第八章 決起前夜
五月十九日、午後十一時二十分。
木更津駐屯地の、使われなくなった第三格納庫。
雨が、トタン屋根を、太鼓のように叩いていた。格納庫の中は暗く、がらんとしていて、床のコンクリートには、何十年も前のオイルの染みが、地図のように広がっていた。天井の鉄骨から、雨漏りの雫が、一定の間隔で、床に落ちていた。ぴちゃん。ぴちゃん。灯は、その音を、数えていた。
格納庫の真ん中に、折り畳み式の長机が一つ。その上に、しずくのノートパソコンと、東京二十三区の大判の地図と、懐中電灯が三本。懐中電灯の光が、地図の上の、永田町と霞が関のあたりを、丸く照らしていた。
机を囲んでいるのは、八咫中隊の五人だけではなかった。
「……正気か、篠宮」
低い声で言ったのは、第二中隊「天鈿女」の中隊長、東雲まひるだった。二十一歳。短く刈り込んだ髪と、日焼けした肌。高校時代は、陸上部の短距離の選手だったと聞いている。
葛西みのりの、中隊長だった人。
灯は、白樺園から持ち帰った台帳を、東雲に見せた。
――葛西みのり。死亡処理、二〇四八年四月二十二日。炉心化処置、同年四月二十四日。基幹塔移送、同年五月八日。第一層、第四十区画。稼働中。
東雲は、その一行を、五分間、見つめていた。
それから、台帳の画面を閉じて、言った。
「みのりの葬式で、私は、弔辞を読んだ」
声が、震えていなかった。震えないように、全身で、押さえつけているのがわかった。
「棺の前で。閉じた棺の前で。『みのり、あなたは、最後まで、盾だった』って。……あの子は、その時、まだ、生きてた。白樺園の地下で、背中に石を埋められてた。私が、弔辞を読んでる、その時に」
東雲は、拳で、机を叩いた。地図の上の懐中電灯が、跳ねて、光が揺れた。
「やる。天鈿女は、やる」
*
第三中隊「玉依」の中隊長、霧島沙耶は、もっと慎重だった。
「私は、反対よ」
十九歳。長い黒髪を一本の三つ編みにして、背中に垂らしている。玉依は、八咫や天鈿女と違って、新人の多い中隊だった。十四歳と十五歳の隊員が、五人のうち三人。
「篠宮さんの言いたいことは、わかる。台帳も、録音も、見た。吐き気がするわ。でも、私の隊には、十四歳の子がいるの。その子たちに、国家反逆罪の片棒を担がせるわけにはいかない」
「わかってる」
灯は、頷いた。
「だから、霧島さんには、お願いが一つだけ」
「何」
「何もしないで」
霧島は、眉をひそめた。
「何もしないで、って」
「明日の朝、出動命令が出ても、出ないで。体調不良でも、補助炉の故障でも、何でもいい。私たちを、止めに来ないで。それだけでいい」
霧島は、長い間、灯を見ていた。
それから、三つ編みの先を、指先でくるくると回した。考える時の、彼女の癖だった。
「……玉依の補助炉、全部、ヤシマ製なのよ」
「知ってる」
「明日の朝、全機、点検のために、整備班に預ける予定だった。点検には、最低、十二時間かかる」
霧島は、三つ編みから、指を離した。
「十二時間。それ以上は、無理よ」
「ありがとう」
「お礼なんか、言わないで。私は、何もしないだけ。……でも、篠宮さん」
霧島は、灯の目を、まっすぐに見た。
「もし、あなたたちが、誰か一人でも、傷つけたら。私は、十四歳の子たちを連れて、あなたたちを、止めに行く。それだけは、覚えておいて」
「覚えておく」
*
他の地域の中隊には、しずくが、暗号化した通信で、連絡を取った。
大阪の第二防壁群。福岡の第五防壁群。札幌の第七防壁群。それぞれの中隊長に、台帳と録音と、灯たちの計画の概要を、送った。
返事は、まちまちだった。
大阪の中隊の一つは、「動けないが、邪魔もしない」と返してきた。
福岡の中隊は、返事をしなかった。
札幌の中隊長は、一行だけ、返してきた。
――私の姉も、白樺園にいる。いや、いた。終わったら、塔の中の名前を、全部、教えて。
*
「作戦名は」
午前零時を過ぎたころ、ひばりが、訊いた。
「作戦名、要るやろ。かっこええやつ」
「要りません」
しずくが、即答した。
「要るって! 歴史に残るんやで、これ。『五・二〇事件』とかいう、地味な名前で教科書に載るの、うち、いやや」
「教科書に載る前提で話さないでください」
「籠目」
灯が、言った。
四人が、灯を見た。
「籠目。竹の籠の、編み目。六角形の、網目」
灯は、地図の上の、永田町と霞が関を、指でなぞった。
「しずくの結晶格子と、同じ形。籠目は、昔から、魔除けの印だった。悪いものを、寄せつけない。でも、籠そのものは、中にあるものを、閉じ込めるためじゃなくて、運ぶためのもの」
灯は、少しだけ、笑った。
「中にあるものを、壊さないように、大事に、運ぶ。……私たちがやるのは、それ」
ひばりは、口を尖らせた。
「……ちょっと、地味やな」
「地味でいいの」
*
作戦は、三つの段階に分けられた。
第一段階。午前四時三十分。
天鈿女中隊の四人が、長野の白樺園を、制圧する。
「制圧、という言葉は、使いません」
しずくが、言った。
「保護、です。白樺園の地下にいる四十二人の炉心候補と、久我凛子さんを、保護する。施設の職員には、一切、危害を加えない。天鈿女の防壁で、地下七階を、外部から隔離する。誰も、入れない。誰も、何も、運び出せない。証拠も、人も」
東雲が、頷いた。
「それから、民間の医療チームを、呼ぶ。信州大学病院の、神経内科。私の、高校の先輩が、医局にいる。もう、話はつけてある。夜明けと同時に、救急車で、白樺園に向かってもらう」
「四十二人を、筒から出しても、大丈夫なの」
小夜が、訊いた。
「まだ、結晶を埋め込まれていない子なら、たぶん。鎮静剤を抜いて、管を外せば、目を覚ます。……結晶が、埋め込まれた子は」
東雲は、言葉を切った。
「わからない。外したら、死ぬかもしれない。外さなかったら、一生、あのまま。……医者に、判断してもらう。私たちには、決められない」
第二段階。午前五時。
八咫中隊が、永田町と霞が関を、防壁で、包む。
「範囲は、ここ」
灯は、地図の上に、赤いペンで、線を引いた。
北は、内堀通り。桜田門から、半蔵門まで。西は、青山通りと、外堀通りの交差点。南は、溜池山王から、虎ノ門。東は、日比谷公園の西端。
首相官邸。国会議事堂。衆参の議員会館。内閣府。防衛省は市ヶ谷にあるので、範囲の外だが、外務省、財務省、総務省、警察庁、内閣官房の主要な庁舎は、すべて、この中に入る。
「面積、約二・四平方キロメートル。周囲長、約六・二キロ」
しずくが、計算した。
「六・二キロ」
ひばりが、目を丸くした。
「凛子さんが、品川で張ったのと、ほとんど同じやん」
「そう。中隊長は、一人で、六キロを張った。私たちは、五人で、六・二キロを張る」
灯は、地図の上の、赤い線を、指でなぞった。
「構造は、二層。外側の骨組みは、私の多層防壁。薄い板を、角度をずらして、何百枚も重ねて、ドーム状に組む。その骨組みの網目を、しずくの結晶格子で、埋める」
「籠目の、本体ですね」
「そう。それから、ドームの頂上と、外側の一部に、ひばりの反射膜を、張る」
「なんで、うち、上なん」
「上から、何か、降ってくるかもしれないから」
ひばりは、一瞬、黙った。
「……ミサイル、とか?」
「わからない。でも、御厨なら、やるかもしれない」
「小夜は、ドームの全周を、見回る。割れたところを、縫う。それから」
灯は、小夜を見た。
「門を、作ってほしい」
「門?」
「ドームの、何か所かに、出入り口を。武器を持っていない人だけが、通れる門。国会議員と、報道関係者と、医療関係者と、それから、中から出たい人。出たい人は、誰でも、出ていい。官僚でも、大臣でも。ただし、書類や、記録媒体は、持ち出させない」
小夜は、少し考えた。
「……私の修復の糸で、防壁の一部を、ほどいたり、閉じたりすることは、できると思います。ほどく時に、通る人の、持ち物を、糸で、触って確かめる。金属の、銃や刃物の形があれば、閉じる。記録媒体も」
「できる?」
「やったことは、ありません。でも、やります」
トワは、ドームの中心、国会議事堂の中央塔の屋上に、配置されることになった。そこから、ドームの全周と、内外の人の動きを、すべて、観測する。
第三段階。午前六時。
宣言。
「ここが、いちばん、大事」
灯は、言った。
「私たちが、何をして、何をしないのか。なぜ、こんなことをするのか。いつ、すべてを、返すのか。それを、国民に、伝える」
「どうやって」
小夜が、訊いた。
「テレビも、新聞も、報道の政令で、黙らされてる」
「うちが、やる」
ひばりが、言った。
四人が、ひばりを見た。
「うち、適性が出る前、配信やっててん。『ひばりch』。登録者、十二万人。……まあ、適性出てから、部隊に入る時に、規則でアカウント凍結されたけど」
ひばりは、ポケットから、自分の携帯端末を取り出した。
「凍結されたアカウントの、バックアップ、まだ持ってんねん。海外のサーバーにな。報道の政令は、国内の放送局と新聞社と、国内のプラットフォームしか、縛られへん。海外の配信サイトやったら、政府も、すぐには止められへん」
「止められたら」
「ミラーサイト、百個、用意しとく。止められたら、次。止められたら、次。うちのファン、そういうの、得意やねん。前に、炎上した時も、それで逃げ切ったから」
しずくが、呆れたように、眉を上げた。
「……何で炎上したんですか」
「たこ焼きに、チーズ入れた」
「それで?」
「大阪の人、怒るねん。そういうの」
格納庫の中に、久しぶりに、笑い声が、響いた。
*
午前一時。
しずくは、格納庫の隅の、木箱の上に座って、ノートパソコンのキーボードを、叩き続けていた。
灯は、その横に、座った。
「……書けた?」
「まだです」
しずくは、画面を見たまま、答えた。
「最初の一文が、決まらないんです。『我々は』で始めるか、『私たちは』で始めるか」
「どっちでも、同じじゃないの」
「違います」
しずくは、キーボードから、手を離した。
「『我々は』は、軍人の言葉です。二・二六の決起趣意書も、『謹んで惟るに』で始まって、『我々』で語られている。組織の、集団の、大義の言葉。……『私たちは』は、一人ひとりの言葉です。一人ひとりが、自分の意思で、ここに立っている、という」
「じゃあ、『私たちは』だね」
「ええ。でも、そうすると、今度は、軽すぎる気がして。国家に向かって、国民に向かって、『私たちは』なんて、まるで、学級会の決議みたいで」
灯は、しばらく、考えた。
「学級会で、いいんじゃない」
「え」
「私たちは、十五歳から二十二歳の、ただの女の子だよ。学校に行っていれば、学級会で、文化祭の出し物を決めてる年。それが、こんなことを、しなきゃいけなくなった。……それを、隠さないほうが、いいと思う」
しずくは、灯を見た。
それから、ノートパソコンに、向き直った。
キーボードを、叩く音が、再び、響き始めた。
灯は、しずくの肩越しに、画面を見た。
最初の一文が、書かれていた。
――私たちは、この国の盾です。今も、これからも。
*
午前二時。
ひばりは、格納庫の外の、軒下に座って、雨を見ていた。
灯が隣に座ると、ひばりは、顔を上げずに、言った。
「なあ、灯ちゃん。うち、最後の配信、何て言うたらええと思う」
「最後?」
「たぶん、最後やろ。これ終わったら、うち、捕まるやろ。捕まったら、もう、配信なんか、できへんやろ」
ひばりは、膝を抱えた。背中の火傷の痕が、Tシャツ越しに、こわばっているのがわかった。
「うち、配信、好きやってん。画面の向こうに、何万人もおるやろ。顔も知らん人ら。その人らが、うちのしょうもない話で、笑ってくれんねん。『ひばりちゃん、今日もアホやなー』って。それが、めっちゃ、嬉しかってん」
「……うん」
「適性が出て、部隊に入れって言われた時、うち、配信やめたくないって、泣いてん。お母さんにも、先生にも。でも、あかんかった。法律で、決まってるから、って」
ひばりは、雨の中に、手を伸ばした。手のひらに、雨粒が、溜まっていった。
「でも、部隊に入って、わかってん。画面の向こうの人らも、顔の見えるとこにおる人らも、おんなじやって。うちが守ってる街の、どっかの家で、誰かが、うちの昔の配信のアーカイブ、見てるかもしれへんやん。そう思ったら、なんか、盾やるのも、悪くないなって」
ひばりは、手のひらの雨を、ぎゅっと握りしめた。
「せやから、最後の配信は、その人らに、ちゃんと、言いたいねん。うちが、何を守ってきたんか。何を、守りたいんか」
「言えばいいよ。そのまま」
「そのまま?」
「今、私に言ったこと。そのまま」
ひばりは、灯を見た。
目が、赤かった。
「……灯ちゃん、ずるいわ」
「何が」
「そういうこと、さらっと言うの。凛子さんに、似てきたで」
*
午前三時。
小夜は、格納庫の二階の、元は管制室だった小部屋で、手紙を書いていた。
便箋は、実家から持ってきた、母の便箋だった。薄い水色の、透かし模様の入った、和紙の便箋。万年筆は、十五歳の誕生日に、父から贈られたものだった。
――お母様へ。
そこまで書いて、小夜は、ペンを止めた。
窓の外では、雨が、少し小降りになっていた。駐屯地の誘導灯が、雨の中で、オレンジ色に、滲んでいた。
小夜は、しばらく、その光を見ていた。
それから、ペンを、動かした。
――お母様へ。
――これから、私は、お父様に、ひどいことをします。お父様が、私にしたことよりも、もっと、ひどいことかもしれません。お父様の、守ろうとしてきたものを、すべて、壊してしまうかもしれません。
――でも、私は、お父様を、殺しません。傷つけません。ただ、お父様が、ご自分のなさったことから、逃げられないように、包みます。
――お母様。私は、お父様を、愛しています。だから、お父様に、ご自分のなさったことを、ちゃんと、見ていただきたいのです。目をそらさずに。私が、子供の頃、楠の上から見た、あの美しい世界を、お父様が、どうやって、壊してしまったのかを。
――お庭の楠に、今年も、新しい葉は出ましたか。
――小夜
小夜は、便箋を、丁寧に折りたたんで、封筒に入れた。
封はしなかった。
*
午前三時三十分。
トワは、格納庫の屋根の上に、一人で座っていた。
雨は、上がっていた。雲の切れ間から、星が、いくつか、覗いていた。東京湾の向こうに、天蓋の基幹塔が、白く、光っていた。
灯が、屋根に上がってくると、トワは、スケッチブックを、灯に向けた。
新しいページに、何かが、描かれていた。
東京湾の、地図。天蓋の基幹塔。そして、その周りに、無数の、細い、渦巻きのような線。
灯は、その線を、目で追った。渦巻きは、すべて、塔に向かって、収束していた。
「……これ、何」
トワは、鉛筆で、渦巻きの中心を、とんとん、と叩いた。それから、空を、指さした。
灯は、空を見上げた。
何も、見えなかった。星と、雲と、夜空だけ。
トワは、スケッチブックの端に、文字を書いた。
――そらが、ひっぱられてる。とうに。
「空が、塔に、引っ張られてる?」
トワは、頷いた。それから、さらに書いた。
――とうが、おきてから。さけめが、とうに、よってくる。
灯は、息を止めた。
「……一昨日の裂け目。羽田沖。天蓋の塔の、すぐ北」
トワは、頷いた。
――つぎは、もっと、ちかい。もっと、おおきい。
「いつ」
トワは、指を、三本、立てた。
それから、もう一度、空を見上げた。
「三日?」
トワは、首を、横に振った。
「……三十時間?」
トワは、頷いた。
灯は、しずくのノートパソコンに、三輪技官の、最後の分析結果が、残っていたことを、思い出した。逮捕される前日に、三輪が、しずくに送ってきたもの。過去十七年間の、裂け目の発生地点の分布図。
その分布図には、天蓋の建設が始まった五年前から、東京湾周辺での裂け目の発生頻度が、三倍に跳ね上がっていることが、示されていた。
三輪は、その図に、一行だけ、メモを添えていた。
――仮説:基幹塔の魔素集積が、裂開を誘引している可能性。要検証。
「天蓋は、禍を、防ぐんじゃない」
灯は、呟いた。
「禍を、呼んでるんだ」
トワは、スケッチブックを、閉じた。
それから、灯の手を、握った。
トワの手は、包帯越しに、温かかった。
*
午前四時。
格納庫に、五人が、もう一度、集まった。
全員、紺色の制服を、着ていた。詰襟のボタンを、一番上まで、留めていた。補助炉は、旧型。背中に、ずっしりと、重い。
灯は、四人の顔を、一人ずつ、見た。
しずく。眼鏡の奥の目が、眠たげではなかった。手には、ノートパソコンと、印刷した宣言文。
ひばり。携帯端末を三台、制服のポケットに、ねじ込んでいた。目が、まだ、少しだけ赤かった。
小夜。背筋を、まっすぐに伸ばしていた。制服の胸ポケットに、封筒が、一通、差し込まれていた。
トワ。スケッチブックを、胸に抱いていた。包帯の巻かれた両手が、かすかに、震えていた。
「……最後に、もう一回だけ、確認する」
灯は、言った。
「一つ。誰も、殺さない。誰も、傷つけない。何も、壊さない」
「はい」
「二つ。権力を、取らない。誰かを、裁かない」
「はい」
「三つ。必ず、返す」
「はい」
「期限は」
しずくが、答えた。
「七十二時間。五月二十三日、午前五時。その時刻に、籠目は、解除します。何が起きていても。どんな状況でも」
「七十二時間で、何も変わらなかったら」
「変わらなくても、解除します」
しずくは、言った。
「それが、約束です。約束を破ったら、私たちは、ただの反乱軍です」
灯は、頷いた。
「それから、もう一つ」
灯は、トワのスケッチブックを、開いた。渦巻きの絵を、四人に見せた。
「トワが、次の裂け目を、感じてる。三十時間以内。天蓋の塔の、すぐ近く。たぶん、一昨日よりも、大きい」
格納庫が、静まり返った。
「籠目を張っている間に、裂け目が開いたら。私たちは、どうするの」
小夜が、訊いた。
「守る」
灯は、即答した。
「籠目を維持しながら、裂け目からも、守る。どっちも、捨てない。私たちは、盾だから」
「……そんなん、できるん」
「できるかどうかじゃない」
灯は、凛子の口調を、真似た。
「無理でも、やる」
*
午前四時三十分。
長野県、霧ヶ峰高原。
白樺の森の中を、四つの影が、走っていた。
天鈿女中隊。先頭を走る東雲まひるの背中で、旧型の補助炉が、青白く、光っていた。
霧が、草原を、流れていた。牛たちは、まだ、眠っていた。
白樺園の、赤い屋根が、霧の向こうに、見えてきた。
東雲は、走りながら、両手を、開いた。
「みのり。迎えに来たよ」
*
午前四時五十八分。
東京都千代田区、永田町。
夜明け前の、群青色の空の下で、国会議事堂の中央塔が、黒い影になって、そびえていた。
その塔の屋上に、トワが、立っていた。
議事堂の正門前の、桜の並木。葉桜が、夜明けの風に、揺れていた。
首相官邸の、ガラス張りの外壁に、まだ点いたままの、いくつかの窓の灯りが、映っていた。
内堀通りの向こうに、皇居の森が、黒々と、広がっていた。
桜田門の脇に、ひばりが、立っていた。
溜池山王の交差点に、しずくが、立っていた。
虎ノ門の、霞が関ビルの屋上に、小夜が、立っていた。
そして、首相官邸の、正面の、六本木通りを挟んだ向かいの、歩道橋の上に。
灯が、立っていた。
館山の朝と、同じように。
灯は、空を見上げた。
東の空が、白み始めていた。
――数える。
灯は、心の中で、呟いた。
――数えられるうちは、まだ大丈夫。
インカムから、トワの声が、聞こえた。
『あかり』
トワが、灯の名前を、呼んだ。
『みんな、いる』
灯は、目を閉じた。
それから、目を開けた。
両手を、開いた。
「籠目、展開」




