表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アトカの空白の腕  作者: 鷺沼鳩屋
優しすぎる光の中で
PR
63/130

終了条件

「次で、この治療を終わらせますわ」


エルマの言葉に、誰もすぐには返事をしなかった。


聖印盤から伸びる四本の光は、変わらず患者たちへ流れ続けている。


フィーネは浅い呼吸を繰り返し、時折、閉じた瞼を震わせていた。


ユリウスは左膝を押さえながら、壁へ背を預けている。


ハインツの身体には、幾つもの古傷が白く浮かんでいた。


エステルは腫れた右手を胸元へ抱えている。


四人分の治療完了状態は揃った。


それでも、聖印盤は誰一人として治療済みとは認めていない。


「始める前に確認しますわ」


エルマは聖印盤の前へ、四枚の記録を並べた。


「今回書き換えるのは、治癒そのものではありません。治療を終えてよいと判断する手順です」


杖の先で、盤面の中心を示す。


「表面に見えている四つの紋様は、患者ごとの治療経路です。その下に、四本すべてへ共通する終了判定があります」


リリシアが盤面を見る。


乳白色の石へ刻まれた線は複雑に重なり、どこからどこまでが一つの術式なのか、簡単には見分けられない。


エルマはその上へ、薄い解析光を重ねていた。


古い紋様の一部が淡い青で浮かび上がり、別の一部が赤く沈んでいる。


「現在の終了判定は、患者に損傷、疲労、痛み、身体変化のいずれかが残っていれば、治療継続へ戻します」


「一つでも残っていたら、ですか」


アトカが尋ねる。


「ええ。しかも、何を損傷と判断するかの範囲が異常に広がっていますわ」


エルマはハインツへ視線を向けた。


「年齢による変化まで治療対象として拾うほどに」


ハインツが苦笑する。


「この年で、若返るとは思っておりませんでした」


笑い声にはならなかった。


胸元の傷跡が白く脈打ち、すぐに表情が歪む。


リリシアは反射的に一歩進みかけた。


指先へ白い光が滲む。


すぐに気づき、足を止めた。


「少し出ています」


自分から告げる。


アトカの水膜がリリシアの周囲へ寄り、漏れた光を包んだ。


「まだ小さいです」


「ありがとうございます」


リリシアは呼吸を整える。


治したいという気持ちは消えていない。


四人の苦しみを見れば、今すぐ自分の治癒を流したくなる。


だが、ここで必要なのは新しい治癒ではない。


終わらせるための判断を、最後まで保つことだった。


オルフェが聖印盤の反対側へ立つ。


胸元から銀の印章を外し、右手で握った。


「管理印を開けば、聖印盤はクラウツ家の治癒師による変更を受け付けます」


エルマが頷く。


「ただし、開いている間は安全機構の一部が緩みます。書き換えによる揺れが、そのまま四本の経路へ伝わる可能性がありますわ」


「どの程度ですか」


アトカが床へ広げた水を見ながら尋ねる。


「予測できません」


エルマは曖昧にしなかった。


「小さな脈動で済むかもしれませんし、四本の流れが同時に乱れるかもしれません」


アトカは四人へ伸びる光を一つずつ見る。


「患者さんの身体へ入った後は、触りません」


「それで構いませんわ」


「外側の流れだけを水で包みます。急に強くなったら、患者さんへ届く前に広げて均します」


「完全に止めてはいけません」


オルフェが言う。


「治療経路が途切れたと聖印盤へ判断されれば、安全機構が作動する」


「止めません。細い場所へ集まった分を、外側へ広げます」


アトカは義手の指を開いた。


床の水が四つに分かれる。


それぞれが白い光の帯へ沿い、患者の身体へ入る直前まで透明な筒のように包み込んだ。


光を遮るのではない。


一か所へ圧力が集中しないよう、外から流れを支えるための水だった。


「準備できました」


エルマは次にリリシアを見る。


「リリシアさんには、先ほど診断した四人の状態を、書き換えが終わるまで保持してもらいます」


「覚えているだけでは駄目なんですか」


「聖印盤は文章を読みませんもの」


エルマは四枚の記録へ指を置く。


「わたくしが書き込めるのは、終了判定の手順です。患者ごとの身体状態を、術式へ直接伝えるのは治癒師でなければなりません」


オルフェが補う。


「治癒師が患者を診た時に得る感覚を、治療印として一時的に保持する。それを聖印盤へ渡します」


リリシアは四人を見る。


フィーネの休める魔力路。


ユリウスの古傷を含んだ身体の均衡。


ハインツが生きてきた現在の形。


エステルの、すでに塞がっている傷。


一人ずつ診た感覚は、まだ自分の中に残っている。


「四人分を同時に持つんですね」


「難しいなら、私が一部を受け持ちます」


オルフェが言った。


リリシアはすぐには答えなかった。


兄はすべてを奪おうとしているわけではない。


失敗を待っているわけでもない。


危険を減らすために提案している。


それでも、四人の終了状態を決めたのは自分だった。


患者の言葉を聞き、自分の治癒が反応する中で見つけた答えだった。


「私が持ちます」


「無理をする理由はありません」


「無理だから一人でやるわけではありません」


リリシアはアトカを見る。


「外へ出た治癒は、アトカ君にお願いします」


次にオルフェを見る。


「私が患者さんの言葉を聞けなくなったら、止めてください」


最後にエルマへ向き直る。


「四人分を保てなくなったら、すぐに言います。その時は作業を止められますか」


「止めますわ」


エルマは即答した。


「一度始めたからといって、最後まで続ける義務はありません。危険なら中断します」


リリシアは頷いた。


全部を自分だけで背負う必要はない。


誰かへ任せきるのでもない。


自分が担うべき部分を担い、危険になれば伝える。


それが今の自分にできる制御だった。


「始めましょう」


エルマが杖を構える。


オルフェは銀の印章を聖印盤の外周へ置いた。


「クラウツ家治癒監査役、オルフェ・クラウツ」


静かな声が、白い光の中へ響く。


「保管聖印盤の管理印を開く」


銀の印章が明るく光った。


盤面の外周へ刻まれていた紋様が、一つずつ点灯する。


最初は緩やかだった。


やがて光は円を描き、聖印盤の中心まで走る。


低い音が保管区画へ響いた。


四本の治療経路が同時に太くなる。


フィーネの身体が震えた。


ユリウスの左膝が内側へ引かれる。


ハインツの古傷が一斉に明るくなる。


エステルの指先が強張った。


「上がります」


アトカが言った。


四本の光を包んでいた水が広がる。


細い帯へ集中した治癒を、水の層が外側から押し広げる。


流量そのものは変えない。


患者へ入る直前の圧力だけを均す。


義手の指が細かく動いた。


一つの経路へ集中しすぎれば、別の水膜が薄くなる。


四人分を同時に支えながら、誰か一人へ負担が偏らないよう調整している。


「アトカさん、その状態を維持してくださいませ」


「はい」


エルマが杖先を聖印盤の中心へ触れさせる。


青い解析光が、乳白色の石の中へ沈んだ。


盤面の表面へ、新しい紋様が浮かび上がる。


最初に書き込むのは、治療継続へ戻る前の確認手順だった。


傷が残っているか。


疲労があるか。


痛みがあるか。


身体変化があるか。


これまで聖印盤は、その問いのどれか一つへ肯定が返れば、無条件で治癒を続けていた。


エルマはその先へ、新しい分岐を加える。


その状態は、追加治癒を必要としているか。


患者の身体は、自力で維持または回復へ移れるか。


現在の治癒を続けることで、かえって損傷が増える可能性はないか。


患者本人は、治療の継続を望んでいるか。


担当治癒師は、安全に終了できると判断しているか。


杖先が動くたび、細い青い線が刻まれていく。


古い術式を消すのではない。


既存の流れを傷つけないよう、その上へ新しい判断を重ねている。


「リリシアさん」


エルマが呼ぶ。


「最初の状態を」


リリシアはフィーネへ意識を向けた。


浅い呼吸。


強制的に動かされ続ける魔力路。


しかし、その奥には、自分で休息へ入れるだけの力が残っている。


完全に疲労が消えた状態ではない。


頭痛も吐き気も残る。


それでも外から治癒を送り続けなくても、眠り、時間をかけて回復できる状態だった。


リリシアは両手を胸元へ寄せる。


フィーネを診た時に得た感覚を、治癒として流すのではなく、形として保つ。


淡い白い光が掌の間へ生まれた。


「フィーネ・アルヴェン」


声に出す。


「魔力路に新しい損傷はありません。休止と自然回復へ移行できます。追加治癒は不要です」


フィーネ本人の声を思い出す。


光も音も痛い。


休みたい。


「本人は、治療の終了を望んでいます」


白い光が細い印となり、聖印盤へ向かう。


オルフェの管理印を通り、エルマが書き加えた手順へ触れる。


盤面が一度明滅した。


以前なら、ここで治療継続へ戻っていた。


今回は、すぐには戻らない。


青い線が一つずつフィーネの状態を確認する。


疲労がある。


頭痛がある。


それでも、自力で休息へ移れる。


追加治癒は不要。


本人も終了を望んでいる。


最後の条件へ、リリシアの治療印が重なった。


フィーネへ伸びる光が、初めてゆっくりと細くなった。


少女の肩から力が抜ける。


だが、完全には消えない。


「まだ終了させないでくださいませ」


エルマが言う。


「今は条件を登録しただけです。四人分が揃うまで、接続は維持します」


「分かりました」


リリシアはフィーネの状態を掌の内側へ保ったまま、次へ意識を移す。


ユリウス。


左膝には古傷が残っている。


負傷前と同じではない。


だが、身体全体は今の膝を基準に繋がっていた。


太腿の筋肉。


足首の角度。


腰から流れる魔力。


三年間で作られた均衡。


「ユリウス・カルナー」


二つ目の治療印が生まれる。


「左膝には過去の負傷が残っています。しかし、現在の骨格と筋肉は、その状態で自力維持できます」


ユリウスの言葉を思い出す。


これは、治せなかった足ではない。


自分が使えるようにした足。


「本人は、現在の身体を維持することを望んでいます。負傷前への再構成は、治療完了の条件に含めません」


二つ目の印が聖印盤へ入る。


ユリウスへ伸びる光も僅かに細くなった。


その瞬間、盤面の中心が強く脈打った。


リリシアの胸元にある光が引かれる。


「……っ」


身体の内側を掴まれたような感覚だった。


聖印盤は、リリシアが保持している治療印だけでなく、その奥にある治癒そのものへ触れようとしている。


白い光が腕を伝い、盤面へ吸い寄せられる。


「リリシア」


オルフェが異変に気づく。


「接続されています」


エルマも手を止めた。


聖印盤の中心から、新しい細い線が伸びている。


四人の患者へ向かう線ではない。


リリシアの治癒へ向けられた接続だった。


「供給源として認識したのですわ」


「切ってください」


オルフェが銀印へ手を伸ばす。


「待ってください」


リリシアは反射的に言った。


「治療印が、まだ二人分しか入っていません」


「このまま繋がれば、あなたの治癒を盤へ取り込まれます」


「分かっています」


リリシアの呼吸が速くなる。


怖い。


聖印盤に引かれた治癒が、胸の中で膨らんでいく。


四人を助けなければならない。


失敗してはいけない。


その焦りに反応し、背中から白い光が漏れ始めた。


水膜が揺れる。


「アトカ君」


リリシアはすぐに呼んだ。


「私の後ろから出ています。患者さんの方へ行かないようにお願いします」


アトカは四本の治療経路を維持したまま、リリシアの背後へ新しい水の層を作った。


「押さえます」


水が白い光を包む。


だが、アトカの呼吸も浅くなった。


患者四人。


リリシア。


五つの流れを同時に保持している。


「アトカさん、負担は」


エルマが尋ねる。


「まだ大丈夫です。でも、長くは続けない方がいいです」


リリシアはオルフェを見る。


「兄さん」


「中断します」


「違います」


リリシアは首を横へ振った。


「私が、患者さんの声を聞けなくなったら止めてください」


「今すでに、聖印盤へ引かれています」


「まだ、誰を治すべきか分かっています」


ハインツを見る。


過去の傷をすべて消すことではない。


現在の身体へ戻すこと。


エステルを見る。


痛みが残っていても、治癒を止めなければ次へ進めない。


その判断は失っていない。


「まだ続けられます」


オルフェは妹の瞳を見る。


恐怖はある。


呼吸も乱れている。


治癒も漏れている。


だが、患者から目を逸らしてはいない。


「エルマさん」


オルフェが言った。


「作業を続けられますか」


「リリシアさんの接続を、新しい治療経路へしないよう固定できれば」


「私が管理印側から閉じます」


オルフェは銀印を持ち直した。


「治療状態だけを通し、供給源としての接続を拒否する」


「できますの」


「クラウツ家の聖印盤です。少なくとも、あなたよりは扱えます」


「その言い方は後で訂正していただきますわ」


エルマは手を再び動かした。


オルフェの銀色の光が、リリシアへ伸びた線を囲む。


完全には切らない。


治療印だけが通れる細さへ絞り込む。


リリシアの身体を引く力が僅かに弱まった。


「今ですわ。三人目を」


リリシアはハインツへ意識を向ける。


無数の古傷。


異なる過去へ身体を引き戻そうとする治癒。


だが、彼が望んでいるのは、昔の傷を消すことではない。


今この瞬間に起きている苦痛を止めることだった。


「ハインツ・オルデン」


三つ目の治療印を作る。


「古い傷、治療痕、年齢による身体変化を、未治療とは判断しません」


ハインツが歩いてきた時間を思い出す。


働いた。


結婚した。


子どもを抱いた。


走れなくなってから、歩く速さを覚えた。


「現在の骨格、筋肉、魔力路の均衡を治療完了状態とします。本人は、過去の身体へ戻ることを望んでいません」


三つ目の印が盤面へ入った。


ハインツへ伸びる光が細くなる。


残るのはエステル。


傷はもう塞がっている。


痛みと腫れは残っている。


その痛みを治そうとして、さらに治癒を続ければ悪化する。


「エステル・ローデ」


四つ目の光が掌へ生まれる。


その瞬間、聖印盤が再びリリシアを強く引いた。


白い光が腕から肩へ走る。


胸の奥にある治癒が、盤面へ向かって押し出される。


怖い。


また止まらなくなる。


今まで抑えていた治癒が、一度に四人へ流れ込む光景が頭をよぎる。


リリシアの背後で、水膜が大きく膨らんだ。


「増えています」


アトカが言う。


声に余裕がない。


「リリシアさん、左からも出始めました」


リリシアは左側を見る。


白い光が床へ伸び、フィーネへ向かおうとしている。


「左もお願いします」


「はい」


アトカの水が回り込む。


義手の指が僅かに遅れた。


それでも、治癒が患者へ届く前に包み込む。


リリシアはその動きを見た。


アトカも無限に支えられるわけではない。


自分が怖がり続け、治癒を広げれば、彼へ負担を押しつける。


だから一人で押さえ込まなければならない。


その考えが浮かび、すぐに違うと気づいた。


一人で何とかしようとすれば、また周囲が見えなくなる。


今必要なのは、恐怖を消すことではない。


何が起きているかを伝えること。


「アトカ君」


「はい」


「あと一人です。保てますか」


アトカは水の流れを確かめる。


「保てます。でも、終わったらすぐに戻してください」


「分かりました」


次にオルフェを見る。


「兄さん、まだ患者さんの声を聞けています」


「確認しました」


「エルマさん」


「書き込めますわ」


三人の返答を受け取る。


リリシアはエステルの状態へ意識を戻した。


元の傷は塞がっている。


腫れと痛みは、治癒不足ではない。


止めるべき理由である。


「右掌の裂傷は閉鎖しています」


声が震えないよう、ゆっくり告げる。


「現在残る腫れと痛みは、追加治癒によって生じたものです。治癒を継続すれば、手の機能をさらに損なう可能性があります」


エステルが望んだ言葉を思い出す。


終わらせてください。


「本人は、現在の治療終了を望んでいます。停止後、別の処置へ移行します」


四つ目の治療印が聖印盤へ入る。


四本すべての光が細くなった。


まだ繋がっている。


だが、聖印盤は初めて、四人を治療完了へ近い状態として保持している。


エルマの杖が盤面の中心へ走る。


「患者個別の終了状態、登録完了」


青い術式が一つに繋がる。


「共通終了判定を書き込みますわ」


患者の身体が自力で維持または回復へ移れること。


治癒の継続より、停止後の処置が適切であること。


患者本人が現在の治療を望んでいないこと。


担当治癒師が、安全に終了できると判断していること。


四つの条件が、聖印盤の中心へ刻まれていく。


古い白い紋様と、新しい青い紋様が重なる。


盤面が激しく明滅した。


床が低く震える。


四本の治療経路が一度だけ大きく膨らんだ。


「来ます」


アトカが水を広げる。


透明な層が光を包み、急激な圧力を四方へ逃がす。


患者たちの身体が揺れる。


オルフェは管理印を押さえ込み、リリシアへの接続を細いまま維持する。


エルマは手を離さない。


「まだですわ。ここで離せば、古い判定へ戻ります」


リリシアの治癒も、聖印盤の脈動に引かれて膨れ上がった。


背中。肩。足元。


幾つもの場所から白い光が漏れようとする。


リリシアは目を閉じなかった。


フィーネ。


ユリウス。


ハインツ。


エステル。


四人が望んだ終わりを、一つずつ思い出す。


全部治さなくていい。


痛みが残っていてもいい。


傷があってもいい。


昔の身体へ戻らなくてもいい。


患者が、自分の身体へ戻れるところで止める。


「終了条件、固定しますわ!」


エルマが手を盤面へ押し込んだ。


青い光が聖印盤全体へ走る。


白い紋様の一部が抵抗するように明滅し、やがて新しい線の下へ沈んでいった。


大きな音はしなかった。


爆発も起きない。


ただ、四本の光が同時に静まった。


治癒はまだ流れている。


それでも、先ほどまでの落ち着きのない脈動が消えていた。


聖印盤は初めて、四人の治療を終えられる状態になった。


エルマが手を握る。


膝が僅かに揺れたが、その場へ踏みとどまった。


「書き換えは完了しましたわ」


アトカは水を維持したまま尋ねる。


「もう止められますか」


「ええ」


エルマは息を整え、四つの紋様を見る。


「ですが、一度にすべてを切ることはしません。患者ごとに状態を確認し、本人の意思を聞いた上で、リリシアさんが終了印を入れます」


リリシアの身体を引いていた感覚が消える。


オルフェが管理印を調整し、聖印盤との接続を外した。


白い光がリリシアの腕から離れる。


その瞬間、背後の水膜へ溜まっていた治癒が一斉に戻ろうとした。


「リリシアさん」


アトカが呼ぶ。


「外へ出た分が残っています」


「はい」


リリシアは両手を胸元へ寄せた。


治したいという力。


四人を全部包もうとした光。


それを患者へ向けず、自分の内側へ戻す。


すぐには従わない。


水の中で白い渦が揺れる。


リリシアは一人ずつ思い浮かべた。


フィーネは休める。


ユリウスは今の身体で立てる。


ハインツは傷とともに生きている。


エステルの傷はもう塞がっている。


今は、自分の治癒を必要としていない。


白い光が少しずつ縮む。


背中から漏れていたもの。


左側へ流れていたもの。


掌へ集まっていたもの。


すべてが細い流れとなり、リリシアの身体へ戻っていく。


最後の一粒が消えた。


アトカは水膜を薄くする。


「外には残っていません」


「ありがとうございます」


リリシアは長く息を吐いた。


身体が重い。


足にも力が入りにくい。


それでも、意識は明瞭だった。


自分が何をしたのかも、四人が何を望んでいたのかも覚えている。


オルフェが妹の前へ立つ。


「状態は」


「疲れています」


リリシアは正直に答えた。


「でも、四人の治療完了状態は覚えています。まだ続けられます」


オルフェは彼女の瞳と呼吸を確認する。


「無理を感じたら、次へ進む前に申告してください」


「はい」


エルマは聖印盤の前へ座り込み、書き換えた術式が安定しているか確認していた。


「次は一人ずつですわ」


四つの紋様は、穏やかな白い光を保っている。


以前のように、治療継続へ戻ろうとはしていない。


終了の判断を待っている。


リリシアは四人を見る。


最初に診たフィーネ。


今も疲労と頭痛は残っている。


それでも、少女はもう自分の身体で眠れるところまで戻っていた。


リリシアはフィーネのそばへ歩き出す。


次に行うのは解析ではない。


患者本人へ、治療を終えてよいか尋ねることだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ