↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アトカの空白の腕  作者: 鷺沼鳩屋
土に根づくもの
PR
126/139

数式で読めない地脈

収穫増幅柱は、村の西側にある薬草畑の奥に立っていた。


畑の中を抜ける道は細く、馬車は入れない。

アトカたちは村長とディノに案内されながら、土の畦道を歩いた。


足元の土は場所によって感触が違った。


乾いて硬いところ。

湿って沈むところ。

表面は柔らかいのに、少し踏むと下が石のように固いところ。


アトカは歩きながら、何度も足を止めそうになった。


同じ村の土なのに、どこも同じではない。

水の流れも、魔力の流れも、地面の下で細かく分かれている気がする。


エルマはそれを数値で追おうとしていた。


片手に記録帳、もう片手に細い測定器具を持ち、一定の間隔で地面へ針を刺している。

針の先が土へ触れるたび、器具の中で小さな光が揺れた。


「西薬草畑入口、土属性魔力濃度、基準値より一・八倍。水属性反応は低下。補助流路に近づくにつれ、濃度上昇……」


エルマは淡々と呟きながら、記録帳へ数式を書き込んでいく。


だが、歩くほどに、彼女の眉間には皺が寄っていった。


「おかしいですわ」


バルトロがだるそうに聞く。


「何がだよ」


「流れが合いませんの。収穫増幅柱からの補助流路は、図面上ではこの畦道の下を真っ直ぐ通っています。ならば魔力濃度は柱に近づくほど一定に上がるはずです。ですが実際には、途中で急に落ちたり、逆に離れた場所で跳ねたりしている」


「図面が間違ってんじゃねぇの」


「その可能性もあります。しかし、地方管理部の正式図面ですわよ」


「正式だから間違わねぇってもんでもないだろ」


エルマは言い返しかけて、止まった。


それから、少し悔しそうに記録帳へ視線を落とす。


「……否定はできませんわね」


ディノが気まずそうに口を開いた。


「図面は、設置時の測量をもとに作っています。ただ、古い水路や石組みまではすべて反映できていません。村の地下は、昔の用水路がいくつも潰れたり、埋まったりしているので」


「それを先に言いなさい」


エルマの声が鋭くなる。


ディノは肩を縮めた。


「申し訳ありません。ですが、使われていない古水路まで影響するとは思わず……」


「地脈と水脈が絡んでいる土地で、古水路を無視するなど危険ですわ」


エルマはそう言いながら、また測定器具を地面へ刺した。


針は先ほどより低く震える。


エルマはさらに顔をしかめた。


「ここで急に下がる。なぜですの」


ローム爺は少し後ろを歩いていた。


遅い足取りなのに、不思議と誰にも置いていかれない。

彼はエルマの測定器具を見ても、記録帳を覗き込もうとはしなかった。

ただ、足元の土と畑の端に生えた草を見ている。


「そこは昔、芋畑だった」


唐突に、ローム爺が言った。


エルマが振り返る。


「芋畑?」


「ああ。深く掘る。土を何度も返す。水の逃げ道も作る。今は薬草畑になっとるが、下の土は昔を覚えとる」


「土が、覚えている?」


「人が忘れてもな」


ローム爺は鍬の柄で、畦道の横を軽く突いた。


「この下に、古い排水溝がある。石で組んだ細い溝だ。今は半分潰れとるが、魔力も水も、通りやすい方へ逃げる」


エルマはすぐにしゃがみ込み、土を少し掘った。


ディノも慌てて手伝う。


しばらく掘ると、乾いた土の下から、古い石組みの端が現れた。


ディノが息を呑む。


「本当にある……」


エルマは悔しさと興味が混じった顔で、石組みを見つめた。


「地図にも図面にもありませんわ」


村長が申し訳なさそうに言う。


「古いものですからな。わしが子供の頃には、もう使われておりませんでした。だが、ローム爺は昔から畑を見ておりますので」


「昔から、とはどれくらいですの?」


エルマが尋ねると、ローム爺は何でもない顔で答えた。


「忘れた」


「忘れた、で済む年数なのですか」


「畑仕事に年数を数えても、麦は伸びん」


エルマは口を閉じた。


バルトロが低く笑う。


「負けてんぞ」


「負けていません。情報形式が合わないだけですわ」


「それを負けって言うんじゃねぇの」


「違います」


アトカは二人のやり取りを聞きながら、古い石組みへ視線を落とした。


地図にない道。


人が忘れた水の通り道。


けれど、土の下ではまだ残っていて、水や魔力がそこへ逃げている。


「水も、昔の道を通るんですね」


アトカが呟くと、ローム爺は少しだけ目を細めた。


「水は覚えがいい。楽な道も、苦い道も、一度通れば探そうとする」


「風も、似ています」


アトカは蒼風高原のことを思い出しながら言った。


「古い道が残っていて、そこを通りたがっていました」


ローム爺は答えなかった。


だが、ほんのわずかに鍬を握る手が止まった。


エルマはその反応に気づいたようだったが、今は追及しなかった。代わりに、記録帳の新しい頁を開く。


「地脈濃度の数値だけでは足りませんわ。古水路、旧作付け区画、石組み、畑の利用履歴。これらをすべて重ねないと、流れが読めません」


ディノは弱ったように眉を下げた。


「そこまで必要ですか?」


「必要です」


エルマは即答した。


「収穫増幅柱は、地脈魔力を均等に流すための設備なのでしょう。ですが、受け取る側の畑が均等ではありません。水はけも、根の深さも、古い道も違う。そこを無視して均等に流せば、ある場所では過剰になり、別の場所では不足します」


「……設計上の均等と、土地にとっての均等は違う、ということですか」


「そうですわ」


ディノは資料板を抱えたまま、しばらく黙った。


彼は悪人には見えなかった。村を困らせたくて装置を動かしたわけではないのだろう。

けれど、図面の上で正しいことが、畑の上でも正しいとは限らない。


アトカはそれを、少しずつ感じ始めていた。


一行はさらに奥へ進んだ。


薬草畑には、甘く苦い香りが漂っていた。

本来なら爽やかな匂いなのだろう。だが今は、そこに湿った鉄の匂いが混じっている。


畑の端で、エルマは再び測定器具を刺した。


今度は、針が大きく振れた。


「ここだけ急激に上がる……。補助流路からは少し外れているはずなのに」


バルトロが顔をしかめる。


「ここ、濃い。けど嫌な感じだ。喰ったら腹壊しそうだな」


「貴方の感覚も記録しますわ」


「書くなよ」


「書きます。魔力喰らいの摂食忌避反応として有用です」


「言い方が気持ち悪いんだよ」


アトカは、畑の隅に立つ一本の古い木へ目を向けた。


幹は太く、枝は低く広がっている。

葉は少ないが、完全に枯れてはいない。

根元には石がいくつか置かれ、小さな祠のようにも見えた。


「あの木は?」


村長が答える。


「村ができる前からあると言われている古木です。昔は、雨乞いの時に村人が集まったそうです」


ローム爺がぼそりと言う。


「その木の根が、下で水を抱えとる」


エルマははっとした。


「根が水脈に触れているのですか?」


「触れているというより、絡んどるな。水も魔力も、あの根を避けて通れん」


エルマは測定器具を古木の周囲へ向けた。針が複雑に震える。


「……数値が安定しませんわ。反応が散る。根が魔力を吸っているのではなく、分けている?」


アトカは古木を見つめた。


そこには、畑の他の場所とは違う静けさがあった。魔力は濃い。けれど、ただ溜まっているのではない。木の根が地中で何本もの細い手を伸ばし、流れてくるものを受け止めたり、逃がしたりしているように感じる。


「この木、道しるべみたいです」


「道しるべ?」


エルマが聞き返す。


「はい。水も魔力も、ここで少し迷って、それから別の場所へ行く感じがします」


ローム爺が小さく鼻を鳴らした。


「悪くない見方だ」


アトカは驚いて老人を見た。


褒められたのかどうか、少し分からなかった。


エルマはすぐに記録する。


「古木根系による水脈および地脈流路の分岐可能性。アトカ君の感覚記録、道しるべ」


それから彼女は、ふと手を止めた。


「……これを数式に落とすには、変数が多すぎますわ」


「諦めますか?」


ディノが思わず言う。


エルマはきっぱり首を横に振った。


「いいえ。数式だけで読もうとするのをやめます」


その言葉に、アトカは顔を上げた。


エルマは記録帳を閉じず、新しい欄を作る。


「地脈記録に、土地利用履歴、古水路、根系、村人証言、作物状態を併記します。数式は捨てません。ただし、数式だけを答えにしない」


紫紺の瞳には、悔しさではなく、新しいものを見つけた時の光があった。


ローム爺は、古木の根元に鍬を軽く立てた。


「ようやく少し畑を見たな」


「まだ浅いのでしょう?」


エルマが皮肉を返す。


「浅い」


「でしょうね。ですが、浅いなら掘ればいいだけですわ」


老人は短く笑った。


土が擦れるような、低い笑いだった。


その時、村の奥から低い振動が伝わってきた。


地鳴りというほど大きくはない。だが、足の裏に確かに響く。


バルトロが顔を上げた。


「また濃くなった」


エルマの測定器具の針が震える。


ディノが青ざめた。


「収穫増幅柱の方角です」


ローム爺は空を見上げ、それから土を踏みしめた。


「急かされて、腹を立て始めたな」


「何がですか」


アトカが聞くと、老人は西の奥を見た。


「土だ」


その声は静かだった。


けれど、冗談ではなかった。


エルマは記録帳を閉じ、測定器具を持ち直す。


「急ぎますわ。次は柱を確認します」


アトカは古木の根元を一度だけ振り返った。


数式だけでは読めない地脈。

図面にない古い水路。

土の中で道しるべのように残る根。


リーヴェル村の土地は、ただの調査対象ではなかった。


長く使われ、忘れられ、踏まれ、耕され、それでも今まで村を支えてきたものだった。


アトカはその重さを胸に置きながら、収穫増幅柱のある畑の奥へ向かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。