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第10話 お忍びの偵察隊

 ~サーシャ(霧の谷の侍女)~



 かくして、私たちはこっそり人間の集落に偵察に行くことになった。

 公園で姫さまが子どもたちのケンカを仲裁した、その二日後のことだ。


 もちろん、キロン将軍やレノラ様には内緒。

 ルイーズ様や陛下だって、もし知ったら止めるだろう。

 だから二人にもやっぱり内緒だ。


 因みに、当然姫さまにも秘密。

 連れて行ったら、いきなり人間と友達になろうとか言い出しかねないから。


 人間という生き物が、手を取り合える種族ならいずれはアリかもしれないけど……さすがに今はまだ用心しないわけには行かない。


 そういう訳で決行は、今日となった。

 何故なら今日は、姫さまがレノラさまのダンスレッスンを受ける日だからだ。


 婚儀に備えて姫さまは今、週に三日ほど、『ニヴルヘイム』一の淑女たるレノラさまから直々にダンスの手ほどきを受けている。

 お城から抜け出しがちな姫さまも、さすがにレノラさまのレッスンは今のところサボったことがない。

 ……あくまで、今のところ、の話だけれど。


 そしてレッスン中は、私たちもすることがないのでいつも自由時間だ。

 とはいえ、いつもなら同じ部屋で、『ニヴルヘイム』が誇る美女二人の舞踊を目の保養にしていることも多いのだけれど……私たちだってたまには所要で出掛けることもある。


 だから今日も、姫さまを何も知らないレノラさまに託し、マルティナさま、ラーナ、私の三人が誰にも怪しまれることなくお城を出るなんて、別に難しいことではなかった。



 でも『ニヴルヘイム』の街を出るとき、思いがけず、市壁の手前で剣戟を響かせる二人の〈戦士〉を見かけた。


「どうした!腕が鈍ったのではないですかな、軍事総長殿っ!」


「キロン、君こそ!昔より技のキレが落ちてるんじゃないかい?」


「笑止!これから本気を出すところですぞ!」


「そうかい、奇遇だね。僕もだよ!」


 眼鏡を掛けた、長身でたくましい美青年と、それよりさらに一回り背が高く、二回り以上体格の良い、ワイルドな大男。


 ルイーズさまとキロン将軍だ。

『ニヴルヘイム』の〈戦士〉の中でも、屈指の実力者たち。


 その二人が凄まじい闘気を纏ってお互いを挑発し合いながら、激戦を繰り広げている。


 喧嘩……ではない。もちろん。

 訓練だ。


 街を出るところを二人に気づかれるとちょっと面倒だけど、どうやらその心配はなさそうだった。

 何故なら、彼らは今、周りがまるで目に入っていなかったから。


「……あのふたり、仲がいいのか悪いのか、良く分からないわね」


 マルティナさまがそれを見てクスっと笑った。


「少なくとも、性格は正反対ですけどね」


 私も頷いてから、


「それにしても、よくやりますね……」


 少しだけ呆れて言った。


 最近は姫さまの護衛に付くことが多いキロン将軍だが、彼もレノラさまのダンスレッスンの間だけは、その任務を離れている。

 まあ、必要ないからだろう。


 でも、やっぱり彼もやることがないのか(それでも私たちみたいに、じっと姫さまたちに見惚れているのは抵抗があるみたい)、レッスンの日は大抵〈戦士〉の誰かを捕まえては、訓練をしていることが多い。


 とは言えあの人と渡り合える〈戦士〉なんて、この『ニヴルヘイム』でもほんの一握りなのだが……今日は随分と大物を捕まえたようだ。


「ほら、いつまでもぽーっとしてないで。行くわよ、ラーナ」


 私は放っておくといつまでも見ていそうなラーナの腕を、ちょっとだけ強引に引っ張って、マルティナさまと三人で『ニヴルヘイム』の街を後にした。



     Ψ


『寂寥の森』を超えた先の人間たちの集落までは、それから三時間程度で着いた。

 ちなみに、私たちだから三時間で着いたけど、人間ならおそらく、どんなに急いでも倍以上は掛かるだろう。


 いや、それもあくまで“距離”の話であって、実際のところは彼らが何日かけたところで、『寂寥の森』に隠された“路”を見つけて『ニヴルヘイム』に来ることなど不可能な話だけど。


「……じゃあ、サーシャ。念のため、お願いね」


 そう言うマルティナさまに向かって、私は頷いた。

 頷いてから呪文を唱え、マルティナさまとラーナ、そして私の三人に魔法を掛ける。


「えー、ナニコレ?あたし、何か可愛くないんだけど」


 すぐにラーナが不満そうな声を上げた。


 変身魔法。

 マルティナさまが私を同行させた理由の一つだろう。


 ラーナはともかく、マルティナさまも私も、『ニヴルヘイム』の多くの者は、“肌の色を変える魔法”を使うことができる。正確には、私たちの血に含まれる青色の色素を移動させる魔法だ。

 でもそれだけでは、人間たちと同じような肌の色にはできても、尖った耳や顔立ちを変えることはできない。

 それに移動させた色素は全て髪に移るという特徴があるので、この魔法を使うとみんな肌の代わりに髪の色が鮮やかなブルーになってしまう。

 それはそれで、きっと人間の中では結構目立つことだろう。


 そこで私の出番という訳だ。


 私は色素移動の魔法とは別に、《変身》の魔法が使える。

 血の色ではなく、顔の形そのものを変える魔法だ。


 実は『ニヴルヘイム』でも、この魔法を使える者は結構レア。

 ……とは言っても私の《変身》はまだまだ未熟で、今のところはまだ《色素移動》の魔法に毛の生えた程度。髪や肌の色を好きな色に変えたりする以外は、ベースの造形をほんのちょこっと変えるくらいしかできないのだけど。


「……文句言わないの。可愛いいままだと目立つし、人間っぽくないでしょ」


 小さな手鏡を覗き込んで不平を言うライトブラウンの髪のラーナに、私は人間に聞かれたら嫌われそうなことを言った。


 でも、事実なのだから仕方ない。

 肌の色を変えようと、耳の形を変えようと、目立ってしまっては変装の意味がないのだから。


「ちなみに私の魔法の持続時間は一時間。それまでに掛けなおす必要があるから、私からあまり離れないでね」


 鏡を見ながら尚も不安そうなラーナに私がそう言うと、


「まあ、あくまで万一の時のための対策よ。そもそも、できるだけ人間には見つからないようにね。離れたところから観察するだけだから」


 焦げ茶の髪に人間のような肌色のマルティナさまが笑った。


 彼女は私の《変身》魔法を掛けてもなお、美しい。

 私の魔法程度じゃ汚せないということか。


 ……いや、私だって、敢えてマルティナさまを不細工にしようとか、そんなつもりはさらさらないけれど。


「最初から、わざわざ来なくても良かったんじゃ……」


「そんなこと言わないで、ラーナ。私はあなたとも一緒に確かめたかったのよ」


 もともとあまり乗り気じゃなかったラーナが口を尖らせると、マルティナさまは肩を竦めて苦笑した。


「まあ、マルティナさまがそう言うなら……」


 ラーナは渋々と言う感じで納得したみたいだ。


「私は結構、ワクワクしてますわ、マルティナさま」


 私は素直にマルティナさまに本心を伝えた。


 マルティナさまは「それは良かったわ」と私にも笑いかけてから、終わりの近い森の端に目を向けて続けた。


「じゃあ、行きましょうか」


 マルティナさまが人間の集落に向かって歩き始める。


「ええ」

「はぁい……」


 私は結構乗り気で、ラーナは渋々と言った感じで応え、後に続く。


「いい?ふたりとも。ここにいられるのはせいぜい三時間くらいよ」


「レノラさまのレッスンも、お夕食までには終わりますからね」


 私が言うと、マルティナさまは振り返らずに頷いた。


「そう。だからそれまでには帰らないと。もしも姉さまに知られたら大変だわ」


「ふふ、一大事ですね」


「てか、大惨事ですよ、それ」


「どうして?」


「どうしてって……そりゃ絶対、自分も行きたいって言い出すからよ」


「絶対言いますね」


「言わない訳がないですね」


「言わないわよ、そんなこと」


「言うでしょ、ラーナ。姫さまなら」


「え?あたし?いや、姫さまが言わない訳ないじゃん、サーシャ」


「何言ってるの、サーシャ、ラーナ。あの姉さまよ?絶対言うに決まってるでしょ」


「……だから言わないって。もう、信用無いなぁ、私」


 その声は、私たちの背後からだった。

 聞き慣れた声。


「だって、もう来てるもの」


 鈴の音のような、軽やかで凛とした響き。


「え?」


 振り返ったマルティナさまが、目を見開く。


「姉さま……!」


 つられて振り返るラーナと私。

 『寂寥の森』の、涼しくてどこか暗い、森の中。


 そこには、案の定と言うべきか、我が国が誇る絶世の美女が、満面の笑みで立っていた。


 そして彼女は、悪戯っ子のように「てへっ」と可愛く笑ったのだった。


「――来ちゃった」


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