↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アトカの空白の腕  作者: 鷺沼鳩屋
蒼風に開く道
PR
94/131

壊さない一撃

支柱と魔導弁の隙間から伸びた薄緑の結晶は、風に揺れていなかった。


草も、アトカのローブも、白い風車の羽根から剥がれかけた塗装片も、低地へ向かう風を受けている。


結晶だけが動かない。


枝分かれした先端を少しずつ太らせながら、白い支柱へ食い込んでいく。


硬いものが石を引っかく音がした。


魔導弁を囲む石枠へ、細い亀裂が一本走る。


「全員、風車から離れてください」


管理部責任者の声で、現場に残っていた管理人たちが黄色い杭の外へ下がった。


討伐したホーンウルフの回収も止められる。

死骸には管理部の警備員が付き、ほかの者は風車の周囲から退いた。


ニルスも記録板を抱えて下がる。


だが視線だけは、伸び続ける結晶から離れなかった。


「このまま大きくなったら、風車を壊すんですか」


誰へ向けた問いなのか、本人にも決められていないような声だった。


成人技師はすぐに答えなかった。


風車の裏側へ回り、支柱と魔導弁を別の角度から確認する。

細い確認棒を石枠へ当て、内部から伝わる震えを聞いてから戻ってきた。


「風車を壊すと決める段階ではない。ただ、結晶を根元から外せる状態でもない」


技師は支柱の根元へ屈み、三つに分かれた枝を順に示した。


一つは上へ伸び、白い支柱を抱くように曲がっている。


一つは魔導弁の隙間へ入り込み、内部から押し広げている。


もう一つは、どの設備にも触れず、斜め上へ突き出していた。


「上の枝は支持材へ食い込んでいる。ここを割れば、欠片が支柱へ入り、風車の重さを受ける部分まで傷つける可能性がある」


次に、魔導弁へ入った枝を見る。


「下はさらに危険だ。結晶が弁を押さえた状態で固まっている。根元を一度に砕けば、中に溜まった風圧がどちらへ抜けるか分からない。弁そのものも割れる」


ニルスが白い風車を見上げる。


羽根は止まったままだった。


それでも軸の奥では低い唸りが続き、支柱の表面へ細かな震えが伝わっている。


カインは技師の説明を聞きながら、結晶の正面には立たなかった。


右へ回る。


支柱の陰へ入る。


しゃがみ込み、魔導弁より低い位置から枝の重なりを見る。


また立ち上がり、今度は水路側へ移動する。


結晶を壊すための位置ではない。


壊した後、風と欠片がどこへ行くかを見るための位置だった。


アトカも水滴を三つだけ浮かべた。


一つを上の枝の近くへ。


一つを魔導弁の前へ。


最後の一つを、何にも触れていない外側の先端へ置く。


結晶へは触れさせない。


水滴の表面に、外へ漏れた魔力がどう触れるかだけを見る。


上の水滴は、支柱へ押しつけられるように潰れた。


下の水滴は細かく震え、魔導弁の隙間へ引かれる。


外側の水滴は、先端から離れる方向へ長く伸びた後、急に上へ跳ねた。


アトカはそれぞれを消し、同じ場所へ新しい水滴を置く。


動きは変わらない。


「風が外へ出ようとしている場所は、あの先端です」


アトカは斜め上へ伸びた枝を示した。


「ただ、結晶の中にどれくらい溜まっているかは分かりません。中の魔力には触れられないので、割れた後に外へ出るものを受ける準備が必要です」


成人技師が先端を見上げた。


「設備とは接していない。だが、あそこだけ折っても、根元の結晶は残る」


「残っても、風が抜ければ押す力は弱くなるかもしれません」


アトカは可能性として伝えた。


決まったことのようには言わない。


「弱くならなければ?」


管理部責任者が尋ねる。


「そこで止めます。別の方法を考えます」


風車を残したいからといって、一度の破断を成功へ見せかけるつもりはなかった。


カインは外側の枝を見たまま口を開く。


「先端を全部は落とさない」


成人技師がカインへ向き直る。


「理由を聞かせてください」


カインは結晶へ近づかず、指で破断位置を示した。


設備から離れた枝の途中。


細くなっている先端ではない。


三本の小枝へ分かれる直前に、白く濁った線が一周している。


「細い先だけを折れば、出口が小さい。中の圧が残って、別の枝が割れるかもしれない」


指が、白い線の少し外側へ動く。


「ここなら、上へ開く。根元側へ亀裂が走っても、分かれ目で止まる」


「そこから出た風は?」


「正面には撃たない。下から斜めに入れる。欠片も風も上へ出す」


管理部責任者が周囲を見る。


先端の斜め上には羽根がある。


だが羽根は破断位置より高く、少し前へ張り出している。

この角度のままでは、噴き出した風や結晶片が羽根の裏へ当たる可能性があった。


「そのままでは羽根へ届きます」


責任者が告げる。


カインは否定しなかった。


「だから、まだ撃てない」


黒い魔力は出さない。


撃てる位置を見つけたのではなく、撃ってはいけない理由が一つ増えた。


ニルスの顔に焦りが浮かぶ。


魔導弁の石枠から、二本目の亀裂が伸びていた。


「でも、結晶が……」


「急いで壊せば、風車まで壊れる」


カインの声は低い。


ニルスを叱ったのではなかった。


自分にも言い聞かせるように、結晶と風車を見ている。


「残せる場所を探す」


ニルスは唇を結び、頷いた。


アトカは羽根と結晶の間へ目を向けた。


風そのものを掴んで向きを変えることはできない。


けれど、結晶から外へ放たれた魔力なら、水へ変えられる。


すべてを水へ変えきれないほど強い風圧が出ても、水膜の傾きで人や羽根から外すことはできる。


「水の道を作ります」


アトカは先端の上へ、薄い水膜を一枚置いた。


平らな壁ではない。


結晶側を低く、空側を高くした曲面だった。


一枚目の先へ、少し大きな二枚目。


さらに上へ、広く開いた三枚目。


三枚の水膜が、階段ではなく、大きな弧を描いて空へ続く。


「最初の膜で、外へ出た魔力へ触れます。水へ変えられなかった風圧は、膜の表面を滑らせて二枚目へ送ります」


アトカは羽根との距離を見直し、二枚目の上側を少し左へ曲げた。


「ここからなら、羽根の裏を通りません。最後は空へ抜けます」


カインは水膜の縁を目で追う。


結晶の先端。


最初の水膜。


二枚目。


三枚目。


その先には雲しかない。


「欠片は」


「一枚目の内側へ水の網を重ねます。大きな欠片はそこで止めます。細かなものは二枚目までで落とします」


成人技師が風車の裏側へ回り、水膜が魔導弁の点検口を塞いでいないことを確かめる。


管理部責任者も、人員が全員黄色い杭の外にいることを見た。


「水膜が保てなくなった場合は?」


「すぐに消すのではなく、先端側から一枚ずつ外します。風を横へ落とさないようにします」


「カイン君は?」


「水膜がずれたら撃たない。結晶の白い線が根元へ伸びても撃たない。人が入ったら止める」


カインは自分の条件を言い終え、首元の拘束具を確認した。


熱は基準内。


ひびもない。


魔力色にも変化はない。


管理部責任者が成人技師を見る。


技師は破断位置へ細い赤線を引いた。


カインが示した場所より、指一本分だけ先端側だった。


「支持材にも魔導弁にも荷重を渡していません。分岐の内側まで割ると根元へ亀裂が入る可能性があります。赤線より外側だけなら許可できます」


カインは線を見た。


「そこだと、白い亀裂の上を切る」


「はい」


「欠片が二つに割れる。大きい方は下へ落ちる」


アトカが水の網を少し下へ広げる。


「受けます」


「重いぞ」


「重さは水で消せません。落ちる速度を下げて、草地へ降ろします」


アトカは網の下にもう一枚、厚い水膜を水平に置いた。


カインはそれを見てから、成人技師へ尋ねる。


「大きい欠片が落ちても、弁には当たらないか」


「この角度なら外へ落ちます。水膜がなければ石枠へ当たる可能性がありますが、受けられるなら問題ありません」


答えを聞いても、カインはすぐに構えなかった。


風が強まる。


自然の風が低地へ吹き、三枚の水膜を横から押した。


アトカは膜の形を保つ。


揺れを完全に止めるのではない。


押された分だけ曲面を深くし、風を受け流す。


「今は撃たないでください」


アトカが言った。


「二枚目が押されています」


「分かった」


カインの手は下がったままだった。


結晶は成長を続ける。


外側の枝から、小さな突起が一つ増えた。


魔導弁の亀裂も僅かに長くなる。


それでも撃たない。


自然の風と、閉じ込められた風圧が同時に強い瞬間を選べば、破断後の流れを読めなくなる。


しばらくして、丘を渡る風が弱まった。


草の波が遠ざかり、三枚の水膜が元の形へ戻る。


アトカは一枚ずつ位置を確認した。


「一枚目、固定できています。二枚目と三枚目も戻りました」


カインは破断位置を見る。


赤い線。


白く濁った亀裂。


分岐。


支柱。


魔導弁。


水の網。


そのすべてを一度に視界へ収める。


「撃つ」


管理部責任者が短く答えた。


「許可します」


カインの右手へ黒い魔力が集まった。


大きな球にはならない。


細く、短い刃に近い形へ絞られる。


狙うのは結晶全体ではない。


赤い線のうち、上側から三分の二。


下まで一度に切り離せば、重い欠片が先に落ち、残った枝を引きちぎる。


上から亀裂を入れ、最後の薄い部分だけを内圧に割らせる。


そうすれば風は先に上へ抜け、欠片は後から水の網へ落ちる。


黒い一線が走った。


薄緑の枝へ入る。


結晶が高い音を立てた。


切断面が上から白くなり、途中で止まる。


カインは二撃目を放たない。


結晶の内側から、青白い光が膨らんだ。


次の瞬間、残った薄い部分が内側から弾けた。


風が噴き出す。


一枚目の水膜が深く反った。


外へ現れた魔力が、水膜へ触れた場所から大量の水へ変わる。

変わりきらなかった風圧は曲面を駆け上がり、二枚目へ滑った。


水飛沫と風が、白い羽根の裏を外れて上昇する。


三枚目が大きく膨らむ。


アトカの足元で草が伏せた。


義手の指は動いている。


呼吸も乱れていない。


「上へ抜けます!」


風圧が三枚目の縁を越え、青空へ放たれた。


雲の下で、水飛沫が一瞬だけ白く光る。


遅れて、切り離された結晶の先端が落ちた。


大きな欠片を水の網が受ける。


網は重さに耐えて低く沈み、その下の厚い水膜へ渡した。


膜が草地の近くまで下がる。


欠片は跳ねず、石枠にも支柱にも当たらない。


柔らかな草の上へ降ろされた。


風車の内部から響いていた唸りが止まる。


残った枝状結晶は、支柱と魔導弁の間に留まっていた。


だが、もう太くならない。


薄緑の光が先端から根元へ向かって弱まり、石枠を押していた枝が僅かに縮んだ。


成人技師がすぐには触れず、確認棒で魔導弁の震えを測る。


「圧が下がっています」


石枠に増えかけていた亀裂も止まっていた。


技師は別の管理人と共に固定具を取り付け、残った結晶が動かないよう押さえる。

その後で魔導弁の外蓋を少しずつ戻した。


無理に引き抜かない。


風が抜け、押す力を失った部分だけを、工具で外側へずらす。


結晶の根元が魔導弁の隙間から離れた。


支柱を抱いていた上の枝も、重さを失って石の上へ落ちる。


成人技師たちがそれを受け止め、回収布へ移した。


白い支柱には浅い擦れ跡が残っている。


だが亀裂はない。


魔導弁の石枠にも二本の細い線は残ったものの、内部まで割れてはいなかった。


「風車は残せます」


成人技師が言った。


ニルスが黄色い杭の外から、白い羽根を見上げる。


「動かせるんですか」


「今すぐ通常運転には戻さない。弁と石枠の点検が必要だ。ただ、支柱も軸も無事だ。部品を替えれば、また使える」


ニルスは大きく息を吐いた。


カインは喜ぶ少年ではなく、風車を見ていた。


支柱。


魔導弁。


羽根。


壊れていないものを、一つずつ確認する。


自然の風が丘を渡る。


止まっていた白い羽根が、風の向きへ僅かに動いた。


一度だけ。


逆には回らない。


設備がまだ止められているため、そこで静かになる。


それでも、風車は立っていた。


アトカは水膜を上から順にほどき、細かな水滴として草へ降らせた。

最後に結晶片を受けていた膜も消す。


「カイン先輩」


カインが振り向く。


「風車、残りましたね」


「ああ」


短い返事の後、カインは草地へ降ろされた結晶片を見る。


自分が壊したもの。


その後ろに立つ白い風車を見る。


壊さなかったもの。


二つは同じ景色の中にあった。


管理部責任者が記録板へ破断結果を書き込む。


破断したのは枝結晶の外側先端。


支持材、魔導弁、羽根、軸に新たな破損なし。


蓄積風圧は上空へ排出。


残部は成人技師が回収。


カインは記録を読み、自分から一行を加えた。


自然風が強い間は発射せず。


記し終えると、首元の拘束具をもう一度確かめる。


熱は僅かに上がっただけで、使用を止める基準には届いていない。


それも隠さず伝えた。


管理部責任者は中継塔へ続く道を見た後、今は進まないと決めた。


「ここで一度休憩します。風車の点検結果と周辺の点呼が終わるまで、次の区域へは入りません」


ニルスが詰所から持ってきた水筒と包みを抱え、大風車のある丘を指した。


「あの下なら、風を避けられる場所があります」


アトカは遠くに立つ最も大きな白い風車を見た。


頂上近くの小さな平場には、今も誰もいない。


高い場所を風だけが通っている。


カインは歩き出す前に、残した風車をもう一度振り返った。


壊す力を使った。


それでも、壊したものだけが結果ではなかった。


白い羽根は空の下に残り、次の風を待っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。