同じ魔導科として
対抗戦前日の夕刻。
昼過ぎまで訓練室へ響いていた激しい水音も、土の杭が床を震わせる音も、すでに止んでいた。
最終調整を終えた魔導科代表たちは、特等枠ラウンジの円卓を囲んでいる。
ギルベルトは真鍮製の懐中時計を机の上へ置き、その横に対戦表と戦技科代表の情報を広げていた。
両科の出場順は、すでに公開されている。
魔導科は、先鋒ミレイユ、次鋒シオン、中堅ギルベルト、大将アトカ。
戦技科は、先鋒ロウ、次鋒ユリア、中堅ダリウス、大将ルト。
ただし、勝ち抜き戦である以上、順番どおりの者同士が必ず戦うわけではない。
先に出た者が勝ち続ければ、次の代表が戦う相手も変わる。
机の上に置かれた対戦表には、考えられる組み合わせが幾つもの線で結ばれていた。
ミレイユは自分の杖を布で丁寧に拭いている。
シオンは術式ノートへ、最終調整で気づいたことを短く書き加えていた。
アトカは、リリシアが淹れた紅茶のカップを義手で慎重に持ち、ゆっくりと口をつける。
昼の確認では、義手の動きにも右肩にも異常はなかった。
それでも、こぼさないように扱う指先は丁寧だった。
円卓の中央には焼き菓子の皿と、空になりかけた水差しが置かれている。
バルトロが噛み砕いた魔石の欠片だけが、小皿の上で時折乾いた音を立てていた。
訓練後の疲労は残っている。
けれど、初日のようなぎこちなさはなかった。
ミレイユが特等枠の二人を警戒し、シオンが自分たちを穴埋めだと思い込んでいた頃とは違う。
今ここにいる四人は、それぞれ異なる力と不安を抱えながら、同じ勝利へ向かう代表だった。
ギルベルトが灰色の瞳で一同を見渡す。
「明日の第一戦は、ミレイユとロウ・グランツだ」
ミレイユが顔を上げた。
薄紫色の瞳には、強い集中が宿っている。
「ロウは単純な突進型だ。だが、単純だからこそ初動が速い。真正面へ厚い障壁を置けば、短槍と身体強化を重ねて押し切られる可能性が高い」
「承知していますわ」
ミレイユは杖を膝の上へ置いた。
「真正面から受け止めるのではなく、踏み込みの力を逸らします。ロウさん自身の勢いを利用し、進路を場外側へ流す。初動を止める基本案は、何度も反復しましたもの」
「それでいい。ただし、一枚目で場外まで運べるとは思うな。ロウが槍を地面へ突き、無理にでも進路を戻す可能性がある」
「戻ろうとした時の二歩目を狙いますわ。最初から完全に止めようとはしません」
エルマが眼鏡を押し上げる。
「ようやく戦術らしい答えになりましたわね。最初の貴方なら、最も美しい障壁を真正面へ置いて、最も綺麗な形で押し切られていたでしょうけれど」
「それを前日に言う必要がありますの?」
「慢心を防ぐためです」
「エルマ先輩は、褒め言葉の前に必ず棘を付けなければ気が済みませんのね」
「忘れにくくてよいでしょう?」
ミレイユは不満そうに眉を寄せたが、口元には僅かな笑みがあった。
ギルベルトは続ける。
「ミレイユがロウに勝った場合、次はユリアだ。ユリアは一戦目を外から見た上で、障壁を置く時の視線と杖先の癖を利用してくる」
ミレイユの表情が引き締まる。
「全部の手札をロウさんへ見せるつもりはありませんわ。ですが、温存することばかり考えて初戦を落とせば意味がない。必要なものは使います」
「それでいい。明日の一戦目に勝たなければ、二戦目の心配は不要になる」
「分かっていますわ」
ギルベルトはシオンへ視線を移した。
「シオン。お前が最初に想定する相手は二人だ」
シオンはノートを閉じる。
「ミレイユさんがロウさんに敗れた場合はロウさん。勝った後にユリアさんへ敗れた場合は、ユリアさんです」
「ああ。ロウが残った場合は、ミレイユがどこまで進路を削れたかを見ろ。どちらの足で踏み直すか、槍を使って体勢を戻すか、その情報を杭の配置へ使え」
「はい」
「ユリアが相手なら、完成した動きを見てからでは遅い。彼女は相手の呼吸と視線を読み、術式の発動より一拍早く動く」
シオンは静かに答えた。
「だから、来てから捕まえるのではなく、来る場所へ置きます。ミレイユさんの障壁を避ける時、どちらの足へ重心を逃がしたかを見ます。その情報が残れば、二歩目を狙えます」
「いい答えだ」
ギルベルトの短い評価に、シオンの肩から僅かに力が抜けた。
ミレイユがシオンを見る。
「私が負ける前提で話されるのは不本意ですけれど、見えたことは残らず伝えますわ」
「勝った場合も伝えてください。次の試合で使うかもしれません」
「もちろんですわ」
数週間前なら、二人は互いの術式へ口を出されることを嫌がっていた。
今は、自分の試合の先に立つ仲間が何を必要とするかを考えている。
ギルベルトは対戦表の中央を指で押さえた。
「俺が出る時点で、相手が誰になっているかは分からない。ロウが残っている可能性も、ユリアやダリウスが出ている可能性もある」
「ギルベルト先輩の基本方針は、すでに確認済みですわね」
エルマが言う。
「ああ。俺は前の試合で生じた時間差と、相手の動きの乱れを使う。ここで細部を増やす必要はない」
ギルベルトは最後にアトカを見る。
「大将のお前も同じだ。ルトと戦えるとは限らない」
アトカは静かに頷いた。
「はい。僕の前に誰が残っていても、皆さんが見つけたことを使います」
ロウの突進。
ユリアの死角への潜り込み。
ダリウスの重い盾。
そして、兄であるルトの剣。
誰が相手であっても、アトカが最後に立つ可能性がある。
「前の三人が残した情報は、全部聞きます」
アトカは対戦表を見つめる。
「どちらの足から動くのか。どんな時に魔力を使うのか。攻撃を外した後、どこへ体勢を戻すのか。それが分かれば、僕も次の方法を考えられます」
ギルベルトが頷く。
「それでいい。自分の番だけを見ている者は、勝ち抜き戦では勝てない」
一通りの確認が終わると、ラウンジへ張りつめていた空気が僅かに緩んだ。
バルトロが椅子の背にもたれ、魔石を噛みながら鼻を鳴らす。
「お前ら、真面目すぎねぇか?明日になったら、結局ぶっ飛ばした方が勝つんだろ」
エルマが冷たい目を向ける。
「貴方が代表でなくて本当によかったですわ。作戦会議が一秒で終わりますもの」
「俺が出ても食える魔術が無いからな。戦技科と相性が悪すぎんだよ」
「そこは正しく理解していますのね」
「俺だって考える時は考えるぞ」
「今がその時ではなさそうですけれど」
リリシアが焼き菓子の皿を円卓の中央へ寄せた。
「皆さん、今日はきちんと食べて、眠ってください。今夜無理をして、明日力を出せない方が困ります」
穏やかな声だった。
それでも、言葉には以前より確かな強さがある。
「怪我をした時は、必要な治療を手伝います。でも、できれば怪我をせずに戻ってきてください」
壁際のソファーに座っていたカインが、静かに口を開いた。
「ここで待っている」
代表四人が彼を見る。
カインは新しい拘束具に包まれた手を膝の上へ置いたまま、短く続けた。
「全員で戻ってこい」
その言葉は簡素だった。
けれど、誰よりも重かった。
かつては誰かを傷つけないため、一人でいることを選んでいたカインが、今は仲間の帰りを待つと言っている。
ミレイユとシオンも、真剣な表情で頷いた。
アトカは紅茶のカップを机へ置いた。
「僕も、皆さんに無事でいてほしいです」
義手の指先が、カップの取っ手から静かに離れる。
「でも、同時に……勝ちたいです」
ラウンジが少しだけ静かになった。
普段のアトカは、誰かと争うことを好まない。
自分が褒められることより、誰かが無事でいることを喜ぶ少年だった。
だからこそ、自分の望みとして勝利を口にしたことに、ミレイユとシオンは思わず彼を見る。
アトカは少し照れたように微笑んだ。
「兄さんと約束したんです。三年後、学園へ行ったら、僕がどれだけ魔術師になれたか見せるって」
右肩の義手へ、青い瞳が向けられる。
「学園へ来た姿だけではなくて、ここで皆さんと学んだことを、魔術師として戦う姿で見てもらいたいんです」
対抗戦で必ずルトと剣を交えられるとは限らない。
アトカが大将まで勝ち残り、ルトも戦技科の大将として出てきて、初めて二人は対戦相手として向き合える。
それでも、ルトは戦技科の代表として会場にいる。
アトカがどの相手と戦おうとも、その姿を兄へ見せることはできる。
「だから明日は、代表として勝ちたいです」
ミレイユは少しの間、黙っていた。
やがて、杖を拭いていた布を静かに畳む。
「でしたら、私たちも無様な姿は見せられませんわね」
アトカが顔を上げる。
「アトカさんがお兄様へ胸を張れるよう、私も先鋒として勝ってきます」
シオンも頷いた。
「俺たちは特等枠ではありません。でも、魔導科代表です」
「はい」
アトカは嬉しそうに目を細めた。
「一緒に勝ちましょう」
ミレイユはその真っ直ぐな返事に、僅かに視線を逸らした。
「……本当に、そういうところですわよ」
「何か変でしたか?」
「変ではありません。真っ直ぐすぎて、こちらの調子が狂うだけですわ」
「すみません」
「謝るところでもありませんの」
バルトロが声を上げて笑い、リリシアもつられて小さく笑った。
緊張も不安も消えてはいない。
それでも、その空気はもう重苦しいだけのものではなかった。
ミレイユは膝の上の杖を見下ろし、少しだけ迷ってから口を開く。
「最初は、この四人で戦うなんて冗談ではないと思っていましたわ」
シオンが僅かに目を瞬かせる。
バルトロは何か言おうとしたが、エルマに睨まれて口を閉じた。
ミレイユは特等枠の者たちを順に見る。
「今は、明日この四人で戦えることを誇りに思っています」
長い告白ではなかった。
けれど、それで十分だった。
シオンもノートへ置いていた手を下ろす。
「俺たちは穴埋めではなかった。それを、明日結果で証明します」
ギルベルトは懐中時計を開いたまま、微かに笑った。
「いい認識だ。勝ち抜き戦は一対一の連続だが、孤独な戦いではない」
エルマも眼鏡を押し上げる。
「その理解に辿り着くまで、随分かかりましたけれどね」
「最後まで素直に褒めてはくださらないのですね」
ミレイユが苦笑する。
「褒めていますわ。かなり」
「分かりづらいですわ……」
やがて、ギルベルトが懐中時計を閉じた。
カチリという音が、ラウンジへ響く。
「作戦確認はここまでだ。今から新しいものを増やしても、精度が落ちるだけだ」
円卓の全員へ視線を巡らせる。
「今夜やるべきことは、杖と装備の確認、魔力回路の回復、食事、睡眠。それだけだ」
エルマも頷いた。
「不安だからといって、夜中に隠れて術式確認などしないことですわ。特にミレイユさん」
「なぜ私だけ名指しですの?」
「やりそうだからです」
ミレイユは僅かに目を逸らした。
「……一度だけならと思っていましたわ」
「駄目です」
「はい……」
リリシアが安堵したように息を吐く。
「眠れなくても、一人で訓練室へ行かないでください。温かいお茶なら、いつでも淹れます」
「それなら俺は、寝る前に肉が食いたい」
バルトロが焼き菓子を一枚摘まみながら言った。
「貴方は明日出場しないでしょう」
エルマが即座に返す。
「応援にも体力を使うんだよ」
「応援する気はあるのですね」
「当たり前だろ。魔導科が負けたら、つまんねぇじゃねぇか」
ミレイユとシオンが僅かに目を丸くする。
バルトロは照れ隠しのように顔を背けた。
「なんだよ。見るな」
カインが小さく息を吐いた。
笑ったのかもしれない。
代表たちがラウンジを出る頃には、窓の外はすっかり夜へ沈んでいた。
廊下へ差し込む月明かりが、白い石床を淡く照らしている。
昼間の喧騒が嘘のように静まり返った学園の中を、魔導科代表たちはゆっくり歩いた。
アトカは最後に一度だけ、ラウンジの扉を振り返った。
何度も帰りを待ってもらった場所。
訓練を終えた後、失敗について話し合った場所。
最初はばらばらだった四人が、少しずつ同じ勝利を見るようになった場所。
アトカは小さく微笑んだ。
「対抗戦、楽しみです」
隣を歩いていたギルベルトが、懐中時計を閉じる。
「楽しみだけで済めばいいがな」
「はい。でも、兄さんに僕たちの戦いを見てもらえますから」
その一言だけは、アトカの声が少し柔らかかった。
ギルベルトは横目で新入生を見る。
「三年前の約束だったな」
「はい。僕が学園へ来たら、どれだけ凄い魔術師になったか見せるって約束しました」
「なら、見せてこい」
ギルベルトは短く告げた。
「魔導科代表として。そして、弟としてだけではなく、一人の魔術師として」
アトカは静かに頷いた。
「はい」
夜の廊下へ、四人の足音が響く。
対抗戦まで、あと一日。
それぞれの胸で、不安と期待と、積み重ねてきた誇りが静かに揺れていた。




