいと思うんだ。おれたちは、同じ人間だ。決して分かり合えないとは思わない。いつか……いつか必ず、『大地の民』とも仲直りができる世界を、おれたちが作ってやる。そのときは、お前たちも腹いっぱいパンを食べられる世の中になっている。絶対だ。……約束するよ」
その言葉は、その瞳は決意に満ちていた。
強く澄んだ、それでいて、どこまでも悲愴な決意に。
「どうせならおれ、パンで腹いっぱいじゃなくて、肉とかシチューが食べたいんだけど……」
少年が呟くと、大人たちは顔を見合わせて笑った。
「はっはっは!そりゃそうだ!レオンのやつは味音痴だから、パンだけでもいいんだろうけどな。俺たちはいろいろ食いたいよな!」
「ああ、そうそう。それに酒だって、浴びるほど飲みたいよな」
「いやお酒は別に……」
「ザックお前、子どもに何言ってんだ、阿呆」
そうして、人間達は大人も子どもも楽しそうに笑っていた。
まだ、別に何一つ解決していないだろうに。
「ほらね?」
隣で姉さまが私の顔を見て嬉しそうに微笑んだ。
私は素直に頷きはしなかったけれど、姉さまの言いたいことは十分に分かった。
――けれどそのときは、私たちは分かっていなかった。
大きな勘違いをしていたのだ。
彼らが言う同じ人間と言う言葉が指す意味を。




