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アトカの空白の腕  作者: 鷺沼鳩屋
特等枠の怪物たち
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25/38

飢えた魔力喰らい

バン、と荒々しい音がラウンジに響いた。


先ほどまでの静けさを押し破るように扉が開き、廊下から一人の少年が姿を現す。


魔導科特等枠三年生、バルトロ・レイヴン。


無造作に跳ねた金髪の奥で、琥珀色の瞳がぎらりと光っている。年齢のわりに体格は細い。

だが、その全身から放たれる気配は、痩せた少年というより、飢えた獣に近かった。


バルトロは懐から赤い魔石を取り出すと、何のためらいもなく口へ放り込んだ。


ゴリッ。


ガリ、ガリガリッ。


嫌な音が、ラウンジに響く。


普通なら貴重な触媒として扱われる魔石を、彼は硬い飴玉でも噛むように砕いていた。

砕けた魔石の魔力を飲み込んだ瞬間、それまでわずかに青白かった頬へ血色が戻り、乱れていた呼吸が少しだけ整う。


それでも、足りない。


バルトロは鼻をひくつかせた。


一度。二度。


大きく息を吸い込む。


「……おいおい」


琥珀色の瞳が、興奮に見開かれた。


「なんだ、この匂い。外まで漂ってたぞ。リリシアの暴走の残り香だけじゃねぇな」


視線がラウンジを走る。


ギルベルト。


リリシア。


机の上に残る魔石の欠片。


そして最後に、見慣れない白髪の少年、アトカへぴたりと止まった。


「見つけた」


低く呟いた瞬間、バルトロの足が床を蹴った。


「……匂い?」


突然向けられた異様な熱量に、アトカは首を傾げる。


その横で、ギルベルトが懐中時計の蓋を閉じた。


カチ、と乾いた音が鳴る。


「相変わらず品のない登場だな、バルトロ」


「あぁ?うるせぇよ、ギルベルト。腹減ってんだ。説教なら後にしろ」


「毎回その言い訳だな」


ギルベルトの灰色の瞳が細くなる。


「もう少し早く来ていれば、リリシアの暴走も被害が出る前に収まっていたかもしれない」


バルトロは鼻で笑った。


「終わったから匂いが広がったんだろうが。俺が来た頃には、もう食い残ししかねぇ」


「食い残しではない。暴走の残滓だ」


「俺には飯だ」


二人の視線がぶつかる。


ラウンジの空気が、ぴんと張り詰めた。


リリシアはまだ涙の跡を残したまま、アトカの少し前へ半歩だけ出た。


足は震えている。


けれど、逃げなかった。


「バ、バルトロ先輩……アトカ君は、私を助けてくれたんです……」


その声は小さかった。


それでも、必死だった。


バルトロはリリシアを一瞥し、それから改めてアトカを見る。


「助けた?」


鼻を鳴らす。


「じゃあやっぱり、この匂いはお前か」


喉が、ごくりと鳴った。


「リリシアの光を鎮めた後に残ってる、この妙な魔力。水みてぇで、でもただの水じゃねぇ。腹の奥が勝手に鳴る」


「えっと……」


アトカはますます困惑した。


「僕、食べ物ではないですよ?」


「んなこと分かってる」


バルトロは苛立ったように頭を掻いた。


「けど、お前の魔力は美味そうなんだよ。俺の身体がそう言ってる」


そう言うなり、バルトロは一歩踏み込んだ。


その瞬間、ギルベルトの指先がわずかに動く。


カチン。


何もない空間に、淡い灰色の術式が浮かび上がった。


それは、バルトロがラウンジへ踏み込んだ時点で、ギルベルトが密かに置いていた遅延術式だった。

不可視の魔力の種として空間に潜み、バルトロが一定以上アトカへ近付いた瞬間だけ、動きを一拍遅らせるためのもの。


止めるためではない。


時間を稼ぐための術式だった。


だが。


バリッ。


術式は、一瞬で欠けた。


構成していた魔力が、見えない獣に齧り取られるように削れていく。

輪郭が崩れ、式がほどけ、砂のようになった魔力がバルトロの身体へ吸い込まれた。


打ち消されたのではない。


上書きされたのでもない。


喰われた。


術式そのものが、跡形もなく消えたのだ。


「……え?」


アトカが目を丸くする。


今まで見てきた魔術の崩れ方とは、まるで違っていた。

キルウェスタが世界を書き換える時とも、リリシアの魔力が過剰に修復する時とも違う。


触れた魔力が、食べ物のように身体へ取り込まれた。


「……やはり一秒も持たないか」


ギルベルトが小さく息を吐く。


バルトロは顔をしかめた。


「相変わらず、お前の術式はパサついてんな。腹の足しにもならねぇ」


「こちらは食事を出したつもりはない」


「出されたもんは食う」


「そういうところだぞ」


二人のやり取りを聞きながら、アトカはバルトロの動きを見ていた。


踏み込みは速い。


けれど、まっすぐだった。


飢えているせいか、細かい駆け引きはない。

ただ、そこにある魔力へ手を伸ばそうとしている。


バルトロの手が、アトカのローブへ向かう。


「触るな、バルトロ」


ギルベルトの声が低くなった。


「新入りの魔力系統はまだ分かっていない。直接喰えば、お前の身体にも何が起こるか分からないぞ」


「あぁ?だから確かめるんだろうが」


「お前の確かめるは信用できない」


それでも、バルトロの手は止まらない。


アトカは、左足を半歩だけ引いた。


肩を力ませない。

右の義手を前に出しすぎない。

相手の腕が伸びる線の外へ、身体の中心だけを滑らせる。


大きく逃げたわけではない。


ただ、バルトロの手が届く場所から、アトカの身体だけが静かに外れた。


バルトロの指先は、漆黒のローブを掴めず、空を切る。


「……お?」


琥珀色の瞳が見開かれた。


アトカはローブの裾を軽く整え、穏やかに言った。


「引っ張らなくても大丈夫です」


「いや、避けた奴の台詞じゃねぇだろ」


「急に掴まれると、少し驚きますから」


バルトロは一瞬、ぽかんとした。


それから、獣のように口角を吊り上げる。


「へぇ」


琥珀色の瞳が、ぎらりと輝いた。


「今の、ただの魔術師の動きじゃねぇな。魔術だけじゃなく、身体も少しは動くのか」


「少しだけです。先生に、姿勢を崩すなってたくさん怒られました」


「その先生ってのは、あの黒蜘蛛の魔女か?」


「はい。キルウェスタ先生です」


その名を聞いた瞬間、バルトロは楽しそうに喉を鳴らした。


「なるほどな。そりゃ、ただの餌じゃねぇわけだ」


「餌……?」


アトカが不思議そうに首を傾げる。


リリシアが慌てて前へ半歩出た。


「あ、あの……バルトロ先輩、アトカ君を食べ物みたいに言わないでください……」


「魔力の話だ。人間を食う趣味はねぇよ」


「そ、それでも怖いです……」


バルトロは面倒くさそうに頭を掻いた。


だが、その目はアトカから離れていない。


ギルベルトが懐中時計を閉じる。


「ここで続けるな。ラウンジを壊す気か」


「壊す前に喰えばいいだろ」


「そういう問題じゃない」


ギルベルトの声が一段冷える。


「リリシアが落ち着いたばかりだ。新入りも来た初日だ。ここで騒ぎを増やすなら、俺が学園長を呼ぶ」


バルトロの顔が露骨に嫌そうに歪んだ。


「ちっ。面倒くせぇな」


それから、彼はアトカを指差した。


「おい、新入り」


「はい」


「訓練場へ来い」


「訓練場、ですか?」


「ああ。ここじゃギルベルトがうるせぇ。お前の魔力が本当にその匂い通りなのか、俺が確かめてやる」


リリシアの顔が青くなる。


「だ、駄目です……!バルトロ先輩、アトカ君を怖がらせちゃ……」


「怖がってねぇだろ、こいつ」


バルトロは鼻を鳴らす。


確かに、アトカは怯えていなかった。


困ったようにはしている。


けれど、恐怖ではない。


アトカは少し考えてから、真面目な顔で頷いた。


「えっと……訓練なら、僕も勉強になりますよね」


「は?」


「バルトロ先輩は、魔力を食べるんですよね。僕、そういう人と会ったことがありません。だから、ちゃんと知っておきたいです」


バルトロはまた言葉に詰まった。


獲物として見られることに慣れていないのではない。


恐れられることには慣れている。


だが、学ぶ相手として見られることには、慣れていなかった。


ギルベルトが静かに息を吐く。


「新入り。バルトロは普通の相手じゃない。触れられれば、お前の魔力は喰われる。魔術師にとっては天敵だ」


「はい」


アトカは素直に頷いた。


「だから、触られないようにします」


バルトロの琥珀色の瞳が、楽しげに細まった。


「言ったな」


「はい」


「後で泣いても知らねぇぞ」


「泣いたら、リリシア先輩が困ると思うので、できるだけ泣かないようにします」


「そういう意味じゃねぇ!」


バルトロの怒鳴り声がラウンジに響いた。


けれど、その声には先ほどまでの殺気とは違う熱が混じっていた。


獲物を見つけた飢え。


そして、思い通りに掴めなかった相手への興味。


ギルベルトは懐中時計の針を見下ろし、小さく呟く。


「初日からバルトロに目をつけられるとはな」


リリシアは不安そうにアトカを見る。


「アトカ君……本当に、大丈夫ですか?」


アトカは少しだけ笑った。


「はい。訓練なら、頑張ります」


バルトロは犬歯を見せて笑う。


「決まりだな、新入り。訓練場で、その美味そうな魔力、少しは見せてもらうぜ」


アトカは丁寧に頭を下げた。


「よろしくお願いします、バルトロ先輩」


「調子狂うな、お前……」


バルトロはそう吐き捨てながらも、目だけは楽しそうだった。


こうして、特等枠のラウンジにまた一つ、騒がしい出会いが刻まれた。


そして同時に、アトカ・アッシュフォードにとって初めての、特等枠同士の訓練相手が決まった。

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