第11話 ニンゲンの集落
~マルティナ(霧の谷の第二王女)~
「私、せっかくなら黒髪が良かったわ」
「ダメですよ、姫さま。今霧の中にいる人間たちは『星の民』と言う部族らしいです。残念ながら『星の民』には黒髪はいないみたいですので」
「あれ、サーシャ。黒い髪の人間っていないの?昔あなたが読んでくれた人間のお伽話では、黒髪の人間が出てきたと思ったんだけど」
「いると思いますよ。でもそれは『大地の民』という部族に多いようですわ」
「じゃあ、私だけ『大地の民』ってことにすれば良いんじゃない?どっちも同じ人間でしょ?」
「それはもっとダメです、姉さま。霧の中に逃げて来た『星の民』が戦争している相手こそが『大地の民』って話ですから」
「同じ人間同士なのに……」
そこで初めて、姉さまは少しだけ暗い顔をした。
「姫さま」
それに気を遣ってくれたのか、それまで複雑な表情を浮かべていたラーナが話題を変える。
「……ちゃんと足下見て歩かないと、毒兎に噛まれますからね」
「ちょっと腫れるだけでしょ」
「いやいや、きっと三日は腫れが引きませんよ。ハイヒールが履けなくなったら、ダンスの練習に支障が出ちゃうかも」
「そうなったらレッスンお休みかしら!」
「……今日すでにサボって来てる人が、今更何言ってるんですか」
「単純にレノラさまに叱られますよ」
「大丈夫よ、ラーナ、サーシャ。だって、どうせもうレノラに怒られることは決まっているもの」
「それのどこが“大丈夫”なんですか……」
私は隠すこともなく、深々と溜め息をついた。
私たちは姉さまを説得することは早々に諦めた。
彼女が現にここに来てしまった以上、もう、何を言っても聞くわけはないからだ。
それに『ニヴルヘイム』のみんなに隠して街を出て来たのは、私たちも同じだ。
姉さまにしてみれば、私たちにとやかく言われる筋合いはない。
という訳で、私たちは全員共犯となった。
いや、今回の一件は明らかに私の責任なのだけど。
……サーシャ、ラーナ、なんかごめんね。
Ψ
「着いた……!」
先頭を行くサーシャが小声でそう言ったのは、それから十五分ほど歩いた頃だった。
『寂寥の森』の終着点。
そのすぐ前に、人間達の集落はあった。
「気づかれないように気を付けて」
私はみんなに声を掛けた。
みんな――と言うか、主に姉さまに向かって。
「なんだろう……なんか、嫌なカンジ……寒気がするというか、肌がピリピリするというか」
ラーナが両腕を擦って眉を顰めた。
「“聖石”よ、ほらあれ」
サーシャが集落を取り囲む木々のいくつかに括り付けられた光る石を指した。
「人間が使う、魔物除け。あの程度のサイズじゃ、どれほどの効果があるのか分からないけどね」
「霧の中の魔物は全部マルティナたちがやっつけちゃうから、結果的にはあんまり関係ないわね」
今は栗色の髪をした姉さまが、そう言って笑った。
髪の色だけじゃなく少しだけ顔立ちも変え、そばかすまでまぶしてあるのだけど、それでも姉さまは相変わらず綺麗だ。
姉さまが言う通り、霧の壁の中に魔物が発生すれば、『ニヴルヘイム』の〈戦士〉たちがただちに出動して排除にあたる。
霧の中で最も瘴気が濃いのは『寂寥の森』だから、魔物のほとんどは森の中で出現するのだが、結局はどこで産まれようと、半日と待たずに殲滅される運命にあるのは同じ。
これは姉さまや私が生まれるよりも前、何百年も前から続く、霧の中の当たり前の日常対応だ。
「そんなことも知らずに安全な暮らしができるなんて……人間たちは、随分と良いご身分ですねぇ」
ラーナは相変わらず腕を擦りながら、少しだけ非難するように呟いた。
別に『ニヴルヘイム』は人間達のために魔物を排除している訳ではないけれど、ラーナの言いたいことも、分からないではない。
結果として彼らの聖石は、魔物除けとしての意味はなく、ただ私たちの気分をちょっとだけ悪くしているだけだ。
集落の中に入ってしまえばそれすらなくなるのだろうが、今はそういう訳にもいかないので、聖石が最も効力を発揮する結界の境界線辺り――つまり一番不快なエリアで人間観察をしなくてはならない。
もっとも、あの程度の石では、ラーナの言う通りちょっと寒気がしたり、肌がピリピリしたり、と言う感じの僅かな不快感をもたらすくらいが精々だけど。
「まずは村の様子を把握しましょう」
私たちは木々に隠れ、森の中から遠巻きに集落を観察して回った。
私の最初の感想は、“質素ではあるが、意外とまともな暮らしをしている”、というものだった。
突貫で造ったのだろうが、その割に切り倒した木々を加工して建てた木造建築の住居は、思いのほかしっかりした造りだ。
「たった三週間足らずで……ドワーフやブラウニーほどではないにしろ、案外、人間も手先の器用な種族なのかもしれないですわね」
サーシャも感心したようにそう言った。
「いつの間にこんなに沢山……」
ラーナは血の気の引いた顔で呟いた。
人間の総数はルイーズから報告の通り、だいたい三千人くらい。
村の周りを一周して実際にその数を目の当たりにすると、思った以上に凄い規模だ。
正直、これには私も圧倒された。
漠然と抱いていた不安がより具体的になった、と言ってもいい。
『ニヴルヘイム』の全国民の総人口が五百人程度だから、その六倍もの数の人間が霧の外から押し寄せ、そしてあっという間に自分たちの集落を築いてしまった。
いくら力の弱い種族とは言え、この数を恐ろしいと感じるラーナを責められない。
もう一つ驚いたのは、“老化”が始まっている者がやけに多かったことだ。
死が近づいた者が、こんなにたくさんいるものなのだろうか。
そもそも人間というのは私たちよりずっと寿命が短いらしいが、“老化”についても私たちとは進み方が少し違うのかも知れない。
それから、子どもも多い。
非戦闘員と思われるおよそ千人弱の人間達の中には、女や子どもや老人の割合が圧倒的に多い。
というより、逆に言えば、人間達の社会では若い男は全員戦闘員という扱いなのだろうか。
来る前にもう少しいろいろ、人間に関する文献を調べておけばよかったかもしれない。
いずれにしても、人間達の集落は一見すると、当初私たちがイメージしていたような野蛮で粗野な印象はまるでなかった。
どちらかと言うと、私たちの暮らしに近いようにも見える。
それに、少なくとも表面上は、総じて穏やかで平穏な雰囲気だ。
「子どもは変わらないわね」
私たちと違って、始めて見る人間達の大所帯にも全く動じた様子もなく、姉さまが嬉しそうに笑った。
今も集落の外れで、子どもたちが元気よく走り回っている。
その痩せ具合や身に着けている衣類を見る限り、食料事情も衛生面も十分ではないのだろう。
にもかかわらず、彼らは全く気にしている様子もない。
確かに姉さまの言う通り、その瞳の輝きは『ニヴルヘイム』の子どもたちと何ら変わらないように見えた。
例え肌の色が違っていようとも。
――けれど、大人たちは少し違った。
これは、観察しているうちに気づいたことだ。
彼等には総じて、何か秘めた焦燥感や悲壮感のようなものがあった。
一人ひとりの瞳の奥に宿る、昏い炎。
霧の外の戦禍からも魔物の脅威からも逃れられた今もなお、きっと大人たちは霧の外に捨てられない何かを置いてきたままなのだろう。
それに戦争から逃れてきたというだけあって、怪我人も多かった。
そもそも『寂寥の森』も、恵みの多い森とは言い難い。
人間が食べられる果物や山菜もきっと多くはないし、いくら魔物がいないとは言え、森の奥に棲息する野生動物は力の弱い種族にとっては手強い種も多いだろう。
狩人でもない者たちが、三千もの仲間たちを養うのは簡単なことではないはずだ。
(……いずれ限界が来る)
私はそう思った。
霧の外に出れば待っているのは死。
農地もない、流通もない。三千の大所帯に、数多くの子どもや老人や怪我人たち。
自給自足は長くは持たない。
それに大人たちの瞳の奥に燻ったままのあの、消えない炎。
これはやはり……
私の思考がある結論に至ろうとした、その時だった。




