数式で読めない地脈
収穫増幅柱は、村の西側にある薬草畑の奥に立っていた。
畑の中を抜ける道は細く、馬車は入れない。
アトカたちは村長とディノに案内されながら、土の畦道を歩いた。
足元の土は場所によって感触が違った。
乾いて硬いところ。
湿って沈むところ。
表面は柔らかいのに、少し踏むと下が石のように固いところ。
アトカは歩きながら、何度も足を止めそうになった。
同じ村の土なのに、どこも同じではない。
水の流れも、魔力の流れも、地面の下で細かく分かれている気がする。
エルマはそれを数値で追おうとしていた。
片手に記録帳、もう片手に細い測定器具を持ち、一定の間隔で地面へ針を刺している。
針の先が土へ触れるたび、器具の中で小さな光が揺れた。
「西薬草畑入口、土属性魔力濃度、基準値より一・八倍。水属性反応は低下。補助流路に近づくにつれ、濃度上昇……」
エルマは淡々と呟きながら、記録帳へ数式を書き込んでいく。
だが、歩くほどに、彼女の眉間には皺が寄っていった。
「おかしいですわ」
バルトロがだるそうに聞く。
「何がだよ」
「流れが合いませんの。収穫増幅柱からの補助流路は、図面上ではこの畦道の下を真っ直ぐ通っています。ならば魔力濃度は柱に近づくほど一定に上がるはずです。ですが実際には、途中で急に落ちたり、逆に離れた場所で跳ねたりしている」
「図面が間違ってんじゃねぇの」
「その可能性もあります。しかし、地方管理部の正式図面ですわよ」
「正式だから間違わねぇってもんでもないだろ」
エルマは言い返しかけて、止まった。
それから、少し悔しそうに記録帳へ視線を落とす。
「……否定はできませんわね」
ディノが気まずそうに口を開いた。
「図面は、設置時の測量をもとに作っています。ただ、古い水路や石組みまではすべて反映できていません。村の地下は、昔の用水路がいくつも潰れたり、埋まったりしているので」
「それを先に言いなさい」
エルマの声が鋭くなる。
ディノは肩を縮めた。
「申し訳ありません。ですが、使われていない古水路まで影響するとは思わず……」
「地脈と水脈が絡んでいる土地で、古水路を無視するなど危険ですわ」
エルマはそう言いながら、また測定器具を地面へ刺した。
針は先ほどより低く震える。
エルマはさらに顔をしかめた。
「ここで急に下がる。なぜですの」
ローム爺は少し後ろを歩いていた。
遅い足取りなのに、不思議と誰にも置いていかれない。
彼はエルマの測定器具を見ても、記録帳を覗き込もうとはしなかった。
ただ、足元の土と畑の端に生えた草を見ている。
「そこは昔、芋畑だった」
唐突に、ローム爺が言った。
エルマが振り返る。
「芋畑?」
「ああ。深く掘る。土を何度も返す。水の逃げ道も作る。今は薬草畑になっとるが、下の土は昔を覚えとる」
「土が、覚えている?」
「人が忘れてもな」
ローム爺は鍬の柄で、畦道の横を軽く突いた。
「この下に、古い排水溝がある。石で組んだ細い溝だ。今は半分潰れとるが、魔力も水も、通りやすい方へ逃げる」
エルマはすぐにしゃがみ込み、土を少し掘った。
ディノも慌てて手伝う。
しばらく掘ると、乾いた土の下から、古い石組みの端が現れた。
ディノが息を呑む。
「本当にある……」
エルマは悔しさと興味が混じった顔で、石組みを見つめた。
「地図にも図面にもありませんわ」
村長が申し訳なさそうに言う。
「古いものですからな。わしが子供の頃には、もう使われておりませんでした。だが、ローム爺は昔から畑を見ておりますので」
「昔から、とはどれくらいですの?」
エルマが尋ねると、ローム爺は何でもない顔で答えた。
「忘れた」
「忘れた、で済む年数なのですか」
「畑仕事に年数を数えても、麦は伸びん」
エルマは口を閉じた。
バルトロが低く笑う。
「負けてんぞ」
「負けていません。情報形式が合わないだけですわ」
「それを負けって言うんじゃねぇの」
「違います」
アトカは二人のやり取りを聞きながら、古い石組みへ視線を落とした。
地図にない道。
人が忘れた水の通り道。
けれど、土の下ではまだ残っていて、水や魔力がそこへ逃げている。
「水も、昔の道を通るんですね」
アトカが呟くと、ローム爺は少しだけ目を細めた。
「水は覚えがいい。楽な道も、苦い道も、一度通れば探そうとする」
「風も、似ています」
アトカは蒼風高原のことを思い出しながら言った。
「古い道が残っていて、そこを通りたがっていました」
ローム爺は答えなかった。
だが、ほんのわずかに鍬を握る手が止まった。
エルマはその反応に気づいたようだったが、今は追及しなかった。代わりに、記録帳の新しい頁を開く。
「地脈濃度の数値だけでは足りませんわ。古水路、旧作付け区画、石組み、畑の利用履歴。これらをすべて重ねないと、流れが読めません」
ディノは弱ったように眉を下げた。
「そこまで必要ですか?」
「必要です」
エルマは即答した。
「収穫増幅柱は、地脈魔力を均等に流すための設備なのでしょう。ですが、受け取る側の畑が均等ではありません。水はけも、根の深さも、古い道も違う。そこを無視して均等に流せば、ある場所では過剰になり、別の場所では不足します」
「……設計上の均等と、土地にとっての均等は違う、ということですか」
「そうですわ」
ディノは資料板を抱えたまま、しばらく黙った。
彼は悪人には見えなかった。村を困らせたくて装置を動かしたわけではないのだろう。
けれど、図面の上で正しいことが、畑の上でも正しいとは限らない。
アトカはそれを、少しずつ感じ始めていた。
一行はさらに奥へ進んだ。
薬草畑には、甘く苦い香りが漂っていた。
本来なら爽やかな匂いなのだろう。だが今は、そこに湿った鉄の匂いが混じっている。
畑の端で、エルマは再び測定器具を刺した。
今度は、針が大きく振れた。
「ここだけ急激に上がる……。補助流路からは少し外れているはずなのに」
バルトロが顔をしかめる。
「ここ、濃い。けど嫌な感じだ。喰ったら腹壊しそうだな」
「貴方の感覚も記録しますわ」
「書くなよ」
「書きます。魔力喰らいの摂食忌避反応として有用です」
「言い方が気持ち悪いんだよ」
アトカは、畑の隅に立つ一本の古い木へ目を向けた。
幹は太く、枝は低く広がっている。
葉は少ないが、完全に枯れてはいない。
根元には石がいくつか置かれ、小さな祠のようにも見えた。
「あの木は?」
村長が答える。
「村ができる前からあると言われている古木です。昔は、雨乞いの時に村人が集まったそうです」
ローム爺がぼそりと言う。
「その木の根が、下で水を抱えとる」
エルマははっとした。
「根が水脈に触れているのですか?」
「触れているというより、絡んどるな。水も魔力も、あの根を避けて通れん」
エルマは測定器具を古木の周囲へ向けた。針が複雑に震える。
「……数値が安定しませんわ。反応が散る。根が魔力を吸っているのではなく、分けている?」
アトカは古木を見つめた。
そこには、畑の他の場所とは違う静けさがあった。魔力は濃い。けれど、ただ溜まっているのではない。木の根が地中で何本もの細い手を伸ばし、流れてくるものを受け止めたり、逃がしたりしているように感じる。
「この木、道しるべみたいです」
「道しるべ?」
エルマが聞き返す。
「はい。水も魔力も、ここで少し迷って、それから別の場所へ行く感じがします」
ローム爺が小さく鼻を鳴らした。
「悪くない見方だ」
アトカは驚いて老人を見た。
褒められたのかどうか、少し分からなかった。
エルマはすぐに記録する。
「古木根系による水脈および地脈流路の分岐可能性。アトカ君の感覚記録、道しるべ」
それから彼女は、ふと手を止めた。
「……これを数式に落とすには、変数が多すぎますわ」
「諦めますか?」
ディノが思わず言う。
エルマはきっぱり首を横に振った。
「いいえ。数式だけで読もうとするのをやめます」
その言葉に、アトカは顔を上げた。
エルマは記録帳を閉じず、新しい欄を作る。
「地脈記録に、土地利用履歴、古水路、根系、村人証言、作物状態を併記します。数式は捨てません。ただし、数式だけを答えにしない」
紫紺の瞳には、悔しさではなく、新しいものを見つけた時の光があった。
ローム爺は、古木の根元に鍬を軽く立てた。
「ようやく少し畑を見たな」
「まだ浅いのでしょう?」
エルマが皮肉を返す。
「浅い」
「でしょうね。ですが、浅いなら掘ればいいだけですわ」
老人は短く笑った。
土が擦れるような、低い笑いだった。
その時、村の奥から低い振動が伝わってきた。
地鳴りというほど大きくはない。だが、足の裏に確かに響く。
バルトロが顔を上げた。
「また濃くなった」
エルマの測定器具の針が震える。
ディノが青ざめた。
「収穫増幅柱の方角です」
ローム爺は空を見上げ、それから土を踏みしめた。
「急かされて、腹を立て始めたな」
「何がですか」
アトカが聞くと、老人は西の奥を見た。
「土だ」
その声は静かだった。
けれど、冗談ではなかった。
エルマは記録帳を閉じ、測定器具を持ち直す。
「急ぎますわ。次は柱を確認します」
アトカは古木の根元を一度だけ振り返った。
数式だけでは読めない地脈。
図面にない古い水路。
土の中で道しるべのように残る根。
リーヴェル村の土地は、ただの調査対象ではなかった。
長く使われ、忘れられ、踏まれ、耕され、それでも今まで村を支えてきたものだった。
アトカはその重さを胸に置きながら、収穫増幅柱のある畑の奥へ向かった。




