第11話 次は?
「で?」
只野は段ボールの上に寝転んだままグラビア写真を見ながら言った。
五人が倉庫へ戻ってきてから、もう十分くらいしゃべっている。
五人揃った。
正式部の申請を出した。
受け付けてもらった。
でも、大学にはもう拳闘部がある。
同じボクシングの正式部を二つ置くことはできない。
だから、女子同好会をそのまま正式部にはできない。
途中でひまりが話を足して、千尋が直して、美波が、
「要するに」
と短くし直した。
綾乃だけは、ほとんど黙っていた。
全部聞いた。
だから聞いた。
「で?」
美波の眉が寄った。
「で、じゃないんだけど」
「ボクシングはできんだろ?」
千尋が答える。
「できます」
「向こう入れば」
「可能です」
「じゃあ入ればいいだろ」
美波が綾乃を見る。
綾乃も美波を見る。
二人とも何も言わない。
何だよ。
只野は缶を持ち上げた。
「リングあんだろ。バッグもある。こっちより全然いいじゃん」
美波の目が細くなった。
「先生」
「先生じゃねえ」
「今、じゃんって言った」
「言ってねえ」
「言った」
「そこどうでもいいだろ」
「そこはちょっと面白い」
「うるせえな」
只野は酒を飲んだ。
綾乃が口を開く。
「設備の問題だけじゃありません」
「何が」
「私たちは、この五人で続けたいんです」
「五人で向こう入ればいいじゃん」
美波がすぐ指を差した。
「また言った」
「うるせえ!」
ひまりが少し笑った。
さっきまで暗かった顔が、ほんの少し戻る。
只野は缶を置いた。
「一緒だろ。場所変わるだけじゃん」
「三回目」
「数えんな」
美波を無視して、綾乃を見る。
「何が違うんだよ」
綾乃が答える前に、ひまりが壁を見た。
「ここは、私たちで作ったところなので」
只野も見る。
古い壁。
古いマット。
吊ったサンドバッグ。
扇風機。
どこを見てもボロい。
「この倉庫?」
「ボロいですけど」
「自分で言うんだ」
「最初はもっと何もなかったんです」
ひまりは床を見る。
「みんなで掃除して、マット運んで、バッグ直して。綾乃先輩が何回も大学に頼んで、ここ使えるようになって」
「だから?」
ひまりは只野を見る。
「なくなるの、嫌です」
それだけだった。
只野は返事をしなかった。
よく分からない。
倉庫なんて倉庫だ。
なくなったら、別の場所へ行けばいい。
その方がリングもある。
シャワーもある。
道具もある。
わざわざボロい方に残りたがる意味が分からない。
美波が壁へ背を預けた。
「向こうが嫌なわけじゃないよ」
「じゃ行けよ」
「だから、そうじゃないって」
「面倒くせえな」
「昨日会った真田くんも普通だったし。設備なんか比べるまでもないし」
美波が一度、倉庫を見回す。
「でも、ここから始めたんだよね」
いつもの軽い声ではなかった。
「私、入ったとき別に強くなかったし。ひまりも大学からだし」
「私は経験者です」
千尋が言った。
美波がそちらを見る。
「今それいる?」
「事実なので」
「はいはい」
千尋はタブレットを膝へ置いた。
「ただ、美波先輩の言いたいことは分かります」
只野は嫌な予感がした。
長いやつだ。
「拳闘部へ加入すれば――」
「長い」
「まだ一文目です」
「美波、やれ」
「雑だなあ」
美波が只野を見る。
「ボクシングは残る」
自分たちを指す。
「でも、うちらは残らない」
只野は五人を見る。
「いるじゃん」
「そういう意味じゃない」
「やっぱ面倒くせえ」
場所。
名前。
誰とやるか。
そんなもん。
変わるだろ。
仕事だって変わる。
人間だっていなくなる。
なくなったら。
「また作りゃいいだろ」
誰も返さなかった。
只野は眉を寄せる。
「何」
綾乃が答えた。
「作れません」
「何で」
「卒業があります」
只野の指が、缶の縁で止まった。
「美波は四年です」
美波を見る。
「私は三年」
綾乃。
「ひまりは二年」
ひまり。
「千尋と律は一年です」
最後の二人。
「だから?」
綾乃は、まっすぐ只野を見る。
「この五人でできる時間は、ずっとあるわけじゃありません」
当たり前だ。
大学生なんだから卒業する。
四年なら、もう長くない。
分かっている。
なのに。
その言い方が、妙に引っかかった。
今しかない。
終わったら、同じものは作れない。
只野は缶を口へ持っていった。
飲まなかった。
「じゃあ……」
口から先に出た。
「次は?」
綾乃の眉が少し動く。
「何がですか」
「これ駄目だったら」
何で俺が聞いてんだ。
分からない。
「向こう入んの嫌なんだろ」
「はい」
「正式部にもなれねえ」
「はい」
「じゃあ次、何すんの」
五人が黙った。
扇風機が首を振る。
カタ。
カタ。
誰も答えない。
只野は綾乃を見る。
「何かあんだろ」
「ありません」
「……は?」
「今のところ、ありません」
また。
その言い方。
次がない。
只野は酒を飲もうとした。
手が止まった。
缶を机へ置く。
まだ残っている。
「何だよ、それ」
綾乃は答えなかった。
只野も、それ以上聞かなかった。
何で俺が腹立ってんだ。
知らねえよ。
俺には関係ない。
そのはずだった。
◇
翌日。
只野は大学拳闘部の練習場にいた。
何でいるんだ。
自分でも分からない。
俺、なんでここにいるんだろうな。
「先生まで来た」
美波が小声で言った。
「先生じゃねえ」
「何しに?」
「暇」
「昨日までどうでもよさそうだったのに」
「今日もどうでもいい」
美波が笑う。
「へえ」
「その顔やめろ」
練習場の端に椅子が並べられていた。
女子が五人。
向かいに拳闘部の連中。
只野は少し離れた壁際に座った。
話し合いらしい。
昨日、学生課に言われたこと。
女子五人が拳闘部へ入るなら問題はない。
でも女子側は、今のチームを消したくない。
拳闘部側も、女が入ること自体には反対していない。
ただし。
「対等に統合して、名前まで変えるとなると話は別です」
拳闘部の上級生が言った。
関西の学校出身なのか、少し言葉が混じっている。
「こっちも何年も大学拳闘部としてやってきてますから」
綾乃がうなずいた。
「分かっています」
「単純に加入してもらうなら、俺らも歓迎します。でも今までの拳闘部をなくして、新しく一から作ったことにするのは……」
「私たちも、吸収されるだけでは納得できません」
綾乃が返した。
只野は欠伸をした。
やっぱ面倒くせえ。
女五人も残したい。
拳闘部も残したい。
お互い、
こっちへ来い。
と言っているだけだ。
その横で、ひまりが千尋へ何か聞いている。
また千尋が長そうな説明を始めた。
美波が途中で、
「つまり、どっちも『そっちがこっち来て』って言ってる」
と切った。
ひまりが、
「分かりやすいです」
とうなずく。
只野はそっちを見るのをやめた。
リングを見る。
中では、話し合いに関係ない部員が動いていた。
ジャブ。
足を運ぶ。
ワンツー。
距離が詰まる。
ミットが鳴る。
パンッ。
パンッ。
女五人の倉庫とは音が違う。
速い。
重い。
人数もいる。
リングもある。
普通に考えりゃ、こっちに入った方がいい。
まだそう思う。
なのに。
昨日の、
ありません。
が頭に残っている。
「じゃあ」
声がして、只野はリングから目を戻した。
真田だった。
一年坊主。
前に少し見た。
肩はある。
脚も使えそうだった。
「比べたらええんちゃいます?」
全員が真田を見る。
上級生もだ。
真田は少し困ったように頭を掻いた。
「いや、組織の話をボクシングで決めんの変やとは思うんですけど」
「変です」
千尋が即答した。
「ですよね」
「でも続けてください」
「はい」
只野は少し笑いそうになった。
変な一年同士だ。
真田が続ける。
「女子側が、ただ名前残したいだけなんか、それとも五人でちゃんとやってて、この形で続ける意味あるんか」
リングを見る。
「それ、見せてもらう方法はあると思うんです」
綾乃が聞く。
「合同練習ですか」
「それでもええですけど」
真田は五人を見る。
「五人おるなら、五人でやるとか」
ひまりの顔が止まる。
「五人で?」
「五対五?」
美波が言った。
千尋が口を開く。
「正式な試合では成立しません。男女間であることに加えて――」
「長えよ」
只野が言った。
全員がこちらを見る。
しまった。
口が出た。
千尋が黙る。
只野はもういいやと思って立った。
「要するに」
リングを顎で示す。
「五つやるんだろ」
真田がうなずく。
「まあ、内部の合同スパーなら」
只野は拳闘部側を見る。
「こいつらが負けたら?」
上級生が少し考えた。
「女子同好会を独立して残す話は終わり。それでも競技を続けたい人は、こっちで受け入れます」
「勝ったら?」
今度は綾乃を見る。
綾乃が一度息を吸った。
「拳闘部と女子同好会を対等に統合したいです」
拳闘部側がざわつく。
「男女どちらも所属する『ボクシング部』として、大学へ改めて申請します」
そりゃ、向こうは簡単に飲めない。
只野でも分かる。
このリングの壁には、古い写真が何枚もある。
賞状。
昔の選手。
今の連中が生まれる前からあるものまで混ざっている。
女どもがボロ倉庫を残したいと言った。
こいつらは、この名前を残したい。
どっちも同じような顔をしている。
只野は鼻を鳴らした。
「面倒くせえ」
美波が振り返る。
「先生が言い出したみたいになってるけど」
「先生じゃねえし、俺じゃねえ」
そこは大事だ。
話はしばらく続いた。
細かいことは千尋と上級生たちが詰める。
公式戦じゃない。
あくまで内部の合同スパー。
体格差が大きくなりすぎないように組む。
安全優先。
五つやって、三つ取った方。
女子側が負ければ、独立した形を残す要求を引く。
女子側が勝てば、拳闘部側も対等統合と名称変更を受け入れる。
最後に、拳闘部の上級生が手を出した。
綾乃が握る。
「お願いします」
決まった。
五対五。
只野は壁に背を預けた。
決まったんなら、もう帰ればいい。
俺には関係ない。
そう思った。
その日のうちに、組み合わせ候補が一枚の紙になった。
千尋が受け取ろうと手を伸ばす。
只野の手が先に出た。
自分でも、出してから気づいた。
「先生?」
「先生じゃねえ」
紙を見る。
名前。
学年。
階級。
経験年数。
簡単な戦績。
知らない奴ばかり。
一番上を見る。
女側の名前。
相手の名前。
その横の数字。
只野の目が止まった。
さっきリングで動いていた奴と、頭の中で重なる。
足。
肩。
距離。
「こいつ」
千尋が横から紙を覗く。
「はい」
只野は顔を上げなかった。
「何する奴?」
口にしてから。
只野は少しだけ眉を寄せた。
何で俺が聞いてんだ。
また、それだった。




