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アトカの空白の腕  作者: 鷺沼鳩屋
土に根づくもの
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急かされた土地

西側流路を追って、アトカたち三人とローム爺は薬草畑の奥へ急いだ。


畦道は狭く、ところどころ湿っている。

先ほどのストーンボアの襲撃で崩れた土もあり、足を置く場所を誤れば、薬草の根を踏み抜いてしまいそうだった。


アトカは水を出さず、まず足元を見た。


急ぎたい。


だが、急げば壊す。


そのことを、この村に来てから何度も思い知らされている。


前を行くローム爺は、年寄りとは思えない迷いのなさで畦道を進んでいた。

走っているわけではない。けれど、無駄な一歩がない。

彼が踏む場所だけは、乾いた土も湿った土も、不思議と崩れなかった。


「こっちだ」


バルトロが低く言った。


彼は息を荒げていた。柱の根元で余剰魔力を喰らったせいか、身体には少し力が戻っている。

だが、その目は落ち着いていなかった。

畑の下を走る魔力の匂いが、彼をまた引っ張っているのだろう。


エルマは測定器具を握り、もう片方の手に柱の操作盤と接続した携帯補助板を持っていた。


収穫増幅柱にはディノが残っている。

柱全体の設定出力を基準の一・〇五倍へ固定し、中央核と各流路の状態を監視していた。

実測値と音声は、エルマの補助板へ送られている。


「西側流路の局所圧は、まだ基準圧の一・五倍ですわ。閉塞が抜けたことで、内部に残っていた魔力が薬草畑側へ押し出されています」


補助板から、ディノの声が返る。


『中央設定は一・〇五倍で保持しています。西側以外の流路は安定していますが、西側だけ圧が下がりません』


「柱全体の出力を下げても、土地へ送り込まれた魔力まで同時に消えるわけではありません。古水路や根系を通って、弱い場所へ逃げていますわ」


その時、畑の奥で薬草がざわりと揺れた。


風ではない。


根元から押し上げられるような揺れだった。


若い薬草の葉が一斉に濃い緑へ変わり、葉脈に金色の筋が走る。

数本は急に背を伸ばした。伸びた葉は艶やかで、一見すれば生命力に満ちているようにも見えた。


だが、次の瞬間、根元の土がひび割れた。


伸びすぎた茎が自分の重さに耐えきれず、ぱきりと折れる。


アトカは足を止めた。


「育ってるのに、折れてる……」


ローム爺が鍬を地面に突いた。


「急かされたんだ」


低い声だった。


「根が支える前に、上だけ伸ばされた。人間で言えば、骨ができる前に走れと言われるようなもんだ」


補助板の向こうで、ディノが息を呑む。


『でも、収穫増幅柱は作物の生育を補助するために……』


「補助と命令は違う」


ローム爺は薬草畑を見たまま言った。


「足りない分を支えるのが補助だ。まだ眠りたい土を叩き起こして、もっと育て、もっと実れと押しつけるのは急かしだ」


その言葉に、アトカは胸の奥が重くなった。


もっと育て。


もっと実れ。


もっと役に立て。


それは、畑の話だけなのだろうか。


エルマが測定器具の針を地面へ向ける。

針は土へ直接刺さず、表層から上がる魔力反応を拾うように激しく振れた。


「魔力過剰。根の吸収限界を超えていますわ。西側の局所圧は、依然として基準圧の一・五倍。クライン技官、中央設定はそのまま保持してください」


『分かりました』


「逃がせばいいんだろ」


バルトロが一歩前へ出た。


「溢れてる分なら、俺が」


「待ちなさい」


エルマが止める。


「見えるだけでは足りません。根が吸っている流れとつながったまま喰らえば、昨日の夜と同じことになりますわ」


バルトロの拳が震えた。


「じゃあ見てるだけかよ」


「違います」


アトカが言った。


彼は畑の中央へ目を向けていた。


薬草の根元から、金色の魔力が何本も立ち上っている。

多すぎる。けれど、その全部が余剰ではない。

中には薬草が必死に吸おうとしているものもある。


見分けるだけではない。


喰ってよいものを、根から分けなければならない。


「霧で流れを見ます。その後、溢れている魔力だけを水膜で包んで、根の流れから離します」


エルマは即座に頷いた。


「範囲を限定してください。畑全体ではなく、この区画だけです」


「はい」


アトカは義手の指を開いた。


畑の上に薄い霧が広がる。

薬草の葉を濡らさず、土にも水滴を残さない薄さで、地面のすぐ上だけを這わせる。


霧は土の割れ目から上がる魔力を受け止め、その輪郭を浮かび上がらせた。


細い筋が、根へ向かっている。


太い筋が、根を押しのけて上へ噴いている。


滞った筋が、土の中で渦を巻いている。


「見えます」


アトカは息を整えた。


「細いのは、根が吸っています。太くて上へ噴いているのが余っています。渦になっているところは、触ると崩れそうです」


バルトロが霧の中を睨む。


「太いのだけ、か」


「はい。でも、まだ触らないでください」


アトカは太い金色の筋の周囲へ、透き通った水膜を重ねた。


水膜は魔力を強く引かなかった。

根へ向かう細い流れを押し返さず、太い筋と根系が接する境目へ薄く差し込まれる。


溢れ出し、すでに根から浮きかけている部分だけを、小さな膜の内側へ包む。


エルマが測定器具を向けた。


針が細かく震え、やがて一段低い位置で止まる。


「根系との接続低下を確認。土中の細い流れは保持されていますわ。バルトロさん、膜の内側だけです」


「分かってる」


バルトロは膝を折り、水膜に包まれた太い筋へ手を伸ばした。


昨日のように掴まない。指先で水膜の表面をかすめ、その内側へ分離された魔力だけを喰らう。


金色の筋が、細く削られるように彼の中へ入った。


薬草の葉の震えが弱まる。


エルマの測定器具の針も、わずかに落ち着いた。


「一本目、終了。根系の濃度低下なし。次は右側の太い筋です。渦には触れないこと」


「分かってる!」


アトカは一度水膜を解き、右側の太い筋へ新しい膜を作った。


根へ向かう細い流れとの間へ膜を差し込み、エルマの確認を待つ。


「分離を確認。接触を許可します」


バルトロは二本目にも指先だけを触れた。


今度も、土は急激には乾かなかった。


だが、彼の額には汗が滲んでいる。


目の前に山ほどある魔力の中から、食べていいものだけを選ぶ。

それは、飢えた彼にとって拷問に近いのだろう。


アトカは霧を保ちながら言った。


「次は左の太い筋です。でも、その下の細い根には触らないでください」


「見えてる!」


バルトロは荒く答えた。


「見えてるから、余計に腹が減るんだよ」


それでも、彼は待った。


アトカが水膜を作る。


エルマが接続低下を確認する。


その後で、太い筋だけを削る。


細い根の魔力は残す。


エルマは携帯補助板へ目を落とした。


「西側局所圧、基準圧の一・三倍まで低下。クライン技官、今です。西側上流弁を一段だけ絞ってください。柱全体の設定出力は一・〇五倍で保持したままです」


『了解しました。西側上流弁、一段絞ります』


畑の下で、流れが変わった。


霧に浮かんでいた金色の筋が一瞬揺れる。薬草の葉がざわめき、土のひびから熱が上がった。


アトカは水糸を細く伸ばし、土の表面へ添えた。


押し固めない。


崩れないように支えるだけ。


「ここの土、割れます!」


「位置を示しなさい!」


エルマの声に、アトカは水糸の輪郭を濃くする。


ローム爺がすぐに鍬を向けた。


「右側は根がない。左は古い溝だ。右だけ支えろ」


エルマは根のない側へ浅い土の支えを斜めに立て、ひびの縁が外へ崩れるのを止めた。深部へは差し込まない。


同時に、アトカはひびの上へ噴きかけた余剰魔力を水膜で包む。


エルマが接続の低下を確認する。


「分離できていますわ。バルトロさん、これだけです」


バルトロが膜の内側へ指先を触れ、余剰分だけを喰らった。


三人の動きが、少しずつ噛み合っていった。


アトカが見る。


アトカが境界を作る。


エルマが測る。


バルトロが選んで喰う。


ディノが柱側の弁を調整する。


ローム爺が土の危うい場所を短く告げる。


「そこは根が浅い。踏むな」


「右の畦は古い溝だ。水を流しすぎるな」


「黒い土へ近づけるな。寝かせておけ」


そのたびに、アトカは霧と水膜の位置を変えた。


やがて、薬草の異常な震えが収まっていく。


伸びすぎた数本は戻らない。折れた茎も元には戻らない。


それでも、根が焼けるような熱は引き、葉脈を走っていた金色の筋も薄くなった。


携帯補助板から、ディノの声が届く。


『西側局所圧、基準圧の一・一五倍で安定しました。中央設定は一・〇五倍を維持しています』


その声には、安堵と悔しさが混じっていた。


エルマは息を吐く。


「完全ではありませんわ。標準圧へ戻すには、さらに畑側の状態を確認する必要があります」


『はい。今なら分かります。柱の数字だけを見ていても駄目なんですね』


ローム爺が畑を見たまま言う。


「ようやくか」


補助板の向こうで、ディノは返せなかった。


アトカは折れた薬草のそばに膝をついた。


「この子たちは、もう駄目ですか」


ローム爺は近づき、葉を一枚指で摘まんだ。


「折れた茎は戻らん。だが、根が生きていれば脇芽が出ることもある」


「休ませれば?」


「ああ。急かさなければな」


アトカは静かに頷いた。


土地も、人も、急かされ続ければ割れる。


昨日、ローム爺が言ったことが、今なら少し分かった。


バルトロは畑の端にある石畦へ座り込んでいた。


肩で息をしている。


アトカが近づくと、彼は顔をしかめた。


「礼ならいらねぇ」


「お礼です。ありがとうございました」


「いらねぇって言っただろ」


「でも、言いたいので」


バルトロは舌打ちした。


「食っただけだ」


エルマが記録帳を閉じながら言う。


「いいえ。今回は、食べるものを選びましたわ」


バルトロは黙った。


その言葉は、彼の中に少しだけ残ったようだった。


畑の上を、薄い風が通る。


薬草はまだ傷ついている。土もまだ疲れている。柱も完全には戻っていない。


けれど、さっきまでのように、無理やり伸ばされる苦しさは薄れていた。


アトカは立ち上がり、収穫増幅柱の方を見た。


土を急かす棒。


ローム爺の言葉は厳しかった。


だが、柱そのものが悪いわけではないのかもしれない。


足りないものを支えることと、もっと役に立てと急かすことは違う。


アトカは、その違いを忘れないように、まだ湿った畑の匂いを静かに吸い込んだ。

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