勝敗のあとに残るもの
大演習場の歓声は、なかなか収まらなかった。
戦技科の勝利を称える声。
魔導科の健闘へ送られる拍手。
ルトの名と、アトカの名を呼ぶ声。
それらが巨大な安全結界へ反響し、空そのものを震わせているようだった。
試合場の中央で、アトカはルトの手を握り返していた。
義手では、生身の手のように体温を感じることはできない。
それでも、握り返される力の強さと、剣を振り続けて硬くなった掌の感触は伝わってくる。
三年前よりずっと大きくなった兄の手が、今はアトカの義手を一人の相手の腕として受け止めていた。
ルトもまた、アトカの右手を見ている。
金属でも、ただの道具でもない。
アトカの魔力が巡り、本人の意思に応じて動く義手。
小さかった弟が、何度も失敗しながら、自分の身体として動かせるようになった腕だった。
ルトは静かに笑った。
「約束、ちゃんと受け取った」
アトカの胸の奥が熱くなる。
認めてもらえた。
四年間学んできたものは、確かに兄へ届いた。
それでも、勝てなかった悔しさまで消えたわけではない。
「……でも、負けました」
「そうだな」
ルトは否定しなかった。
慰めるように勝敗を曖昧にもしなかった。
「だから、次がある」
アトカは顔を上げる。
赤い瞳には、兄としての温かさと、一人の剣士としての喜びが同時に宿っていた。
「次は、ちゃんと捕まえます」
「なら、俺も捕まらないように強くなる」
二人は少しだけ笑った。
守る兄と、守られる弟。
それだけだった頃とは違う。
今ここにいるのは、一人の剣士と、一人の魔術師だった。
審判が試合場の中央へ進み出る。
「全試合終了!勝者、戦技科!」
戦技科側の観客席から、再び歓声が上がった。
ロウが短槍を掲げ、ユリアが静かに息を吐く。
ダリウスは大盾を下ろし、ルトへ深く頷いた。
やがてロウが、魔導科側へ向かって大きく手を叩いた。
「いや、魔導科、普通に強かったわ!」
場外へ流された悔しさは、まだ顔に残っている。
だが、その声に侮りはなかった。
ユリアもミレイユとシオンへ視線を向ける。
「障壁も土術も、正面から術式を組ませなければ終わると思っていたなら間違いね。私たちが学ぶべきものもあったわ」
ミレイユは一瞬だけ目を瞬かせ、それから胸を張った。
「当然ですわ。わたくしたちは魔導科代表ですもの」
隣でシオンが小さく笑う。
「ミレイユさん、嬉しそうですね」
「正当な評価を受けただけですわ」
「そういうことにしておきます」
「その含みのある言い方はおやめなさい」
二人のやり取りに、アトカは嬉しそうに微笑んだ。
「ミレイユさんも、シオンさんも、本当にすごかったです」
ミレイユは顔を背ける。
「ですから、そういう真っ直ぐな称賛は反則ですわ」
シオンは試合場に残る土の跡を見ながら、静かに息を吐いた。
「皆と訓練しなかったら、自分の戦い方を見つけられませんでした」
「僕は少しお手伝いしただけです。勝ったのは、二人が頑張ったからです」
アトカは当然のことのように答えた。
ミレイユはしばらく彼を見つめ、それから杖を握り直す。
「特等枠が、特別扱いだけでここへ立っているわけではないことは分かりましたわ」
薄紫色の瞳が、試合場を真っ直ぐに見る。
「それと同じように、通常課程で積み重ねてきたものも、戦技科へ届くのです」
シオンも頷いた。
「俺たちは穴埋めではなかった。魔導科代表として、ちゃんと戦えました」
ギルベルトが真鍮製の懐中時計を閉じる。
「悪くない結論だ」
その横から、エルマが分厚い記録帳を抱えて歩いてきた。
「ただし、反省点は山ほどありますわ」
ミレイユの表情が固まる。
「今ですの?」
「今だからです。ミレイユさんは一戦目で魔力を使いすぎました。シオンさんはダリウスさん相手に、三手目の設置位置を読まれています」
エルマは記録帳をめくる。
「ギルベルトさんはルトさん相手に、三秒後の着地点へ意識を寄せすぎました。アトカさんは制御範囲を広げた後、水の役割を切り替える判断が一拍遅れています」
バルトロが大きく笑った。
「戦技科に負けた直後、味方からもう一戦食らってんじゃねぇか」
「記憶が鮮明なうちに確認するのが最も効率的ですわ」
「容赦ねぇな」
そこへ、救急箱を抱えたリリシアが駆け寄ってきた。
「反省より先に確認です!シオンさんの傷をまだきちんと診ていませんし、ミレイユさんも魔力を使いすぎています!」
リリシアはアトカの前で足を止める。
「アトカ君、右肩や義手に違和感はありませんか?」
アトカは義手の指を一度ずつ動かしてから答えた。
「今のところありません。でも、身体は少し疲れています」
「分かりました。あとで接続部も確認しましょう。触れる時には、先に聞きますから」
「はい」
リリシアはルトへも視線を向ける。
「ルトさんも、右足と手に負担が残っています。順番に診ますから、勝手に大丈夫だと決めないでくださいね」
「分かりました」
「俺は?」
バルトロが自分を指差した。
リリシアは彼の手にある魔石を見る。
「バルトロさんは、今日は魔石の食べ過ぎです」
「そこも診るのかよ」
カインが、僅かに口元を緩めた。
「全員、戻ってきたな」
その一言に、仲間たちの声が静まる。
アトカはカインを見て、しっかりと頷いた。
「はい。皆で戻ってきました」
カインも短く頷いた。
やがて上段で、フレデリック学園長が立ち上がった。
長い銀髪が光を受け、琥珀色の瞳が大演習場全体を見渡す。
歓声とざわめきが、ゆっくりと収まっていった。
「諸君」
穏やかな声が、安全結界を越えて隅々まで届く。
「勝敗は決した。今回の対抗戦、勝者は戦技科である」
戦技科側から誇らしげな拍手が起こる。
フレデリックはそれを見届けてから、魔導科側へも視線を向けた。
「だが、もう目の前の相手を、噂だけで測る者はいないはずだ」
観客席が静まる。
「戦技科の四人は、速さ、観察、重量、そして基礎を磨き続けることが、それぞれ異なる強さになると示した」
続いて、魔導科の代表たちを見る。
「ミレイユ・フォン・ラスターとシオン・エイムズは、通常課程で積み重ねた技術が、代表の戦いへ届くことを示した」
ミレイユは唇を結び、胸を張る。
シオンは静かに目を伏せた。
「ギルベルト・クロノスとアトカ・アッシュフォードもまた、自らの力だけに頼るのではなく、仲間が残した情報と戦いを受け取った」
アトカは思わず仲間たちを見る。
誰か一人の勝利ではなかった。
前の者が見つけたものを、次の者が受け取った。
戦技科も、魔導科も同じだった。
フレデリックは柔らかく微笑む。
「今日見た強さを、次は互いから学びなさい。見下すのではなく競い、恐れるのではなく知りなさい」
銀髪が、演習場へ吹き込んだ風に揺れる。
「戦技科と魔導科は、この学園を支える両翼だ。どちらか一方だけでは、遠くへ飛ぶことはできない」
短い静寂の後、拍手が起こった。
最初は、ロウたち戦技科代表の周囲からだった。
それが観客席へ広がり、魔導科側からの拍手と重なっていく。
戦技科からも。
魔導科からも。
初めて同じ称賛として、二つの科の音が一つになった。
アトカはその拍手を聞きながら、胸の奥が温かくなるのを感じた。
勝てなかった。
けれど、届いた。
兄にも。
観客にも。
同じ場所で戦った仲間たちにも。
隣へ歩いてきたルトが、アトカの白い髪へ手を伸ばしかける。
だが、その手は途中で止まった。
「頭、撫でてもいいか」
アトカは少し驚き、それから嬉しそうに頷いた。
「はい」
ルトの手が、白い髪へ触れる。
昔のように乱暴に掻き回すのではなく、確かめるように一度だけ撫でた。
「次は、もっと強い俺で待ってる」
アトカは義手の指を握りしめる。
「僕も、もっと強くなります」
科も、課程も、兄弟であることも変わらない。
ただ、その間にあった距離だけが、戦う前とは違っていた。
リリシアに促され、代表たちは試合場の出口へ向かう。
勝った者も、負けた者も。
悔しさを抱えた者も、誇らしさを得た者も。
誰一人残らず、同じ場所へ戻っていく。
アトカは濡れたローブの裾を揺らしながら、兄と仲間たちの後を歩いた。
胸元の翡翠色のブローチが、演習場の光を受けて小さく輝く。
背中を押すような拍手は、まだ鳴り止まなかった。
第三章「約束を果たす対抗戦」は、アトカが仲間たちと勝ち上がり、ずっと追いかけてきた兄・ルトと真正面から向き合い、かつての約束を果たす物語です。
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